表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔王の要件  作者: 小走煌
5/10

魔王の悩みは深刻で

「戻ったぞ」

「お疲れ様だな」

 前線基地の洞穴へイハが姿を現した。

 プロジェクトメンバーである彼らには魔王城の一室をあてがわれているものの、こちらの方が落ち着くというメンバー全員の総意で現在はこの洞穴を使用している。権力の象徴たる魔王城で仕事が出来るとあれば喜び勇んで飛び込みそうなイハでさえも、城全体が醸し出す言い様の無いプレッシャーの中に常時身を置くことは避けたかったようだ。

「こっちはいい感じだ。ちょうど試作品が出来る」

「もう……少し……」

 ジンがパソコンの床面に位置するボタンを忙しなく指で叩いている。その音はいかにも人工的で、獣の咆哮や響く雷を差し置いて場のメンバー達の耳を奪った。

「……できた」

 ジンは最後に床面の右端に位置する一際大きいボタン、エンターキーを叩いた。気持ちの良い快音が洞穴に響き渡る。

「今ので、このパソコンが使えるようになったのか……?」

「そう」

 ジンはゆっくりと頷く。その視線の先には『デパート』で得た情報を、魔力を用いて注入したパソコンがある。

「遂にここまで来たか……」

 薄暗い洞穴には不似合いなフォルム。黒光りする無機質な物体からは、魔界では味わうことの出来ない真新しい期待感が放出されていた。

「もう検索できる……ただ、人間界で、使う必要はあるけど……」

「それは魔王さまに了承済みだから問題ない」

 アダコは魔王へヒアリングを重ね、具体的仕様を詰める役割を担っていた。製作過程でジン側から『人間界での使用』を条件としなければ完成が難しいという報告を受けていたので、魔王との打ち合わせにてその要件を呑んで貰うことでその課題は解決していた。

「……よし。そうと決まれば早速テストだ!」

「うん」

 アダコの声にジンは素直に頷いた。

 完成した物品が正常に動作することを確かめる、所謂テスト工程。アダコはその重要性をしっかり理解していた。魔王への報告前に、必ず試行をしようと決めていた。

「待て」

 アダコの思いはしかし、リーダーの声により阻害される。イハは苦々しい表情でアダコの前に立ちはだかった。

「なぜだ。なぜ止める?」

「……出来上がったのならば、まずはそれで良い。一旦作業は中断だ。何故ならば……」

 イハはそこで言葉を区切った。沈黙が洞穴に流れる。

「……魔王様の様子がおかしい。我々で原因を調査するのだ」

「なんだって?」

 アダコは顔をしかめる。イハの顔は、普段アダコが感じ取れなかった真剣さで満ち溢れていた。

「魔王様の身に何かあってはそもそもの魔界の維持の問題に繋がる。それは不味い事態なのだ」

「それは確かに、そうだな……」

 普段の威圧的な態度とはまた違う切迫感に圧倒され、アダコもただ押し黙る。

「ついては、早速調査に入ろうと思う」

「調査ったって、どうやるんだ?」

「……魔王城へ侵入する」

 何かを決心したようにイハは二人に告げた。

 『侵入』という単語を使用したからには、魔王に悟られずに行動するという決意の表れだろう。アダコは更に問いを重ねた。

「何か考えはあるのか?」

「ある。任せろ」

 イハの短い返事には、確信めいたものが見えた。

 張り詰めた空気を纏い、イハは洞穴を出る。先陣を切るイハの後ろ姿はこれぞリーダーと言わんばかりの頼もしさが感じられた。

(出来るならもっと早くからやってくれよ……)

 アダコはその後ろ姿に、心の中で愚痴をこぼさずにはいられなかった。


 魔界の最深部に雄々しくそびえ立つ魔王城には何人をも近寄らせないオーラがある。それは、魔界の名工三人をもってしても例外では無い。

 それ故湧き上がる落ち着かない気分と戦いながら、三人は城門の前に立っていた。

「さて……どうしたものか」

「王室の窓の場所は押さえている。ついて来い」

 イハは迷うこと無く城の外壁沿いをつたって歩く。二人は慌ててその後を追った。

「門から入った方がいいんじゃないのか?」

「我々の力をもってすれば外壁を乗り越えるのは容易だ。正門から入れば魔王様に悟られる。よってこの方法が最善だ」

「そうか……」

 二人は黙って指示に従う。

 これは正しく急に降ってきた案件。それなのにやたら積極的なプロジェクトリーダー。どこか妙な気分を感じながらも、その言うことにアダコはひとまず従うことにした。

(こいつは、どう思ってるんだろうな……)

