第7話「煉獄」
今回の投稿は某所で開催したその無限の先へリスタートプロジェクトの「二ツ樹五輪 次回Web投稿作品選定コース(限定5名)」に支援頂いた星野よもぎさんへのリターンとなります。(*´∀`*)
前回時点で内容決まってませんでしたが、上記リターン支援者へ極秘裏にアンケートを投げた結果、中級昇格試験の中身になりました。
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「《 マテリアライズ 》」
試験開始前に受け取った装備をカードから物質化させると、今着ているデーモンちゃんの全身甲冑とはまったく趣の異なる華美な鎧が現出した。それはこの街に来る際に着ていた……かつて、王都の実家で特注で作らせたモノに近い。
一緒に渡されたメモによれば、アレをモデルにデザインされたものらしい。とはいえ、似てはいてもその性能はもはや比較する意味さえ感じられないほどにかけ離れている。正確なところは実際に戦ってみる必要はあるだろうが、身につける際の装着感だけでも相当な良品である事が分かる。
「以前のアレ、一人で着るのは大変でしたしね」
王都でも結構な腕利きの特注品ではあるものの、迷宮都市の……それもおそらく最新技術を取り込んだであろう試作品では相手が悪いだろう。鎧としての性能もそうだが、こういった使用感について気配りされるのが当たり前という街なのだ、ここは。デーモンちゃんの甲冑も、本来は見かけだけのジョークグッズの類だと聞かされた時は、それこそなんの冗談だと思ったほどだ。
着替えた後、軽く動作確認だけして甲冑と鬼面斧をアイテム・ボックスへとしまい、代わりに家から持ち出した黒斧ローゼスタを取り出す。元の装備でも試験を突破する自信はあったけれど、この二つの新戦力はかなりのアドバンテージになるはずだ。……まあ、利便性、メンテナンス性を別にすればどちらも特性のほとんどは頑丈さに割り振られてる無骨な代物なわけですが、それはわたくしにとって最も重要な特性だ。
「さて、準備できましたわ」
今回のために用意してもらった個別テントを出て、待機していたパーティメンバーに声をかける。これまでほとんど発声していなかったので、かなり新鮮だ。
「デーモンちゃん、本当に女だったんスね」
「そこからですか、肉壁さん」
「フレンドリーファイア上等なデーモンちゃんに肉壁とか言われると、洒落にならないんスけど」
「それもそうですわね、肉壁さん。……つい出てしまいますわね」
「ワザとじゃねーっぽいのがまた、サイアクっスね」
暴走状態の事とはいえ、これまでも散々的にしてしまっているのだから肉壁はまずいでしょうし、早めに矯正したいところですけど、ゴブサーティワンという名前は呼びづらい。
……心の中くらいはゴブサーティワンさんと呼んでおきましょう。
「それより、自己紹介してくれねえか? 大将から深く突っ込むなって言われてるから調査入れてねえんだ。サティナとロッテ嬢が出てきてからでもいいが」
「レーネ・ローゼスタですわ。抹消されていなければ、オーレンディア王国の貴族籍に名を連ねています」
定期的にやり取りしている手紙では籍から抹消したと書かれてはいなかったので、そのままなはず。ここで実は抹消されてましたとかだったら恥ずかしいですが、多分、きっと。
「……なるほど、迷宮都市との交渉役やってる男爵家か。その縁でこの街に来たってところか」
「経緯は違いますが、良く調べてらっしゃいますわね、サンゴロさん」
「そりゃま、そういう情報は昔から現在にいたるまで色々とな。つーか、経緯は違うのかよ」
これまでパーティを組んでいてサンゴロさんの強迫観念じみた情報収集癖は知っている。元々傭兵団にいた事を考慮するなら、契約の可能性があるオーレンディア王国について調べていてもおかしくはないでしょうね。ウチのような木っ端男爵家を知ったのは、さすがに迷宮都市に来てからでしょうが。
「……いや、ちょっと待て。今、レーネって言ったか?」
「言いましたわね。レーネ・ローゼスタがわたくしの名前です。ミドルネームはありませんわ」
オーレンディアの世襲貴族はミドルネームを付ける慣習がありますが、ウチは少し前まで準男爵家だったので家長以外にその義務はない。義務がないだけで付けるのが普通ですが、あのオークどもと一緒にされる気がして恥ずかしかったのだ。
結構古臭い慣習らしいので、王都在住以外では名乗ってない貴族はそれなりにいると聞く。
「この際、それはどうでもいいんだが。ローゼスタ家が最近陞爵したってだけの話だろ」
やはりサンゴロさんはこの程度の調査はしていると。レーネという名前で気付いたようですし。
「レーネって、ウチのサブマスを追いかけて来た元婚約者だとかなんとか聞いてるんだが……出禁にされたとかなんとか」
「ええ、そのレーネですわ。一応、元ではありませんけれど」
はっきりと認めたら、サンゴロさんが頭を抱えた。
「え、でもデーモンちゃんは女っスよね? 兎の姉ちゃんの婚約者が女……あれ? まあ、迷宮都市なら良くある事っスね」
「お前、本当にそういうところに興味ねえのな」
