Interlude「爪痕」
今回の投稿は某所で開催した
「その無限の先へ」リスタートプロジェクト第三弾「二ツ樹五輪 次回Web投稿作品選定コース(限定5名)」に支援頂いたとみわさんへのリターンとなります。(*´∀`*)
-牛の爪痕-
渡辺綱がブリーフさんと呼ぶブーメランタウロスは、モンスターたちの一部から注目されていた。その一部とは登録日の冒険者に負けたブリーフさんを小馬鹿にしたモンスターたちであり、当時の彼と同じブリーフタウロスである。
チャラい言動に見合わぬ堅実な性格。適当に見えて大胆で基本的な戦闘能力。無駄使いが多いのに実は資産家と、かなり妙なプロフィールだが、タウロス種の若手の中では出世頭と言ってもいい。でも、名前がないので区別がし難いから困る。
そのブリーフさんが注目され、名を……名?を上げるきっかけになったのはトライアル・ダンジョン最下層の試練だ。どういう経緯かは伝わってこないものの、確実に目立っている。情報伝達の遅いモンスター街にも目立った事とその手段だけが伝わったのだ。
結果、腰ミノで戦うのは恥ずかしいけれど、ひょっとしたら自分も有名になれるかもしれないと、二匹目のどじょうを狙いに行くブリーフタウロスが続出した。かつて不人気だったこのバイトは、現在では高倍率な人気バイトなのである。基本的に戦場という名のダンジョンでしか名を活躍の場がないのだから、とても妥当で健全な思考と言えるだろう。
あのクソチャラいブリーフ野郎ができたんだから俺だって、と自信過剰な若牛たちは張り切っているのだ!
ちなみに、同じように目立っていたホルスタイン・ジェットは、詳細が伝わっていた事もあって憧れられていない。
ただ、名を上げる機会に遭遇する確率などそう高くはない。手段は分かっていても、根本的に確率は極小だ。
達成者ゼロだった頃に比べればマシとはいえ、いつ次のポスト渡辺綱が出てくるかなど分からないし、そもそも強化ミノタウロス(ブリーフタウロス)の出番がある条件ですら希少なのだ。
役割上、ほとんど新人向けのトラップで、そのほとんどは弱い者いじめになりかねない。普段から虐げられているわけでもなく、中層でもブリーフさんたちはそれなりに強敵扱いなのだから、気が進まなない個体が多いのも納得だろう。
まあ、不人気ではあっても報酬は高額だったし、ブリーフタウロス限定の仕事という限定もあって採用倍率は高くない。思考加速で出番を待つ体感時間もないに等しい。出番がないかもしれないという問題に目を瞑れば割のいいバイトではあるのだ。
いくらゼロでないとはいえ、次が出てくる確率などそう高くないと気付いて下火にはなっても、将来有望な冒険者の踏み台となる栄誉あるバイトに、いつかは俺もと期待するブリーフタウロスは多い。せめて特別番組が組まれて出演できれば迷宮区画に行って遊べるしと、少しずつ志が低くなってくる気もするが、まだ多いのだ。
「ヴォオオオオオッッ!!」
そして、今トライアルダンジョン最下層で咆哮を上げる彼もそんな一匹だった。
出番が来たという事は、少なくともパーティーメンバーの一人は初見。しかも、一般的な定員とされる六人にすら届いていない四人。
全員が女性……しかも、幼女にも見える者すら混ざっている事に若干の戸惑いはあるものの、冒険者にそんな常識は通用しない。冒険者知識の少ないモンスターであっても、それで油断する事などまずない。見かけに騙され、手を抜いた上で負ける奴はいるが、そんな馬鹿は仲間内からも馬鹿にされてしまう。
彼にそんな慢心はない。どちらかというと、彼女らのためにも全力で叩き潰してやろうと意気込んでいる。目立ちたいという願望も強いが、与えられた職務に忠実であるべしと真摯な考えてこの仕事に挑んでいるのだ。
結果、新人の心が折れるとしてもそれは当然の事。もし相手が本当に将来有望な新人でも、死闘を演じなければ番組だって呼ばれ難いはずだし、全力でいかない理由などない。
……しかし、それはある種の気負いであったかもしれない。普段なら気付いて然るべき事に気付けなかったのは、特殊ボスの強化ミノタウロスという役に舞い上がっていた可能性もある。とにかく、いつもとは違う環境がその事態を招いてしまった。
まず、最初の《 獣の咆哮 》による影響が一切見られない事に気付けなかった。奇襲の意味ですぐに前へと飛び出した事が原因かもしれないが、その行動自体が未熟だ。
つまり、やって当然の戦力分析を怠った。分析したところでどうしようもなかったが、多少はマシに結果になったかもしれないのに。
最も前に出た冒険者へと肉薄し、振り被った< ミノタウロス・アックス >が地に落ちた。脳天でそれを受けなかったのは勢いがついたというのもあるが、偶然によるところが大きい。腱のみをピンポイントで切断された経験などない彼は、思わず『は?』と声を上げそうになってしまったほどだ。このバイトでは意味のある会話は禁止なのに。
いつの間にか腕の腱が切断された事に気付く間もなく、ただ本能で防御体勢へと移行したのは彼の優秀さの現れであろう。その判断がなければ、次の瞬間には足の腱も餌食になっていたはずだ。結果から見ればそのほうが良かったと言ってはいけない。
いきなり攻撃を通してきた? まさか、HPを抜かれた? クリティカル……じゃない。良く見れば相手の得物は刀だ。しかし、こんなところに来る程度の冒険者未満が、開幕からHP貫通効果のある武器を持っているわけ……あるとすればうしろの三人からの補助か? まさか、さっきからポンポン鳴っている音楽でバフがかかっている? むしろ、そっちのほうがレアじゃ……いや、少なくともピンポイントで腕の腱を狙う腕があるのは確実。……そんな奴、いつもの中層でも滅多にお目にかからねえぞっ!?