 アダコは後ろを振り返る。ジンは俯き、足元を見ながら歩いていた。

 その様子からは、今考えていることを捉えるのは無理だった。あわよくば声を掛けようと思ったアダコは、諦めて前を向く。

 三人はやがて王室の窓に近い部分へ到着した。

「ここから侵入するぞ。慎重にな」

 そう言ってイハは無音でジャンプし、外壁の頂上へ着地した。合図を受け、二人も後に続く。

 王室は上階に設置されており、三人の位置からでは更に上へ移動しなければならない。状況を確認したイハは配下の二人へ指示を出す。

「あの庇に飛び移る。慎重にな」

 そう言ってイハは早速ジャンプした。

「むおっ――!」

 次の瞬間、強大な魔力のバリアが発動した。

 触れた瞬間に発動する、邪気を孕んだバリア。その存在を見抜けなかったイハはもろに衝突し、立ち所に弾き返される。

「掴まれっ……!」

 アダコが反射的に手を伸ばす。イハは辛うじてそれに掴まり、その豪力で外壁へと引き戻された。

「危なかったな……やはりそう簡単には近寄れないのか」

 アダコは額の汗を腕で拭った。イハはその場で胡座を掻いてブツブツと何やら唱えていたが、やがて決心したように立ち上がる。

「……皆、魔力を練るのだ。バリアと同化して侵入する。問題無いな?」

「あ、ああ。技術的には可能だが……」

 それってバレるんじゃねえかな――という一抹の不安を胸に仕舞い、アダコは先程視界に捉えたバリアをイメージする。

「……ハッ」

 極小ボリュームでの魔力発動。自らの魔力を、素早くバリアと同質のものに変化させ、身に纏った。

「こっちも、オッケー」

 隣にいたジンも難なくそれに続いた。誰よりも早く膜を作り上げたその手際は、抜きん出た魔力の扱いのセンスの持ち主であることを窺わせる。

「では、行くぞ!」

 イハの掛け声と共に三人で一斉に飛び、バリアへ体当たりした。

「うお……こ、これは思ったより粘っこいな……」

「簡単に引き下がってはならんぞ! 無心で直進するのだ!」

 イハがしきりに檄を飛ばす。しかしバリアの効果は三人の想像以上で、必死にもがけど遅々として進まない。

「少しずつで良い! 確実に進むんだ!」

「りょ、了解……」

 息苦しさを感じながらも三人は徐々にコツを掴み、バリアの海をゆっくりと進んで行く。

「近いな……そろそろいけそうだ!」

 三人の先陣を切ってアダコがバリアの脱出に王手をかける。苦戦しながらも庇が目の前に見えた次の瞬間。

「……何をしておるのだ、お前たち?」

 三人は凍りついた。呆気にとられた顔で窓からこちらを覗き込んでいるのは、魔王バイオレット当人だった。

「ま、魔王様……! これは、その……」

 他の二人が固まる中、イハだけは必死に頭をフル回転させた。

「こ、これは……実験です!」

「実験?」

「そうです! 人間界から情報は取得したものの、それを魔力とどう融合させてパソコンへ注ぎ込むか……これが現状の私共の課題でございます。そこで、手掛かりを得る為にこのような事を……」

「ほーう」

 魔王は三人に懐疑の視線を向けるも、やがて納得したように一つ頷く。

「それは分かったが、そういう事情なら言ってくれれば魔力の練度を試行する部屋などいくらでも用意してやるのに。わざわざそんな侵入者のようなやり方をせんでも」

「申し訳ございません……っ! 魔王様のお手を煩わせるような事があってはならぬという考えの末……私の不手際でございます」

「よい、よい」

 魔王は意に介さぬといった様子でイハの謝罪を聞き流した。言葉の端々にはその小さな体には似つかわしくない寛大さが内包されていた。

「……ところで。お前たち、そこから出してやろうか?」

 三人共、魔王の御前に立つにはあまりにも不格好過ぎた。程無くして、魔王の手により三人は無事救出された。


「さて、運良く城内に侵入が出来たわけだが」

「……ここに来るなら、正面から普通に入れた、気がする」

「それを言ってはおしまいというものだろう……多分……」

 救出された三人は、ここしばらくは使っていなかったプロジェクト用の部屋に入っていた。

 『メンバー内での会議を行う為』と、救出してくれた魔王に対してイハが入室の理由をつけてはいるが、ジンの言う通り、そういった理由づけが無くても――元をただせばイハの功績によるものだが――使用出来るようになっている。

