魔王の要件は満たせましたか
「ジン、検索条件の七番目のところなんだが多分コードが逆だぞこれ」
「……ほんとだ、ごめん」
「いいって、これでこそレビューの甲斐があるってもんだ」
「すぐ、直す」
「ああ、出来たらまた教えてくれ!」
会話を終え、ジンは自分の作業スペースへと小走りで戻っていった。何故かその姿は、アダコの目を引き付けて離さない。
「アダコよ」
不意に、後ろから声が掛かる。声の主はイハのようだった。しかしアダコは振り向かず、微動だにしない。
「……どうしたのだ」
聞こえていないのか、呼ばれているのにいつまでも返事をしないアダコ。イハは怪訝そうにその顔を覗き込んだ。
「うぉっ!」
急に視界にプロジェクトリーダーの顔がフレームインし、虚をつかれたアダコは思わず飛びずさった。
「……貴様、失礼では無いか。私がそんなに怖いか?」
「いや、すまん、ちょっとぼーっとしてたみたいだ……」
アダコは頭を掻きながら元の位置に座した。
「……ほう」
プロジェクトの終結に向け、洞穴の中はこれまでに無い程の活気で満ちている。人数はたったの三人だが、それぞれが自分のすべきことに集中して取り組んでいるのだ。
イハは顎をさすりながら、座り直したアダコを見てどこか物珍しそうに告げる。
「この熱気にあてられ、疲れが溜まった――などと言うつもりか?」
「いや、疲れなんて無いよ、ただ……」
ジンの後ろ姿を見た時、アダコはその場にいながらいないような、どこか俯瞰したような感覚に陥った。
その時にどういうわけか、ジンの後ろ姿は何かかけがえないもののように見えたのだ。普段から顔を合わせる、ただの仕事仲間なのに。
「……なんだ貴様は。やはり疲労の影響が出ているのでは無いのか?」
休むか、とイハは何気無く声を掛ける。
「なんだと!?」
アダコは再度飛びずさる。しかし、イハが咄嗟にアダコの腕をガッチリとホールドし、それは実現されなかった。
「どうした、貴様。何かおかしいぞ」
「いや、こっちのセリフだぜ」
「何故だ」
「『休むか』なんて言うか、おまえが?」
「ふむ……」
らしくない――アダコは続けてイハにそう告げた。イハはアダコの腕をほどき、顎を触りながら黙り込む。
「……確かにその通りだな。私らしくないと言えば、その通りだ」
「だろう」
アダコはそう言いながら、またも妙な感覚に陥っていた。
イハはこのプロジェクトにおいて、本来であれば自ら率先して行うべき作業をアダコに押し付けてきた。
適切な作業の線引きがどうかと言われればアダコは確かにそれを知らないが、少なくともアダコの目にはそう映ったのだ。
そんな彼が『休むか』という発言をする。捉え方の感覚がおかしくなるのは当然と言っても良かった。
「何故このように、不思議な事象が起こるのだ」
「そこなんだよな……やっぱり疲れてるのか」
二人して考え込む。しかし答えは出そうにない。
アダコはふと、ジンの様子をチラリと見る。ジンは一心不乱に不具合が見つかった箇所の修正をしているようだ。
そこには、何者をも寄せ付けないオーラがあった。一つのことに真正面から立ち向かい、集中している。
「……なるほど」
アダコはふと呟いた。イハが即座に反応する。
「何が『なるほど』なのだ」
「いや、な……ちょっとジンを見てみてくれ」
「……?」
イハは言われるがまま、作業に没頭するジンを遠目で見つめる。
「……たぶん俺たち、最近はあんな風に一生懸命だったからつい素が出ちゃったんじゃないのか?」
すかさず飛んでくるアダコの言葉に、イハは何も返さない。ただじっと、懸命に作業をするジンを見つめる。
「――フン」
やがて、イハは鼻を鳴らしてアダコに向き直った。
「まあ、どうでも良い。勘違いして私の素が優しいなどと思わない事だな」
それだけ言い残し、イハはアダコの元を離れる。アダコはその後ろ姿を見つめ、そしてあることを思い出した。
「ちょっと待った、そう言えば何か用があったんじゃないのか?」
その言葉が聞こえた瞬間、イハは急停止し即座に回れ右をしてアダコの席に猛スピードで戻ってくる。
「その通りだ、アダコよ。貴様、今度の魔王様との会議に同席してくれんか」