やばい。ここに来てようやく本能が悲鳴を上げた。
アレはやばいものだ。いや、アレだけでなく、うしろの三人も危険だ。どいつもこいつもここにいていい戦力じゃない。
ルール上彼が遭遇する事のないが、話には良く聞く、デビュー済み冒険者が気まぐれに行う再挑戦のような雰囲気を感じる。中には憂さ晴らしのために潜る奴すらいるのだとか。
ほとんど勘のようなものだが、それはあながち間違ってもいない。実際、彼女たちは、それぞれがソロでもこの試練を突破しかねない存在なのだから。
そこから、惨劇と呼べるような光景が演出された。鎧袖一触されなかったのは、果たして良かったのか悪かったのか。
一思いにトドメを刺す事もできたはずなのに、長引く戦闘。お勉強とばかりに嬲り殺しにされた。愉悦目的でこそないものの、対モンスター戦、しかも大型種への対応経験を積むために、様々な試しをされてしまったのだ。
無駄に時間ばかりがかかった一方的な死闘は、彼の防御能力が卓越していた事、そしてどこか踏み台気質のあるモンスター故に、途中からちょっと楽しくなってしまったのも原因だ。上手く致命傷を避けられたからこそ続く惨劇である。
圧倒はしつつも反省点の多い戦いに、相手の少女たち……特に正面に立った者は少し落ち込んだ。
そして、結果として嬲り殺しにされた強化ミノタウロスは、しばらく刀がトラウマになるという爪痕を刻まれたのだっ!
「ヴォオオオオオッッ!!」
その断末魔は演出なのか、ようやく解放された事への歓喜の雄叫びなのか。本人にも良く分かっていない。
-新人詐欺の四人-
「あかん、お父ちゃんに怒られそう」
普通なら誰もが躓くはずの強敵を真正面から下して圧勝した少女、燐は頭を抱えていた。
奇襲の一撃こそ綺麗に決まったものの、その後は問題だらけだった。能力差を埋めて余りある技量差故に訓練の代わりにしようと驕った事が見え見えな、あまりに無様な戦闘だ。
スケジュール的に余裕のない状況であるからと、少しでも冒険者としての練度を上げておこうと欲をかいたのが裏目に出てしまった。
勝つのには勝ったが、とても人に見せられるモノではない。しかし、実績的にこの戦いは多くの冒険者の目に留まるはずだ。残念に事に、それがすでに決まっていた。
「あの……やっぱり、買取拒否は……できんよね? 焔理さん」
「できるはずないでしょうに。挑戦前に契約書まで交わしておいて」
「うあーーーーっ!!」
燐は振り返って確認するも、赤い模様の目立つ巫女……四神宮焔理に即否定された。ついでに、隣にいた風花は無言のまま鼓をポンと叩く。相槌だ。
このアタックは挑戦前からすでにギルドの……いや、業界から広く注目されている。四神宮焔理、風花、土亜と四神の巫女三名に、剣刃の秘蔵っ子である燐の四名パーティという、真の意味で新人詐欺な戦力的なら初回突破も普通にあり得ると判断したギルドから提案され、事前に動画の買取他、多数の契約まで結んでしまっているのだ。
一応、編集会議で口は出せるはずだが、クライマックスかつ最大の見せ場な対強化ミノタウロス戦をカットなどできるはずもなく、もしできたとしても視聴者が疑問を抱くのは間違いない。
契約内容だけ見れば双方にお得なWin-Winな契約に、ついさっきまでは燐も大満足だったというのに、何故こんな事に。
……最後さえグダらなかったら問題なかったのに。苦戦はしていないが、決して褒められた内容じゃないのは、見る人が見ればあきらかなのである。
グダグダな圧勝。誰が見ても実力は認めざるを得ないのが確かなのは微かな救いと言ってもいいだろう。
もう調子に乗ったりしない。特にタウロス相手には……と軽く燐の心に爪痕が刻まれた。
「ともあれ、これでデビューは内定。しかも、渡辺綱&ユキ組に続いて史上二組目の初回突破と、実績だけ見れば十分ね」
まあ、それを気にするのは燐だけで自分たちはあまり関係ないと、焔理は締めにかかる。
実際、燐の評判がどうなろうと直接関係ないし、それは今後長く組む事になるだろう土亜でも一緒だ。
「まー、記録的にあたしらは例外扱いだろうけどね。強化ミノタウロスの出現ギミックも知ってたし」
再び鼓を打つおかっぱの巫女……風花の言うように、四神の巫女三人の立場上、このアタックが正規の記録として認められるかはあなり怪しい。
燐がソロで挑んだならともかく、様々な意味で例外な四神の巫女や、そのサポートを受けた燐が通常の冒険者と同列扱いされていいはずがない。
偉業には違いないが、渡辺綱とユキやセラフィーナのような文句のつけようもない記録とは違い、色々と引いて評価されるのが関の山だ。むしろ、これで評価されても彼女たち的には恥ずかしいとさえ思う。
かといって、燐がソロで……普通の新人と六人パーティでもいいが、そういうメンバーで挑んでいたらどうなかったかといえば。微妙なところだと本人も考えている。
彼女らの強力なサポートがなければ、負けるとまでは言わずとも苦戦は免れなかったはずだ、と燐の脳内では冷静に先ほどの戦闘について分析を行なっていた。戦闘後、残心を挟んて振り返り糧とするのは癖のようなものだ。
大雑把に振り返っても、彼我のステータス差では精神への補助なしに最序盤《 獣の咆哮 》は避けられなかっただろう。各種状態異常下での戦闘訓練はしているものの、戦力低下は免れない。
持ち込んだ刀の特性や補助魔術の付与効果で腱への攻撃は成立したが、HPの壁を抜いて致命傷を与えるまでは至らない。だからこそ、あの長丁場だ。戦闘の途中で自然回復したのか、途中から再び斧を振り回してきたし。
もちろん、正面からやりあっても負ける気はしなかったが、先ほどの圧勝はサポートに秀でた三人の補助ありきといっていいだろう。
「あとは二回、第十層と第三十層を目標に無限回廊を最短攻略すれば、おりんりんも暗黒大陸行きに参加できるなー」
そう言う土亜の目算は、すでにリグレスより許可をもらっている。