子供だからというのはあまり関係ないでしょうが、ゴブサーティワンさんにはわたくしの見かけなど関係ないのでしょうね。わたくしもゴブリンの見た目で区別は付きませんし。
「迷宮都市には良くある事なのですか? 子供のあなたでも認識してるほどに」
「割と? なんか審査があったりするらしいっスけど、同性婚や重婚上等とか聞いたような」
「推奨はしてねえはずだぞ」
まあ、推奨するような話ではないでしょうね。わたくしがマイノリティである事は自覚してますし。
「どうやら、試験始める前に色々と情報共有しておいたほうがいいだろうな。二回説明するのは面倒だから、改めてロッテ嬢とサティナの準備が終わってから……」
「着替えてる間、サティナに聞いたわよ。あの子は詳細知ってたみたい。はじめまして、レーネ」
「あら、リーゼロッテさん。随分と仰々しい出で立ちで」
「出し惜しみするような場面じゃないしね」
振り返れば、もう一つのテントで身支度を終えたリーゼロッテさんがいた。普段のアタックと違って細部の異なる装備は、いわゆる本気装備という事なのだろう。
その手の知識に疎い私でも、それが普通の下級冒険者が用意できるモノでない事は分かる。……入手経緯を考慮するなら中級冒険者でも中々集められないはずだ。
「一応口止めされていたので」
その後ろから出てきたのサティナさん。こちらは特にいつもと違いはない。普通、駆け出しといってもいい下級冒険者が普段装備と本気装備を使い分ける事はないので、どちらかといえばこちらが普通だ。
しかし、相変わらず表情の読めない子。特定の話題の時だけ人が変わったように人間味は増すものの、それ以外では表情に乏しすぎる。
彼女が詳細を知った経緯などは分かりませんが、迷宮都市領主の推薦を受けてここにいるという背景があるのだからおかしくはない。
「じゃあ、そこら辺の情報共有と合わせて作戦会議始めるぞ。……どうやら時間はあるらしいしな」
唐突に許可が出た事と装備変更でこのような形になりましたが、本題はあくまでもわたくしたちの昇格試験。……サンゴロさんの表情で、予想以上に厳しそうというのは見て取れた。
円状に並べた自前の簡易椅子に全員が着席した時点でサンゴロさんの説明と解説が始まった。いつも通り、わたくしたち女性陣が初期準備を整えている間、このダンジョンの起点となる扉に貼られていたルールをまとめていたのだろう。
< 特別中級昇格試験・煉獄の螺旋迷宮 挑戦ルール >
■任意設定条件
①パーティメンバー(最大八名):五名
②攻略達成単位(パーティ/個人):パーティ
■ルール
・攻略ダンジョン:煉獄の螺旋迷宮(イベント設定)
・攻略制限時間:なし
・達成条件:パーティメンバー全員揃った状態で本ダンジョンのゴール地点へ到達
・死亡時のペナルティ:レベルダウンなし/アイテムロストなし
■追加開示情報
・ダンジョンボス:なし
・中継ポイント:なし
・モンスター入室禁止エリア:なし
・死亡時の復活ポイント:初期準備地点(本エリア)
準備以前に確認していたが、その内容は無限回廊や固有ダンジョンのものとは大きく異なる。ダンジョンが特殊な事もあるだろうけど、それ以上に特別なイベントである事が大きいのでしょう。
「要約すれば、前情報通り中継地点なしのダンジョンを駆け抜けてパーティ全員揃ってゴールしろって話だな。全員揃ってっていうのは俺たちが決めた条件だからいいとして……。問題は予想してた中継ポイントなしって設定とモンスター入室禁止エリアなしって部分だ。安全な休憩場所がない事が明言されてる。ラディーネに色々準備してもらったが、長丁場になればなるほどハードだ」
「睡眠をとるなら、通常の野営のように交代制の見張りが必要になりますわね」
「オイラの出番っスね」
「いくらあんたの連続活動時間が長くても、それで足りるとは思えないけどね。サティナの負担が大きくなるけど、感知用に召喚獣を放って寝てもらう事になりそう」
「事前に何度か練習した限りでは大丈夫かと。よほど疲れてなければなんとかなります」
度重なる人体実験の結果、そういう体質になったゴブサーティワンさんと、おそらく後天的に並列思考能力を獲得したサティナさん。どちらも普通の感覚とは言い難いだろう。
「全滅時のリカバリーが厳しいのに加えて、一人死んだ場合のリカバリーも別の意味で厄介だな。下手したら、パーティ単位で行動できる分全滅したほうがマシって可能性すらある。ここならモンスターの心配をせずに休めるわけだからな。用意してもらった携帯特化のテントじゃなく、ちゃんとした大型休憩施設も出せる」
「あんまり全滅の想定はしたくないけど、そうなるわよね。その場合はちゃんとリフレッシュして切り替えていきましょ」
探索中はまずシャワーも浴びれないでしょうし、食事も簡易なモノが最小限になる。トイレだっていつもより強力な薬剤を利用して排泄を最小限に留めてはいるけど、数日単位となると限界はくるでしょう。
試験に備えて事前にそういう訓練はしてきたけれど、定期的に休息地点が用意されている普段のダンジョン・アタックとはまた違った精神的負荷を受ける。それらが解消できるなら、確かにリフレッシュにはなりそうだ。
「ウチで一人で放り出されてもなんとか合流できそうなのは……レーネとサンゴロくらい? 状況にもよるけど、私はまず無理よ」
