硝煙クッキー
「どうにかならないものか」
我らが月影の将軍ハマナ・ローランドのため息を受け、兵士一同慌てふためいたがこればっかりはどうしようもない。
目の前の携帯用の非常食。
見た目こそ少々不恰好なクッキーのようではあるが、如何せん硬い。
ついでに不味いのだ。
度胸は人一倍ある兵士たちだが幾ら空腹といえどもレンガを口にしたことは無い。
けれど、レンガってきっとこんな味がするだろうなと思えてしまう。
頑張って口に含んでみても水分ばかり奪われて、一向に胃の腑には落ちてこない。
口のダルさに空腹を忘れてしまうほどだ。
空腹を紛れさせることが出来ても、体に力は入らない。これでは戦いなど無理だ。
「あんたが押し付けられたのが悪いんだろ」
ハマナの横で胡坐をかいていたエンは呆れてため息をついた。
今を盛りの青年の歯を持ってしても、難攻不落の砦のように硬い。
あきらめて吐き出した物体は、ころりと土の上を転がっていく。
はたして、これは土に還ることが出来るのだろうか。
これを生み出した城の調理班を賞賛さえしたくなる。
大量に作っておいて、あまりの不評さに戦に持っていくことは諦めたが、もったいないので調練時の昼食に使ってくださいと送り込まれたのだ。
未だに格闘しているハマナはその不味さを知らなかったために、あっさりと了解してしまったのだ。
久しぶりの遠出しての調練。
充実感を感じながら午後に向けて頑張ろうと昼食の包みを開いた時の兵士たちの顔といったら見ものだった。
それでも、尊敬する将軍の選択だからと涙を呑んで噛り付く。
「すまんな。こんなに硬いとは思わなかったんだ」
しゅんと頭を垂れる将軍を見て、今まで屍のようだった兵士たちが姿勢を正す。
「いいえ! 我々はこれぐらいでは負けません!」
「タハルの兵士だと思って、噛み砕いてやります!」
こいつら馬鹿だとエンは思った。
やっぱり陽炎にいけばよかったかもしれない。
本気でそう思い始めたエンの鼻腔を甘い匂いがくすぐって行く。
匂いの元を辿れば、一箇所だけ火がおこされ、しゅんしゅんと湯気が上がっている。
その前に陣取った青年を見つけてエンは頭を抱えた。
青年の横にはピクニックよろしくティーセットが広げられている。
器こそ華やかなものではなかったが、香りは城で嗅いでも可笑しくないほどのものだ。
「スフィア! お前は何をやってる!」
ぴょんぴょんと髪の跳ねている頭をがしりと掴む。
かなりの力で掴んだというのに、エンを見上げたカナン・スフィアはへろりと笑った。
「もうすぐ、お茶がはいりますよ」
器の中では茶葉が踊っている。
どこから出したのか敷物の上には蜂蜜やジャムといったものまで綺麗に並んでいるではないか。
要らないものを持ってくるなといい含めていたのに、何をやっているんだ。コイツは。
上司として何とか言えとハマナを睨みつけると、
当の本には非常食を齧りながら、ひょこりと近づいてくる。
「おう。うまそうだな。くれ」
手を差し出すハマナ。そこにジャムを容器をのせる青年。その図を見て、エンは諦めた。もう、いい。こいつら。
「お前も食え」
ジャムのたっぷり塗られた非常食を有無を言わさず、口に突っ込まれる。
エンの額に浮かんだ青筋など意に介さない。
げらげらと笑うとハマナは蜂蜜の容器に指を突っ込んだ。
「これだけの方がうまいな」
そうだろうとも。
ジャムの甘さが引いていけば、エンの口の中にも硝煙を固めたような苦味ばかり残る。
ああ、不味い。
倒れこんで見上げた空は真っ青で、馬鹿話が似合うような陽気さで。
なのに、広がる硝煙の味。
伝令が駆けて来る足音がする。
「ライナスからの伝令です。ワン族から攻撃を受けている。援軍の頼むと」
今まで呆けていた空気がぴしりと硬化する。
覇気を纏ったハマナが一言声をかければ、まるで一つの生き物のように皆が「おう」と叫ぶ。
しまりのない顔をしていた青年の顔をいつのまにか兵士のものだ。
エンは苦味を増した唾と共に非常食を吐き捨てる。
それでも消えない。
戦の匂いはきっと消えることなく自分たちの中に沁みこんでいるのだ。
「行くぞ。決闘だ!」