ガウルの試練次第ではどう足掻いてもスケジュール的に間に合わない事もあり得たが、今回を含む三回分だけは猶予をもらえたのだ。
一切遊びのない日程でも、期待のスーパールーキーなら十分達成可能だし、三十層まではこの場の三人もパーティを組む予定である。
燐は未だ暗黒大陸行きに自分の必要性を疑問視しているものの、せっかくだからと参加する気はあった。なんか、遠征って結構上まで行かないとないらしいしと経験を積む意味も含んでいる。
「このあと、案内役の水凪ちゃんと合流して帰るだけやろ? うち、なんか甘いモノ食べに行きたい」
「いつもと違ってギルドでの報告と精算があるでしょ。プライベートモードに入るのは早い!」
すでに終わったつもりか、ミノタウロスが沈んだあとから土亜の口調が砕けている事を指摘する焔理。風花も鼓を打って同意する。
実際アタックは終わりなのだが、元々この後に用意されていた試練の事まで考慮するなら腑抜けていると言われても仕方ない。土亜が見た目通りの幼女なら仕方ないが、それならこの場にいないのだから。
彼女が言ったように、かつて渡辺綱とユキが受ける事になった隠しイベントは発生しない。今回だけでなく今後もだ。
四神の巫女の扱いによって条件が満たされない事もあるが、そもそも例のイベントはすでに削除されている。元々、作業忘れで残っていた過去の異物でしかない以上、それも当然だろう。
しかし、万が一その設定が生きていたら、この場にいる四人は地獄を見る事になる。案内役で同行している四神宮水凪相手に勝ち目などないだろう。
四人の連携が万全ならチャンスくらいはあったかもしれないが、特に連携を必要とする燐との連携訓練がまったく足りていない。……ない試練を語っても仕方ない事ではあるが。
こうして、燐と土亜は暗黒大陸行きのために用意された三つのハードルの内、最初の一つをクリアした。
風花と焔理に関してはおこぼれをもらったようなモノと言えなくもないが、実力的に今更でもあるから問題もないだろう。
モヒカン連中とはあまりら違う順当さに、焔理は自慢してやろうかなんて考えたが、奴らは崇め称える材料が増えて喜ぶだけだなと冷静に判断し、やめる事にした。
尚、普通にバレて、無駄に派手なサプライズパーティーを開催され、モヒカンたちに焔理の釘バット旋風が吹き荒れるのはまた別の話である。
-残滓-
ティリアが摩耶とガルドを連れて訪れた地、リガリティア帝国北部の広大な未開拓地域は蘇った記憶とはまったく異なる様相を見せていた。
そこにあったのは開拓地特有の、小規模な集落が広域で点在する地域。しかし、村娘ティリアティエルが暮らしていた集落はどこにもなく、集落の存在する位置も住む人々も異なる。
どこまでがなかった事にされたのかは不明だが、さすがに帝国主導で行われている開拓事業の記録自体は残っていただろう。それが途中で頓挫したのか、未着手だったのか、どう認識していたかは別としても、計画が有効なら事業は進むという事なのだ。
当然の如く、かつて存在していたはずの集落やそこに住んでいた開拓民は影も形もなく、暮らしているのはまったく別の人々だ。集落の位置こそティリアの朧げな記憶に残る場所に近いように見えるが、それは開拓に適した土地に集落を構えたというだけの事でしかない。
また、不完全な状態で顕現した無量の貌の影響もない。アレに簒奪された者は存在自体なかった事にされるのだから当然だ。
あの特異点で簒奪されたモノでない以上、これらは渡辺綱がどう足掻いても取り戻す事のできなかった犠牲の一つである。
目の前にあるのは、見えない……存在すらしない悪夢の爪痕なのだ。
「覚悟はしてましたけど、結構しんどいですね」
その光景を見て呟く感情を、同行した二人は共有できない。
ティリアの精神世界を訪れた摩耶はそれっぽい風景が重なるような気もしたが、それも辛うじてという程度でしかないし、ガルドに至っては無関係に近いのだ。
「ちょっと一人にして下さい」
そうティリアに言われ、その場を離れる摩耶とガルド。
しかし、離れつつ遠くから見ていてもティリアはじっとその場に留まったまま動かない。地形くらいしか面影のない場所では、もう一つの故郷を懐かしむ事もできないのだろう。
近くの集落までは戻らず、街道沿いの旅人向けに用意された野営ポイントで腰を降ろしつつ、二人は会話を始めた。
ちなみに、集落に寄らないのは単にガルドの異形が目立つからという理由だ。この辺の集落なら外貨を得られる冒険者の来訪はむしろ歓迎すべきイベントなのだが、さすがにいちいち説明するのは面倒臭い。
「忘れろと言っても無理なのだろうな」
「直接体験したわけではないですが、断片的な情報を見ただけの身でもなかなかに厳しいかと」
それに、この因果はまだ続いている。
撃退はしたものの無量の貌は健在だし、あの時仕留められなかった仮面……ティリアが先生と呼称する涅槃寂静の個体も残っている。アレらを排除しなければ、本当の意味で区切りを付ける事は不可能だろう。
そしてそれが渡辺綱の、彼が率いるクランOTIの向かう先にあるのは確実だった。所属しているだけでも、まず関わる事になるだろう。
「正直なところ、お前さんはどこまで絡むつもりだ? クランメンバーとはいえ、そこまで強い関係性はないだろう?」
ガルドにせよ、そこまでの強い因果関係は持たない。ティリアは弟子だが、言ってみればそれだけでもある。
この星を根幹とする精霊である以上、前回のような星の危機は自身の存在維持に直結するものの、今後はどうだろうか。
摩耶など、それより更に因果関係が薄い。特異点でティリアの精神世界にまで踏み込み涅槃寂静と対峙もしたが、アレにも無量の貌にも認識されているかどうかすら怪しい。
「それはティリアさんに関してですか? それとも渡辺さん?」
「どちらもかの」