「で、どうするんだ。まだやるのか?」

「当然だ。我々はまだ何も成し得ていない」

「まあ、確かに……」

 アダコはため息をついた。情熱覚めやらぬといった様子でイハは今後のビジョンを二人に告げる。

「作戦は引き続き決行する。ついては、この部屋から王室へと向かい、そこで魔王様の様子を探るのだ」

「また困難を極めそうなミッションだな……城には護衛の怪物達がうろついてる。王室に辿り着くのも至難の業だぞ」

「……でも、ボクたちは関係者だから、大丈夫だと、思う」

「そうかな……」

「その通りだアダコよ。王室の前まで辿り着くのは容易い。当ミッションで肝要なのは、如何に魔王様に悟られる事無く様子を探るかなのだ」

 アダコの疑問――それは護衛のことだった。

 城の各地には王直属の護衛軍が配置されている。単純な戦闘力ではとても三人の手に負えない怪物達。

 しかし、確かにこちらも王直属のプロジェクトを任されている。その立場であれば、怪物に襲われるいわれは無い。アダコの疑問はひとまず解消された。ならばとアダコは次の案を提示する。

「とすると、王室のドアから覗くか……」

「それは危険だ。連中への言い訳が立たん」

 怪物達は、城の各地のみならず王室の前にも配置されている。いくら関係者といえども、ドアの前にいつまでもたむろしていては当然怪しまれる。

「じゃあ直接聞くしかないんじゃないのか? 魔王さま、何かあったんですかーって」

「それはもうやっている。そこで解ったのだ。魔王様はそう簡単には心を開いてはくれんと」

「そうか……」

 アダコの胸中に焦りが生じる。

 魔王自身に何が起きているか分からない以上、展開次第では魔界の今後に関わる可能性もある。故にどうしても慎重にならざるを得ない、という考えは理解している。

 しかし、これはあくまで本来達成すべき目的を一時脇に置いての突発的プロジェクト。余り時間を掛けていられないのでは無いだろうか。

「うーん……とりあえず、さっきみたいな方法だとまた変な目で見られかねんぞ」

「空き巣みたいに、見られる」

「うむ……」

 気持ちばかりが焦って良い案は見当たらない。三人の表情が苦悩で曇る。

「――良し」

 そんな中、イハが決心したように机を叩いた。

「こうなったら、魔王様との会話から原因を探るしか無い」

「実際に対面で話すか……上手いこと誘導するような話しぶりじゃないとな」

「その通りだ。その役目は私がやろう」

 イハは自ら重責を買って出た。二人は目を丸くし、お願いしますと頭を下げる。

 やはりこのプロジェクトは特殊だ。こんなにやる気のあるリーダーは知らない――アダコはふとそんなことを思ったが、それは流石にリーダーに対して失礼だという気持ちが湧き上がった。心の中で自らを戒める。

 これまで不満を抱いてきた相手に何故失礼などと感じたか――アダコは最早そこまで考えなかったが、そういう気持ちを起こさせる程に今のイハは真剣に物事に取り組んでいると、アダコの目には無意識にそう映っていた。

「そして、貴様らにはもう一つの重大な役割を担って貰おう」

「と、言うと……?」

 鋭く光るイハの眼光。一体何を宣言しようとしているのか。思わず二人は身構えた。

「私が魔王様と会話をしている間に、部屋を調査するのだ。何か疑わしい物が無いか、隈無くな」

「お、おいおい本当か……」

 イハが注意を引きつけてくれるとは言え、王室の物色などとんでもない案件だ。もし下手を打ってお気に入りの壺を割ったり、真っ黒なシャムネコの像を倒したりしたら――そもそも壺やシャムネコの像が王室にあるかどうかは別として――一体どうなることか。などと想像し、アダコは最早気が気では無かった。

