良薬口に苦し
血の気の多い月影の連中は喧嘩も酒も大好きだ。
ハマナ・ローランドとて例外ではない。
ちょっとヒートアップしすぎると誰彼構わず決闘を申し込むのが玉に瑕だが、呑み比べとあっては皆喜んで引き受ける。
死屍累々と横たわる敗者の横で豪快に笑いつつ、更に盃を重ねようとしたところで新たな生贄を見つけ、目を細くした。
広間の片隅で酒臭い喧騒など知らぬげにカップを傾けているのはカナン・スフィアだ。
カップの中身はエスタニアの最高級の蒸留酒と同じ琥珀色をしながらも、酒精はない。
ふおんと香る華やかさはここには似つかわしくない。
そこに魔の手が伸びた。
「よぉ。カナン~んなもん飲んでないでこっちに来い!」
将軍が声をかければ、ほいきたと皆がカナンを引きずっていく。
否定の言葉を出す暇さえない。
ハマナの前に座らされたカナンの顔にいつもの笑みは無い。
めずらしく辟易とした表情だ。
一応、常識人で通っているエンは、無謀な戦いを止めようとした。
彼らが浴びるように飲んでいるのは粗悪な合成酒だ。
胃の腑も脳さえも溶けてしまいそうな代物だ。
そんなものをあんなにひょろっこい青年が飲めば、一口で昏倒してしまう。
「おい、止めておけよ」
周りはやんやと囃し立て、エンの言葉など軽くかき消されてしまう。
あの馬鹿、飲みやがったのか。
けれど、予想に反してカナンは差し出された盃を押し返したのだ。
将軍の酒を断るなんてと周りがいきり立つ。
中には武器さえ抜くものさえいた。
「なんだ。俺の酒は飲めんか?」
ハマナが薄ら寒い笑みを浮かべてもカナンは涼しい顔のままだ。
こんな時、こいつは大物になるかもしれないと思ってしまう。
この時点で再起不能にされなければの話だが。
「酒は苦手なんです」
頭に血の上った連中にそんな言い訳を聞くわけがない。
苦手なら慣らせばいいだろうと馬鹿な持論を持ち出すのだ。
「それとも、ハマナ様は自分に優位なもので勝負したいのですか?」
どこかからかいを含んだ笑み。
しらふならば何かあると感じることが出来たはずだが、ハマナはあっさりとカナンの計画に足を突っ込んだ。
持っていた盃を床に叩きつけ腕を組む。
「お前の望むもので勝負しようじゃないか!」
こいつもしかしたら、相当腹が黒いのか。
エンにはにっこり浮かべた笑みの向こうに、してやったりとほくそ笑むカナンの幻影が見えた。
「では、これで」
カナンが出したのは、先ほどまで彼が飲んでいたお茶だ。
皆の熱が下がっていく。
こんなもの幾ら飲んだところで面白くは無い。
ただ腹の中に水が溜まっていくだけだ。
勝負になんぞなりはしない。
「なんだ、こんなもの」
皆の言葉を代弁するようにハマナが豪快にカップを傾け、吹いた。
ぽかんとする皆の目の前で、もんどりうって倒れた。
「ぐえっ、はっ、何……にげぇ! ぐはっ!」
一きり咳き込んだ後は呆然と広間の天井を見つめている。
脳の奥が痺れて、何が起こったのかよく分からない。
あまりに酒を飲みすぎたのか。
視線を転じれば見慣れた顔が心配げに此方をのぞき込んでいる。
ようよう体を起き上がらせれば、カナンがこくんとカップの中身を干すところだった。
「さぁ、俺の方がリードですよ?」
空のカップがとんと置かれる。
噴出したのでハマナの一杯は数に入っていない。
「このまま、俺の勝ちでいいですか?」
ハマナの闘争心に火がついた。
こんなガキに負けるわけにはいかない。
普段、どれほど目にかけている相手かなど。もはや頭には無かった。
目の前の青年は打ち破るべき敵だ。
「決闘だ!」
世界は歓声に包まれた。
「ありゃ、一体なんだったんだ」
涼しい顔をして宴会の後片付けを始めたカナンにエンは尋ねた。
この広間で動いているのは、二人だけだ。
床に転がっている連中は、いつのまにか鼾の大合唱を始めた。
「お茶ですよ?」
酒ビンの数に文句を言いつつもカナンは、てきぱきと集めていく。
「お茶であんなことになるかよ」
視線をやった先では、ハマナが伸びている。
決闘だと叫んだ勢いのままに液体を飲みほしていたのだが、3杯目になると明らかにふらふらし始め、5杯目にはばったりと倒れてしまった。
慌てて覗き込めば、眠っていたのだ。
同じように茶に手を伸ばした男たちもばたりばたりと倒れていった。
「胃を守るための薬を混ぜました。少々苦くなりましたが、体に悪いものではないですよ」
「薬?」
「いくら丈夫だと言ってもこんなものを立て続けに飲めば、体を壊しますよ。全く」
そういえば酒屋のオヤジたちはいつも月影の連中を化け物でも見るような目をしていた。
はたと思い至ったエンの前でカナンは、呻いているものには水を与え、いつのまに用意したのか毛布をかけていく。
損な役回りだと思う。
はっちゃけて、馬鹿やって何も考えずにぶっ倒れているほうが楽だろうに。
どうしようもない馬鹿共の健康管理までやっているなんて。
「適当にやってればいいぞ」
そこらへんに転がしておいても風邪なんて引くような連中ではない。
殺しても死なないような奴らばかりだ。
甲斐甲斐しく世話をやいてやる必要は無い。
「エンさんこそ」
カナンに笑われて思わず舌打ちをした。
笑われている原因の無意識に集めてしまった酒ビンを放り出して無理やり話題を変える。
「それにしても、何だってあんなに苦いんだ」
皆、最後に残す断末魔の中には「苦い」という単語が含まれていた。
好奇心に駆られてエンも一舐めしてみたが、今でも舌先が微かに痺れている。
毒だといっても納得できる。
カナンの人柄を知っている皆は面白がりこそしろ、毒ではないかなどとは疑いもしなかったけれど。
「知らないのですか? 愛情の詰まった薬は苦いんですよ?」
カナンのさわやかな笑みに「限度があるだろう」という言葉をエンはなんとか飲み込んだ。