86話〜『見た目はゴブリン、知能もゴブリン?』
やっちまった。
「うぅ……」
目の前でうめき声をあげている少女は、ついさっき俺の手でフライハイさせてしまった見知らぬ少女だ。
少し前に目覚め、まるで2年くらい寝ていたかのような感覚に混乱していたところでモンスターに襲われている少女を見かけ、背中に庇うつもりでモンスターから引き剥がした……はずだった。
結果として少女はノーロープ逆バンジーで木々を越え空への旅を敢行し、ゴブリンに襲われた恐怖からか失神してしまったようだった。おのれゴブリン許さん。他意はない。
それと色々気まずい理由のひとつとして、少女の股間部分のアレだ。ゴールデンなウォーター。恐怖に次ぐ恐怖故に我慢しきれなかったんだろうが、気を失った少女に水をぶっかけてごまかすか拭き取るかって話になるとどっちにしろ問題が多そうなのでどうしようもなく、そのままにしてしまった。
そもそもここはどこなんだろうか。
俺はルノールを助けるためにトレントの中に飛び込んで、そこで色んな幻覚を見たような、打ち切りエンドを体験したような気がするが気の所為だったのか。もしかしたら過去が改竄されて何事もなかったようにされてるかもしれないが今現在において何事かあるのでそこは変わらないだろう。
一旦は消化され、分解されたはずの肉体が戻っている事も疑問だったが、何よりの疑問はこの肌色だ。なぜ緑色。指先などは硬そうな爪が太く伸びており、まるでゴブリンだ。そして細くはあるが骨太で筋肉質な手足はまるでゴブリンで、声を出そうとするとまず最初に乾いた喉を通る風がギャッギャと響いてまるでゴブリンだ。というか、ゴブリンじゃねーか。
確かにゴブリンと間違われたことはあった。だがここまで露骨にゴブリンになったことはあんまりなかった。
鏡でもあれば顔までゴブリンになっているか確認できるんだが、今はそういうのが無い……いや、映り込むものならあるじゃないか。
ということで少女の出番である。
少女のまぶたをぐりっと開いて、玉のような瞳に俺を映しておくれ。
そんな事をしていたら、少女が起きるのも当然なわけで。
「ひ、ひぃやぁああああああああ!!!」
少女+失禁+まぶたこじあけ+ゴブリン
ヨシ!
『騒グナ、ニンゲン』
「ひっ!」
完全に悪ふざけがすぎるが、俺だって混乱してんだよ。ゴブリンムーブで乗り切ろうと思ったけど、あとに続く言葉が思い浮かばなくて見つめ合ってしまう。
「……あ、あう…」
わりと大きめでまんまるな瞳に映る俺はどことなくゴブリンっぽいけど、そこまでゴブリンだろうか? 100人に聞いたら20人くらいは人間と答えてくれるんじゃなかろうか。たまたまこの子が残りの80人だっただけで。
そんなポジティブシンキングで現実逃避していると、俺に襲う気がないと分かったのか少女は肩にかけた謎の布を引いて
「ふっ!」
ブラックジャック的な武器で俺を攻撃してきた。なんでやねん。
「ふざけて悪かったけど、話しを聞いてくれ」
しかしまあその程度の攻撃で俺はびくともしない。ガッツンガッツン叩かれて衝撃で涙が溢れるのは反射だからノーカン。というか防御力も鍛えたはずなんだけどけっこう響くなこれ。いい武器だ、だが無意味だ。
「くっ…こいつ、頑丈だ」
やがて叩き疲れたのか諦めたのか、息も荒いままにとりあえず武器を振るうのをやめてくれた。何度か目に当たったりしたんでスゲー痛かったけど我慢だ。コミュニケーションとれる相手は大事。
「…そろそろいいかな。俺はゴブリンじゃない、人間だ」
「ゴブリンはみんなそう言うんだ!」
そうなのか?