「なに、心配するな。この類の作業は意識すると逆にしくじるものだ。堂々としておれば良い」

「そういうもんか……?」

 アダコの心には不安の二文字しか浮かばない。

「さあ、そうと決まれば早速伺うぞ」

「ちょ、ちょっと待て!」

 勇み足のイハを宥めるようにアダコがストップを掛ける。アダコは、どう判断しても自らの中で準備が整っていないことを理解した。

「流石に何の見当もつけないで部屋に入っても、何が手掛かりで何がそうじゃないかの判断がつかん。その辺の基準みたいなのは無いのか?」

「現時点では、無い」

 イハは直球でそう言ってのけ、そこに補足を加えた。

「しかし、その辺りを私が会話により聞き出す。貴様らはその会話に常に耳を傾けておき、然るべき調査を行うのだ」

「聞き出す……って、可能なのか?」

「無論、一筋縄ではいかん。しかし、そうする以外に無かろう」

「……」

 イハの考えはもっともだが、成功させるには難易度が高い。しかし、手段が限られているのもまた事実。

「アダコよ。手掛かりが掴めなければまた別の手段を考えるまで。大事なのは悟られずに調査を行う事だ」

「……ああ、そうだな」

「そうだ。それが理解出来ていれば後はどうとでもなる。さあ、行くぞ」

 会議室のドアを勢い良く開け放し、三人は一直線に王室へと進む。

 道中には三人の魔力を結集してもとても敵わないであろう怪物が闊歩しており、ここが魔王の根城の最奥であることを再認識させた。

「それにしても、こいつらみんな手懐けてるってのか……」

「如何に魔界広しといえど、このような芸当が可能なのは恐らく魔王様のみだろうな」

 恐らく魔王本人から通達が出ているのだろう、すれ違い様に頭を下げる怪物達に三人は恐怖しながら歩く。

 充満する重苦しい空気に耐えながら少しずつ進むと、やがて正面には重々しい扉の姿が見えてきた。

 扉からは禍々しい気が抑えられずに放出されている。開けること、と言うよりも近付くことそのものが躊躇われる程の圧倒的魔力が放たれている。三人は声を上げることすら出来ずにその姿に見入った。

 扉の側には門番がどっしりとそびえ立っていた。これまでの怪物より更に一つ高いランクに位置した修羅であろうことは、三人は説明されずとも察した。

 門番は、こちらの意図を察したように無言のまま扉に手を掛け、ゆっくりと開く。三人はかたずを呑んでその様子を見守った。

「――おお、どうした。何用か?」

 扉の向こうに現れたのは、いつもと変わらぬ魔王。

 そのようにアダコには見えたが、その心の内は違う、というイハからの話である。ここからが今回のミッション。魔王の異変を探り、その原因を突き止めるのだ。

「魔王様。お忙しい所、申し訳ございません」

「構わんよ。どうした、三人揃って」

「ありがとうございます……実は少々ご相談がございまして」

「ほう。申してみよ」

「はっ。今回のプロジェクトの件ですが……」

 魔王とイハは真剣な面持ちで対話に没頭する。その様子をしっかりと確認してアダコは行動に移ることにした。

(ジン、お前も来い!)

(わかった)

 極小ボリュームでパートナーのジンと意思疎通をする。そのまま細かくカニ歩きで刻んで、二人は立ち話の場からフェードアウトした。

(しかし、ちゃんと見るといろんな物があるなあ……)

 王室には実に様々な物が陳列されていた。見るに恐ろしい魔界の狼、虎、蛇、竜、そしてそれに勇んで立ち向かう鎧に身を包んだ何者か――恐らく人間だろうが余りにリアルに再現されている――の銅像、謎の光る球体が祀られている台座、恐らく人間界の鳥類を模したであろう置物。不気味なことに、縦に長いシャムネコの像や壺もアダコのイメージ通りに存在していた。息を殺してそれらを注意深く観察する。

「……それは、物資が別途必要ということか?」

「はっ。可能であればそうして頂けると、プロジェクトがより円滑に進むかと……」

「ふうむ……」

 魔王とイハの話は真剣味を帯び、より深い部分に突入していた。魔王の意識がイハにのみ及んでいることを確認しながら、アダコは室内を細かく見渡す。

「……分かった。その件は少し考えさせてくれ」

「ありがとうございます……しかしながら、魔王様が優先させるべき他の案件等がございましたら、こちらも調整を検討します故、そうお考え頂ければ」

「他の、案件……」

 魔王が言い淀んだその瞬間、アダコの耳は会議にフォーカスされた。

(来たか……!)

