36話~「街道沿いの宿場」
峡谷の町ヴィレジアから徒歩で約二日ほどの所に、道行きの村はある。
ここらの村には名前が無いことも多く、町と町の中継地点として発展した際に最初に入っていた宿の名前をとることもあれば、領主などから派遣されたものが勝手に村長を名乗って名付けることもある。
この村はどちらでもなく、ヴィレジアと次の町である泉の町フォンティスの中継基地として一部の商人たちが協力して安全な寝床を作り、それが広がったものとされている。
それゆえか村に名前をつけようという者もなく、「道行きの村」というように呼ぶだけに留まっている。
そんな村なので、ここには移動の為に訪れたものがほとんどだ。
そして移動には馬車が使われるが、ここから向かえる町は実は他にもある。馬車を早く走らせて1日の距離に、川と湖の町ラークスがある。
このラークスという町から、魚を載せた馬車が足場やにやってきて、ここで馬を交換していくという事があるのだ。
つまり、この町には交換の為の馬が常備されている。多少痩せている馬などもいるかもしれないが、それでも馬は馬だ。
かすかな期待を胸に村へ入ると、やはりそこは話に聞いた通りと言ったところか、村の入り口には駐車場と言われる馬車を止めておく場所があり、その裏手には大きな馬房がある。
「おお。ここなら馬が手に入るかもしれないな」
思わず呟いてしまったが、ルノールの耳に入っていないようだった。
「うわぁ…馬がいっぱいだあぁ」
ブラウンの瞳をキラキラと輝かせて馬たちを見ている。
そういえばルノールは元々は羊飼いで、スキルに<調教>なんてのもついていた。動物好きなのは元々なんだろう。
「あとで交渉してみよう。安かったら買っていこうな」
「うん!」
いつもより早い反応に笑いそうになる。
アプリはカバンの中で「何か忘れている気がするのよ…」と頭を捻っている。何か思うところがあるらしい。
「おい、さっさと出てこい!」
と、そこで馬房から怒声が響いた。
「毛並みが良かったから拾ってきたが、とんだ駄馬だったぜ。お前だけだぞ、同期で売れていかないのは!」
怒った口調の男は、どうやら馬に向かって怒鳴っていたらしい。
だが馬の耳に念仏とは言ったもので、言われている馬の方はまるで堪えた様子がない。というか、どこかで見たような。
「「「あっ!」」」
カバンから顔を出したアプリも含め、3人ともが同時に声をあげてしまった。
「ん?なんだ、客か?悪いが馬は全部予約済みだぞ」
男がそう言っているが、俺たちはそれどころではなかった。
「ぶ、ブライアン…」
そう。
男が怒鳴っていた馬は、5年以上前に別れたきりのブライアンだった。
あの頃に比べると毛並みの色艶が落ち、表情も少し暗くなったような印象を受けるが、その端正な馬面にだらしのない表情を乗せた残念イケメンのような馬は、間違いなくブライアンだった。
「どうした?おお、そうだ。他の馬は予約済みだが、コイツだけは余ってるな。どうだ、馬が入り用なら都合つけてもいいぞ」
さっきまで怒っていたというのに、男はあっという間に商売用の表情に変わっていた。
「さきほど、その馬は言うことを聞かないような事を怒鳴っていたと思ったが?」
「あー…そりゃまあ、ちょっと調教に苦労しているがな。だが毛並みは良いし、立派な馬なのは間違いないぜ」
さすがは商売人といったところか。さっきまで殺さんばかりに睨んでいたブライアンを誉めて価値をあげようとしている。
「そうか、なら他の主を見つけた方がいいだろうな。俺たちはそれほど立派な馬を買うほどの金はないでね」
買う気はあるが、それほどの金は出せないという事をアピールしておく。普段なら悪手だが、売れない馬を買うというならプラスになる。
「あー、まあ、そうだな。立派だが、売れなきゃどうしようもない。それじゃあ、金貨4枚でどうだ」
安い。破格といってもいい。だが、
「1枚と銀貨7枚だな。御者に従わない馬なんて野生のものと変わらないだろう」
「ちっ。3枚だ。これだけ立派なんだ、バラして素材にしても価値があるんだ」
わりとヒドい事を言われたが、ブライアンは話が分かっているのか黙ってこちらを見ている…馬なんで目が遠いから分かりづらいが。
「2枚。艶も落ちているし、なにより若くないだろう。素材にしても労力を考えたら赤字になる」
「・・・2枚と銀貨8枚。これ以上はさすがに無理だ。それ以上なら期待を込めてうちで調教しなした方がよくなるしな」
金貨2枚と銀貨8枚。これならまあ、許容範囲だろう。
「分かった、それで手を打とう」
しかしまあ、元はと言えば勝手についてきて、勝手にいなくなった馬だ。それに金を払うというのも不思議な気分だし、よく考えればブライアンじゃなくても良かったんじゃないか?とも思う。
まあその場合は金貨で15枚とかの値段になることもあるのだが。
「了解、取引成立だ。すぐに持っていくのか?」
「出発は明日にする予定だから、明日また取りに来る。ルノール!」
ボーッと見ていたルノールに声をかける。彼女はブライアンに久しぶりに会った事に動揺していたようで、今のやりとりをよく聞いていなかったようだ。
「あっ。なにケイトぉ?」
「金貸してくれ」
俺の財布には金貨2枚しかなかった。
「おいおい、女にタカるのかよ。っていうかマジで金がなかったのか」
「最初に言っただろ」
俺がそう言うと男は嫌そうに笑った。
「ああ、確かに言ってたけどな。商人同士の社交辞令や牽制ってもんかと」
「それもあったけど、実際は本当に金が無かっただけなんだよな。わるいな、ルノール」
ルノールから金を受け取り、支払いを済ませた俺は契約書を男から受け取った。
それから宿のグレードを落とし、2人部屋を借りてルノールと共に寝ることにした。そちらの方が安かったからだが、ルノールが終始くねくねしていた。
もちろん何事もなく朝を迎え、若干疎ましそうにこちらを見つめるルノールの非難の視線をスルーしながら、なつかしの仲間が待つ馬房へと向かっていった。