ピンチなんですよ
「ま、魔王様……!」
魔王城の王室――そこは何人たりとも立ち入りが許されない、悪の中枢。魔王が座す、魔界の中心。もしも立ち入るのであれば、魔王より入室の許可を得ねばならない。
今、重々しい扉を豪力によりこじ開けたイハは、人間界より悪しき心を持つ者を抽出しスカウト活動の一環とするプロジェクトのリーダー、という肩書を魔王より授かっている為に入室が許されている。
「どうした、騒々しい」
魔王バイオレットは王室に相応しい巨大な椅子の手すりに肘をつき、怪訝そうな顔を見せている。
「そ、それが……」
イハは息が荒い。この男がこのように取り乱して王室に現れるなど珍しい――そう気付いた魔王は慌てて駆け付けたであろうイハの様子に顔をしかめ、二の句を待つ。
「活火山、アイアンの噴火が……もう目前に……!」
「何だと――!?」
魔王は息を呑み、思わず立ち上がった。その動作と雷光がリンクし魔王の顔を照らす。その顔色から、イハには現状の深刻さがありありと見えた。
「アイアンまで行くぞ。イハよ、ついて来い」
「はっ……!」
魔王は焦る気持ちをどうにか落ち着かせながら城を飛び出した。
活火山アイアンは魔王城からでもその姿を視認出来る程に巨大だが、それだけでは現在の状況は把握出来ない。
この目で確かめる――そう決心した魔王は、その膨大な魔力を最大限出力し、文字通り飛翔した。猛烈なスピードでアイアンとの距離を詰める。イハは圧倒的なそのスピードに離されないようついて行くのがやっとだった。
やがてアイアンが二人の前にその全景を現す。
「これは――」
魔王は愕然とした。魔界の山が噴火する前兆と言われている大地の揺れ。それが幾度と無く繰り返されている。
「馬鹿な、早すぎる……何故、こんな……」
活火山アイアンの噴火。当プロジェクトの期限に設定されているそのイベントは、本来はまだ先の出来事であると予想されていた。しかし、この前兆は明らかに予定より前倒しのタイミング。
「申し訳ございません……私も原因は掴めておらず……」
この事態はイハにとっても予想外だった。普段の毅然とした態度は影を潜め、ただ項垂れているだけだった。
「――イハよ。プロジェクトの遂行を早めるのだ」
「……!」
プロジェクトの遂行を早める――それは、イハが作成した予定表の終了日を『前にずらす』ということだ。魔王に絶対の忠誠を誓うイハといえども、二つ返事は出来ない。しかし、現状が完全にイレギュラーな事態であることは事実。
「……承知致しました。メンバーに伝え、急ぎ対応致します」
イハは一礼し、急いでその場を後にした。
「……」
一人残った魔王は、活火山アイアンを睨む。その山は今にも爆発しそうな危うさを孕み、山とその周辺に揺れを発生させることでその実現性と即時性を主張していた。
「――最悪の場合、奥の手を発動せねばなるまいな」
誰にともなく呟き、魔王は城へときびすを返す。
後に残った活火山アイアンは、グツグツと不気味な振動をひたすらに繰り返すのみであった。
イハがいつもの洞穴に引き揚げると、アダコとジンは外に飛び出して出迎えた。
「どうだった?」
アダコが不安そうに尋ねる。ジンはその後ろで小刻みに震えていた。
活火山アイアンの異変に最初に気付いたのはジンだった。魔王達と人間界から引き揚げて来た際、何となくアイアンの近くを通ったところ、引っ切り無しに揺れるその姿を目撃した。
苦しそうに呻くアイアンの姿は獲物に襲い掛からんとする獣を連想させた。ジンは計り知れない絶望を感じ、次の瞬間には直属の上司であるイハの元へ駆け出していた。
そうしてジンからイハへと報告が上がり、それを聞いたイハが即座に魔王へ報告を上げ、そのイハが今帰還したところである。
「しかし本当かよ、噴火の日はまだ先だったはずじゃあ……」
イハの留守中にジンから内容を聞かされたアダコは未だに信じられないといった様子だった。
「たった今、魔王様と現地で状況を確認して来た。噴火の時期は確実にそこまで来ている」
「マジかよ……」
イハは険しい表情を微塵も崩さない。そしてそのまま、二人に伝えるべき重要な言葉を続ける。
「それを受けて、魔王様より命を授かった……貴様ら、プロジェクトの遂行を前倒しするのだ」
「何だって?」
真っ先に反応したのはアダコだった。
「それは厳しい話だ。こっちもおまえの作成したスケジュール表を元に動いてるんだ。結構カツカツなんだぞ、それでも」
「……それに、バイトのことがなければ、もっと進んでた」
「……」
横から割って入るジンの呟きに、イハも思わず顔をしかめる。
『労働したい』という魔王直々の依頼に対して、三人は結果的にかなりの時間を割いた。所謂『別案件』に翻弄された。その影響がもろに出ている現状において、完成時期を早めるという要望を受けることは難しい。
「俺もこんなことは言いたくないが、あの時間が余分だったのは確かだからな……いずれにしても、これから成果物に対してきちんと動くかどうかのテストをして、結果次第で修正が入る。どんなに急いでもまだ掛かるな。テストの為には人間界にも行かなきゃいけないしな……」
