あっさりいくよ
「集まるのだ。皆の衆」
イハが仰々しく呼び掛ける。
一体何を企んでいるのか――声が聞こえた瞬間アダコはそう感じてしまったが、敵意の無い相手に訝ってかかるのは良くない。作業を中断し、イハの近くまで歩み寄った。離れて別の作業をしていたジンも同様に寄って来る。
二人の姿勢を認めたイハが一つ咳払いをした。それはすなわち話を始める合図。二人は、その二の句を拾わんと耳を傾けた。
轟音で常に耳が忙しい魔界において、相手の話を聞くというのは魔族にとっては意外に骨の折れる作業である。
聴覚も人間のそれとは比にならない程発達している彼らにとって、聞き分け自体は容易いのだが『より大きい音に意識を取られる』という点については魔族とて人間と同様である。故に、そういう場合には意識を集中させる必要があるのだ。
「前回の人間界調査から幾日かが過ぎた。私はプロジェクトを預かるリーダーとして魔王様へ定期的に進捗状況を報告する事になっている。従って、現在の状況を教えて貰おう」
イハの告げた内容は、自らが現在のプロジェクト状況を魔王へ報告する為の状況報告依頼だった。
進捗状況の報告――いかにもリーダーらしい仕事だが、イハのその堂々とした態度にアダコは違和感を覚えた。
自らがリーダーであるということを謳っておきながら、銀行の件では事故現場から姿を消し、かと言ってこれまでの魔王とのやり取りも率先して行ったわけでは無い。むしろアダコにその役割を押し付けさえした。
このイハという男はいざという時にどうにも頼り切れない――これまで共にプロジェクトを進行させてきた中で、アダコはそう感じざるを得なかった。
「前回の人間界調査においてデータ取得に失敗した原因は何か分かったか、ジン?」
イハの問いはアダコの思考を中断させた。
問い掛けの対象はジン。イハ同様、アダコもジンにその視線を注いだ。こんな短期間で何も分かるもんか――ジンに代わって吠えてやりたい気持ちでいっぱいだったアダコは、直後のジンの発言に耳を疑った。
「うん、分かった」
「――ほ、ホントか!?」
アダコは思わず大声を出してしまう。轟く雷鳴、獣の咆哮にも負けじとばかりの勢いだった。
「うん……単純に、あの機械には、情報がなかった」
ジンはあくまで冷静に、ゆっくりと語る。先日までの激しい落ち込みはすっかり落ち着いたようだ。
「ほう……つまり、情報は取れないと?」
「うん。取るには、銀行の、中に行かなきゃダメ」
厳たるイハの問いにも冷静さを失わず答える。
どうやらジンはもう安心して良さそうだ――その安定感を間近で感じたアダコは安堵のため息をついた。
「銀行の中、か。ふむ……」
イハは思考にふける。そこに自分にとって良くない意図が含まれていることを、アダコの直感は捉えた。
「アダコよ。早速銀行の中に侵入する計画を」
「ちょっと待った!」
アダコの直感は的中した。咄嗟にイハの言葉を遮る。
「それは流石にしんどい話だと思うぜ……」
アダコは続け様に反対の言葉を投げた。相手がリーダーである以上その指示には従うのが鉄則だと考えてきたが、どうせまた押し付けられて終わり、という思いがどうしても拭えなかったからだ。
イハはそれきり黙り込み、また沈黙を作った。
「……確かに、公然と侵入出来た窓口でさえあの状況に陥ったならば、内部への侵入など当然困難を極める、か……」
イハは独り思案にふけるが、やがて決心したように二人を鋭く見据えた。
「……仕方ない。リスクを考慮し、銀行内部への侵入は諦めることとする。私はそのように報告を行うので、その間に別の手立てを考案するのだ」
イハはそう結論を出し、立ちどころに姿を消した。魔王城へ向かったのだ。
「やれやれ……とりあえず最悪は避けられたか……」
困難なミッションを辛うじて逃れられたアダコは安堵の気持ちを隠せない。
(それにしても、しっかりリーダーやる時はやるんだな……)
アダコがこれまで欲していたリーダーとしての判断、これをイハは実践して見せた。思わぬ収穫にアダコは二重に安堵した。
「……さて、と。代替案をどうするかだな……」
「いい、方法がある」
「なんだって!?」
相変わらず表情を変えないジンはしかし、さらっととんでもないことを口走る。この短期間で原因解明のみならず代替案まで用意してきたというのか。
あまりの仕事の早さにアダコはつい訝ってしまう。恐る恐る、ジンに再確認をする。
