働いてみて分かることがある
「たのもーっ!」
「魔王さま、こういう場合は扉を拳で軽く叩くんです……!」
「あ、ああ、そうなのか……」
とあるビルの四階。ジンが先導してエレベーターに乗り込み、出て直ぐ右に曲がる。その通路の奥に目的地はあった。
約束の時間は三時。四人は五分前にここに辿り着いた。
魔王は力を調節し、扉をこんこんとノックする。その姿は前回人間界に降り立った際の小学生ルックでは無く、制服に身を纏った高校生スタイルとなっていた。小学生ではバイトが出来ないだろうというジンの指摘を受け、アダコとイハで考案したのである。
対する三人は、全員黒のスーツ。こういう場はカジュアルよりフォーマルだ、というこれまたジンの指摘により、イハが考案した。本来であれば同伴する必要は無いが、流石に魔王一人では不安だった為こうして同行している。
やがて扉が開き、一人の人間が顔を出した。
「あっ、今日面接の三島さんですね」
(魔王さま、『ミシマ』とは今回用の我々の人間界での仮の呼び名です!)
(お、おう、そうだったな)
補足が必要な場合はアダコが逐一耳打ちする手筈になっていた。魔王は助言を聞き、堂々と名乗る。
「いかにも! 私がミシマだ……です!」
敬語は人間界への移動中に三人がかりで仕込んだが、まだ完璧では無い。素っ頓狂な魔王の挨拶に眼前の人間は目を丸くし、クスリと微笑んだ。
「どうぞ、中へお入りください」
「うむ!」
魔王は大股で、背後の三人は冷や汗をかきながら背中を丸め一列で入室した。長い廊下を歩き、奥まった部屋に通される。
「どうぞ、お掛けになってください」
(魔王さま、座っていいという意味です!)
(そ、そうか……)
魔王は着席し、三人はその背後に横一列で立った。
「今回面接を担当する佐藤と申します。宜しくお願いしますね」
「ああ、宜しく頼む……お願いします!」
「ふふっ、元気ですね」
『サトウ』と名乗った人間は女性。魔王の見た目――つまり小学生――よりも遥かに年を経ている。恐らく人間界での年齢を比べたら三人の中では自分が一番近いだろう、とアダコは分析した。
「ところで、お三方は三島さんの保護者でいらっしゃいますか?」
佐藤の質問に、三人は瞬間的に背筋が伸びる。代表してイハが答えた。
「いかにも。我々はまお……お嬢様の保護者にございます。まお……お嬢様に何かあると大変である故、最初は我々もお側にいるべきだ、と判断し、同席しております」
年長らしく、イハは『魔王』のキーワードを懸命に隠し丁寧に応対する。
「ふふっ、そんな取って食うわけじゃありませんから心配しなくても大丈夫ですよ」
佐藤はクスクスと笑う。
「事情は分かりましたので、そのまま居て頂いて結構です。それでは面接のほう、始めていきますね」
「ああ!」
「ではまず、下の名前は『りこ』さんで宜しいですね」
「そうだ……です! 三島莉子、です!」
「分かりました。それでは希望シフトですが……」
(……よし。では、やるぞ)
(ああ)
三人は面接の様子に気を配りながら魔力を練り、この部屋、及びこのビル周辺に魔界の者に対する脅威が存在しないか隈無く調査した。
魔界の存在を人間界に知られるのは言語道断。その要因となりそうなものは省かなければならない。三人は相応の緊張感を以って事に当たったが、不穏な点は存在しなかった。
もう一点注意すべきは自らボロを出すパターンだが、魔王は時々尊大な態度が出そうになること以外は基本的に問題無く全ての質問に答えた。その様子を見て総合的に問題無しと判断出来、三人はようやく安堵した。
「……うん、分かりました。それでは早速来週から入って頂きたいと思いますので、宜しくお願いしますね」
「え、それって……」
(魔王さま、合格ってことです!)
