雄島1
作者の備忘録の色合いが強い作品となっております。『逸脱! 歴史ミステリー!』ほど丹念に裏づけを取っていないので、情報が間違っていたら申し訳ありません。
二〇一五年四月二日 天気 晴のち曇 福井県坂井市三国町安島雄島
春霞のかかった晴天をバックに、際立った色彩を放つ真紅の橋。
この日、私たち一行(筆者+高校生の息子+小学生の息子)は、日本最凶心霊スポットと謳われた『雄島』にやってきた。
越前加賀海岸国定公園の中にあるこの島は、自殺の名所と悪評のある東尋坊からは目と鼻の距離にある。写真左手にはもう東尋坊の断崖が見えます。
ここが心霊スポットと冠されるようになった理由は様々らしいが、有力なのは『東尋坊で亡くなった方の遺体がこの島に辿りつく』という現象によるものらしい。
実際の潮の流れを見ると、たしかに東尋坊の投身自殺の現場とされる崖からは、かろうじて雄島の西端に引っかからないでもない気がする。
島には『大湊神社』が鎮座まします。
こういうところにあるお社は、多くは島や山のような自然物そのものをご神体にしているのだけど、どうやら今回に限っては違うよう。大湊神社が神域としているのは、雄島のみではなく、辺り一帯も含まれるとのことなのだ。
説明の立て看板を読むと、御社のご祭神は『事代主少彦名命』。……なんだか一緒くたにして書かれているけど、厳密に言えば『事代主』と『少彦名』は別神。『事代主』は『エビスさん』の名前でも呼ばれる海の神さまであり、『少彦名』は『一寸法師』のモデルとなったやんちゃな小人の神さまである。
……が、まあ『海の向こう(海外)から来た神さま』として混同されることが多いのも事実なんだな。
ここで本編の『逸脱! 歴史ミステリー!』でもよく使う『ディープな脱線』をさせていただこうと思う。
『事代主』は『エビスさん』、『少彦名』は『一寸法師』と前述したが、実はこの二柱、同じ地域に住んでいたご近所さんなのである。場所は島根県出雲市。
『事代主』はあの超有名な出雲大社の主祭神である『大国主命』の息子だ。そして『少彦名』は『大国主命』の側近。ちっちゃいのに立派な技術者だったのだ。
二柱が『海外から来た神さま』と説明したのには、こんな根拠がある。
『少彦名』は日本に大陸の文化をもたらしたと言われる一族をモデルにした神さまだと、すでに定説化している。つまり元が異国人なのだ。
一方で出雲に土着していた『事代主』が外来の神と呼ばれるのは、どうやら日本神話の一節が混乱を招いた結果のようである。
『事代主』の別称『エビス』は、漢字表記をすると『蛭子』となる。これは『ヒルコ』とも読み、日本神話上では『出来損ないの子ども』という扱いを受ける。少し詳しい内容を語ろう。
日本という国土は『イザナギ』と『イザナミ』という男女の神によって創られた、と日本神話は伝える。これは特に『国生み神話』という呼称で、子ども用の童話などにもされている。
このイザナギとイザナミはたいそう仲がよく、また精力的であったので、国生みのあとに今度は自分の身内を増やそうと次々に子を成していく。その中でも特に出来のいい三人が『天照大御神』と『月読命』と『素盞鳴尊』の三姉弟であった。
ちなみに筆者視点から言うと、
「天照はともかく、月読とスサノオって出来いいかな?」
という疑問は残る。が、まあ、暴れた勢いで女神斬り殺しちゃったり、暴れた勢いで姉ちゃん怒らせて日蝕起こさせたりしたとしても、それはそれで存在意義は高いのだろう。本命(月読は『豊受姫』、スサノオは『櫛名田姫』)には優しかったようだしね。
そんなこんなで、日本神話といえばイザナギ一家のことが有名であるが、実はこのイザナギとイザナミの夫婦、天照たちを生むまえに数人の不具者を作っているのだ。そのうちの一人が『ヒルコ』。四肢が不完全な奇形で、生まれて数年で海に流されたという経歴を持つ。
海中に投棄されたヒルコは、その後いったいどうなったのか。みなさんならどのように想像するでしょう?
『エビス』という神さまが信仰の対象になったのは平安時代のことらしい。一方で『ヒルコ』と『エビス』が同じ神さまだと混同され始めたのは室町時代。つまり、もともと別々の存在であった二神がなんらかの意図で結びついたんだよね。
ではその意図とは?