「そ、それは本当か……?」
「うん。けど、もう一回、人間界に行かなきゃいけない」
「そうか……」
「うん。でも、今度は行ったらすぐ終わる」
ジンの返事を最後に、会話にしばしの間が出来る。
どうする、一度イハに相談すべきか。それとも、すぐに済むようなレベルなら今すぐ二人で行って帰って来てしまおうか。しかし人間界に行くとなれば、勝手に判断して動くのはまずい――。
アダコは頭を高速回転させ、現状の最善手を考える。懸命に悩みながら、やがて一つの結論に辿り着いた。
「……分かった。イハが帰ってきたら相談してみよう。もう一度人間界へ行っても良いかどうか」
相談したところでどうなるか――一抹の不安を覚えながらも、アダコは当プロジェクトにおける指揮系統を重視することにした。
「ふむ。それならば今回は貴様がジンを連れて行くのだな」
やっぱりか――アダコは自らの顔が引きつるのを感じた。
「私は魔界へ残る。前回の件がある以上、何かあった際には逐一魔王様へ報告せねばならんからな。現場まで付き添ってやる余裕は無い」
何かと理由をつけてこちら任せにしてくるだろう、というアダコの読みは当たった。想像の具現化に軽い絶望を感じる。
しかし、アダコはすぐに頭を切り替えることが出来た。予め最悪を想定しておくと、本当にそういう状況に陥った時に強いのだと改めて感じる。
そして、このリーダーはやはり信用ならないということもまた改めて感じた。
「はい、分かりましたあ。直ちに行ってきまーす」
不満の思いは言動に表れてしまう。イハが眉をひそめるのを尻目に、アダコは早急にジンを連れて人間界へと飛び立った。
「人間界にはよく来ているのか?」
思わず、アダコはそんな質問をしていた。
何度目かの人間界来襲。しかしこれまでとはメンバーが違う。アダコはジンと二人きりで、都会の喧騒をひっそりと歩く。
「……最近は、来てない」
作業があるから、とジンは付け加えた。やはりプロジェクトに時間を費やしているのか――アダコはしみじみとした気持ちになった。
「でも、たまには、遊びに来る。あとは、調べ物、とか」
「そうか。その時はどんなところに行くんだ?」
「……ネカフェ、とか」
「ねかふぇ?」
なんだそれは――とアダコは思ったが、ジンが察したのか補足説明をしてくれる。
「パソコンが、自由に使える場所。調べ物に、便利」
「ほお……」
「それから、人間界の、ドリンクも飲み放題」
「へえ……」
「個室で、快適」
「なるほど……」
ジンの話は、仕事で調べ物をする以上の異世界への興味をアダコにもたらした。たまには純粋に遊びに来るのも良いかも知れない――ふとそんなことを考えた。
「でも、ネカフェ入るなら、お金が必要」
ジンがアダコの心を読んだかのように補足する。
「やっぱりそうなのか……」
人間界では何をするにも金が要る。魔族なら出来る力任せの作業や遊びも、脆い体の人間には出来ない。そういう場合は金によって様々な弱点を克服していく。
「ん、ちょっと待てよ」
ふと、アダコは矛盾に気付いた。
「『ねかふぇ』に入るのに金が必要なら、おまえはどうやって入ってるんだ?」
そう。ジンがその施設を利用するなら、金が必要となる筈なのだ。ジンはどうやってその関門をクリアしているのか――アダコはそこが気になった。
しかし、ジンの答えは意外なものだった。
「……ちゃんと、お金払って、入ってる」
「えっ? じゃあ、その金はどこから手に入れてるんだ……?」
「……教えない」
「ええ、いいじゃん別に!」
アダコはその内容が非常に気になったが、ジンは頑なに答えない。
「……とりあえず、不正はしてない」
「そうなのか」
「人間界、お金を手に入れる手段は、けっこうある」
「ふーん……」
アダコはその内容がどうしても知りたかったが、そうこうしているうちにジンが足を止める。いつの間にか目的地に到着したらしい。
「ここで良いのか……?」
「うん」
建物内であるにも関わらず膨大な数の人間、人間、人間。
そこは多くの人間が金を用いて物品を得る取引場、『デパート』であった。
街中と変わらないような人混み、そしてそこかしこに開かれている店々にアダコは思わず目移りする。
しかしジンの歩みに迷いは無い。アダコははぐれないように気をつけながら、よそ見しつつしっかり後をつけた。
「ここ」
やがてジンはその足を止める。多くの人間が肉や野菜、紙パックなどをふんだんに詰め込んだカゴを片手にウロウロしている。