「この身に限界を感じるまで、ですかね? ここまで関わってしまった時点で途中下車する気もありませんし……それに、私の目標は冒険者としての栄達ですが、ここがその最短距離だろうとも思ってます」
「それはそうだろうな。知名度的にも、すでに< ストーン・ヘンジ >時代のガルデルガルデンを超えてるやもしれんし」
摩耶は、少なくとも今時点では、将来的に背負い切れないモノが待っているからと身を退くつもりはなかった。
今いる場所に愛着も生まれている。クラン未設立かつ未だ出向の身ではあるが、自身の認識としてはすでにOTIの摩耶なのだ。変態の存在はおいておくとして。
ただ、普通の冒険者から脱却できたとは思えないし、今後も脱却できる自信はない。自分から踏み込み、無量の貌相手に自分の名を刻み込んだベレンヴァールの在り方が眩しく見える程度には、井戸を抜け出せない蛙のままだ。
大海は見た……のかもしれない。そこに踏み出すのに今の自分では足りないと自覚し、悩んでいるのが今だ。尋常な方法では鯨になど至れないのは良く分かっている。
「まあ、多少でも退く気があるなら、こうしてティリアさんの帰郷にも付き合ってませんよ。提案こそしましたが、付き合ってくれと頼まれたわけではありませんし」
「あの村は観光地というわけでもないしな。少し前までなら巨大な精霊岩が祀られていたんだが……」
「ガルドさんの事じゃないですか」
ティリアの故郷で何年も動かずにいたらいつの間に祭り上げられていたというのは、ガルド本人から聞いた話だ。
遥か昔より生きる岩の精霊だから、信仰の対象としての資格も十分にありそうなのがまたややこしい。いきなりいなくなってるのも、おとぎ話にすらなりそうな一節である。
「提出書類に記載した表向きの理由ではありますが、迷宮都市外の見聞を得るという目的もありますよ。以前から、迷宮都市の外……特に野営について経験はしておいたほうがいいと考えてはいました」
「確かに人間は大変らしいからの。ダンジョンアタックの時とは違う問題も多い。知識だけならワシも教えられるんだが」
生物として根本的に人間からかけ離れているガルドに期待するようなものでない事は摩耶も承知している。
基本的に食事も睡眠も呼吸すら不要なら、野営に何を求めるというのか……と、不思議に思って以前聞いた事があるが、無意味というわけでもないらしい。……やはり参考にはならないが。
「むしろ、その手の経験はティリアが詳しいほうだろうから、同行相手としては間違ってないな。ウチではサージェスなども経験豊富なはずだが」
「あの人の経験はあまり参考にしたくないので」
何度か聞いた事もあるが、ロクな回答がない。全裸で過ごして虫に集られて興奮したと言われても困るのだ。
OTIでは野営経験豊富そうに見えるガウルに聞いた事もあるが、実はそうでもないという話だ。森で生まれて育ったのは事実でも、立場上そういう事をする機会が少なかったらしい。お坊ちゃんなのだ、彼は。
サンゴロやベレンヴァールなど、他にもいないわけではないが、関係的に聞き易いティリアがやはり無難だろう。
「ちなみに、ツナの奴は参考にならんぞ」
「さすがに渡辺さんを参考にする気はないですよ」
サバイバル経験豊富なのは確かでも、そのレベルが高過ぎる。人類の極限のような環境でも平気で戻って来そうな者の経験が参考になるはずがない。
そう考えると、ティリアの経験はなかなかに希少といえる。OTI以外なら、そこそこどころか珍しくもないレベルでいそうなのに。
その後、野営についてのアレコレを試しつつティリアが合流するのを待つが、日が暮れるまで戻ってくる事はなかった。
ここらはオークもいないらしいので、モンスターや野盗に襲われたとか、迷宮都市冒険者的にそういう不安はないが、迷子になった可能性はあるなと摩耶は少し心配していた。
一人その場に残ったティリアが小高い丘から見下ろして思うのは、無き故郷の思い出やその整理だけではない。
まったくないとは言わないし、むしろ整理する必要があったのは間違いないものの、確認すべきと感じたのは別の事だ。
「……やっぱり、足りない」
取り戻した、自らの奥底にしまっていた記憶は、単に忘れていただけではなくあきらかに抜けがあった。
あの時、混ざりあって補完し合った二人のティリアティエルは一つの個に満たない。単なる思い出、それらへの感情、あるいは因果、それらが抜け落ちて足りないだけならまだしも、重要な何かが欠けている気がすると。
その何かは朧げな輪郭しか分からない。あるモノを一つずつパズルのように並べていき、足りない部分を見て初めてあると分かる。そういうモノだ。
それはおそらく、村娘だったほうのティリアティエルが持っていたモノが大半。
今の自分になるにあたって保持していたほとんどのスキル……いや、才能と呼ぶべきモノは元々冒険者のティリアティエルが持っていたモノだ。《 回復魔術 》をはじめとする魔術の才能だけではなく、彼女にはそういう開花していない才能があった。今ならばそれが良く分かる。
失われたモノは戻らない。だから、せめて無量の貌に囚われたままの存在は解放したいと思う一方で、何故だか脳裏をチラつくのがあの仮面の涅槃寂静……先生。
アレが……本来無量の貌へと回収されるモノを掠め取っているように感じてしまう。無量の貌の一単位である以上、それは同じと呼ぶべきモノのはずなのだが、どうしても同一視できない。この先、歩いていく中で、無量の貌とは別にアレが立ちはだかってくる気がするのだ。
無量の貌の一部である以上、そんな事はまずあり得ない。しかし、あり得ない事が容易に起きるのを散々目にしてきた。ならば、この予感だって当たってしまうのかもしれない。
ティリアティエルはどこかでアレと戦う事になる。そんな予感を感じてならない。
渡辺綱の根幹に在り、嫌悪し、縛られる因果とはそういうモノのはずだ。
-悪意の爪痕-