 魔王が口ごもる様子をアダコは逃さなかった。重要なヒントか、あるいは答えか。何かが得られそうな期待が湧き上がる。

「……どうされました、魔王様」

「い、いや……」

「当プロジェクトに関してご不満があれば、お申し付けください」

「……」

 これが機と捉えたか、イハは少しずつ核心に触れようとする。慎重に、探りながら距離を詰める。

「仮にプロジェクト外の事柄であれど、我々に対応出来るものなら喜んでお受け致しましょう。魔王様がお困りだと私共としても非常に心苦しい事ですので」

「そ、そうか……」

 聞き耳を立てながら、アダコは魔王の顔を横目で見やる。何かに迷っている、明らかに陰のある表情がそこにはあった。

 これはもうひと押しでいける――魔王の表情を見たアダコも、そして対面でやり取りしているイハも答えが近いことをひしひしと感じた。周りの調査など必要無く、本人から直接話を聞き出せる。アダコが手汗で湿る右手を思わず握り締めた瞬間。

「あっ……!」

 短い悲鳴と共に、王室全体に轟音が響き渡った。

 悲鳴の主は気配を完全に殺していた筈のジン。そして轟音の正体は、そのジンによってシャムネコの像が真横に倒された音。

 細心の注意を払って調査をしていたが、唐突に起こってしまった人的ミス。ここまで盛大な音を立てて倒してしまっては、最早誤魔化すことなど出来なかった。

「……」

 魔王は俯いており、表情は読めない。しかしその身体に注視すると、わなわなと震えていることが分かった。三人の背筋が凍る。

「す……すいま、せん……」

 ジンはか細い声で謝罪する。しかし魔王は反応しない。やがて身体の震えが徐々に穏やかになり、止まる。

 次の瞬間。

「なーにをやっとるかー!!!!」

 イハとの会話で見せた虚ろな表情はどこへやら、城全体へ響き渡ろうかという怒声で三人を壁まで吹き飛ばした。

「勝手に部屋のものを触るでない!!!! しかも倒すとは何事だ!!!! 出て行け、お前たち!!!!」

 風圧で壁に叩き付けられた三人は、休む間もなく王室の外に弾かれた。魔王は即座に扉まで走り寄り、かなりの重量であろうそれを軽々と乱暴に閉めた。

 三人は王室の前の壁に叩き付けられたまま、暫くの間動けなかった。長い沈黙の末、やがてイハがぼそっと呟く。

「魔王様……何という迫力……」

 イハはため息をついた。二度も壁に叩き付けられたダメージなどどこ吹く風。魔王の底知れぬ力を目の当たりにし、その力に改めて心酔していた。

「……おっそろしいなしかし……」

 『魔王の本気』というものをアダコは垣間見た気がした。

 怒りを爆発させる瞬間に著しく増幅した禍々しい魔力。今目の前に起きたその瞬間の出来事が脳裏をよぎり、アダコは身を震わせる。出会った当時、睨み付けられた際に感じた迫力など比較にならなかった。

 城に配置された数多の、気性の荒さで知られる怪物達から反乱を起こす気配が微塵も感じ取れない理由が、アダコには分かった気がした。

「しかし、倒した像は壊れてなきゃいいけどな……」

 アダコの呟きに、ジンはゆっくりと顔を上げ答える。

「たぶん、それは大丈夫、と思う」

 この目で見たから、とジンは付け加えた。憔悴しきったその顔は、誰の目から見てもかなりの落ち込み様であることが明らかだった。

「ジンよ。一体何があったというのだ。そう簡単に倒れるような代物でも無い筈だ」

 イハの言葉にジンは一瞬身体を震わせ、伏し目がちのまま答えた。

「……ちょっと、緊張してた、それで……」

 辛うじてそこまで言葉を捻り出し、それからは無言になった。

「……そうか」

 イハはそれ以上の追求はしなかった。普段のイハとはどこか違う、優しさを帯びた声。耳に残る新鮮な響きに、横で聞いていたアダコは不思議な気持ちになった。

「……さて、ここでくたばっていても仕方あるまい。引き揚げるぞ」

「そうだな。どうする?」

「先ずはあの部屋まで戻り、今後についてはそこで検討だ」

「分かった」

 イハの指示で、三人はひとまず会議室に戻ることにした。身体をさすりながら立ち上がり周辺を見回すと、怪物が棒立ちでこちらを見ているのが分かった。

 怪物は持ち場から一歩も動かない。王室から追い出された現場を目撃している筈なのに三人を敵と見なして襲い掛かってこないのは、怪物の司令塔たる魔王によるせめてもの慈悲か。