「……食料品売り場。人間はここで食料を求める」
「へえ……」
自ら物を積んでいった影響で加重されているカゴを、重たそうに持っている人間達。そんな人間達が作る行列はアダコの目にやけに奇妙なものとして映ったが、ジンはやはり動じる気配が無い。
たまに人間界へ降りているジンにとっては見慣れた風景なのだろうか――アダコは漠然とそんな風に考えた。
「それで、ここに何かあるのか?」
「ここからデータを引き出す。あそこにある、レジから」
「レジ?」
ジンが指差す方向をアダコは確認する。重い荷物を抱えた人間の行列が向かう先に、また人間がいた。行列が持ち込んだ物品を一つ一つ取り上げ、手にした無機質な物体を忙しなくかざしている。そんな列が幾つも出来上がっていた。
「あれは……」
「ああやって、人間は金と引き換えに物を得る。そしてレジには、人間が何を買ったか、情報がごっそりある」
説明も程々に、ジンは遠目から両手をかざし、魔力を注ぎ込んだ。瞬時に降りてきた膨大な力は、しかしあっという間に霧散した。
「……オーケー。成功した」
「早いな!」
銀行での魔力行使とは打って変わって、ジンはあっさりと事を済ませた。間髪入れず回れ右をし、その場を立ち去ろうとする。
その手際の良さに呆気にとられていたアダコは、立ち去ろうとするジンを見て我に返り急いでその後について行った。
ジンは前回の反省を踏まえ、入念な準備を行ったのだ。対象の建物、その内部構成、抽出するデータ等々。それらを独自のネットワークを用いて調べたのだろう。
アダコはその後ろ姿に頼もしさを覚える。このペアなら本来であれば自分が先頭に立って歩かなければならないが、ついそのままの隊列で魔界まで引き揚げた。
「どうだ。プロジェクトは順調か?」
「はっ。概ね滞り無く推移しております」
魔王城の一室。当プロジェクトにおける『顧客』である魔王バイオレットとプロジェクトリーダーであるイハによる会議が行われていた。
「チーム内にて連携を取りながら進めることが出来ており、大きな問題の報告も現状はありません」
「そうか。それは何よりだ……」
魔王はどこか虚ろな返事で窓の外を眺める。魔界の闇に雷鳴が轟き、刹那、窓の外が照らされてはまた闇に戻る。
「魔王様……?」
「ん、ああ。すまん、考え事をしていた……何か言ったか?」
「い、いえ。私は何も……」
「そうか」
イハは魔王の不調を敏感に察知した。傍目でも本調子では無いことは明白。イハは少しだけ探りを入れてみることにした。
「魔王様。如何でしょう、今宵の空は。雷の織り成す闇と光のコントラストが、いつにも増して美しいではありませんか」
「ああ……」
魔王の返事はそっけない。虚ろな目で窓の外を見るばかりだ。
(や、やはり様子がおかしい……しかし、退くわけにはいかん)
イハは挫けることなく二の矢、三の矢を放つ。
「魔王様、王室のパソコンの調子は如何でしょう。不具合などございませんか?」
「ああ……」
「魔王様、最近のオススメ人間界情報などは、何かございませんか?」
「ああ……」
「魔王様、前夜の獣の味は、如何でしたか? あれは魔界でも有数の肉でございましょう」
「ああ……」
魔王の態度は変わらない。どの質問にも虚ろな返事をするだけだった。
(な、なんということだ……一体、魔王様に何が……)
二、三言葉を交わし、疑念が収まるどころか大きくなってしまったイハは、堪らず魔王に真偽を尋ねる。
「……魔王様、先程から、どこか具合が宜しくないように見受けられますが……何か不安要素でも?」
イハの問いに、魔王は驚きの表情を見せた。寸分の間を置き、やがて窓に向けていた視線をイハに向け直す。
「実は、な……」
「はっ」
イハは真剣な面持ちで二の句を待つ。しかし、魔王はそれきり沈黙した。
「……いや、やはり何でも無い。気にしないでくれ」
「然様でございますか……魔王様がそう仰るならば、こちらとしては詮索など致しません」
「ああ……ありがとう」
結局、魔王がイハの問いに相応しい回答をすることは無かった。
会議が終わり、イハはアダコとジンが待つプロジェクトの現場へ戻る。雷鳴が鳴っては止み、また鳴っては闇に戻る、その中を目にも止まらぬ速さで潜り抜けて行く。
(魔王様……一体何が……)
魔界を統べる王、バイオレットが確かに見せた憂いの顔。それがイハの脳裏にこびりついて離れなかった。