29話~「まにあわないもの」
町に入るなり血と煙の臭いが鼻をついた。
炊事の最中に壊されたであろう家から火の手があがり、そこらの瓦礫には逃げ遅れたであろう人の死体が刺さっている。
逃げ惑う住人の中には、家の中に家族が残ってでもいたのか逆方向に走る者もいて、それを見かけたトロルどもの振るう、根っこから引き抜かれた樹木の棍棒で壁や瓦礫に叩きつけられていく。
「ルノール!ルノール!いないのか!」
阿鼻叫喚の戦場で叫ぶが、それらしい姿が見あたらない。そもそも魔法を専門に使うルノールがいれば、それなりに目立つ戦場になっているはずだ。
現状の町は半壊滅状態だった。
本来であれば魔物が攻めてくるのは谷の亀裂跡からであるため、門を警備していれば先制攻撃など許すはずもない。
だが、トロルたちはそこから現れたのではなかった。
瓦礫の合間でトロルたちの足止めをしている冒険者たちの愚痴にも似た叫びを聞く限り、こいつらは町の裏手、亀裂が大きな壁となっている町の北側からやってきたらしい。
この町は巨大な亀裂の中に出来た町ではあるが、その北側は深すぎる亀裂が壁の向こうに沿うように流れており、空を飛ぶようなモンスター以外は深すぎる谷を越えられずにいるので安全とされていた。
だが、どこをどう移動したのか、トロルどもはその北側の亀裂から現れたらしい。
そして北側に居を構えていた町の有力者たちの屋敷を薙ぎ払い、町の住人たちを蹂躙しながら南下しているらしい。
唯一の救いと言えば、町の有力者や権力者たちはそれなりの戦力を持っていたことだろう。
自衛の為とはいえ、強力な戦力を使ってトロルの迎撃を行った有力者たちのおかげで町の住人が避難する時間を稼げたのは間違いない。
それでもトロルの数は想像を絶しており、普段であれば2,3体もいれば群れと言えるトロルが少なくとも30は居る、という絶望的な数字が聞こえてきた。
俺は作りたてのポーションを抱えて走っている。
門番に言われた薬師ギルドへの薬は、重傷の冒険者や兵士に優先して配られ、次に住人に配られているようだった。ただしここでも、この緊急時であっても薬師ギルドは金銭を要求していたので、俺は自前のポーションをギルドに卸さずに使うことを決めていた。
「あああ、腕が…腕が」
「おかあさん!おかあさん!」
「おじいちゃんが踏みつぶされ…ああ…」
「あいつら殺してやる!!俺の目の前で娘を・・!」
そこかしこから聞こえてくる怨嗟と絶望の声を聞きながら重傷の人間を優先して治療していく。
こんなことなら、多少問題になるのを覚悟してでも性能のいいポーションを量産しておくべきだったかもしれない。
とはいえ、今更の話だ。
素材は現地に置いてきているし、持ち込んだのは50本の普通のポーションのみ。ポケットには1本だけ高性能ライフポーションが入っているが、それも普通のポーションに比べたら性能がいいだけで、万能薬みたいな効果があるわけじゃない。
治療待ちの人間の中にルノールの姿がないのを確認し、次に待ちの北に足を向ける。
町の北に近づくにつれて被害は甚大になっていく。中央広場と言われていた露店の並ぶそこもかなりの人間が死傷しており、避難さえままなっていない。
この辺りに来ると何体かのトロルが死んでいるのも見られる。冒険者たちに倒されたのだろうが、全体から見れば1割、2割といったところだろう。それに倍する死体が並んでる現状はかなり悪いと言っていい。
そうして歩いていると、町の崩壊の中に一部だが魔法による破壊跡が見られるようになってきた。
それだけを見てルノールの仕業だなどとは思えないが、もしかしたら、というのもある。
だが、俺はさらに不安にかられることになる。
魔法による破壊跡を追っていくと、途中からずるずると引きずったような血の痕が続いている。
その出血量を見れば致命傷だろうということも分かる。それが北へ北へと続いているのだ。
「お父様…」
「ああ。急ぐぞ」
これはルノールじゃない。
そう思いながらも足は前に進む。頼む、無事でいてくれと。
だが、走りながらも考える。
ルノールを見つけてから、彼女が重傷だったとしたら?彼女が敵に囲まれていたら?
正直言えば、俺に戦闘力はない。
魔力を身に纏って戦うことなども考えたが、過剰すぎる魔力が肉体を内側から爆発させてしまう。体を鍛えてもダメージを回復量が上回っており、筋肉にならない。強くなれていない。
唯一、身体操作から派生した身体強化のスキルだけが俺の戦力の根幹を成しているが、それもそれもほど強力なものではない。
焦るばかりで対策が浮かばない。やつらトロルが人間を食うのであれば、体内の毒ごと自分を食らわせてやるのだが、奴らは基本的に人間を食べない。ただオモチャのように殺すだけだ。
いやな予感ばかりが思い浮かぶ。
そんな時、ふと視界に何かが映る。
ブラウンの髪に、ワンピース。どこかで見たような姿が、大きな屋敷の門扉に引っかかっている。
ぐにゃりと体を曲げ、頭は向こう側を向いており顔が見えない。足がこちらを向き、仰向けに、くの字を描いて空を見上げていた。
次回投稿は明日…!
ばたばたしててすみません!