アルデランカの菜園
「これって誰かが育てているのかな」
王宮の庭の一角、アンザがちょっぴりサボりたいときに使用する他からは閉ざされた場所に見慣れないものができたのはつい先日のことだ。
この場所は侍女仲間のユンナにだけ教えたが、彼女はこんなもの知らないと言っていた。
紐を杭で打ち込んで四角く切り取った土のなかに何やら小さな芽が生えている。
「アルデランカだよね」
育てているのか疑問なのは、細くひょろりと出たソレが雑草だと知っているからだ。
アンザが生まれた田舎には無数に生えていた。
そういえば王都ではあまり姿を見かけない。
街道も街の中も石畳で美しく整えられているせいだろう。
アルデランカは化膿止めとして利用できるばかりでなく、根を乾燥させれば解熱役にもなる有り難い草だ。
青い小さな花が咲くころには良い香りもする。
それを熱弁したとき、侍女仲間の一部からは孤児は草まで食べるのかと笑われたものだ。
悔しくてアルデランカのことを調べた。
エスタニアではどんな病でも治せるという妙薬の女神の名をもらいシュミレッドと呼ばれているらしい。
ほら、ごらんよ。すばらしい薬草のことをあんたたちが知らないだけ。
でも、何を言ったって彼女たちは変わらない。
ほんの少し城で働いたという箔をつけてどこかへ嫁いでいく下級貴族の娘たちだ。
最初からアンザのことなどバカにしているのだ。
「誰が育てているんだろう」
アンザの他にも誰かがこの草の有用性を知っている。
そう思うと少し嬉しくなった。
触れてみれば土はパラパラとして乾いている。
アルデランカは水を好む。
少しばかりくったりとして見えるのは水が少ないせいだろう。
アンザは水を汲んできて囲われた区画をしっとりさせてみた。
心なしかアルデランカが生き生きしている気がする。
その日から暇を見つければ、アンザはこの秘密の菜園にやってきた。
すくすくとアルデランカが大きくなっているのを見るのが嬉しかった。
たまに水をやり、菜園の主が現れないかとねばってみたこともあったが誰もやってこない。
「ああっ」
ある日、アルデランカはごっそり無くなっていた。
おそらく収穫されてしまったのだ。
地面からは残された茎だけがのぞいている。
いつかこうなることは分かっていたのにアンザは小さな喪失感を覚えた。
「結局誰だか分かんなかったなぁ。あれ? なんかある」
紙包みが一つ壁の割れ目に刺さっている。
振るとかさかさと音がする。
開けてみるとアルデランカの花びらと数種類の葉が入っていた。
知っている植物の葉もあれば知らないものもある。
顔を近づけるとふんわりといい香りがする。
「ね……熱湯?」
包んであった紙には言葉が書いてあった。
慎重に中身を寄せて全体を見ると
『熱湯を注いで1~2分。1すくいの砂糖があれば尚良し』と書かれてあった。
「『お水をどうもありがとう』」
最期にそう締めくくってある。
「誰だか書いてくれれば良かったのに」
アンザはくすりと笑った。
律儀な菜園の主だ。
いつかの水のお礼に収穫物をおすそ分けしてくれたようだ。
もう一度手紙に目を落とす。
一文字一文字がお手本のように美しい。
どちらかと言えば角ばっている。仲の良い侍女仲間の文字では無さそうだ。
誰だろう。考えると心が浮き立った。
さっそく今晩、いただいてみよう。
指示どおり熱湯を注げばふんわりとした香りが立ち上った。
夕方に先輩侍女から理不尽なお叱りを受けてむしゃくしゃしていたが、少しだけ落ち着いた。
「いい香りね」
外から帰ってきたユンナが扉を開けた瞬間に呟いた。
「アルデランカの園からおすそ分け」
「あの菜園の? 誰だか分かったの?」
「それがさ、さっぱり分かんないの。お茶の入れ方を書いた紙とコレだけ」
ポットからユンナの分も注ぎ、手紙と共に渡すとユンナは微笑んだ。
「ふぅん。誰だか当ててみようか」