ラディーネ一行は交流団の帰郷に合わせ、クーゲルシュライバーに乗って龍世界を訪れていた。
監獄惑星オウラ・ギラの調査や受け入れ施設の開発、交易や迷宮都市側の交流団など、クーゲルシュライバーに乗り込む者の目的は様々だが、ラディーネたちの主な予定は別の星の調査だ。前回は訪れる機会のなかった旧文明の跡地を訪問し、唯一の悪意がもたらしたという文明崩壊の爪痕を調査するのが目的である。
その他にも目的はあったが、異世界からの来訪者であるロクトルの強い要望により、コレが最優先となった経緯がある。
(まあ、確かに必要な事ではあった)
今後、唯一の悪意や因果の虜囚と関わるだろう長い戦いに身を投じるなら、その相手がどういうものか目しておきたいという考えはラディーネも同意せざるを得ない。
以前、記録映像を目にはしたものの、アレだけで満足な理解など得られるはずもない。攻略作戦に参加した無量の貌の驚異ですらまだ足りないと感じるくらいだ。
今後、自分がどこまで関わる事になるかは分からないが、すでに片足を突っ込んでしまったのも事実。ロクトルの希望は深く関わるなら考えて当然のモノで、自分にはその覚悟が足りていなかったかもしれないとラディーネは反省していた。
「いやあ、楽しみだねぇ、異世界」
ロクトルの呑気な態度を見ていると、他星への訪問提案もただの好奇心でしかないんじゃと思ったりもするが、おそらくそれはない。
ここまでこの奇妙な男を分析した結果が推測するに、その重要性を自分なりに噛み砕き理解した上で、言葉通りの好奇心も懐き、素直に表へ出しているのだ。
つまり狂人である。ラディーネはマッドサイエンティストと自称しているが、それは建前や保険の意味合いが強い。……コレが本物だろう。
ロクトルの中では無限回廊はおろか、因果の虜囚も唯一の悪意も等しく自らの好奇心を満たす研究対象でしかないのだ。
ないとは思うが、いざトドメを刺せる状況になっても研究用に飼いたいとか言い出しかねない雰囲気がある。……いや、さすがにないだろうが。
「実は宇宙船ってやつに乗ってみたかったんだよね」
「向こうの星間移動は転移が主になるらしいがね」
「ええー、そんな……」
「転移装置のほうが技術的に高度なんだけどね」
「単なる憧れみたいなものだからなぁ……まあ、いいか。迷宮都市なら機会はありそうだし」
たいそうがっかりした様子だが、これが本心なのが怖いところだ。
ベレンヴァールは良くこんなのと友人をやっているなと、ラディーネは素直に思う。まあ、彼の場合は本質を理解していないが、理解していても気にしないのだろうが。
『本艦は宇宙船が元になっていますので、一応願望に沿っていると言えなくはありません』
唐突に現れ、語りかけてきたのはクーゲルシュライバーの管制AI、通称サードと呼ばれる少女型のアンドロイド、そのホログラムだ。
元々はセカンドと同じ容姿や特徴をしていたが、この艦に搭乗するにあたって新規デザインの姿を与えられている。顔や体格こそ同じだが、日常的にセットするなら極めて大変そうな髪型はエルシィにもセカンドにもない、サードだけの特徴といえる。
「構造的にはそうだよね。だから勘違いしてたみたいだ」
「乗った事がないのに分かるのかな? 確かにそれっぽい部分は残っているけども」
「設計した事はあるからね。テスト航行どころか、動作試練にすら弾かれたけど。嫌だね、人種差別」
「それはまた根が深そうな問題だ」
案外、本人の性格的な問題で除外された可能性もあるが、おおむね申告通りの理由が原因なのだろう。
ベレンヴァールから聞いているが、彼らの世界で魔族という種族は長き時に渡って迫害を受けている。自己主張しない種族的な性分のせいで、他の種族を調子付かせた結果らしいので自業自得な面もあるのだろうが、基本的には被害者だ。
「それで、サードは何か用事かな?」
『いえ、特別な用事はありません。艦の処理に影響ない範囲で……特にあなたたちと交流をしろというオーダーを受けているので。おそらくセカンドの変化が影響してのモノと思われます』
「ああ、なるほどね。確かに彼女は特異点を通じて別人のように変化した」
ラディーネにはどこがどうとは説明し難いが、変わったのは確かだろう。
『特異な環境であった事もありますが、AIの変化としてはかなり不可解な部分も多かったらしく、オリジナルはサンプルを欲しているようです』
「AIとして一番不可解なのはそのエルシィ君だと思うけどね」
『返答に困ります』
自分の知っている、あるいは定義しているAIの範疇から見れば、エルシィは出会った時から異様そのものだった。
前世で多数のAIやアンドロイドに触れる事はあったが、あんな情緒豊かな個体などまずあり得ない事は分かる。経験を積むだけで為せる事ではなく、おそらく突然変異だろう。
あるいはそれが彼女特有の変化であるとするなら、クローンであるセカンドの変化は納得だし、サードにその可能性がある事も確かだ。どんな結果を求めているかは分からないが、無駄にはならないだろうと思う。
「会話なら、私も色々聞きたい事があるんだがね」
『構いません、ロクトル・ベルコーズ。もちろん開示可能な範囲でですが』
「それはそうだろうね。ちなみにこちらの開示制限はないよ。特許関連の技術だろうが他人の技術だろうが大放出さ」
『返答に困ります』
ロクトルは自分の世界に愛着を持っていない。なんなら、滅んでしまってもさして感情を揺さぶられないかもと自覚している。
だから、保護すべき知的財産だろうが関係なく放出するし、それが他人のモノでも気にしない。バレても実害はないのは確かだから、これは本人のスタンスと言うしかないだろう。
「ちなみに、君の世界で人工知能はどんな感じだったのかな?」
「実用化はされているけど、あまり事情は知らないんだよね。私の研究にカスらないし、立場的に接触もできなかったから。ただ、彼女のような自立した個体は聞いた事がない。それが技術的なモノか、単に機密で知らなかったかは分からないけど」
