第13話 偶然と必然
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麻耶たちが向かったのは、県庁・市役所のほか様々な行政機関が集まる官庁街「国分町」――ただ、そこにはもう一つの顔があって、三千軒以上の飲食店が軒を連ねる、東北地方有数の繁華街。
あまり思い出したくはないけれど、麻耶が預けられていた《《託児所もどき》》があったのもこの一角。でも、少し前に訪ねてみたら、託児所があったアパートは取り壊されて小奇麗なマンションが建っていたの。
マンションに託児所が入っているかどうかは確認しなかったけれど、今もどこかで営業を続けているんだと思う。だって、この界隈には相変わらず水商売のお店がたくさんあって、たくさんの女性が働いているから。とんでもない託児所だったことに間違いはないけれど、「必要悪」であることも否定できない。
たくさんの車と人が行き交う国道沿いを、今岡さんは麻耶と繋いだ手を前後に振りながら楽しそうに歩いている。言わずもがなだけれど、麻耶たちは手をつなぐような年じゃない。小さな子供ならともかく、大人の行動としてはものすごく恥ずかしい。すれ違ったビジネスマンやOLが麻耶たちを見てボソボソと何かを話している。
麻耶はと言えば、相変わらずのクールガールで「我関せず」といった様子――楽しそうな今岡さんの様子を、大きな瞳で物珍しそうに眺めている。そんな麻耶の視線に気付いたのか、今岡さんが麻耶の顔を覗き込む。
「桜木くん、どうかした? 僕の顔に何かついてる?」
「目と鼻と口が人並みについています」
真顔で淡々と答える麻耶に、今岡さんは声を上げて笑った。
せっかく今岡さんが気を利かせて話し掛けてくれたのに、麻耶の愛想のなさは相変わらず。心の中で深いため息が漏れる。
そんなちぐはぐな二人だったけれど、相変わらず手は繋いだまま。
今岡さんの手の温もりを意識したら麻耶は恥ずかしくて穴があったら入りたい気分だった。でも、不思議なことに、手をつないでいることに全く違和感はなかった。
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国道から国分町通りに入った麻耶たちは、喧騒を避けるように路地を曲がると、細くて薄暗い裏通りを歩いていく。そして、灯りがほとんど点いていない、古びた雑居ビルの前で足を止めたの――コンクリートが打ちっぱなしの灰色の壁と地下へ続く十数段の階段。突き当りには、ところどころ塗装が剥がれて、錆びが出ている、赤い鉄の扉。開けた瞬間、ゾンビが集団で襲い掛かってきそうな雰囲気がある。さすがの今岡さんも引いたんじゃないかと思って、麻耶は横目でチラリと見てみたの。
「ここが桜木くんのお気に入りの店? 隠れ家っぽくてすごく良い感じだね。あとは、二人きりになれたら言うことなしだけど――どうかな?」
今岡さんは引く様子なんか微塵も見せず、相変わらず涼しげな笑顔を見せる。そんな今岡さんの質問に、こちらも相変わらずのクールガール・麻耶が淡々と答える。
「それは無理です。私たち以外に客がいなかったとしても店員はいますから」
扉に付いた金属製の取っ手を手前に引くと「ギギギッ」というホラーっぽい音がして扉が開く――ここが麻耶の行きつけのお店。カウンター席が十席だけのこじんまりとしたショットバー。暗めの間接照明が灯り静かなジャズのスタンダードナンバーが流れる店内はとても落ち着く。「ゾンビの巣窟」をイメージした人は大外れ。でも、想像力豊かなところは評価してあげてもいい。
麻耶たち以外にお客さんはいなかった。この時間はいつもこんな感じで麻耶の貸切状態――そこが、もともと麻耶の行きつけになった理由。
「麻耶ちゃん、いらっしゃい」
コの字型のカウンターの中でグラスを磨いていた女店主――アップにした髪を後ろで一つに留めて、ゴスロリ調の黒服を纏ったスレンダー美人が小さく会釈をする。
次の瞬間、その眠そうな目が見開いて驚きの表情が浮かぶ――理由は簡単。麻耶が男といっしょだったから。
「こんばんは」
クールガールの麻耶が女店主の泉美さんに挨拶を返す。
店内をぐるっと見渡す今岡さん。「うんうん」と頷きながら麻耶の耳元に顔を近づける。
「静かで良いところだね。二人きりなのも良い。僕の願いが神様に通じたのかもしれない」
予想だにしなかった、急接近と甘い囁き――麻耶の心臓が再びトクンと音を立てる。
「――桜木くん、この店の名前は?」
息が苦しくて堪なかったけれど、そんなことはそっちのけで、クールガールの麻耶は今岡さんの質問に涼しい顔で答える。