「ほんとか!」
魔王は椅子から飛び上がり喜びを爆発させた。三人は抱き合って健闘を讃え合う。
「そんな、バイトの面接に大げさな……」
佐藤は四人の喜び様に呆れてしまう。しかし、その姿に佐藤はどこかに忘れていた働くことへの姿勢のあり方を思い出した気がして、どこか嬉しくなった。
「ここが今日から魔王さまが働く戦場か……」
「魔王様……我々がお供すると言っても聞き入れずに単身出向かれたが、無事に辿り着いているだろうか……」
「それは大丈夫だろう。時間はとっくに過ぎてるし、着いてなけりゃ保護者役のこっちに連絡が来るはずだ」
「……そうだな」
面接の日から人間界の時間で三日が過ぎた。
四人はこの三日間を人間界で過ごした。魔王が無事に働けるようにと三人がかりで準備を整え、空いた時間で観光もした。
人間界の空気はマグマの高熱で支配されている魔界に比べて澄み切っており、それを吸って生きている人間達もまた魔界の怪物達に比べて非常に穏やかに見えた。三人は、魔族に似つかわしくない清い心でこの三日間を過ごした。
そして迎えた魔王のバイト初日。三人の目の前にあるのは日がな一日営業している物資補給場、所謂コンビニエンスストアである。
イハはそわそわして中の様子をしきりに窺う。その様子は、まるで先日遊園地で目撃した、アトラクションに行った子の帰りを待つ人間の親のようだとアダコは思った。
「ここからじゃよく分からんし、俺達も入ってみるか」
「ああ。より身近で我々は魔王様を護らねばならん」
三人は順番に自動ドアを通過した。来店を知らせる音が店内に響き渡る。
「いらっしゃいませー!」
続いて聞こえてくるのは、機械では無い生身の生物による活力に溢れた声。
聞き馴染みのある声に、三人は一斉にその先を見た。コンビニの制服に身を包んだ魔王バイオレットがそこにいた。
「ま、魔王様……!」
人間の親が成長した我が子を見るかのように感極まったイハは、思わず魔王の側に擦り寄り片膝をつく。
「バカモノ! 不審がられるだろうが!」
その姿勢は立ち所に魔王直々に修正された。イハは立ち上がり、たちまち直立不動の姿勢となった。
「も、申し訳ございません。つい……」
魔王は一つ咳払いをし、声のボリュームを落として喋り始めた。
「……とにかくだ。来てくれたことは礼を言う……が、ここには他の客も来るからな。くれぐれも目立った行動は取るなよ」
「はっ、重々承知しております」
イハは深々と頭を下げた。アダコとジンもそれに続いた。
「いらっしゃいませー!」
次の瞬間、今度は三人の耳に覚えの無い声が響いた。それは魔王――三島莉子では無いもう一人の店員が発した声。その声は、早速他の客が来店したということを示している。
「じゃ、行ってくる。頼むぞ!」
小声で言い残し、莉子はレジに駆け出した。気がつけば既に幾つかのグループが来店していて、レジには行列が出来つつあった。三人は他の店員に極力怪しまれないよう、適度に商品を物色しながらレジの様子を窺う。
「この人工のに……こちら温めますかー?」
莉子は、人間にとって妙な言葉を辛うじて封印しつつ懸命に対応していく。
貨幣や人間界の常識等については、この三日間で連携した。各商品のレジでの扱い方といったコンビニでの働き方については、今日説明があった筈だ。
三人が様子を見ている限り、限られた時間でそれらをしっかり自分のものにしたらしいことが分かった。その学習能力の高さからは、魔界を統べる者としての素養の高さを窺い知ることが出来た。
「どうやら、俺達が心配する必要は無さそうだな」
「ああ……流石は魔王様だ」
人間達に対して愛嬌を振り撒くその姿はすっかり様になっており、彼女が魔界の王であるという事実を忘れさせる。
「どうする、一度引き揚げるか」
「いや、まだだ。もう少し時間を掛けて様子を見る」
アダコの問いに判断を下したイハの表情は、明らかに締まりが失われていた。労働する魔王にそこまで感激するものなのか。アダコはため息をつきそうになるところを堪えてパンを手に取り、変わらぬ笑顔で接客する莉子とそれを嬉しそうに眺めるイハの様子を交互に見て、結局ため息をついていた。
「お前たち、まだいたのか!?」