いまいち文明レベルの判断が難しい彼らの世界だが、少なくともラディーネの前世世界と比べて技術が劣っているのは確からしい。環境や文化などの違いもあるし、一部突出した部分はあるかもしれないが、宇宙進出が本格化し始めた頃というならそう間違ってもいないだろう。
ただし、一般人の範疇でしかなかったラディーネと違い、ロクトルは世界でも屈指の技術者だ。概念的な事以外にも、対話によって得るものはお互い多いはずだ。
そんな姿を見て、ラディーネが自覚できる程度に嫉妬を覚えるのは、この世界において曲がりなりにも研究者の真似事をやっているからだろう。
技術や情報を持ちながらも本質的に被造物でしかないエルシィとは違う。目の前で本物を見て、方向性こそ違えど比較される環境に在ってどう向き合えばいいのか。今すぐにでなくとも、近い内にそれを決める必要があると確認していた。
「こっちの言葉に慣れるのは大変なんだよねー」
『召喚陣には《 翻訳 》のスキルが組み込まれていると聞いていますが?』
「あーいや、意味が分からないとかじゃなく、似たような発音の単語……特に単位とかでそういうのがあると混乱する」
「良くある事だね。ワタシも未だに混乱する事がある。迷宮都市内でも資料によっては混じっているし」
『地球の文献をそのままコピーしている弊害ですね。ヤード・ポンド法は死すべし……とオリジナルが言っていました』
それは本当にエルシィの意見なのだろうか。確かに言いそうだが、サードの本心なのでは。
「向こうで使う機器もそれで少し困ってね。見直したら、ウチの単位で計算してたとか」
『そういえば、他星に渡る予定だとか?』
「ワタシたちと案内代わりに龍が一体だけだが、予定では文明崩壊以前に首都星だったところに行く事になっている。一応、この便の復路に間に合う予定ではあるが、延長するかもね。
『調査対象などは決まっているのですか?』
「最低限は決まっているが、さすがに未知の部分が大き過ぎるから、まずは行ってみてという感じかな。ロクトルも似たようなものだろう?」
「漠然としているのは確かだけど……私が気になっているのは形かな」
「……なんの?」
「あらゆるモノの。見せてもらった動画で、ちょっと違和感があったんだよね。できれば分子構造まで確認したいところだけど、努力目標かな」
違和感とはいうが、その詳細への説明が抜けている。説明足らずなのは自己完結の癖だろう。
「悪意を誘発する形に規則性があるかもってね」
-新人戦の爪痕-
「そういえば、サローリアさんの動画って基本非公開ですけど、一般向けじゃなくても公開してる動画とかないんですか?」
「え゛っ?」
クラスの検証のため、事前の打ち合わせとして会った場で、渡辺綱から何気なく出た言葉にサローリアは絶句した。
「え? そんな固まるような話題ですかね? どんな事情で非公開になっているかは知ってますし、今更じゃ」
「あ、ああ、テストに向けて見たいとかそういう話じゃないのね」
「いえ、見せられるモノがあるなら見ておきたいなと思ってますけど……その様子だとなさそうですね」
「う、うーん、男の人には難しいかなー」
その言い方だけど性的な危険性を孕んでいると分かるが、さすがにすべてがそんな事はないだろう。彼女だって、何も全裸でダンジョンアタックしているわけではないのだ。
「そりゃ全部が全部じゃないけどね。戦闘になるとね」
「戦闘こそ全部が全部じゃないのでは? 戦闘開始直後とか、ノーダメージで終わる戦闘もあるでしょうし」
「それはそうなんだけど、そうやって切り分けて公開した結果、とんでもない結果になった事が……」
何があったというのか。穴の開くほど観察されて、スキャンダラスな何かが見つかってしまったのか。
「大丈夫かなーって公開した動画に、恥ずかしい部分が映ってた事があって……」
本当に予想通りだった。
「すぐ差し戻しして非公開にして、そのあと修正版とか出したりしたら、それだけで話題になるようになっちゃってね。悪循環」
「あー、変な付加価値が出ちゃった感じですか」
「まったく関係ない動画でも注目されるから、もう全部止めちゃえって事にしたのよ」
綱としてもそれは分からないでもなかった。方向性こそ違えど、自分が動画を公開すると何かヤバいモノって先入観を持たれるのだ。
エロと怖いもの見たさという違いこそあれど、見る前から妙な期待感を持たれてしまう。それで綱がパンダと戯れているAVだったりしたら、勝手に落胆されてしまうわけだ。
それはそれで需要があるかもしれないが、綱はそもそもそんな事は気にしない。むしろ、騙して悪いがとネタ動画すらアップするだろう。
「というか、新人戦の時の動画が話題になっちゃったのがそもそもの悲劇の始まりなんだけど」
え、説明するの? と綱は困惑するが、興味はあったのでそのまま聞き入る事にした。
実際、新人戦の話は気になっていたのだ。伝説の新人戦として今も尚語り草になっているにも関わらず、動画はすべて非公開で情報からタブー扱いされているのだから。
「私の呪いみたいなスキルの大半は、新人戦の時に取得したものなの」
「それはひどい」
なんでそんな狙ったようなエロ展開が。もはやそういう因果の元に生まれたと言わんばかりだが、本人としてはそれで納得できるはずもない。
「学校での成績も良かったし、すでに姉さんは大活躍してて、その妹で事でも注目されててね。しかも、トリの最終戦」
「お、俺と同じですね」
「大激戦を制して勝ったと思ったら、会場が静まり返ってるの。いい試合だったから、勘違いした私はふんぞり返ってね……まさか、試合中に相手の手が鈍った原因がそれだったなんて思わないでしょ!」
「そ、それとは?」
「全裸よ、全裸っ!? パニックとかそんなレベルじゃないし、自分がどうしたのかも覚えてないくらい。……というか、それならいっそ全部忘れたかった」