「『|Misty Lakeside』です。いつもジャズやボサノヴァの静かなナンバーが流れている、素敵なお店です。泉美さんのセンスがとても良くて頻繁にお邪魔しています。完全禁煙なところも気に入っています」
酒場なのに禁煙――初めてここを訪れた人はみんな驚く。
でも、それが泉美さんの拘り。ここは、店主が客を選ぶお店。
「麻耶ちゃんが男の人を連れてくるなんて、夏だけど雪が降るかもね」
泉美さんは冗談っぽく言うと、麻耶たちをカウンターの一番奥の席へ座るよう促す。
繋いだ手がスッと解けて、右手が自由を取り戻した。
そのとき、麻耶は思ったの――「こんな不自由なら、ずっと不自由でもいいかも」って。
「ご注文は?」
麻耶と今岡さんのコースターの間に、野菜スティックと砕いた氷が入った、背の高いグラスを置く泉美さん。
「私はいつものモスコミュールで。今岡部長はどうされますか?」
「じゃあ、バーボンをもらおうかな。ダブルで」
泉美さんは小さく頷くと、カウンダ―の下からウオッカとバーボンのボトルを取り出す。
でも、今夜は画期的な日――だって、「麻耶の隠れ家」に初めて他の誰かが入って来たんだから。しかも、それは今日会ったばかりの男。
どうして言われるままに連れてきたんだろう? 正直に行きつけの店を教えることなんてなかったし断ることだってできた。でも、こうして並んで座っていても違和感がない。昔から二人でここに来ていたような錯覚さえ覚える。
いろいろなことを思い巡らしていたら、泉美さんがカウンターに飲物を置く。
麻耶の背の高いグラスと今岡さんの背の低いグラス。
今岡さんがバーボンのショットグラスを手にする。
「二人の出会いに乾杯」なんてお決まりの台詞を予想した麻耶だったけれど、予想は大外れ――今岡さんは眉間に皺を寄せて怪訝な表情を浮かべながら、グラスを持ったまま静止している。
「今岡部長、どうかされましたか? オーダーが違いました?」
「いや、そうじゃないんだ……今流れているこの曲、ジャズのスタンダード『Misty』だよね? 店の名前に入っている曲だけど、これは意図的なの?――ボクが|Misty LakesideでMistyを聞いたのは偶然? それとも必然?」
何を悩んでいるのかと思ったら、実に他愛もないことだった。
クールガールの麻耶は小さく頷くと、今岡さんに説明を始める。
「Mistyは泉美さんが好きな曲の一つです。だから、泉美さんは毎晩Mistyが入ったCDを流すようにしています。確かCDは一晩で三回転するので、普通に考えれば、Mistyも三回流れます。私はこの曲が流れる大体の時間がわかっています。そういう意味では、私がこの曲を聞いたのは『必然」と言えますが、今岡部長はそんなこと知りませんから『偶然』です――そうですよね? 泉美さん」
グラスを磨く泉美さんが「そう、そう」と言わんばかりに笑顔で首を縦に振る。
すると、麻耶の説明を食い入るように聞いていた今岡さんが、真剣な顔で呟いたの。
「桜木くんには『必然』であって、僕には『偶然』か……興味深い話だ。桜木くんの話を聞いていたら『あること』を思い出したよ」
今岡さんは麻耶の方へ身体を向けると、少年みたいな無邪気な笑顔を見せた――麻耶は思わずその瞳に吸い込まれそうになった。
「――実はね、もともとこのプロジェクトの責任者は僕じゃなかったんだ。三週間ぐらい前に、赴任予定の男が急病で長期の休職を余儀なくされてね。急遽、僕がピンチヒッターで来たってわけ。
そう考えると、僕が桜木くんと三十分も手を繋げたのは、普通に考えれば『偶然』だけど、僕が代役になった時点で《《こうなることは決まっていた気がする》》から『必然』かな?……まぁ、いいや。とりあえず、偶然のような必然に乾杯!」
麻耶には今岡さんの言いたいことがイマイチ理解できなかった。
でも、「話が聞けて良かった」って思ったの。だって、三週間前までは二人がこうして出会うことはあり得なかったんだもの――麻耶は、病気になった人には悪いと思いながら、運命を変えてくれた神様に感謝したい気分だった。
今岡さんは、自分のショットグラスを麻耶のタンブラーに軽く合わせると、少しはにかんだような顔をした。
色も形も違う、クリスタルのグラス――そんな二つが触れ合うことで、綺麗な音色が響いた。でも、どんな音がするのかは実際に触れてみなければわからない。触れる場所やお酒の量によっても違った音になる。
この瞬間に二つのグラスが触れ合わなければ、麻耶はこの音色を一生耳にすることはなかったかもしれない――これは偶然? それとも必然?
つづく