「俺が?」
「そうだ。話の内容から、恐らく貴様も居た方がより進行し易いという判断だ」
イハは、アダコへ自らの意図をしっかりと伝えてくれた。これもアダコにとっては違和感となったが、今は放っておくことにした。
「了解。しかしあれだな、最初のうちは俺に魔王さまのとこに良く行かせてたのに、随分と動くようになったじゃないか」
「あ、あの時はまだ勝手が掴めておらんかっただけだ。当初は貴様の方がより魔王様の仰る内容を飲み込めると判断したのだ」
「今は違うのか。リーダーの自覚が芽生えた、とか?」
「やかましいぞ、アダコよ」
「悪気はないぞ!!」
アダコはいたずらっぽく笑う。
イハはアダコに鉄槌を下そうとする右腕をどうにか引っ込め、その腕で咳払いを押さえてから続けた。
「……次回の会議はプロジェクトの進捗以外に、実際に人間共を捕獲する内容についても触れる。そうなればこの三名だけでは無く、他にも動いて貰うべき者達が出てくる筈だ。そうなれば私一人に魔王様からの要件を集中させるのは危険なのだよ」
「そうなのか……」
魔王バイオレットが活火山アイアンで三人に明かした計画をアダコは思い出す。当プロジェクトの成果物を用いた人間の捕獲の延長には、活火山アイアンの永久停止がある。
「あの話、上手くいくかな……」
「どうだろうな。少なくとも長期計画になるのは間違い無いぞ、アダコよ」
「そうだな……」
そもそも魔界に人間を連れて来たとして、どう匿えば良いのか。どうやって言うことを聞かせれば良いのか。
一歩間違えば人間界との戦争にも発展しかねない。それは想像するだけで気の遠くなるような話だった。
「おっ、なんか戻ってきた」
アダコは不意に、普段の感覚が戻ってくるのを感じた。
「なんだと?」
「あれだ、次も仕事があると思うとうんざりするんだぜ。きっと」
「――フン」
ちょっとした発見につい興奮するアダコを、イハは鼻で笑った。
「目先の作業に精神が左右されるなど、半人前の証では無いか。アダコよ」
「なんだと!?」
「精進が足りぬようだな」
「――ふふっ、まあ、確かにそうかもな」
アダコは何となく伸びをしたい気分になり、うんとひと伸びした。
「なんかこう、デスクワークが続くと体がなまった気分になるな」
「魔族に体の不自由などあってはならぬ事だ。それこそ腑抜けの所業だぞ、アダコよ」
「たまにはこう、スカッとしたいな。前の大集合みたいにさ」
魔界の猛者が集った活火山アイアン停止プロジェクト。出来事としてはまだ近いが、アダコにはもう随分昔のことのように思えた。
イハは、あれだけの魔力を放出したのにまだ暴れ足りない様子のアダコを見てくぐもった笑い声を上げる。
「このプロジェクトが終われば、魔界で存分に暴れれば良い。人間界のように邪魔者などおらぬのだからな」
「まあそれもそうか。ああ、魔王さまみたいに人間界で働いてみるのもいいかもな」
「――フン」
二人の頭には当時の苦難が思い出された。人間達の愚かな面が垣間見えた体験。そして、魔王の心に何かを灯した体験。
「あの者が魔界に現れたら立ち所に食い千切ってやるのだがな」
「ふふっ、そうだな――あっ」
「どうした」
ふと、アダコはずっと気になっていた一つの事柄を思い出した。
「あのとき、おまえ魔王さまにバイトさせるって随分と頑張ってたけど、魔王さまのことがそんなに心配だったのか?」
「当然だ。むしろ魔界に魔王様を救う気持ちが無い輩がいるのなら、私の前に直ぐに差し出すのだ。一から教育してやる」
イハは事も無げに言う。
アダコは、その目をそらさずにジッと見つめた。
そして、アダコは一歩踏み込んでみた。
「本当に、それだけ……?」
「な――んだ、と?」
イハは口を開け、暫く無言になる。心なしか、人間のように顔が紅くなってはいないだろうか。ジンにも見て判定して貰いたいとアダコは思った。
しかし、次の瞬間にはイハはもう元の顔に戻っていた。
「当たり前だ。馬鹿者」
イハはそっぽを向く。アダコはニンマリした笑みを止めようとするが、ついに整えることは出来なかった。