方向性こそ綱の予想通りではあったが、露出度合いは想像以上だった。サージェスですら、新人戦ではパンツを残したというのに。
「おかげで、チームメンバーにも見捨てられるし、それならソロ主体に切り替えるしかないでしょ?」
「辞めるって選択肢は……」
「正直、今に至るまでずっと脳裏にあるけど、悔しいじゃない?」
「…………」
それで、そこまで行くのかと、綱は目の前の女性の見方が少し変わる思いを抱いた。
ソロのトップにはバッカスという文字通りの巨人がいるが、結構離されているとはいえそれに次ぐポジションにいるのはサローリアだ。完全にソロでない事もあって、評価方法によっては順位が前後する場合もあるが、それでもトップクラスには違いない。
そこに至る動機が主に悔しいからというのは、逆の意味で驚愕だろう。
(やっぱり、姉妹全員すげえ才能してるな)
現在の実力に差こそあれど、果たして素の才能は誰が秀でているのか。知れば知るほど考えの変わりそうな問題だ。
実のところ、一般的な評価は知名度も影響してかアーシェリアの独壇場だが、有識者の評価ではこれが覆っているところもある。今後はそれが頻繁に見られるかもしれない。
「ニーナさんと組む事もある以上、ソロに拘ってるわけじゃないんですよね? 同じような特性持ちが出てきたら、サローリアさんと組めるかも」
「いないでしょそんなの。でも、もしいたら応援しちゃうかも……頑張れーって。パーティ組むのは……どうだろうね? いろいろハードル高いし」
それは、普通なら辞めると思っているという事だろう。そもそも、普通の冒険者ならサローリアのいる場所に辿り着く事すら困難だ。
「というか、クラスをテストする打ち合わせでしょ! なんで私の自爆ネタ発表会みたいな事になってるのっ!?」
「それこそサローリアさんの自爆じゃないかと」
「気付いたなら止めてよ!?」
「興味はあったんで」
そう、賢者モードは依然継続中でも、別に嗜好が変わったわけじゃないのだ。興味自体は普通に残っている。
それこそ、全裸を晒した姿を大事に脳内保管しているくらいには。
-故郷にて-
村娘ティリアティエルの故郷だったはずの場所をあとにした一行は、一旦迷宮都市が用意した転送ポイントへと移動し、別の場所へほと転移した。
リガリティア帝国のある大陸東部、その最北端からほぼ最南端へ、いくら野営の訓練や見聞を広めるのが目的でも、普通に移動するなら数ヶ月かかる道のりをわざわざ徒歩で移動はできない。各領境を越える際に手続きが必要だったり、その分の申請を迷宮都市に提出する必要があるため、そちらの選択肢はないのだが。
道中の野営時にティリアから聞かされた、この距離を徒歩や馬車で年中移動している行商人の話に摩耶は感銘するしかない。体力だけでどうにかなる問題でもないので、自分がやれと言われたら普通にめげそうだ。確実に特殊な才能がいるだろう。……実際に確認してみると、そういうスキルが生えている事が多いのだとか。
これまで地図でしか見た事のなかった帝国領土の広さに、なんでわざわざこんな膨張する必要があるのか不思議に思って仕方ない。迷宮都市に戻ったら色々と調べてみようと思うくらいには摩耶の価値観を揺さぶる事実であった。ちなみに、コレでも地球のモンゴル帝国よりは遥かに小さかったという事実に驚愕する事になる。
その大陸南部に設置された簡易転移陣に三人の姿があった。
「こちらはずいぶん暑いですね」
一応事前に言われて薄着にはしたのだが、転移陣が森の中なので限界はあった。あまり肌を露出すると危ないのだ。
それでも、あまりに軽装過ぎて冒険者には見えないどころか、旅人としてもかなり不自然な姿を不安視していたのだが、これはこれで正解だろう。
ただ、旅をするにも定住するにも、寒いよりはよっぽどマシらしい。だからこそ、あの北部の開拓村の人々は逞しいのだ。……ほとんど交流する事はなかったが。
「全然緯度が違いますからね。実は大陸の中でもかなり過ごし易い気候なんだとか。代わりに台風が来ますけど」
「強風に晒されると、モノが飛んできたりするからの」
ガルドの所感は本人にしか意味のないモノだが、こういった風土の違いは摩耶にとって趣深いモノだった。そして、事前に体験できればダンジョン攻略の参考になるかもと考えるあたり、彼女の真面目さを表している。
「船で南のほうに行くともっと暑いらしいですよ。地図上で見ると赤道は結構遠いんですけどね」
「ある程度近いだけでも結構差があるものなんですね。確かガウルさんの故郷も似たような緯度だったとか言ってましたが、こんな感じなんでしょうか?」
「魔の大森林は広いからの。端と端じゃそれこそまったく別の気候だろうな」
「海岸沿いっていう差もありそうですねー。海挟んで向かいなんですが、あっちは海岸沿いに何もありませんし」
この一行に魔の大森林を訪れた者がいないので想像はできないが、彼の地はそれこそ地域によって大きく環境の変わる魔境だ。そして、ほとんどの集落が内陸部である。
伊達に魔の大森林なんて呼ばれているわけではなく、普通の人間ならまず定住はしない過酷な環境が多い。原住民である獣人ほか、モンスターも多数生息しているので、そもそも住もうとすら考えず、相当に気合の入った行商人くらいしか行き来はないのだ。どこかの渡辺綱の故郷はこの境界近くの山脈にあった。
そうして訪れたティリアの故郷は極めてのどかな漁村だった。今を以て拡張戦略中の帝国だが、この辺りは戦地から遠い事も関係しているだろう。
この辺はマシュレット士爵家という非世襲の准貴族が治める土地らしいのだが、世代交代ごとに実績確保ため、定期的にモンスターや害獣の駆除を行なっているという事情がある。それでも代によって差はあるらしいが、当代は優秀だという話だ。それでも世襲になれないあたり、貴族社会の面倒臭さを表している。