「絶対ムリとはいえねえが、俺の隠形は微妙だから相当厳しいだろうな」
「障害がモンスターだけならなんとか」
モンスターなら強かろうが多かろうが多少ならどうとでもなりますが、罠やダンジョンギミックはわたくし一人で対応できないでしょう。精神状態的に頭を使える状況でもないでしょうし。つまり、単独で死亡した場合、あるいは分断されてしまった場合は、それが誰でもかなり厳しい。
「じゃ、とりあえず最初の情報収集から始めよう。サティナ、遠隔探査を頼めるか」
「はい。気配は感じませんが、扉を開けた途端の強襲を警戒して下さい」
実質的なダンジョンのスタート地点となる巨大な扉をわずかに開き様子を伺うが、特に外側からのアクションはない。
――Action Magic《 サモン:探水魚 》――
スキル発動に合わせ、サティナさんの周りに小さな魔法陣が三つほど出現した。そこから姿を現したのは宙に浮かぶ半透明な魚が九匹。ダンジョン探索を行い、術者に構造情報をフィードバックするための召喚獣らしい。
わたくしは魔法の素養はほとんどないため実感は湧かないけれど、本来下級ランクの召喚士だとこの三分の一程度が限度で、召喚した魚の制御も半自律した無駄の多いものになる事が普通なのだとか。
そもそも下級ランクには魔術士自体が少なく、召喚士はその中でも更に希少種だから比較していいものかどうかは難しいところですけど。
その魚が半開きの扉からフワフワと外へと出発していった後、扉は再度閉じられた。ここからしばらくは探索の時間だ。
「半径五メートル程度の円状フロア、その中心に魔法陣……沈黙してますが、おそらく転送用。……とりあえず、この階にモンスターはいません。魔法陣とは別にフロア外周を沿うようにして階段が上に……移動します」
探水魚と感覚を共有したサティナさんの口から、先のフロアの情報が告げられる。正直なところ、この探索方法の効率はそこまで良くはない。よほど慎重になる必要があるか時間に余裕のある時でなければ普通に探索するほうが早いだろう。
ただ、術者のMPと労力だけで未知のエリアを安全に探索できるのだから、その活用機会は山ほどある。リソースが下手な中級魔術士以上なサティナさんが使うなら尚更だ。
「二階到達。同様に円状に広がったフロア。中央に魔法陣。接敵。二体消滅。……一体をモンスター観察に残し、他は構造探索を継続します」
「何か気になる事があったのか?」
「まだ判断できる状況ではありませんけど、モンスターが奇妙です。なんというか、キメラさんのような……それ以上にチグハグなツギハギというか」
なんでしょうか? 私の戦歴の中に該当しそうなモンスターが見当たらない。そもそもキメラさんが特殊だというのは別として。
「……ツギハギって、アレじゃねーか。大将たちがラーディンで戦う事になった時の」
「ラーディンといいますと、王国の北にある?」
「半年くらい前、俺たちがここに来るきっかけになった戦争の裏側であった戦いだ」
ああ、軽く話だけは渡辺様から聞いてます。なんでも蟲でトマトなダンジョンマスターと戦ったとか。良く分かりませんが。
「三階到達。緩やかなカーブを描く通路状のフロア。おそらく内側に下の階同様の円形フロアがあるものと思われますが……ありますね。内側に繋がる通路があります」
「バームクーヘンみたいな多重構造って事かしらね」
「バームクーヘンとはなんでしょう?」
リーゼロッテさんが例えたバームクーヘンとやらが分からないので聞いてみたら、どうやらお菓子の事で円が何層にも重なったケーキらしい。何故かアイテム・ボックスに入っていたようなのでみんなで食べる事にした。美味しい。
モンスターとしての活動歴があるからか、リーゼロッテさんのアイテム・ボックスは私たちの中でも群を抜いて容量が大きい。その容量の中に結構な嗜好品が貯蔵されているので、こうして時々ご相伴に預かったりするのだ。
その後、結局サティナさんの探水魚で探索できたのは四階までで、例のツギハギモンスターにやられたらしい。
「つまり、あの外周の階段はそのままどこまでも上に続いてそうで、階ごとの構造は多重の円構造。螺旋の名前通り、上に行くほど大型化していくって事だな」
「魚の目での確認なので階ごとの正確な面積比率は分かりませんが、一階と二階の差が各階にあるとしたら、上は相当に広大になりますね」
というわけで探索開始だ。とりあえずモンスターが出ないという一階へと足を踏み入れてみる。
改めて調査してみると、構造は先ほどのサティナさんの説明にあったほぼそのまま。しかし、追加で気付いた点として、外周の床に数字らしき表記がある。
「I、II、III……XII……時計?」
ちょうど一周で十二の数字の表記だ。そこに数字以外の何があるというわけではないが、時計と同じように等間隔で数字が割り振られている。良く見れば、その間に目盛りのようなものもあった。意味が分からないが、これも例の蟲ダンジョンマスターを連想させるものらしい。
「よし肉壁、あの魔法陣踏んでみなさい。いつもの漢鑑定よ」
「できれば先に術式の解析くらいしてほしいんスけど」
