79話~「まにあわないもの・再」
食糧支援の話が届いているのか、町の警備をしている門番はすんなりと通してくれたので拍子抜けしてしまったが、食糧を積んだという馬車は既に見当たらなかった。
道に残された馬車の轍を見てみれば、真新しい轍が街道に向かっているのが分かる。他のものは踏み跡などで消されているが、ひとつだけ外に向かっているのだからこれが恐らくは例の馬車なのだろう。
徒歩で町を出ると何を言われるかわからなかったのでブライアンに空の荷馬車を引かせて出てきたのだが、そのブライアンが轍の存在に気づいて鼻を鳴らしているのに気づいて目が合う。
「どうした? 飯ならさっき食べてきただろ」
非常に不服そうに嘶いて俺の頭をかじろうとしてくるブライアンは何か言いたげだが、俺にはコイツが何を言わんとしているのか分からない。
「アプリ、悪いけど通訳頼む」
「先に行った馬車なら追えそうだから背中に乗れ、って言ってるわ」
予想外の頼もしい事を言っていたらしい。
「ブライアン……お前、別に犬じゃないんだから臭いで追えるわけでもないし無理しなくていいんだぞ」
伸ばした手にガブリと噛みつかれる。痛いが、俺の生命力だと歯を離した瞬間に治癒するので傷は残らない。残らないがちょっと強く噛みすぎじゃないか。
「ブライアンも役に立つところを見せたいみたいね。お父様、信じてあげてもいいんじゃないかしら」
「そうか……ブライアン、頼めるか?」
ぶるるんと嘶いて頭を下げたブライアンの背に乗ってみると、幼い頃に彼の背中に乗っていた頃を思い出す。だいぶ大きくなったつもりだが、この馬もちょっと常識を疑うくらい大きくなっている。
「よしブライアン、町を出た馬車を追ってくれ。おそらく難民が乗っている……はずだ」
まだ確定じゃないが、おそらくは。
大きく嘶いた後で、ブライアンは一気に駆け出す。
あまりにも力強く勢いのある走りに一瞬だけ驚くが、どうにか姿勢を正して掴まり直す。
筋力のコントロールが出来るなら、俺が自分で全力疾走した方が早そうだ。今の状態で全力ダッシュしようとしても、踏み出した一歩目で空に向かって跳ねていってしまうのがオチなのは分かっているので出来ないが。
そう考えるとブライアンに移動を任せるのは理に適っている。すり足で移動するにしても力を込めすぎては大変なことになるし、ブライアンなら直線的な移動速度はすり足を超えるだろう。
こちらは馬単体の速度、向こうは馬車による移動。
時間の差がどれくらいで埋まるかは分からないが、急ぐに越したことはないだろう。何が起きるか、どこに向かっているのか、どうするのかが分からない。
何かに怯えるように周囲を警戒するアプリの頭を軽く撫でて、走るブライアンの背から前を見る。
さて、どうなっていることやら。
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馬車に揺られる生活を始めてからどれくらい経ったろうか。
生まれ育った村に置いていってしまった祖父母は無事だろうか。
王国と帝国の戦争が始まり、私の村は重税によって生活が苦しくなった。
それでも村のみんなで協力することで何とか生活していたけれど、近隣の領主がやってきて若い男や女性を連れていってしまってからはどうにもならなくなった。
まだ幼かった私より小さい兄弟と祖父母は残されたものの、兄同然だった近所の少年や姉は連れていかれ、そのしばらく後には父と母も連れていかれてしまった。
働き手のいなくなった村の行く末など一つしかない。
私たちは老人たちがどうにか生かそうと逃してくれたから、なんとか生き延びている。
村を出た後、あちこちの町や村で同じような人たちに出会った。若すぎるといっても女だから、そういう目的の連中に捕まりそうになったこともある。
それでも何とか逃げ切り、ここまで来た。
港町カティラ。
ここは王国を捨て、帝国から逃げる者たちの最後の砦であり、旅立つ場所でもある。
ここから別の大陸に渡り、新しい生活を始めるのだと皆は息巻いていた。
けれど私はどうにも乗り気にはなれなかった。
生まれ育った村に帰りたい気持ちがあった。
母や父にまた会いたいと思う気持ちがあった。
この国を捨てたくないという気持ちがあった。
だからだろうか。
港町ではなく、町から出た場所にある畑のある村に行ってそこで暮らしてほしいと言われてホッとしたのは。
港町にいれば、そこから船で外に出ることもあるだろう。
でも、村で畑を育てるならずっとここにいられる。
それなら戦争が終われば、父と母にまた会えるかもしれない。
だから、ワクワクしながら馬車に揺られていた。
そんな風に呑気に考えていたからだろうか。
そんな風に希望を持ってしまったからだろうか。
そんな風に甘い考えだったからだろうか。
激しい爆発音が聞こえた。
大地が揺れ、馬が暴れだしていた。
何かの戦いが起きていると思った時には、もうそれに巻き込まれていた。
巨大な樹木が枝を振り回し、馬車を運んでいた馬を叩いた。
横殴りに振られた枝が当たった部分がゴリッと音をたて、馬の首が綿のぬけたヌイグルミのようにぐるりと垂れ下がる。
突然の事に、誰もが動けなかった。
「逃げてぇ! 馬車に乗ってる人たち逃げてぇ!」
そんな声が聞こえた気がした。
慌てて馬車から顔を出し、外に出ようとしたところで見てしまった。
黒い大木の途中に、こちらを見る巨大な眼があった。
ぎろりと睨まれた瞬間、全身の力が抜ける気がした。
これはダメだ。
怒っている。
憎んでいる。
恨んでいる。
喜んでいる。
魔物の眼に映っているのは、ただただひたすらに獲物でしかない。
そうして振り下ろされた枝が馬車の屋根を砕き、中にいる人たちもろとも粉々にしようとした。
「風と水よ盾になって守ってぇ!」
呪文ですらない、ただ魔力を込めて形をとっただけの盾が馬車の前に現れ、みんなを守ろうとした。
けれどそれは枝の一撃こそ防いだものの、続く二撃目でヒビが入り、三撃目には砕けてしまう。
蜘蛛の子を散らすように逃げ惑うみんなに、離れたところの少女がバラバラに逃げないよう叫ぶが聞こえていないようだ。
巨木の攻撃は激しく、長い枝の一振りが逃げたみんなを打ち据える度にばちゅん、ばちゅんと何かがはじけ飛ぶのが見える。
「おねえちゃん……」
怯えて震える弟の体を抱え、叫ぶ少女の方に向かう。少しだけ見えた盾は、きっとあの少女が出したものだ。
だとしたら、あの少女だけがこの状況下で助かる術を持っているかもしれない。
けれど、と思う。
私の直感はずっと叫んでいた。
きっと、私は、ここで、死ぬ。
少女の姿が近づくにつれ、それは更に強くなる。
少女の左腕は紫と黒に変色し、手先はすでにぐちゃぐちゃに曲がっていた。
顔の半分に攻撃を受けたのか、髪と左目の辺りが血にまみれてボロボロになっている。
右足は膝から下がなく、傷口を包むように伸びた氷が太い針のように義足の代わりをしていた。
せめて弟だけでも生かしたい。
少女には悪いけれど、近づきすぎない距離で、私は逃げるタイミングを見計らった。
絶対に、生きて帰らせるんだ。