莉子は思わず驚きの声を上げた。
三人がコンビニに来店してから人間界の時間で三時間が過ぎていた。莉子は絶え間無く訪れる客の応対や商品の棚卸しに没頭し、知らず知らずのうちに三人のことを意識から外してしまっていた。
「魔王様……大変ご立派にございます。たかだか人間共の為に、よもやここまで献身的な姿をお見せするとは」
「お疲れではありませんか?」
立て続けに掛けられる労いの言葉。本来であれば人間達に怪しまれぬよう注意喚起をするところだが、今、莉子はそれを素直に受け止めたかった。
「……ありがとう」
あくまで声のボリュームは絞り、柔らかく返事をする。そこに魔界の王の面影は無い。
「何だか……今なら分かる気がする。労働というものが、如何に大切なのか」
今、莉子の心にはこれまで感じたことの無い気持ちが溢れ出していた。それが一体何なのかは分からないが、もう少しのところで何かが掴めそうな気がしていた。
「ありがとう」
もう一度、感謝の念を三人に伝える。声のボリュームは無意識のうちに上がっていた。
「すいませーん」
声に反応した莉子はハッと顔を上げレジを見る。新たな客が会計を済ませる為に並んでいる姿があった。
「はーい、少々お待ちくださーい!」
莉子は急ぎ足でレジへと向かった。後には三人のみが残った。
「……特に問題は無いようだな。そろそろ我々は引き揚げることとしよう」
イハの号令に、アダコとジンは安堵の表情を浮かべる。三時間に及ぶ見張りミッションがここに終了する――と思った矢先。
「ちょっとー、これ値段が割引されてないんですけどー!」
人間の怒号が三人の耳に入った。嫌な予感がしてレジに目をやると、莉子がちょうど今呼び寄せられた客に猛烈な勢いで詰め寄られている。
「おい貴さ……あ、あの、この商品にはまだシールは貼っていないはずで……」
「いやだからさ、貼られてるんだから現にさ! 割引してくれないとおかしいでしょ!」
「い、いや、確かに……」
莉子は必死に今日の作業を振り返っていた。割引シールの何たるかは勿論頭に入っているし、眼前のそれは確実にこの店のシールである。
しかし莉子は、少なくとも今男が持っている紙パックのカフェラテにはシールを貼っていない。何度振り返ってもそれは確かだと神に誓って――魔界の王たる立場故に神などには死んでも誓わないが――言えた。
それだけに、この男の言うことはどうしても聞けなかった。
「貴さ……お客さま、本当にそのシールはあらかじめ貼られていましたか?」
「ああ!? 何、こっちが貼ったって言いたいの?」
男は怒声のボリュームを更に大きくして莉子の胸ぐらをつかむ勢いで詰め寄った。その言動は最早脅迫と言っても過言では無かった。
全く、下賤な人間の分際で――この右腕に膨大な魔界のマグマを呼び寄せ今直ぐにでもぶつけてやろうかという気持ちを莉子はどうにか抑え、今朝習った『クレームマニュアル』の事を思い出していた。まだバイトの身分である現状、こういう時には兎にも角にも上位者を呼びつけ対応頂く、という内容だった筈だ。
「すぐに上の者をお呼びしますので少々お待ちください!」
言いたいことを全て飲み込み、男と目を合わせず早口でそれだけを告げ、莉子は超スピードで奥に下がる。
――そのタイミングと、男が後ろから首を掴まれて地面に激しく叩き付けられたのは同時だった。
「痛ってえ! なんだテメ……」
男は苦痛で直ぐには立ち上がれない。何とか自分を投げ飛ばした犯人を視界に捉えるが、その瞬間、身体が凍りつく程恐怖した。
眼前のスーツ姿の男から放たれる形容出来ない威圧感に、男は足がすくみ心の底から震えがやって来るのが分かった。未だかつて味わったことの無い恐怖がそこにあった。
「貴様……人間の塵の分際で……自らの無力を理解した上で魔王バイオレット様に無礼を働いたか、貴様……」
その圧倒的恐怖の正体はイハだった。イハはこの行為が魔王への迷惑となってはならないという最後の忠誠を以って、限界まで加減して男を投げた。しかし、それでも男へ与えた肉体的ダメージは大きかったようだ。男は立ち上がる気配を見せない。
イハは燃え盛る怒りをどうにか鎮めようと努めながら男を見る。男は傍目で分かる程に大きく震え上がった。