「やってるわよ。偽装じゃなければ描かれた術は転移魔術。発動トリガーはパッと見じゃ分かんない。乗っただけじゃ発動しないんじゃない?」
リーゼロッテさんの命令で肉壁さんが魔法陣を踏んだ。……が特に何も起きない。
ウチのパーティでは、未知のトラップを警戒する際、大抵は肉壁さんが実験台にされる。彼は大抵のトラップなら生き残った上で強引に発動させて潰す事ができるからだ。多くの状態異常を弱体化・無効化し、どれだけダメージを受けても一発なら耐えて……はいませんが、どうにかしてしまうからこそできる芸当。もちろん物理・魔術双方から解析・解除は試みた上で更に確認が必要な場合の話なのですけど、良く引き受けるものです。
結局、この魔法陣が上の階の魔法陣とセットで使う必要があるという事が判明したのは、二階で実際に試してみた後の事だった。
「移動先に誰かいねえと起動しない装置ってわけか。しかも上階に向けた一方通行と。一応、死亡時のリカバリー用なのかね」
「探水魚や他の召喚獣では反応しませんでしたので、冒険者用ですね」
「つまり、全滅時は使えねえって事だ。ないよりははるかにマシだな」
サンゴロさんの言う通り、この転移魔法陣は移動先に誰かがいないと成立しない。全員が初期地点に戻されてしまったら無意味だ。
また、コレを使うにはフロアの中心にいないといけないわけで、上階に行くほど巨大化しそうな構造ではどんどん利用難度が上がっていくのは明白だ。バームクーヘンの中間層にも移動手段らしきものはあるけれど、確実に移動できるのは外周の階段なのだから。懸念はまだあるけれど、単純なリカバリー用の設備とは言い難い。
「サティナって《 サモンシフト 》は使えたっけ?」
「はい。……なるほど、召喚獣だけを先に移動させて私と入れ替えれば起動できる。ロッテさんも使えましたよね?」
「血でブーストしないと無理。私、召喚魔術は専門じゃないし。イベントボスとして使ってた時も大体ダンジョンの補助ありきの場合が多かったから。距離の問題もあるから、アテにはしないで」
本職でないわたくしにはピンときませんが、多分召喚獣と術者の位置を入れ替えるスキルがあるのでしょう。燃費を含めて使い勝手は分かりませんが、このダンジョンなら有用かもしれない。
「わたくしとしては、先ほど倒したモンスターが気になるのですが」
「なんか、デーモンちゃんが普通に話してると違和感がすげーっス」
そこを気にされても、慣れてもらうしかないのですが。
「パッチワークだろ。さっきも話したが、前にネームレスのゴミが作ったっていうダンジョンで大将が戦ったってやつだ。つまり、このダンジョンの構築にはあの腐れ紫トマトが関わっている可能性がある。外周の数字もそうだ。大将たちが攻略した< 静止した時計塔 >の構造も時計の形になってたって聞いてる。……数字それぞれに通路が続いてるわけじゃねえのは気になるが、外側の部屋は等間隔で十二分割されてるんじゃねーかな」
「勇者様を苦しめた害蟲が関わってるとか、実に胸糞悪いですね。私たち向けなのか、部分部分に明らかに連想させる意図が見えます」
いや、間接的な関係者だったらしいお二人的にはそちらも重要なのかもしれませんが、私が気にしてるのはそこでなく。
「パッチワークですが、アレ、個体によって構造がバラバラの血が通ってないモンスターでしたわ。人型とは限らない以上……いえ、人型であっても大半がサンゴロさんの《 生体解剖 》の対象ではないでしょうし、血の回収ができないのでリーゼロッテさんの継戦能力にも関わります」
「……そういえばそうだな」
「結構持ち込んではいるけど、長丁場で回収できないのはキッツいわねー」
対象の血液を奪って無力化する事ができないし、血液をコストにした魔術効果の増幅やいくつかのスキル発動にかなりの制限を受けてしまう。
本来前衛でないサンゴロさんの火力が発揮できないのは割り切ればいい話だが、リーゼロッテさんのほうは厳しい事になる。彼女を中級以上の戦力足らしめている要素が潰されているのだから。
強さにしても、雑魚モンスターとは言い難い。フロアボスほどではないにしても、当たり前のように徘徊してていい強さではないだろう。並の下級冒険者パーティーなら全員で連携して処理していく類……つまり中級以降の大型モンスターの基準だろう。
「間違いなく私たちはひいきされてるわね。いくら挑戦パーティに合わせて用意されているとはいえ、調整が露骨過ぎる。……まあ、発端になったお兄ちゃんの身内枠だからあえて厳しくしたって事なんでしょうけど」
「それくらいしねえとイチャモンつけてくる奴がいるって事だな。ハードな展開になりそうだ」
とはいえ、誰も弱音を吐く者はいない。おそらくは誰も達成できないと思ってもいない。
正直に言ってしまえば、わたくしたちのパーティとしての完成度は別段高いものではないし、メンバー間の連携や相互補完が得意というわけでもない。それらは最低限だ。
だけど、個々のポテンシャルは間違いなく秀でているという確信はある。そして、そのポテンシャルを認識し信頼している。それを発揮させ、活かすだけの連携はできる。わたくしたちの自信はそこからくるものなのだ。