実際には税金の問題で准貴族でいたほうが実入りがいいという事情もあるのだが、ティリアたちがそんな事を知るはずもなかった。
「のんびり暮らすにはいいところだけど、若者は刺激を求めて都会へ出ていくのよねー。ウチの娘も似たようなものだし」
ティリアの母、ティレアティルトはそう言うが、摩耶としてはそんなあるあるで済ませていいものか疑問に持つ。
そもそもそういう若者は大半が男性で、女性は安易に村から出たりしないだろう。それに、ティリアの求める刺激とやらが一般的なそれとかけ離れている事は良く知っている。
「まあ、血は争えないって事なのかもね。この子の父親も冒険者だったわけだし」
「え、初耳なんですけど!?」
「だって、言ってないもの」
流れで、本人も知らないらしい暴露話が始まりそうだった。
「この村に冒険者ギルドはないようですけど」
「この辺だと、領主様のところにあるだけね。でも、この子の父親はそこ所属でもなくて、いわゆる流れの冒険者だったみたい」
「みたい……って、ひょっとして素性を知らないんですか?」
「名前も知らないわ」
マジかよと、摩耶は絶句せざるを得なかった。一方でティリアはなんとなく想像はつくが、自分の出生に関わる話だけに口を挟み難い、なんとも言えない状態に陥っている。
詳しく聞いてみれば……というか、勝手に話すのを黙って聞いていれば、その男は二十年ちょっと前に水棲モンスターの氾濫があった際に派遣されて来た冒険者の一人らしい。
その話を聞いた摩耶は、ああ、辺境の村で良くあるという外部の血が云々の話かと当たりをつける。
「……まさか、その冒険者がガルス翁とかそういうオチじゃないですよね?」
「翁? そういう呼ばれ方をするような年じゃなかったけど」
どうやら、さすがにそこまで世界は狭くなかったらしい。
「今頃どうしてるのかしらね、あの子。生きてたら三十半ばくらいかしら」
「え? ティリアさん二十歳超えてますけど」
「だって、その当時は十二か三かそこらって言ってたしね」
マジかよと、摩耶は再度絶句せざるを得なかった。ティリアは衝撃の事実に放心気味だ。
しかし、いくらなんでもそれは無茶苦茶じゃないだろうか。というか、ティレアの年齢的にもおかしいだろう。
そういった事は報酬の側面もあるだろうが、普通はもっと上の世代の男性に対してするもので……女性側は未亡人か行き遅……適齢期を過ぎた人が担当するもののはずだ。少なくとも摩耶の常識ではそういう事になっていた。
「あの時は興奮したわねー。夜這いする男性の心境が理解できたというか……」
ショタレイプじゃないですか、と思わず叫びそうになったところをこらえる摩耶。
絶対どっちもそういう風習の対象になってない。この人はその隙を掻い潜って凶行を強行したのだっ!
まあ、聞く限りでは相手も満更じゃなかったようだが、片側の言だけでは事実は分からない。普通に強姦で泣き寝入りって事もあり得る。
「あ、あの、ティリアさん、大丈夫ですか?」
「……あんまり大丈夫じゃないかもしれません」
血は争えないという事なのか。この母にしてこの娘あり。まさか、別方向で性的にはっちゃけた人だったとは。
ちなみに、外で庭石になっているガルドはこの件について知っていたらしいが、別に伝える気もなかったとの事。
その夜、迷宮都市外という事で期待値が極限まで低下していた夕食が意外に美味しい事に驚き、いろんな意味で価値観を破壊されかかる摩耶。
この後、母子二人で例の件について打ち明ける事になっている。
「あの……何故出会ったばかりの私もいるのに、何故あんな事を?」
その直前、疑問に思った事を尋ねてみた。
半日ほど一緒に過ごしてみて、ティレアティルトの人柄はそう悪いモノではない事が分かっている。むしろ聡明とすら言える頭のいい女性で、だからこそ出会い頭に告げられた衝撃の事実に違和感があったのだ。
「あの子、何か言い難そうな事を言うつもりだったみたいだしね。強烈な話をすれば、その分話し易いでしょ?」
「…………」
摩耶はティレアティルトへの評価を変更せずにいられない。
友人が見聞を広げるための旅先として故郷を推薦したという表向きの理由は伝えていても、あまりに突然の帰郷は何かあると言っているようなものだ。
しかし、もしこれが自分の立場だったら気付けたろうか。ヒントのようなものがあったとしても、それをフォローするような行動をとれるだろうか。
「だからね。同性同士のお付き合いとはいえ、私はそれを咎めるつもりはないから」
「おい待て」
「いや、確かに禁忌ではあるけど、迷宮都市ってところがそういう奔放で寛容な街っていうのも聞いてるし、オークあれこれよりはよっぽど……」
「話を聞いて下さい」
妙な誤解があった。この人は今日だけで一体どれほど評価を乱高下させればいいのか。
とにかく、ティリアとは方向性が違えど、強烈な性格の持ち主である事は分かった。
「結局、どう説明してるんですかね」
「気になるなら、あとで本人に聞けばいいじゃろ」
「それでも、二人の間にある空気のようなものは分かりませんし」
二人の話し合いについて、庭先で佇むガルドと語らう。
この旅はただのけじめのようなモノで、表向きの理由も含めて重要性が高いとはいえない。ティリアにとって、この区切りがどんな意味をもたらすのかは分からない。案外意味などないという事だってあり得るが、摩耶としては実際に旅をしてティレアティルトに会った事で、必要な通過儀礼のようなモノだと強く実感する事ができた。
まあ、出生の秘密も含め、ティリアの心に新たな爪痕が残った事は否定しようもないが、それによって巨大な爪痕の痛みがわずかでも和らぐのならいい。
両親という存在にあまりいい印象がない摩耶でも、親の強さのようなモノを実感させられた。そんな不思議な旅だった。
あと二回続きます。(*´∀`*)