「よし、行くぞ」

 イハの号令で三人が移動しようとした瞬間。

「ま、待たれよ!」

 直後、背後から甲高い声が聞こえた。三人が振り返ると、重々しい扉が開かれ、その扉に不釣り合いな小さい姿の魔王がそこにいた。

「ま、魔王様……い、一体どうなさいまし……」

 イハがその身を案じるよりも先に魔王が切り出した。

「……す、少し話がある……戻れ……」

 魔王は両の指同士を互いに遊ばせながら、ボソボソと喋る。

「な、なんですって? 良く聞こえな……」

 焦れたアダコが問いただそうとした瞬間、魔王は抗い様の無い豪力で三人を扉の向こうに投げ入れた。

「あいった!」

 腰を強打し、三人は情けない声を上げる。重い扉は瞬間的に閉められ、魔王が三人の前に再び立ちはだかった。

「……お、お前たち」

 魔王は相変わらずモジモジしているが、アダコは今度こそ黙って二の句を待った。他の二人も同様である。

「……いいか、私に協力しろ、お前たち」

「はっ……勿論ですとも! 我々は魔王様の為ならどのような役割でもお受け致します!」

 イハは嬉々として片膝をつき、頭を垂れる。

「さあ、何なりとお申し付けください。我々の力でそれは現実となるでしょう!」

 魔王は唾を飲み込み、意を決したように三人を見据えた。

「わ、私は……」

 場の全員が静まり返り魔王を凝視した。遂に魔王の憂鬱の謎が解ける――。

「……私は、人間界で労働をしてみたい!」

「ろ、ろうどう……?」

 その場の誰もが予期しない言葉。皆、返す言葉が出てこなかった。

「な、何故そのような……」

 イハは間の抜けた顔を見せ、嘆きの声を上げる。

「――!」

 イハの顔をチラリと見たアダコは驚きを隠せなかった。少なくとも魔王の前では取り乱すことの無かったリーダー。しかし今、完全に普段の姿では無い。

 アダコは思わず横のジンを肘でつつき小声で問いただす。

(なあ、『ろうどう』って何だ?)

 『ろうどう』という、魔王の言葉の意味がそもそもアダコには分からなかった。

(……働くって意味)

(なんだって!?)

 律儀に小声で返ってくるジンの答えに、アダコは改めて驚愕した。

 アダコやイハのような知能のある魔界の生物なら、『働く』ということは自らの意にそぐわないことをあえて行うこと、自らの手を汚すことだという認識を等しく持っている。そして、それは下々の者にさせることである。

 今回のプロジェクトに関しても、魔王の命令により三人が集まって事に当たっている。その系統は彼らにとって当然であり、その頂点に君臨する魔王バイオレットが自らの手を汚すなどということは有り得てはならない筈なのだ。

「なぜです魔王さま。なぜそんなことをお考えに……」

 アダコは改めて問いただす。魔王の発言には、この場の全員が疑問を持っていた。

「……じつは、パソコンでな。見たんだよ」

 魔王は王室の奥へ移動し、鎮座するパソコンの画面を三人に見せ始める。

「このシーン、たいへん感動的でな。主人公がようやく自分の足で歩き始めることを象徴する名シーンなんだ」

 魔王は急に熱っぽく語り出した。画面には、複数の人間が何やら会話をしたり抱き合ったりする様が映し出されている。

「このドラマは……」

「どらま?」

「人間界で、人気の……映像」

「はあ……」

 ジンはアダコの問いに律儀に答える。どうやらこの映像のことも知っているようだった。人間界のことはしっかり調査した筈のアダコだが『ドラマ』というものは今初めて目にした。人間界はどうにも奥深いと痛感する。