わたくしたちはほぼ全員がソロでの活動時に巨大なリスクを抱えているし、人によっては致命的なまでに弱体化する。しかし、誰か一人でもいればある程度はカバーできる。そういう構成になっているのだ。一応、わたくしやリーゼロッテさんなら単独でも行動できますが、それは色々なモノを投げ捨てた上での話でしかない。
自分にできない事はできないと割り切り、他の誰かに投げ捨てる。そういうパーティカラーは、多分リーダー役であるサンゴロさんの特徴なのでしょう。これがOTIの中核メンバーなら可能な限り自分で対応してしまうし、できてしまう。
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本格的にダンジョン攻略が始まった。比較的モンスターが弱く、少ない今は主にダンジョンやギミックの構造や特性を調査するのが主な目的となる。
パッチワークの一体一体は確かに手強いが、それでもわたくしたち基準ではそこまででもない。専用に調整された試験で、コレだけで済むと考えるのは大きな間違いだろう。
「フンスっ!」
異形のパッチワークに斧を叩きつけ、そのまま壁ですり潰して粉砕する。断撃も当然使うが、わたくしの両手斧の使用用途は半分くらいは鈍器なのだ。黒斧ローゼスタの耐久性を活かすならそのほうが都合がいい。
一方で片手用という違いはあるが、同じ斧を得物とするゴブサーティワンさんはかなりテクニカルだ。斧技共通の基本技である《 ストライク・アックス 》や《 アックス・ブレイク 》の切断強化効果を活かしているのは間違いなく彼のほうだろう。
……なんというか、弱点というほどでなくても嫌な箇所を捉えるのが絶妙に上手いというか、いやらしいというか、自分がされたらどれくらい嫌なのかが良く分かっている動きだ。本人はサンドバッグの見識眼と言っていた。なるほど、適性の有無や器用不器用以前に真似できそうにない。
五階までで遭遇したモンスターはすべてパッチワーク。他のモンスターが出てくる可能性を考慮しないわけにはいかないが、おそらくこの先も同じだろう。個別ダンジョンでなら、こういった単種のみの構成も見た事はある。
しかし、一種類のモンスター対策だけしていればいいわけではないのがパッチワークの面倒臭いところだ。どれもこれも多種多様なモンスターのツギハギで、同じ個体などいない。多様性はむしろ他のダンジョンより上だ。個人的には虫の部位を持つ個体が厄介に感じる。動作や攻撃のモーションが読み難い。
「切断した箇所は個別に破壊しろっ!! こいつら、自分の体に接合してやがるっ!」
サンゴロさんの声が響く。良く見れば、パッチワークたちは自分のモノか他者のモノかに関わらず、地面に落ちたパーツを自分にくっつけている。どう見てもそんなところに付けるモノではないという箇所にデタラメに付けただけで、しばらくすれば動き出すという奇妙な特性。内部にある核を壊せばパッチワーク本体は消滅するものの、そうやって他者に接合された部位はそのまま残るらしい。
対策としては指示されたように落ちた部位を一つ一つ丁寧に破壊するか、リーゼロッテさんのように丁寧に燃やすか、サティナさんが水で流すように回収させないか……最初から丸ごと粉砕するかだ!
「ぅおおおおおおっ!!」
過剰なまでの力を叩き込んで撃破。相手に合わせて加減したり、切断された部位の処理など、わたくしに器用な事はできない。それが必要なら他のメンバーがやるはずだ。
「三時方向のパッチワークからなんかの毒ガス! 肉壁っ!! 吸い込むのよ!」
「ッス!」
――Action Skill《 深々々呼吸 》――
視界の片隅にスキル発動のメッセージが見えた。状況は分からないが、聞こえてきた声から想像するに吐き出されたガスをゴブサーティワンさんがまとめて吸引しているのだろう。
すべてを初見の敵と見て対処をするのはこのパーティの得意とするところだ。それは特にいわゆる初見殺しに絶大な耐性を持つゴブサーティワンさんの存在が大きい。未知の敵、未知の行動にはとりあえず彼を壁にしておけば切り抜けられる。
本当にそんな扱いでいいのかと疑問を持つ事は多いけれども、本人が納得しているのだからいいだろう。というか、一番迷惑かけているのはわたくしですし。
一撃ごと、敵を叩き潰すごとに狂気に落ちていく。その狂気によってわたくしは研ぎ澄まされていく。
攻撃を加えるごとに自身が< 狂気 >の状態異常を受けるスキル、《 戦狂 》は狂戦士の代名詞のようなスキルだ。攻撃する度に狂気を得て攻撃力を増していく姿は正に狂戦士だろう。
このパーティにおいて、わたくしの役割ははただただ目の前の敵を叩き潰す事。この精神状態では他の事はできないし、メンバーはそれを前提とした立ち回りで動いている。
だから、いくら敵が湧いてこようがただひたすら……って、やっぱり多くないですかねっ!? このままだと、本気で< 狂気 >の状態異常レベルが上がって自分が制御できなくなるんですが。
いくら叩き潰してもモンスターの増援は止まない。これはおそらくこのダンジョンの特徴で、近くにいるモンスターすべてがこちらに向かっているのだ。同じところで戦い続けるなら延々と磨り潰される。
