66話〜「戦火の行方」
〜現在〜
大量の食材を持ち帰った桂斗は、商人ギルドのマスターであるトレノ・モレノと交渉し、食材を売りつける。だが町の窮状を鑑みれば無事には済まないかもしれないと思う桂斗だが、持ち前の浅慮でどうにかなると考え───
商人ギルドのマスター、トレノ・モレノに食糧を売った翌日。
いつものように空の荷馬車をブライアンに引かせ、御者台に座った俺はアプリの入った袋を隣に置いて街道を進んでいる。
「……着いてきてるな」
「ええ。当然だと思うわ」
町を出る前、宿の裏手でブライアンを荷馬車に繋いでいた辺りから気配は感じていた。
スキルの<警戒察知>はだいぶ錆びつきかけているが、それでも露骨に追ってきている気配くらいは分かる。
「おそらくは商人ギルドが雇った連中だとは思うけどな」
ちょっと追跡の仕方が雑だ、というのが印象深かったものの、それ以上の感想が答えられない追っ手にどうしたらいいか迷っていた。
別に食糧支援で利益を得ようとは思っていないので、例の畑が見つかるのは特に不利益になるとは思っていない。
だが、向こうもそう思っているとは思わない。
商人という性格上、俺が利益を独占したがっていると思われるのは当然の事だし、町の存亡がかかっているなら俺を害してでもその入手経路を知りたいと思うのは、やはり当然のことだろう。
とは言っても、バレていいものとまずいものがある。
俺の『木魔法』は、鑑定や今までの経験で言えば、使い手のいない類の魔法だ。
そもそもこの世界の魔法というのはルノールが使ってるような『元素魔法』とでも言うべき魔法が基本で、こんな『木魔法』みたいな限定利用を前提とした魔法は存在していないと思われている。
そして俺の肌色は未だ緑色で、普段の行動や言動に活動の経歴から「魔物ではない」と一定の理解を貰ってはいるが、ここで人間が見たことのない魔法なんて使おうものなら、その評価は一変しかねない。
なぜこんなことを心配するかと言ったら、ここでそんな評価をいただこうものなら、例の畑についての情報や、その他の情報を根こそぎ聞き出そうとして、嬉々として俺を捕まえることだろう。
例の畑に関しても通常ならば「なんらかの偶然が重なって出来たものを利用している」とでも思われるだろうが、俺が魔物だとか魔族だとか言われるようになったら、どんな方法でそれを用意したのだとか言われることになるだろう。
そういう理由で今回は獣道を通らずに街道沿いに進んでいたが、世の中というのはなかなかどうして、問題というものを次々に持ち込んでくるものだと溜息をついたものだ。
「ねえお父様、前方から砂煙が近づいてきているように見えるのだけど」
街道の向こう、林でも森でもない先の水平線から砂煙が見えてくる。
あれは恐らく馬車を走らせることで起きる砂煙だろう。というのも、近づくにつれてガラガラと轍を作る車輪の音が腹のそこに響いてくる。
「ねえお父様、なんだか随分とたくさん列をなしてきているようだけど」
その馬車は一台や二台ではなく、大型の商隊と言っても過言ではない数が列をなして進んできていた。
だが、なんだろうか。
なにか不穏な気配というか、違和感を感じた。それが直感といえば直感なのだが、どちらかと言えば既に知っている事を確認してしまった感覚というか。
「ねえお父様、あれって荷物というより、人をたくさん積んでいるように見えるのだけど」
俺たちは何度か人身売買を目的とした盗賊団なんかにも遭遇している。
そういう連中はその度にルノールの魔法でふっとばされていたが、中には馬車いっぱいに人を載せてどこかに売り払おうという連中もいた。
今、目の前に近づいてきている馬車群はそれと似たような、けれど決定的に違うような。そんな必死さを感じる気配を醸し出していた。
「……とりあえず道を譲るか」
関わり合いになってもどうしようもないし、このまま進んでも正面衝突の危険性があるので安心できない。
という事で俺はブライアンに指示を出して街道の脇に避けるように移動してもらった。
俺たちからしたら暴走馬車の行軍といった印象なだけのそれは、俺を追っている連中にはかなりの衝撃だったらしい。
背後で混乱している気配がすると思ったら、追っ手の中の誰かが町に戻る気配がした。
かなり焦っているのか、町から出て数時間も経っていないというのに仲間を1人町に戻す、しかも貴重な馬を使って騎馬で走らせるというのだから、その焦りようというのは相当なものだろう。
そして混乱の最中、土煙をあげる馬車群の通過を待つことなく俺たちは街道沿いを進み始める。
こういう時はブライアンのパワーと空荷馬車の軽量が役に立つ。
普通ならば馬に負担がかかるし速度も出ないのでやらない行進だが、俺達ならばさほどのリスクを感じずにやることができる。