アダコが矢継ぎ早に喋る今後の予定を、イハは黙って聞いていた。
次の瞬間、イハは突如としてアダコの両肩に掴み掛かった。
「な、なんだ!?」
「――アダコよ。確か物自体は完成しているのだったな」
「前回までの作業でとりあえず動作はするようになっている。でもそれは完成じゃないぞ――ってまさかおまえ……!」
「ふむ」
アダコはイハにどこか後ろ暗さがあるのを感じた。嫌な予感がする。イハはアダコの両肩を掴んで離さない。
しばしの沈黙の後、やがてイハはゆっくりとアダコに言った。
「動作はするのだろう。ならばそれで良い。完成という形で魔王様へ報告する」
「――!」
やはりそういうことか――アダコはイハの両腕を即座に払いのけた。
「ダメだ。これで完成なんて認められない!」
間髪入れずにイハが再び掴み掛かる。アダコはそれを避け、後ろに大きく飛び退いた。イハは生気を失くしたようにだらりと頭を下げている。
「アダコよ……」
イハはゆっくりとその頭をもたげた。普段の彼が取る筈の無い動作だけに、不気味さは一層際立っている。
「分かれ、アダコよ……魔王様の言を順守するには最早その方法しか無いのだ」
イハはそう言い残し、その場から飛び去った。
「あいつ、大丈夫か……全く、もうちっと冷静になって欲しいぜ」
アダコは一つため息をついた。
正直なところ、安堵の気持ちもあった。仮に力ずくで来られたら恐らくアダコは太刀打ち出来ない。それに、イハが魔力を解放した場合この魔界にどれ程被害を与えたかも分からない。
とりあえずは喧嘩に発展しないで本当に良かった――アダコはもう一度深くため息をついた。
「な、ない……!」
ジンの悲鳴のような声が聞こえてきたのはその直後だった。
「どうした!?」
アダコは急いで声のする方へ走る。洞穴の中で、ジンが忙しなく探し物をしている様子が直ぐに目に飛び込んできた。
「パ、パソコンが……ない……っ!」
「なんだと?」
ジンの言葉の意味を、アダコは即座に理解した。
「あいつだ……!」
アダコは洞穴を飛び出し、上空へ飛び上がる。イハの飛び去った方向を見据えたが、そこにはもう彼の姿は無かった。
「そこまでするかよ……もう……!」
行き先は分かっている。しかし、飛んで行って捕まえる気力は今のアダコには無かった。後には獣達の咆哮が響き渡るだけだった。
「魔王様、イハです」
「――入れ」
地鳴りのような音を立てて扉が開く。イハは次第に開けてきた視界から魔王バイオレットの姿を認めた。
「随分早いお出ましだな」
魔王から放たれる懐疑の視線をひしひしと感じながらも、イハは直ぐに魔王の元へ駆け寄り、懐から黒い物体を取り出す。
「魔王様、こちらが完成の品にございます」
「何だと?」
魔王の声に含まれていた毒気が一瞬だけ失せる。イハが差し出した物体は、王室にあるそれと酷似していた。
「これは『ぱそこん』だな」
黒光りする無機質なシルエット。魔界には存在しない物質で作られているそれは、正にパソコンだった。魔王は差し出されたそれをヒョイと持ち上げ様々な角度から覗き込み、眼前のイハを睨む。
「完成の品、と言ったな。もうこれは悪しき人間を検索出来るということか?」
「その通りでございます!」
イハはつけていた膝を上げ、その場に立ち上がった。
「この装置を用いることで、有望な悪の人間を検知する事が出来ます」
「おお!!」
「その者はきっと、今正に訪れているこの魔界の苦境を快方へと、導いてくれるでしょう!」
「おお!!!!」
魔王は身を乗り出してイハの演説に聞き入る。その目からは疑いのオーラは消え去り、爛々とした期待が溢れていた。
「流石だ、イハよ。素晴らしいぞ」
「お誉めに与り光栄至極にございます」
イハは片膝を再び床につけ、深々と頭を下げた。
「こうしてはおれん、早速使うぞ!」
「――お、お待ち下さい、魔王様!」
意気揚々と上蓋状のモニターを開こうとする魔王を、イハは慌てて制止した。
「検索は、人間界にて行わなければならないのです……!」
「なに? そうなのか」
細かい仕様を忘れているのか決定事項に対して不服な顔を見せる魔王だが、次の瞬間にはもうモニターを閉じていた。
「なら行くぞ、人間界へ。ついて来い」
「――はっ!」
イハは魔王の後を追い城を飛び出す。そして、魔王に感付かれないよう細く息を吐いた。
検索は人間界で行わなければならない、という仕様はリーダーであるイハも把握していた。それが確かなら、あのまま動作させていたら何も検索出来なかっただろう。
どのような原因であれ、『動作しない』という事態はクレームに直結する。それならば事前に説明しておくことで多少は怒りが和らぐというもの――そう考えての指摘だったが、どうやら功を奏したようだ。
(下手に触られて妙なエラーが出ても困るしな……)
イハは改めて、密かに胸を撫で下ろす。
(しかし、此処からが本番だな。何が起きるか分からん……)
イハが思った通り、システムが正常に稼働するかどうか明らかになるのはこれからだった。イハは戦々恐々としながらも、超速で人間界へのゲートを目指す魔王に無言のまま付き従った。