80話~「淡い抵抗の跡」
ブライアンの足であれば半日の遅れもすぐに取り戻せる。
そんな軽い気持ちでいたのだが、思ったよりも距離が開いていたらしく、難民たちを乗せた馬車はまだ姿が見えなかった。
しかし街道を進むに連れて嫌な空気を感じるようになった。
<警戒察知>の範囲外だろうとは思うが、範囲外だというのに反応するほど強烈な敵意を感じる。
「ブライアン、急いでくれ。なんだか嫌な予感がする」
「戦う準備はそれほどしてないのよ、油断せずに様子を見ることも忘れないでねお父様」
アプリから注意が入るが、今はこの何とも言えない不快感をどうにかしたい。
正直言えば難民たちがどうなろうと俺には関係ない。
関係ないが、一度関わってしまったものをそのまま放置するのも収まりが悪いうえ、奴らが持っていったのは俺たちが作った野菜だ。
つまりは自分たちの気分の為に彼らの無事を祈っているというわけだが、別にそれが悪い事とは思わない。誰にも気にされないよりはマシだろう。
だが、ブライアンが走るほどに感じる不快感が増していく。
このビリビリとくる敵意は今までに感じたことがない。
「なんだか強烈なのがいるような感じだな」
「お父様、木魔法の索敵に引っかからないかしら」
実はさっきから木魔法で索敵を行っているんだが、もうちょっと進んだ所あたりから木々のざわめきが強すぎて索敵が機能していなかったりする。
「索敵が効かないくらい木々がざわめているんだよ。何が起きてるか分からないからアプリも戦闘準備しといてくれるか」
「私に何が出来るかって話になるけど、一応準備はしておくわ。薬はどれだけ持ってきているの?」
「基本のライフポーションとマナポーションを2本ずつだ。魔力を込めれば回復量は増えるけど、材料の薬草を育てるにはここらの土だと不向きだから数はそれだけだな」
わざわざ開墾する必要があっただけあって、港町カティラから伸びる街道沿いの道は薬草の生育に向いていない。
栽培が出来ないから意味がないので、あえて持ってきていないけれど失敗したかもしれない。
そんな事を考えていた時だった。
「お父様見て! 森が!」
遥か前方で森が燃えている。
かなりの広範囲に渡って火の手が伸びているが、この辺りの木々は森林火災を起こすような枯れ木というわけでもない。時期で言っても類焼で燃え広がるようなことはないと思うが、その火はどんどんと広がっているように見える。
「なんだありゃ。アプリ、アレが何だか分かるか」
「お父様が分からないものを私が分かるわけはないんだけど、見たこともないわ。かなり大きな……魔物ね」
「やっぱりそうか」
それは周辺の森の木々の倍以上も大きな巨木のモンスターだった。
燃え盛る森の中でぽつんと飛び出した巨木が枝をぶんぶんと振るって、火のついた木を薙ぎ払っているように見える。
「アレは敵か? 火事を食い止めてるようにも見えるけど」
「敵以外の魔物はテイムされてるやつくらいだと思うけれど、どうみてもアレは人にコントロールされてるようには見えないわよお父様」
だとすれば敵だろうが、いったいなぜこんな所にあんなデカい魔物が現れることになったのだろうか。
それに難民たちの馬車が未だに見当たらないのが気になるが。
喋りながらもブライアンが走り続け、そこに近づいていく。
すると前方で街道から逸れるように伸びた轍が見えた。
馬車が急に方向を変えようとしたのか、森の中に入っていくような軌道で動いているのが分かる。
「おいおい。まさかあそこに向かってったんじゃないだろうな」
その方向は完璧に一致しているわけではないが、巨木の魔物がいる方向に向かっているようにも見える。
「逆じゃないかしら? アレから逃げようとして森に入ったとも思えるわ」
「なるほどな。つまりアレは馬車を襲ったのか」
運がないにも程がある。
いや、もしかしたらアレが来ている事に気づいた上でトレノ・モレノが手配したんだろうか?
だとしても街道沿いから森に逃げている辺りはよく分からない。
もう少し進めば平野に向かう分岐点もあるが、この辺りでは戻るか、今のように森に入るしかない。
現時点で推測できることはそう多くないが、馬車が見当たらない以上は森の中に入るしかない。
そうこうしているうちにも火の手がさらに広がっている。
ただ、この炎はどうにも誰かが意図的に起こしているようにも思える。
生木が燃えるにはかなりの熱量が必要だ。
つまり、これを起こしている犯人は魔術師に違いない。
というところで、俺はこの街道沿いにいる可能性のある冒険者の事を思い出す。
「もしかして……これ、ルノールの仕業か?」
「ありえるわね。風魔法を併用すれば、あの子の火魔法でも充分に森を焼く事ができるわ」
しかし巨木は炎を嫌がっているようにも見えるが、それでもルートを変えるような事はなく真っ直ぐにどこかに向かっている。
とすれば、あの進行方向にルノールがいる可能性がある。
ルノールじゃなかったとしても、この事態の情報を何か持っている人間がいてくれるはずだ。
俺はブライアンの背から降りて森に目を向ける。
俺の全力で跳べば、コントロールは効かないが森のど真ん中に向かっていけるはずだ。
上空から確認して落ちたら、あとは移動で微調整をかければいい。
そう考えた俺はアプリの入った皮袋を担ぎ、両足に力を込めて跳躍した。