「ちょっ……何してるんですか!」
横槍の声にイハは我に返る。声のした方を見ると、事態が飲み込めず困惑した表情の莉子と、面接官の佐藤が立っていた。
「莉子ちゃん本人は頑張っていたんですが、こういう形で問題を起こされては、引き続き置いておくわけにはいきません」
そう言って佐藤は深々と四人に頭を下げた。莉子は既に制服から先の三日間で調達した私服に着替えており、残りの三人は入店したスーツ姿のまま、言葉無く立ち尽くす。
辺りはすっかり暗くなっており、家路に帰るスーツ姿の人間や車が往来していた。賑やかな声がする中で、莉子は佐藤に最後の言葉を告げた。
「あ、あの……ありがとうございました」
佐藤は頭を上げない。四人は一度だけ頭を下げ、その場を後にした。
乱闘事件の結果、莉子は一日目にしてクビになってしまった。乱闘を起こしたイハが面接時と同じスーツ姿で、佐藤に保護者として認識されていたのが決定的だった。
「魔王様、申し訳ございません! 私があの者を八つ裂きにしたいという思いを抑制出来なかったばかりに……何とお詫び申し上げたら良いのか……」
「よい。八つ裂きにしてやりたかった気持ちは私も一緒だ。実際にそうしなかっただけ上等だ、気にするな」
「魔王様……」
慈悲に充ちた声に、イハは思わず両目に涙を溜める。外見は変わらないが、魔王はすっかり『三島莉子』から『魔王バイオレット』へと戻っていた。大通りをゆっくり歩きながら言葉を重ねる。
「……それに、たったの一日だが分かった。労働というものの尊さ……そしてこれは偶然だが」
魔王は一旦咳払いを挟み、それから言葉を続けた。
「人間にも『良い奴』というのは存在する。あのサトウという者には世話になった。無事に人間界を掌握出来たら何らかのポストを用意せんとな」
魔王は曇りの無い瞳で真っ直ぐ前を見た。道を行く車の音が後にこだまする。
「しかし、どうしようもないゲスってのは存在するもんなんだな。あいつ『悪』というよりはただのクズだぜ」
「ああ。プロジェクトの成果物であのような者の悪の気を検知したところで役に立つとは思えんな」
イハも調子を取り戻したか、すっかり普段の口調に戻っていた。
結局の所、男が故意に割引シールを貼ったという証拠は無かった。防犯カメラにもそのような行為は映っていなかったからだ。しかし、魔王――莉子は最後まで一歩も引かなかった。魔王の記憶力に疑いの余地は微塵も無い。
「しかし、なんだってあいつは割引シールなんか貼ったんだ。ほんのちょっとしか値段は違わなかったんだろ?」
「その通りだ、アダコよ」
アダコの素朴な疑問にイハが反応した。そこに自らの所見を付け加える。
「しかし、その『ほんの僅かな値段の違い』が人間共にはどうやら重要なようだな」
「……人間にとっての魔王は、金、かも」
ジンがぼそっと呟く。
その妙な響きに、思わず皆は笑ってしまった。
「そうか、金が人間共にとっての魔王か……これは愉快だ」
魔王は笑い過ぎて零れた涙を拭きながら、懐からおもむろに封筒を取り出した。
「どうだ。私の手には今、その魔王とやらがいる」
「魔王様、それは……」
「クビとは言え、今日一日だけは労働したのは確かだと言ってサトウがくれたのだ」
「おお……」
魔王の手に握り締められているのは、金。人間界での労働の対価。たったの一日という僅かな時間だが、それでもきっちり対価は支払われた。
「どれ、これを使えばここでは何でも出来るらしいからな。今から人間界の食事でも味わってみるか? 四人分位は何とかなるだろう」
魔王はそう言って俯き、聞き取りづらいボリュームで「迷惑を掛けた報いだしな」と付け加えた。
「魔王様……! 有り難き幸せ……! 是非ともご一緒させて頂きたく!」
「分かった、分かったからこっちに寄るな……イハ、お前最近なんだか以前に増して暑苦しいぞ……」
魔界の重鎮達は屈託無く笑った。プロジェクトの為に結成されたメンバー、そして魔界を統べる王は、少しの間だけその関係性を脇に置いて純粋な気持ちで人間界でのディナーを楽しんだ。
人間界の夜は、その営みを明るく照らす人工の光、そして魔界では見ることの出来ない星空と共に、ゆっくりと更けていった。