どこかで撤退、移動を強いられる。そうしないと休憩すらままならない。暴走するわたくしを連れて移動するのは手間でしょうが、そこは諦めてもらうしかない。
結局わたくしが制御を失うギリギリのタイミングで強引に撤退。激しく疲弊したわたくしたちの前には外周階段の踊り場があった。しかし、その踊り場はこれまでのモノとは違う。
「……なるほど、ここからが本番って事だな」
一〇階。サンゴロさんが外周の階段から"更に外側"を眺めつつそう言った。これまで壁だった最外周部から外が見えている。更に斜め上を見渡せば、上の階の階段も見てとれた。
「ロッテさんが鮮血の城で用意したという尖塔の間がこんな感じでしたっけ?」
「アレは登る事自体が試練だったから、こんな手摺とか柵はついてなかったけどね。でも、空中に浮いてるっぽいし、似てはいるかも」
一応落ちないようにする設備は設置されているが、簡単に乗り越えられる類のものだ。ここで戦闘になれば落下の危険性は高い。わたくしのようなタイプは特にだ。
上にいくほど巨大になっていく構造上、一度落下すれば復帰は困難だろう。となると、バームクーヘンの内部に入るほうが安全な気はするが……。
「一旦休憩だ。交代でモンスター警戒。途中のギミックで撒いたはずだが、追撃はあるだろうしな。サティナは遠隔探査を頼む」
「下の階も範囲に含みますよね? それなら魚ではなく水を蒔きましょう」
「ああ、それと……この外側もだな。角度的によじ登るのは厳しいだろうが、飛んでいけるならショートカットはできるかもしれねえ。……まあ対策されてるんだろうが、一応な」
そう、飛べれば上へ入れる構造なら、飛行可能な者が上の階に行って中央の転送装置を動かすという手がとれる。わたくしたちの場合は手段が少ないまでも、リーゼロッテさんの黒翼翔で移動するか、召喚獣を飛ばしてサモンシフトするという手が使えなくもない。こういう構造で一般的な対策として見えない壁というものがあるが、このダンジョンはそうではないらしい。
時々襲ってくるパッチワークを蹴散らしながら個別テントで休憩しつつ、探索結果を待っていたらすぐにその回答は出た。……回答としては外周の外側を飛行しての移動は可能。ただし……
「乱気流が発生してます。これは上へいくほど強烈になるようで、規則性も見つかりません。……翼を持つパッチワークの姿はありますが、最初からここに配置されていた個体なのかは不明です。上手く移動できてません」
「ここら辺の数階程度ならなんとかショートカットできるって事か」
「私の手持ち召喚獣ではそれくらいが限界ですね。ロッテさんならもう少し階数を稼げそうですけど……」
「血のブーストが必要になる。その上単独行動になるから、中央部まで行けるかどうか未知数。……大人しく登ったほうが無難じゃない?」
「全体の階数も分からない内じゃ手は出せねえな」
絶対量が決まっていて補給が困難なモノを安易に消費できない。まだ序盤と思われるここで犯すような危険ではない。
つまり、この構造の変化は落下の危険性が増えただけという事になる。また、今後気流が移動や戦闘の邪魔となる可能性も出てきた。面倒な。
「となると、必然的に内部を移動する必要性が出てくるわけだが……」
「……ここまで複雑だと、それも厳しいですね」
バームクーヘンの層一つ一つは中心部と外周部を除き、立体的な迷宮になっている。階段や梯子など、移動手段が設置されている事も多いが、それが先に繋がっている保証はない。いくら複雑でも手当たり次第探索すれば突破できるという保証があればいいのだが、残念ながらそんな保証はないのだ。
ある程度時間が経過してから判明したのだが、このバームクーヘン、回転しているのである。外周に刻まれた数字は正に時計で、時を刻んでいるというわけだ。
しかも、層ごとの回転速度は一致せずバラバラだ。層によっては逆回転しているモノさえある。個々に見れば一定の速度で回転していても、隣接層と一致せずにズレていく。通路が繋がっているように見えて、その先が壁というパターンが普通にありえるのだ。もちろん階の上下でも差異は生まれるから階段の先が塞がっている事も多い。
「えいっ!」
憂さ晴らしというわけではありませんが、壁の隙間に挟まって動けずにもがいていたパッチワークを叩き潰した。
「強制的に一時休憩だ。前後左右上下全部の通路が埋まってやがる」
わたくしたちが入った入り口がギリギリのタイミングだったためか、閉じ込められてしまったらしい。
時間差で構造が変化する仕様上、このように場合によっては閉じ込められる事さえある。完全な密室になれば休憩を取りやすいメリットがあるものの、通路が繋がるタイミングを確認する必要はあるし、そこからモンスターが入ってくる事もあるから警戒は解けない。最大の問題は、サティナさんが遠隔で探索しても、その情報はすぐに使えなくなる。個々の部屋構造はそのままだからすべて無駄というわけでないのがまた厄介だ。
「投影魔術を使える地図師か、ラディーネが欲しいところよね。普通のマッパーじゃ荷が重いでしょ、これ。サティナの頭の中で構造を把握しても出力方法がないし」
「個々の構造はある程度探索しましたが、今現在探索済の部屋がどこにあるのかすら分かりません」