どうやら追っ手の連中は馬車群に気をとられてしまっていたらしく、俺を見失ってしまったようだった。
そりゃそうだ。10分以上も移動しないでぼーっとしてれば置いていかれるのは当たり前だ。
やがて街道の分岐点についたところで、荒野に繋がる林沿いの道に進み始める。
林からこっちの荒野が見えるくらいに狭ければいいのだが、生憎とそれほど近いわけでもない。裏技がなければこれくらいの時間はかかるだろう。
後は例の畑に向かってまっすぐ進むだけだ。
そう思って馬車を走らせた俺は、その先で驚くべきものを見ることになった。
「……なんだありゃ?」
俺が作り上げた、小麦と野菜の特製畑。
その、残骸。
50人ほどの老若男女が、俺の畑で、野菜を貪っていた。
「どうやら既に見つかってしまってたようね」
アプリは静かに目の前の光景に感想を述べるが、俺の胸中は混乱していた。
「こいつらは、誰だ?」
俺は町の人間の顔なんて覚えていない。見知らぬ町人の1人1人まで把握するなんてのは特殊な才能を持った公人あたりがやればいいことだ。
だが、そういうことじゃない。
目の前の連中はとにかく、飢えていた。
俺が知っているカティラの住人も飢えていたが、最低限の食事だけは“まだ”食べていた。
だが、目の前にいる連中はどうだ。
畑の野菜に貪りつき、麦をそのままかじり、木の根にまでかじりつき、泥水をすすっている。
ここまで飢えたものが数十人もいる、そんな話は聞いたことがない。
もちろん俺が聞いていなかっただけで、そんなことになっていた可能性もある。
だが、それならばもうちょっと何かあったのではないか。
それは漠然とした確信だった。
商人ギルドの対応、ギルドマスターであるトレノ・モレノの対応も、そこまで切羽詰まったものは感じなかった。
彼らが富裕層であったから、そんな事も考えられる。
だが、それを除外した理由もそこにある。
野菜を貪っている人間の中には、それなりに身なりの良い格好をした者もいた。
この王国では身なりに気を使えるような人間はそれなりの富裕層以外にあり得ない。重税に徴兵、職人の徴発といったことを繰り返しているせいで、仕立て職人すら不足しているのだ。
だから、それなりの服装をした人間が富裕層でないわけがなく、
その富裕層すらも品を忘れて飢えるような事態なら、ここまでカティラが落ち着いているはずもないのだ。
と、その時。
俺はいくつかの記憶を頼りに、嫌な想像をしてしまった。
戦争準備で重税を課した王国。
現在も聞こえてこない戦況情報。
目の前の、見覚えのない飢餓状態の人間たち。
もしかしたら、
もしかしたら、王国はヤバいのではないだろうか。
終戦すれば、出港制限が解除されるだろうと思っていた。
だが、もしも、
もしも、戦争に負けようとしていたなら。
どこかの町で食べるものもなく、追い立てられるように国の端へ、端へと移動せざるを得ないような状態だとしたら。
俺は不安な気持ちを押さえ込んで、正面の惨状を見つめた。
やがて俺のことを追っていた連中が追いつき、すでに荒らされ尽くした畑の様子を見て呆然としているのが分かったが、今の俺にはかける言葉が見つからなかった。
これはまずい。
出港制限が解かれることなどないかもしれない。
王国から逃げるならば、どこに行くだろうか。
薬師ギルドなどから薬を購入することはあっても、王国はギルド員を直接徴兵することはない。
だが薬師ギルドを辞めたものならどうだろうか。
敗戦濃厚な国が何をするか、どこまでの事をするか分かるだろうか。
周囲の目を警戒して袋に隠れていたアプリがそっとを顔だけを見せるが、その顔には不安が張り付いていた。
「……大丈夫だアプリ。いざという時の為に、俺は体を鍛えたんだ」
未だ制御できない肉体にどこまで期待ができるか分からないが、嫌な予感がする以上は警戒に警戒を重ねても問題はないだろう。
野菜や麦を食い尽くした難民の姿を尻目に、俺は元来た道を引き返す。
このままではまずい。
この町に、カティラに居続けるのは危険すぎる。
王国から逃れる為に大陸を出ようとしていたのに、大陸を出るための町にいるのが危険だという事態に俺は苦笑すらできなかった。
だが、こうなれば恐らく予想外の事態が動き出すだろう。
難民の大量移動。
さきほどの馬車群はきっと難民が乗っていたのだろう。
だが、今のカティラに彼らを受け入れるほどのキャパシティはない。
となれば、どうなるか。
敗戦濃厚な王国の指示に従って出港規制を続けるか?
きっと答えは否だ。
となれば、そこに希望がある。
難民船が動き出すはずだ。
だから、それに便乗すればいい。
その為にも俺は早くルノールと合流しなければならない。
予定ではあと1週間は戻ってこないはずのルノールの行動に、思わず歯噛みしてしまう。
これからどうなるのか。
今の俺にはまだ、予想もつかなかった