ふとした休み時間。今まで真っ直ぐ突っ切ってきた彼らは、こうして他愛も無い話をすることは中々無かった。特別な時間に、気持ちが満足する。
「――ちょっと、静かにして」
次の瞬間、対岸から聞こえた鋭い声。
「…………はい」
思わず敬語で二人は振り向く。そして戦慄する。自らの作業に没頭していたジンが、遂に業を煮やした。初めて目にする彼の怒り。
「…………すいませんでした」
深々と謝罪し、アダコとイハは顔を見合わせた。
「……作業に戻るか」
「……そうだな」
プロジェクトは進行していく。三人の喜怒哀楽を少しずつでも確かに孕みながら。
「――出来た!!」
珍しく三人の声が重複し、洞穴中に響き渡った。
活火山アイアンの噴火を食い止めてから更に月日が経った。その間、三人は協力して残された課題の解決に当たった。
大きく残っていた『適切な人材の検知』『魔界にいながらの検索』という二点の問題は、ジンの力をフルに用いた再修正、及びアダコとイハが協力して計画、実施した密度の濃いテスト工程を経て見事解決された。
「後は魔王さまによるテストさえ通ればオッケーだ」
「うむ。それでは早速伺うぞ」
イハの号令で三人は魔王城へと飛び立つ。そこに恐れや不安の感情は何も無い。ただ成果物を確認し、満足して欲しいという一心だけがあった。
アダコは飛行しながら、これまでの出来事を思い出していた。
仕事をする上で発生する様々なミスはもとより、願った通りに動いてくれない上司や想定を超えるイレギュラーケース。
実際の仕事を通して初めて分かる紆余曲折。どれもこれも、一筋縄では解決しない事象ばかりだった。
そして、もしかしたら自分の仕事が良くないのでは、という疑心暗鬼。
だが、それらの出来事が全て繋がった結果、成果物はそこにある。遠回りかも知れないが、全ては通るべき道だったのかも知れない。
それぞれの思いがそこにはちゃんとあった。
逃げて。
失敗して。
責任を逃れて。
現実から目を背けて。
それでも、最後には全員が一つの方向に向かえた。そのことが、アダコにとっては何より得難いことのように感じられた。
(色々めんどくさいけど、これはこれで悪くないのかも――な)
フラッシュバックの連鎖を閉じ、アダコは深く、深くため息をついた。
魔界の空は相変わらず雷光で照らされている。獣達の咆哮も鳴り止まない。しかしそれは、自分達に向けられたねぎらいのようにアダコには感じられた。祝福を受けながら、ただ真っ直ぐ目的地へ飛ぶ。
やがて三人は魔王城へと到着した。変わらない禍々しさ。しかし、その中に待たせている主の為に、踏み出さなければならない。
「では、行くぞ。魔王様の元へ」
「ああ」
「……うん」
三人は、堂々とその一歩を踏み出した。
それは確たる自信を持った、プロジェクトを終結させる最後の一歩。
「――なんじゃこりゃ!!!!」
最後の一歩は、思い空しく弾き返された。
王室には、雷鳴かと耳を疑うような大音響の怒号が響く。
「ぜんぜん思っていた結果と違うぞ!! どういうことだ!!」
声の主は勿論、魔界を統べる王バイオレット。即座に駆け寄り状況を解説するプロジェクトリーダーのイハ。
「こ、これは恐らく画面の見え方の問題かと……」
「なに? そうなのか」
普段なら胡散臭く感じるようなイハの言い訳がましいその語り口が、今は何故か頼もしく聞こえる。
普段なら震え上がって頭を垂れるしか無い魔王バイオレットの怒りも、今は何故か愛しく思える。
アダコは、即座に目の前で起きている事象へと頭の向き先を切り替え、まず横のジンを鋭く見据えた。
「ジン、原因が分かったらまた修正お願いしていいか?」
ジンは迷い無く頷いた。これまでで一番、はっきりとした意思表示。
「じゃ、行ってくる!」
その答えに安心したアダコは、ジンに一言だけ言い残し、パソコンの前で右往左往する二人の間に割って入る。
状況を確認しなければ。プロジェクトはまだ終わりじゃない。
――どうやら仕事というものは、最後の最後まで、何があるか分からないものらしい。
これで終了です。
もしも最後までお読み頂いた方がいらっしゃれば幸いです。
ありがとうございました。