ここまで複雑だと、立体的に認識するだけでも一種の才能が必要になりそうだけれど、更にそれがバラバラに動いているというのだから手に負えない。
外周を登ってきた五階までは警戒していてもせいぜい一時間程度しかかからなかったが、内部の探索に切り替えてから一気に探索時間が倍増した。十階までは二、三時間かかってしまったのはいいとしても、そこから十二時間経過しても十五階が見えてこない。
いや、正直この程度なら問題はないのだが、先を考慮するならこの程度で済むはずがないのだ。実際、今の階程度なら外周の階段だってまだ使える。内部を探索しているのは単に探索の経験を積んでこの先の展開に備えているだけなのだから。
「デーモンちゃんならこの壁壊せないっスか?」
「無理に決まってるでしょ。この手の構造物はよほどの事がない限り破壊できない強度にされてるし」
「試すくらいならいいですが……せいっ!」
ここまで戦ってきた中で大体答えは出ているのですが、少し力をいれて斧を振り下ろしてみる。……やはり、少し傷が付く程度だ。絶対破壊不可能かと言われれば違うけれど、現実的とは言い難い。
話に聞くガルドさんなら壁の一枚くらいは破壊できるかもしれないが、こういった構造物はダンジョンの難度に合わせて強度も上がっていくものらしいし……やはり壁抜けなどそう簡単にできるものではないという事だ。
「偽装された破壊可能オブジェクトって事もありえるんだよな。俺じゃ探索しながらだと看破するのは厳しいんだが」
「大抵は宝箱とかが置かれた隠し部屋に使われるものだから、今回は無視していいんじゃない?」
「摩耶パイセンは当たり前のように見抜くんだよな……」
わたくしから見ればサンゴロさんの探索能力だって相当だと思うのですが、上には上がいるという事なのでしょう。
休憩がてら、そういう壁がないか確認してみるが、見つからない。これが存在しないのか看破できていないのか分からないのが難しいところだ。
「しかし……こりゃ、事前訓練した連続二週間以上の探索程度は余裕で超えてくるな。長え」
訓練もそうだが、想定に合わせた準備がなければ確実に詰んでいた。下級ランクではこんな長期間の探索を強いられる事などないし、機会自体がまず存在しない。
事前に備えていた私たちにしても、未知の体験になるのは確実だろう。そして、ミスをすればその時間が水泡に帰すわけだ。
こうなると一応用意だけしましたとばかりに設置されていた中央の転送装置が本当に救済処置に見えてくるが、アレが機能する気はしない。
十階を超え、ある程度傾向が見えてきたからこそ分かるのだが、どうもこのバームクーヘン、基本的に内側のほうが配置されたパッチワークの数が多いように感じるのだ。階を跨いで制限なくダンジョン内を自由に移動しているから傾向でしかないが、体験すれば分かる程度には多い。
そんなパッチワークの群れをかい潜り、少人数で転送装置を起動させるのは至難の技だろう。せいぜい、中央付近で誰かが脱落して、それを回収する用途なら許容範囲といったところだろうか。
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狂気に潜る。斧を振り、敵を磨り潰し、叩き割り、断ち切り、粉砕し、その度に狂気の海へと沈んでいく。
暴走する自身の姿とは裏腹に、その内面は非常に鮮明なものへと変わっていく。
――Action Skill《 蹂躙撃 》――
斧を薙ぎ、敵を、構造物を巻き込んで超重量を叩きつける斧技。こんな豪快極まるスキルでも、本来は精密な制動が必要となる。
狂気に満ちた状態で、普通はアクションスキルなど発動できないと言われた。慣れた狂戦士でも、多重状態異常の< 狂気II >になった時点でスキルを発動する余裕などなくなると。今現在のわたくしは< 狂気III >に至っている。普通ならば、自分で認識する事すら困難な状態だ。
しかし、わたくしはどうやら適性があったらしい。正常とは言えないこの状態でも目の前の敵は見失わず、付近の戦況も大雑把には把握できる。その上、アクションスキル程度なら任意で発動可能なのだ。元よりあまり使わないものの、連携すら視野に入る。
とはいえ、意識があるだけで、体が半ば暴走状態なのは変わらない。このままなら敵味方問わず周囲の存在を倒すまで止まらない。だから、その前にある程度の段階でストップをかけるのがいつもの戦術であり、最悪でもゴブサーティワンさんが身を挺して緊急停止してくれるのですが、どうもその様子がない。……これは、これまでにも何度か体験した全滅コース。
「おう、おかえり」
「……ただいまですわ」
気がついたら、最初のスタート地点で寝転がっていた。やはり、すでに他のメンバーはこちらに送られてきていたらしい。
「さすがにお前でもあの数は無理だったか」
「いえ……全滅かそれに近いところまでは持っていけたと思うんですが、多分その後落下死しました」
「そりゃどうしようもねえな」
情報を統合すると、ほとんど逃げ場がない部屋に押し込められ、大量のパッチワークが雪崩込んできたところを迎撃、その後に全滅というのが今回のパターンだ。