「ま、魔王様……この映像を見て、自らも同じ事をなさりたいと……?」

「……ああ、その通りだ」

 驚きを隠せないイハの震えた声に人間のように顔を赤らめながら、しかしはっきりと魔王は答えた。

「……さ、然様でございますか……よもや魔王様が自ら労働をご所望なさるとは……しかし、それが魔王様のお考えなら、我々はそれに従うまで……!」

 イハは未だ声を震わせながら、それでも変わらぬ忠誠を示す。

「うむ。そこでだ。人間界に付き添って欲しい」

「な、なんですと!?」

「人間界で働かなければ意味が無いのだ。だからお前たち、人間界で私に働き口を斡旋してくれ」

「な、なんと……」

 イハは今度こそ絶句した。魔王の望みは人間界での労働。それを叶える為に三人は動かなければならない。

「準備が出来たらすぐにでも行きたい。早く部屋に戻って、プランを立ててくれ……」

 石のようになり動けない三人を、魔王は一生懸命手で押して王室の外まで出した。

「それでは、頼んだぞ。ここで待っておるからな」

 そう言い残し、今度は丁寧に扉を閉めた。後には静寂と、怪物の唸り声だけが響く。

「……な、なんてこった」

「アダコよ。全く同感だ……魔王様に人間と同じ空気を吸わせるなどと……」

 イハの身体はわなわなと震えていた。恐らくこの三人の中でイハが一番ショックなのだろうと、アダコはそのリアクションを見て察した。

「まあ、魔王さまの望むことなら仕方ない。俺達はただ遂行するだけだ……ただ、何をすれば良いのか、全く分からんな」

「アダコよ。その通りだ」

「まずは会議室に戻るか。そこで考えよう」

「ああ……しかし魔王様、何故このような事に……」

 二人は仲良く並んでトボトボと歩き出す。その光景が珍しいものに見えたジンは、並ばずに後ろからついて行った。ふと足を止め、閉じられた王室の扉を振り返る。

「……魔王サマ、ドラマに、影響されすぎ」

 ジンはため息を一つ残し、二人を追いかけるのだった。


「……さて、実際に人間界で働くと言ってもだな……」

 アダコはポリポリ頭を掻く。三人は相変わらず広い会議室の隅だけを使っていた。

「流石にその辺りの仕組みや流れは調査しておらんな……しかしそこから始めるとなると時間が必要だ」

「そうだな……ジン、何か情報ないか?」

 アダコは何気なくジンに意見を求めた。ジンは顔色一つ変えずに答える。

「バイト程度なら、たぶん、すぐ雇ってくれる」

「ば、ばいと……?」

「ジンよ。何か手掛かりがあるという事か?」

「履歴書作って、面接を受ければいい。とりあえず、働けると思う」

 ジンの言う話には二人にとって不明な単語が混じっていたが、一つ確かなことはジンがかなり有益な情報を持っているということだった。

「流石だ、ジンよ。人間界に精通しているようだな」

「ただ、準備はいる」

「ほう、何だ」

「それは……」

 ジンは続けて、これまでに無い程雄弁に語り出した。アダコとイハはそれを真剣に聞き、頭の中にインプットした。


「魔王様、参りました」

 全ての準備を整えた三人は王室の扉の前に立っていた。

 三人の存在を察知した魔王は、ゆっくりとその扉を開く。次の瞬間、魔王の目には見慣れない物が飛び込んできた。

「……これは、何だ?」

 魔王は、イハが差し出している紙を受け取りまじまじと見た。

「人間界において『リレキショ』と呼ばれている代物です。人間界で労働する為に必要なアイテムです」

「ほう……」

「内容は先方が信用するような形で仕上げて参りました。但し一点」

 イハは履歴書の一部分を指差した。そこには『保護者記入欄』という記載があった。

「気掛かりは魔王様の体躯……人間界においては、保護者が必要だとみなされてしまう可能性があります。そこで、この度は我々が人間界における保護者となり、魔王様に同行致しましょう」

「ほう」

「何はともあれ、これで準備は万端という事です。魔王様」

「――おお!」

 魔王は目を輝かせて三人を見た。

「これで私にもめくるめく労働の世界がやって来るというわけか!」

「はっ、正にその通りでございます……!」

「でかしたぞイハ。それならば……」

 魔王はマントを翻すような仕草をして大袈裟に宣言した。

「これより人間界へ出向く。ついて来い!」

「ははーっ」

 四人は意気揚々と魔王城を飛び出した。向かうは人間界。新たな目的を持った四人に待ち受けるのは果たして何か――。


 この時、誰も気付かなかった。

 遥か彼方に位置する活火山アイアンが、確かに振動していたことに。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