「いやいや、ゴブリンは喋らないだろ」
「うっ…まあ、そうだけど…」
この子、勢いでどうにかならないかと思ってないか? 思ったよりメンタル強そうだ。
「俺はゴブリンじゃないし、正直言ってここがどこなのかもわからない。仲間がいたんだが、他に誰か見かけなかったか?」
穏便に聞いてみると、少し考え込むような仕草を見せる。
ちなみに本当のゴブリンさんは少女のあとでフライハイして地面にキスしたあたりから動いていない。うつ伏せで空を眺めるという器用なことをしているけど、たぶんあのままずっと動かない。どうしてだろうね。
「…あなた以外は誰も見てない。ゴブリンがいる以上、無事とは思えないけど……」
「いやいや、ゴブリンごときにどうにかできる仲間じゃないから大丈夫だと思う」
なにかと命を失うことに定評のあるルノールだけど、さすがに目覚めてすぐ死んでるということはないだろう。ないよね?
というか、俺もどこかおかしい。2年くらい会ってなかった友人と久しぶりに会話しているような違和感がある。自分に対して。
「そう……でも残念だけど見てないの。森の奥までは見てないからわからないけど…」
「そうそう。この森についても聞きたかったんだ。ここは一体どこなんだ? よくわからないんだよ」
実は木々を少し食べてみたりして調べたんだけれど、何の情報も得られなかったのだ。とりあえずクソまずいのと栄養がほとんどなかったのは分かったんだけれど。
「森を知らない……? どういうこと? 森の事を知らない人間なんて居ないはず。あなた、本当に何者なの?」
「俺はケイト、ケイト・クサカベ。人間だ」
「嘘、人間は自分のことを『人間だ』なんて紹介しないわ」
「ごもっとも」
そんなやりとりをしていると、少女のおなかからくぅ〜というかわいらしい音が聞こえてきた。
「腹がへったのか?」
森ということで、栄養がほとんどないとはいえ食料に不自由しない俺にはわからないが、少女は空腹を訴えているようだった。彼女の装備を見ても食料の類を持っているようには見えないが、町か村が近いのだろうか。
「……お腹すいたわよ。でも、食べれるものなんてどこにもないもの」
少女は悔しそうに唇を噛んでそう言うが、俺にはわからない。
「森なんだから、森の恵みがあるだろ」
果実とか、動物とか。
だが、俺のその言葉を聞いた途端に少女はさらに表情を歪ませ、ちょっと年頃の少女がしていい顔ではない複雑そうな表情でこちらを睨んできた。
「森の恵み、って……あなた、本当にどこから来たの?」
「ここがどこか分からないけど、一応来たのは港町の近くの森だよ」
その瞬間、さらに少女の表情は複雑に…もうモザイク画みたいになってしまった。
「港町、って……海? 海なんて、おとぎ話でしか聞いたことないわよ…あなた、いったい何者?」
「俺はケイト、ケイト・クサカベ。人間さ」
「それはさっき聞いたわ」
どうやら警戒させてしまったようだ。
だが、いくつか分かったことがある。
この森はさっきまでいたはずのトレントの森とは違う。
海の存在をおとぎ話でしか聞いたことがない、というほどに内陸。あるいは閉鎖社会。
警戒はされているものの『会話のできるゴブリン』程度には信用されている。
少し悩んだが、俺はまず少女を懐柔する為に食料を用意することにした。
「なあ、腹が減ってるんだろ」
「それがどうしたっていうの」
「このあたりに果実が成るような樹はないのか」
聞いてみると、少女は困ったような、怒ったような、苦しそうな、複雑な顔をする。
「・・・本当に何も知らないのね。
このあたりの森に人間が食べられるものはないわ。
果実が成る樹ならあるけれど、人間が食べたりしたら間違いなく死ぬわ」
「・・・毒のあるものしかないってことか?」
「森に毒がないものがあるって話を聞いたことがないわ」
どうやら俺は毒に侵された森に来てしまったらしい。
だがまあ、俺にとっては大した問題じゃない。
「果実があれば大丈夫だ。とりあえず案内してくれ」
何もかも分からない現状、少女にもっと深く話を聞くためにも、ここで懐柔しておくべきだろう。
くっくっく。せいぜい疑っておくがいい。俺の能力を全力で使った食料で中毒にしてやるぜ。いや、疚しいことは特にしませんが。脳内のアプリが怒ってる気がするけど文句があるならここにおいでよ。わりと寂しいんだぞ。