87話〜『死の森は木の実を食うのも命がけ』
「ここよ。これが果実の成る樹よ」
目的の樹までの距離はそれほど離れていなかった。ただ、ほんのりと甘い香りがしたなと思ったあたりで少女の表情が険しくなっていった。
そういえば俺、まだこの子の名前も知らないな。
「ありがとう。ところで君の名は?」
「今更? まあいいけど……。ジーニーよ」
このタイミングでの質問に胡散臭そうな顔を向けられるが仕方ない。
「そっか。改めてありがとうジーニー。俺はケイト、ケイト・クサカb「それはもう聞いた」 うん、分かった」
完全に食い気味で言われたが気にしない。俺自身なんだか自分のことを忘れているような錯覚があるから口にしているだけでそれほど意味があるわけでもないし。
「ところでクサカベって家名? もしかしてあなた、守護の一族なの?」
「ん? クサカベは家名だけど、守護って?」
また知らない単語だ。どういう事だろう、なんか単にふっとばされたとかそういうのじゃなく、まるで異世界にでも飛ばされたような知識の齟齬を感じる。
「……守護の一族も知らない。ますますおかしいけど、いいわ。
守護の一族っていうのは、死の樹海の侵食から人類を守っている方々よ。彼らのおかげで私たちは生きていられるのに……」
ますます混乱してくる。
なんだ守護の一族って。死の樹海の侵食ってなんだ? 俺はいったいどこで目覚めてしまったんだろう。
……ルノールやアプリは無事だろうか。
不安になってくるが、焦ってもどうしようもない。
さっきから手持ちのスキルを試そうとしているのにほとんど何も起きなかったり、耳にする知識が全然知らない情報だったりで困った状況なのは変わらないんだ。焦ってもミスするだけなら落ち着いて行動した方がいいってアプリもよく言ってた気がする。
「そうか。すごい人たちなんだな」
脇に逸れまくった思考を戻して軽い返事を返したが、それには特に思うこともなかったのかジーニーはわずかに頷いただけで、この話は終わりとばかりに上を向いた。
「で、あれがその果実ってわけか」
この森の木々はどれもこれも高さがあってでかいが、そんな木々の上部で紫色の果実がたわわに実っているのが見える。
っていうか紫色の実ってなんだよ。毒々しいにもほどがあるだろ。
「さっきも言ったけど、それには毒があるのよ……。果実って言ったら高濃度の毒の塊で、とても食べれたものじゃないわ。ただ……」
「ただ?」
どこか憂いを帯びたようなジーニーの顔からはあまり良い雰囲気は感じられないが、話の先を促す。
「……甘くておいしいその果実は、私たちの最期の為に使われるのよ」
「最期って、死ぬ前にこれを食うのか?」
そう質問してみるがジーニーは首を横に振る。
「死ぬ前に食べるんじゃないわ。『死ぬ為に』食べるのよ。せめておなかいっぱい美味しいものを食べて死にたい、っていう願いと共に」
それは悲しい話だった。
彼女、ジーニーが暮らす村は食糧難に喘いでおり、いつでも食べ物が不足していた。
死の樹海の影響でどこの土地でも農作物には毒が宿り、川の水浸して毒抜きをしたものでないとまともに食えず、それすらも解毒作用のある石を漬けこんだ水で煮ないといけない。
ほとんど味のしない野菜と、たまに穫れる動物の肉。それも毒抜きをした淡白なものだが、ごちそうのひとつ。
そんなものしかない村では、子供が増えると村の中から何人かを選出して森の生贄になってもらうのだそうだ。
森の生贄になった村人は武器もろくに持たずに魔物の蔓延る森へと入り、その奥にある、毒の塊だが美味しい果実を食べて死ぬ。そして死体を栄養にすると死の樹海の侵食が少しだけ遅くなるらしい。
だから彼女にとって『果実を食べる』というのは『死ぬ』ということと同義なのだろう。
だから俺が果実を食べればいいなんて言った時に苦々しそうな顔をしたわけだ。
「まあ、どうにかなるだろうけど」
さっきからスキルは発動しないが、コイツだけは分かる。
これだけはできる。
果実の成る樹を一本選び、力任せに押す。
「何してるの? そんな風にしたってここの木は……」
めりめりと足が地面に沈むのを根を伸ばして支える。足の裏でも草食系スキルだけは扱えるようだ。
「むむむむぅっ……!」
なんて、格好をつけてはみたものの。
力は足りてそうなんだけど、いかんせん手のひらが小さい。人間大の手のひらで木を押しても折れるというよりめり込んでしまい、そのまま俺自身が木の中に入っていきそうになる。
これは格好悪い……!
そう思った瞬間、木の中にめり込んだ腕から上下に向かって木が生え、割れた木の中からさらに木をへし折ってしまう。
そうして倒れた木からは、すぐ手に届くところに果実が見えるようになった。
さあ、ここからが俺のステージだ