大黒屋旅館1
二〇一五年八月一五日 天気 曇 愛知県豊橋市小池町
なかなかに忙しい日常を送る筆者は旅行気分に飢えていた。そう。お盆真っ盛りのことである。
筆者の仕事は不定期で、休日出勤もあれば平日休みもある。よって、家族のことを無視すれば、平日の閑散期に、
「行ってくるねー。二、三日帰らないから(はあと)」
と出かけてしまうこともできる。
だがこれをやるには家族構成が悪すぎた。下の息子は小学生。宿題から翌日の支度からまだまだ手をかけてやらねばならない。長男の高校生はもっとひどく、朝は弁当作り、雨降りは送迎つきという厄介な条件下にある。土曜はふつうに通学だ。
そして夫。これがまた頭痛の種なのだ。奴はかつて重度の鬱病にかかり自殺未遂を起こした。我が家で唯一所有していた車で愛知県の渥美半島にくりだし、海辺の駐車場で練炭自殺を図りやがったのである。幸い命に別状はなく警察に保護されたが、車は買い替え、二週間の入院治療という痛い出費を余儀なくされた。
ちなみに、夫が救出された直後に病院に駆けつけた私は、一応、妻らしく、いたわりの言葉をかけつづけた。それで気を良くしたのか、数日経過した夫は、
「こんなことしてごめん」
と謝りながらも、
「でも、オレが死んでも生活に困らないように、通帳に貯金は残しておいたから」
と弁解した。
「いくら?」
と尋ねた私に、
「四万」
と答えた夫。もう一回、今度は確実に渥美の海に沈めてやろうと、あのときは思った。
そんな事情から、夫の評価は我が家では限りなく低い。息子たちの口癖は、
「パパのような大人になったら困る」
である。
このような夫とともに子どもを残して出かけるなど、母として言語道断な行為であろう。
ちなみに私が年に数回出かける旅行には、ほぼ夫は連れていかない。
まあ、だが、それでも!
家族の中で誰かに留守番をさせて遊ぶというのは心苦しいものだ。たとえ、毎回連れていく息子たちから、
「こんなのは旅行じゃない! 苦行だ!」
と文句をつけられるような内容であっても。
たまには夫も連れだしてやる義務を、旅行の欲求が高まるたびに、実は筆者は内心でひしひしと感じていたのである。
そんなわけで、息子たちが夏休み、夫が盆休暇を取れる八月九日から一六日のあいだに私は家族旅行を企画した。「行ってもいいけど……」「忙しい」「友だちと遊ぶほうが楽しい」とやる気のない返答をよこす三人にはっぱをかけ、それぞれの予定を聞きだす。
その結果、驚くようなタイトな日程が判明した。
まず私。八月一〇日まで仕事。
次に夫。八月一一日の夜に飲み会。
そして高校生息子。八月一三日から一五日まで友人たちと旅行。
最後に我が家イベント。八月一四日に私の母の実家に里帰り。
つまり二日連続で空いている日がないのだ。宿泊を伴った旅行は不可というシビアな現実が目の前に迫る。
ふつうならここであきらめるだろう。実際、家族からは「いいんじゃね。家でのんびりすれば?」というご意見を多々拝聴した。
だが私は旅行気分に飢えていた。家事育児仕事雑事に追いまくられる日常をわずかの時間でも忘れたかった。男三人の食欲を満たした食器が流しに積まれていく様を見たくもなければ、深夜でもピンポンピンポンと小うるさい音を立てるラインの電源も切ってやりたかった。
だから、無理を承知で、言った。
「私の仕事を九日までに終わらせる。で、一〇日は休みにする。一〇日の朝から出かけて、一一日の夕方に帰ってこよう。パパはそのあと飲み会に行って」
結論から言おう。この計画は頓挫した。なぜなら、仕事を終わらせるために連日残業状態だった私が、一〇日に膀胱炎を患ったからだ。
みなさん、精神的な静養も大事だけど、体も大切にしましょうね。
まあそんなわけで旅行は無理だと病院の待合室で悟った私。
ところが、だ。
『捨てる神』の傍らで、理不尽なほど親切な『拾う神』は、実はこっそりと仕事をしていてくれたのである。
老人たちのひしめきあう病院での待ち時間は長かった。二時間半は優に超えていたと思う。
その間、久々のヒマを堪能した私は、未だくすぶる未練を慰めるために、スマホで宿泊サイトをのぞいていた。
旅行慣れした方なら気づかれていると思うが、昨今の宿の予約事情はかなり厳しい。海外の旅行客が倍増しているおかげで、直前に予約を入れられる宿などはほぼ皆無である。
「どうせ泊まるとこ見つからないしー」
と半ば達観しつつページを繰っていた私の指が。
ふと止まった。
そこには、築一〇〇年という古い旅館の外観写真があった。
愛知県豊橋市小池町にある『大黒屋旅館』。畳敷きの部屋の床の間にはガラスケースに入った日本人形。昭和感たっぷりの木質階段。家族単位が精一杯だろうと思われるアットホームな大浴場。そして口コミには『新幹線がすぐ真横を走っている』の一文。
何に惹かれたのかいまでもわからない。どう考えても地雷(泊まって後悔するタイプ)な宿だと思われるのに、そのときの私には「これだ!」と思えた。私のこの空虚感を埋められる場所はここだと思いこんだのだ。
病院での診察を終え、意気揚揚と自宅に帰った私。
「ただいま」
と玄関ドアを開けると、心配顔の家族が出迎えてくれる。
その彼らに向かって、処方された薬を握りしめ、いまだ安定しない病状と過労でふらふらしている筆者は、にこやかにこう言い放った。
「豊橋にある大黒屋に泊まろ! 時間はなんとか捻出するからっ」
どこからか溜息が聞こえたが、盛大に無視することにした。
こうして強引極まりない強行な旅行が私の強い意志で決行されたわけである。『強』という言葉はいい意味に使われることが多いが、ここまで迷惑行為に転化できる場合も存在するのだ。
そして、いまにして思う。
なぜ私はあのときあれほど感情が高ぶったのだろうか。
もしかしたら……。いや、考えすぎだろうとは思う。だが、もしかしたら。
あれは、あのときの衝動は、もしかしたら、何者かの『強い導き』に惹かれた結果だったのかもしれない、と……。