「ええ? ユンナ分かるの?」
「ん~侍女じゃないと思うのよね。秘密なんてすぐにばれちゃうし、こんなにいいもの作るのなら話題に上っているでしょう」
「そうだねぇ」
支持のあった通りティースプーン1杯の砂糖を溶かし込む。
くるくると円を描けば更に良い香りがたつような気がする。
「男の人じゃないかしら」
「ええ? 庭師とか? なんだって王宮の庭で雑草育てるのさ」
あの場所を知っているとしたら城の構造に詳しいはずだ。
「ちょっぴり気は利かないわね。アンザがお水を上げてたんでしょう? いつもお城にいる人じゃないみたい。でもあの場所を知っているくらい詳しい人ね」
「ん~薬師の菜園は別にあるし、厨房で使うものでもないしね。厨房の人なら教えてくれそうだし」
厨房の人間と仲のいいアンザになら、こっそりアルデランカを育てていたなら教えてくれたに違いない。
今年から人気メニューに躍り出た一品はアンザの提案だ、
もとは料理人になりたかったというアンザを気に入って、時には厨房を貸してくれることもある。
遅番になった侍女たちのために夜食を作っていたらいつの間にか噂が広まり、兵士たちまで食べにくることもあり、厨房の仕事にアンザを引き抜こうという話もあるそうだ。
「兵士とか?」
「え~それはなさそうだわ。わざわざ雑草育てつほど暇じゃないさ」
「そうよね」
議論は続くが結局答えなど分かりはしない。
こくんと飲めば、全身からふぅと力が抜けていく。
「おいしい」と二人で同時に呟いた。
「もう誰でもいいさ」
「そう? 恋に発展するかもしれないわよ」
「今は恋より仕事が大事。文句なんか言われないようにしなきゃ」
「ああ、今日の青鹿の間の件でしょ」
「そうだわさ! 何でもかんでも新人が悪いわけじゃないわさ」
すっかり清掃を忘れた先輩フィヨルのミスを押し付けられ叱られたのだ。
そもそも貴賓の部屋だから新人のアンザには任せられないと言ったくせに、侍女頭に不備を指摘されるとアンザが手を抜いたと報告したのだ。
フィヨルに反論すれば、火が付いたごとく叱責され罰として早朝の湯沸かしを一週間押し付けられた。
底冷えのするアリオスの冬の朝に誰よりも早く起きて、井戸から水をくみ上げるこの仕事はとてもキツイ。
いつもは持ち回りで一日ずつ交代して行う仕事だ。
アンザが受ける理不尽な罰のおかげで、仕事を免れた侍女たちはフィヨルに感謝した。
アンザが受けるのは罰だけではない。
最後には出自のことを口にされる。
ユンナにも覚えがある。
ユンナは王姉のルビニが運営する孤児院から来たため、アンザほどあからさまではないが嫌がらせをされることもある。
反省会と称して愚痴をこぼし互いに励ましあうのは毎晩の出来事だ。
「私はもう少し甘い方がいいさ」
特に今夜は。
「んん~そうね。もう一さじかな」
同意したユンナは一掬いの砂糖を溶かし込む。
アンザのカップにも一掬い。
今日は幸せな夢が見れそうだ。
朝もやに包まれたアルデランカの菜園はそのままだ。また何か植えに来るだろうか。そうしたらたまに水をあげよう。
アンザは壁の割れ目に手紙を残した。
『お砂糖は2すくいあれば、最高』
さんざん練習して納得のいく一枚を持ってきた。
名前は書かなかった。
「エンさん。どっちがおいしいですか」
ずいと出された二つカップにエンは眉を寄せた。
傍らにある砂糖壺から想像して、甘いのだろう。
「俺は甘い茶は好かん」
「そうですか」
僅かに肩を落としたカナンの視線はハマナの姿を探して彷徨ったが王の執務室に呼ばれていったハマナはいない。
もとよりお茶より酒のほうが好きな月影の連中は遠巻きに見ているだけだ。
つい先日の苦すぎるお茶の記憶が脳裏にも舌にも刻まれているものも少なくない。
エンが飲むのを断ったため、皆が更に一歩引いた。
「いったい、どなたでしょうね」
「あ?」
「菜園のお客さん」