『エビス』というのは海の神。主に漁師に祀られた神さまだった。それは『海の向こう(海外)から大量の恵みを連れてきてくれるから』。けれど同時に、海は漁師たちの命を奪うこともした。だから人間は、海で死んだ仲間の遺体も『エビスさまのもたらしてくれた恵み』として大事にしたんだ。
水難で亡くなった人の姿は原型を留めてないことも多いよね。ガスで膨らんだ胴体。波でちぎれ、魚に食べられた手足。冷たい海底に沈んだ肉体は真っ白に屍蝋化するとも聞く。
私が思うに『ヒルコ』の正体はこれなんじゃないかな。
四肢のない幼い神は出来損ないとして海に捨てられた。けれど罪のないその存在は人々の同情や関心を惹き、『エビス神』として人間の生活の中に復活した。豊漁の神として歓びをもたらす『エビス』と、海の洗礼を受けた同胞たちの写し身である『ヒルコ』。本来なら別のものであったこの二柱が、時代が下るにつれて、生々しい『ヒルコ』の姿を福々しい『エビス』に統合していった、と。
それではここでもう一つ。『エビス』と『ヒルコ』が同一視された過程は理屈づけられたけれど、では『事代主』を二神と混同した理由はなんだろう。
一説には『事代主』が日本神話の中で釣りをしていたからだというこじつけも、あるにはあります。『エビス』は釣りの神さまだからね。でもちょっと説得力弱いかな。
ということで、こちらも筆者の完全我流の推論を披露させていただきましょう。
出雲大社の主である『大国主命』の息子の『事代主』。実はこの妙に人間臭い設定には裏付けがあります。それは『大国主命』と『事代主』が実在の人物であり、実際に出雲を治めていた大豪族であったという仮説。
弥生時代後期、出雲は巨大な鉄の産出製造国でした。荒神谷遺跡って知ってるかな? 鉄剣が何百本も出てきたとても珍しい史跡。ざっくりと説明すると、それまでの日本は青銅の重くてすぐ折れる剣で戦争をしてきたんだ。でも、出雲が鉄器を濫造するにつれて、軽くて頑丈な鉄剣が出回るようになった。とうぜん殺傷力も桁違いに飛躍したわけ。
だから権力者は鉄を欲しがったんだよね。ひいては鉄を生み出す出雲自体をも。そしてとうとう大勢力『天照』が出雲に侵攻する。最初は交戦しようとした『大国主命』だったけど、『天照』のあまりにも強大な力の前に、わりと簡単に屈服します。
その際に大きな役目を果たしたのが『事代主』。彼は父親の『大国主命』に、
「敵わないから国を譲りましょうよ」
と最初っから進言した。『大国主命』としても、頼みにしていた息子からそう言われちゃ、勝利を信じ切れないよね。だから、日本神話上ではこの事件を『大国主命が積極的に天照に国を譲った』という色合いで書かれてしまったの。
ではここで最初の疑問に立ち返って。
出雲の国譲りに大きな貢献を果たした『事代主』。『天照』側から見たら『事代主』は『偉人』だよね。なのに『事代主』は出来損ないの『ヒルコ』と混同された。ちなみに『天照』に徹底抗戦した輩もいたの。『建御名方』っていう闘神。この神さまは最後に『諏訪湖の龍』にされました。『天照』からしたら敵のはずなのに、めっちゃかっこいい称号をもらってるじゃん。
筆者が思うに、この結果は『天照』と『大国主命』のある約束から発生したねじれじゃないのかな。ちょっと整理をしつつ、説明していきますね。
出雲という製鉄のメッカを欲しがった『天照』勢力。ところが出雲には強大な『大国主命』の国家があった。
そこで『天照』は何度か使者を送って内部からの切り崩しにかかる。『大国主命』の息子の『事代主』はその有力候補。彼に父親への説得を任せ、『天照』自身は臣下に反乱勢力の鎮圧を命じる。
そしてのちに出雲を手に入れた『天照』。けれど『大国主命』もただでは負けなかった。『天照』に出雲の土地を差し出す代わりに、『大国主命』のための巨大神殿を創ることを要求した。政治の長と宗教のトップを分け合ったとでも言ったらいいかな。そして『天照』はこの条件を飲んだのだ。
この成約のおかげで、本来なら敗者として冷遇される立場にあった『大国主命』は『天照』の協力者としての地位を得る。ところが、それが『事代主』には裏目に出た。父を裏切り『天照』と内通した彼にとって、父の『大国主命』の威光が出雲に残ることは、自らの安寧を脅かす事態だったのだ。そのため『事代主』は、その後、自分の意見を強く出すことをためらい、流されるように時代の波を生きていく。そう。まるで『権威ある親から見捨てられ、手足のない不自由な体を持て余し、やがて海の藻屑と消えたヒルコ神』のように。
……なんて言うと、ちょっと作り過ぎかな。
敗北した『大国主命』は、神殿造営の際、『天照』の使者に対してこう言います。
「これで私の臣である百八十の神たちは、我が子『事代主』に従って、天津神(『天照』勢力のこと)には背かないだろう」
『大国主命』にとって『事代主』は、すでに『天照』の側についたように見えたんだろうね。
雄島にある大湊神社の社殿。『事代主』と『少彦名』を祀る神社は、明るい日本海から遮られるように、鬱蒼とした森の中に建っています。
古の出雲で起こった確執。それが未だに拭い切れない怨念をこういう場所に残してしまっていると考えるのは、オカルト脳な筆者の妄想にすぎないのだろうなあ、きっと。
脱線が長くなりすぎた……。
雄島編第二話へ続く~。