60話~「アプリ 怒りの宿部屋」
「申し開きはあるかしら……聞く耳は持たないけど」
「大変申し訳ございません……」
丸一日近く革袋の中で放置されていたアプリは酸欠などにならないものの、完全にやさぐれていた。
ルノールも来なければ俺もやってこない。外の様子が分からないから動くに動けず、ひたすらじっと待っていたらしい。
「ええ、分かってるわ。お父様にとって私がその程度の存在で、完全に忘却の彼方に忘れ去っていたとしても仕方ないもの。分かっているのよ」
「すみません……」
実際忘れていたのだから、どんな言い訳をしてもしょうがない。その怒りは全て受け止めるべきだ。
そう思ったのに、アプリの怒りは予想外に静かなもので、その代わりにじわりじわりと心にナイフを刺してくるものだった。
「ふう……もういいわ。あまり言っても仕方がないし、起きた事を責め続けてもつまらないもの」
「えっ」
「でもお父様、次にやったら許さないからね?どうせ死なないんだから特製の毒を1ガロンくらい飲んでもらうからね」
なんて恐ろしい事を言い出す娘なのだろうか。
「それにしても……ルノールまで帰ってこないというのは予想外だったわね」
それはそれ、という感じにアプリの意識が切り替わる。こういう切り替えの早さも俺にはないもののようで羨ましい。
「どうも獲物が見つからなかったらしい……というか、アプリも一緒に行ってるものだと思ったんだがな」
そうだ。アプリとルノールが別行動しているという感覚がなかったから置いていってしまった…いや、それは言い訳だろう。
「なんでかしらね? 帰ってきてから体が怠くて寝てたら、ルノールが気を使って置いていったのかもしれないわ」
「体が怠い? 大丈夫なのか、魔力が足りないのか?」
アプリを鑑定してみるが、別にこれといって変わったところはない。俺が供給していない分は減っているが、それでもまだまだ一般の魔法使い5人分くらいの魔力は維持している。
「そういうわけじゃないんだけど、なんでかしらね。あの村に行ってからかしら、ちょっと体が重いのよね」
「太ったのか?」
「それを女の子に言うと殺されても仕方ないということはよく理解した方がいいわお父様」
アプリからの視線が寒気を帯びた怜悧な物に変わる。きっと生命力が5万以下ならそれだけで死にそうな眼力だ。
「ま、まあそれはともかく。妖精の一種であるアプリが具合を悪くするってことは、環境の変化だろう。あの村……死者の怨念か?」
予想できるのはそんなところだが、アプリの表情はあまり優れない。見当違いというわけでもなさそうだが、どうにも心当たりがないようだ。
「死者の怨念というにしては悪意や邪気を感じないのよね……でも、何かがまとわりつくように残っているのは感じるの。ううん、今は特に問題もないし、解決方法も思いつかないからどうにもできないわ」
「放置して最悪になったりするものじゃなければいいがな。とりあえず聖木を生成して部屋を浄化だけしておこうか」
言いながら木箱から種を取り出し、荷物の中にある予備の鉢植えに聖木の種を植える。
この聖木は、それほど強くはないが邪気を祓う効果がある聖なる神木から増やしたもので、野営時の魔物避けの補助にしたりしているものだ。
「定期的に聖水をやらないとすぐにただの観葉植物になっちまうが、少しくらいなら気休めになるだろ」
これ以上の効果を持つものは今の俺の手元にはない。おそらく世界樹みたいな強力な神木があればもっと良いんだろうが、あれはとてもじゃないが手が届かない。
「お父様は過保護なのか放任なのかよく分からないわね。あまり考えてないというのが正解だと思うけど」
「アプリは俺の事がよく分かってるな。俺だって考えてるつもりんだけどな」
考えが足りない、というのは常々思っている。
「どうせここでは私は何もできないし、新しい拠点になるような場所を見つけるまでは宿で大人しくしているわ。ただし革袋以外でね」
「もう同じことはやらないよ」
一回は失敗するが、同じミスはあまりやらない。やらないようにしている。
「この町から船が出るようになるのが何時になるかまだ分からないのだから、面倒だけは起こさないでねお父様」
「ああ。今は村の南東に畑用の土地を整備しているところだけど、所有権を主張する気もないしな」
「そうね。聞いた限りの範囲なら、お父様のスキルがなければ大きな家庭菜園程度にしかならないでしょうし問題ないわね」
チートの栽培スキルがなければ、あの程度の規模の畑を手に入れたところで小金稼ぎにしかならないだろう。
「だが念には念を入れて、アプリも一緒に行くか」
「へ?」
「食糧の確保が困難な土地で、いきなり食糧を用意するんだ、領主やらギルドやらが勝手に家捜しする可能性もあるだろ。そのときにアプリだけじゃ心配だ」
俺たちはそこまで人間の善意に触れてきたわけじゃない。
むしろ人の悪意に追い立てられて、こうして国を出ようというのだから警戒はしすぎるということもないだろう。
野営の時よりも、町の中で宿をとっている時の方が警戒しなければいけないというのは悲しいが。
「そうね……それじゃあ持っていってもらおうかしら。いつもの場所でいいんでしょう?」
そう言ってアプリは俺の木箱の元に近づき、その底を開けて中に入る。
「ちょっと狭いけど、現地に着いたら開けてね。今度は忘れずに」
「ああ、もちろんだ」
この木箱は両面開きになっていて、底にも蓋がついている。この蓋は木箱を地面に置くと開け口が見えなくなるようになっており、中を見られそうになったら地面に置いてしまえば確認できないようになっている。
これも貴重品などを隠す為に用意した策だが、アプリが中に入ることもよくあった。
もともとこの木箱はかなり軽い素材で出来ているので、アプリが1人入っているくらいなら違和感のない重さになっている。
こうして準備を終えた俺たちは一旦宿を離れ、昨日俺が準備をしておいた畑の予定地に向かうことになった。
ルノールはどこまで行って何をしているんだろうか。心配ではあるが、ああ見えて優秀な魔法使いだ。先日のトロル襲撃のような事がなければ大丈夫だろう。
……なにかフラグを立てたような気がするが、俺たちは改めて畑予定地へと向かった。