わたくしはほとんど目の前の出来事しか把握できてないので正確な戦況の推移などは分かりませんが、なんか落ちたのは覚えてます。コレは暴走状態だと、まず止められない事故だ。
「まあ、何回かの全滅は最初から折込み済だ。せっかくと言っちゃなんだが、唯一の安全地帯を利用して長期休憩に入らせてもらう事にしよう」
「確かに、そのほうがいいでしょうね。……時間はどれほど」
「一日だ。他の連中はお前の転送が始まった段階でコテージに入った」
サンゴロさんの言うコテージは、ラディーネ先生から借りた再カードライズ可能な大型休憩施設の事だ。個別の寝室やシャワールーム、食堂やリビングまで充実している高級品である。これはテントのようにギルドの支給品として用意されたわけではなく彼女の私物なので、間違ってもロストしてはいけない。もしもそんな事になったら、結構な高額……しかも全員で分割支払いならなんとかなってしまいそうというリアルな負担が待っている。
「ただのシャワーとはいえ、生き返りましたわ。寺の温泉が恋しくなるのが残念ですが」
「そういや、あんた観光区画の寺に居候してるって話だっけ?」
シャワーを終えてリビングに行くと、そこではリーゼロッテさんが一人でくつろいでいた。
「お金を払った正式な提供サービスなので、居候ではありませんわね。……何を見てるんですか?」
「ステータスカード。……この手のイベントって大抵経験値効率は悪く設定されてて、多分ここもそうなんだけど、もうレベルが上がってた。看破の表記上は普通だったから、何か補正かかってるわね、あのパッチワーク」
「数は倒してますが、体感的にはまだ早いはずですわね。……どれどれ」
自分のカードを確認してみたら、1レベル上がっていた。これは確かに補正がかかってないとおかしい。
「補正とかじゃなく、単にパッチワークの表記が偽装されてるだけかもしれないけどね」
「……何のためにでしょう?」
「何のためっていうが、ダンジョンクリエイト側から見れば割と常套手段よ。相手を油断させられるし。……まあ、あんたみたいなのには意味ないけど」
確かに、わたくしに意味がないというところまで含めてもっともだ。レベルは相手の戦力を測る上で最も目立つ情報で、それを見て立ち回りを決める事は多いのだから。ウチでも、わたくし以外はレベルである程度立ち回りを変えているはずだ。
「私もサティナも鑑定系スキルや情報魔術は得意じゃないから、終わってみるまで正解は分からないけどね。一応、レベル以上の強さと見て動いたほうが良さそうって話」
「なるほど」
正直、あまり興味がなかった。きっと他の人はそれぞれ対応するだろうし。
「興味なさそうだから、あんたにも関係ありそうな話をしておきましょうか」
「何か懸念事項ですか?」
「挑戦前から言ってたけど、バグに注意。他のメンバーにも言ってあるけど、この分だとかなり可能性は高いと思う」
「確か稀に出現する良く分からないモンスターでしたっけ? リーゼロッテさんが懸念を強める程度には、このダンジョンは可能性が高いと」
「オリジナルの< 煉獄の螺旋迷宮 >を知ってるわけじゃないけど、いじり過ぎなのはパッと見でも明らかだしね。むしろ、あえてバグを発生させようとしているようにすら見える」
「良く分かりませんが、ルール上それはアリなのでしょうか?」
「……それが、アリなのよねー。あくまで不具合扱いで偶発的な現象って扱いだから。実際、どんなのが出てくるかは予想もつかないし。もちろん普通ならクリエイターの減点対象だからやらないけど、今回は暗黙の了解があってもおかしくはない」
バグというモンスターは極めて不安定な存在で、能力もバラバラらしい。このダンジョンにいるパッチワークは見た目や能力はバラバラだが、それらはおそらく規定した範囲でランダムに決まっているだけなのに対して、バグは本当にそういった範囲がないそうだ。だから、とんでもなく強力なバグもいればゴミのようなバグもいるのだとか。また、ダンジョンギミックなどで不具合を起こす場合もバグと呼んだりするらしいが、本来の意味であるコレはモンスターのバグと別扱いらしい。
そんな不安を掻き立てられるのかどうか良く分からない懸念は脳の片隅に置いておく事にして、わたくしたちは少し長めの休息に入る。
レジャーなどの親睦を深める目的なら話は別だが、今はあくまでダンジョンアタック中の休憩なので、全員が集まって何かをするという事はなく、各々がそれぞれ自由に行動している。全員が集まったのも、食事の時くらいだ。
「俺、料理覚えようと思うんだ……」
出来合いの、ダンジョン内で食べるよりは多少マシという程度の食事を眺めつつ、サンゴロさんが呟いた。
これまではあまり気にした事はありませんでしたが、長期のアタックの合間合間にちゃんとした料理があれば、それだけで士気が変わってくるだろう。こういう場面がある事を想定するなら、料理ができる人は一人はいたほうがいい。
そして、今後パーティメンバーが入れ替わる事を考慮するなら、確実に含まれる自分自身が料理できるのがいいという結論に達したのだろう。別にスキル化されるほどに熟練する必要はなく、家庭料理程度でいいのだ。
わたくしも丸っきりできないわけではないですが、練習したほうが良さそうですわね。別に無駄になる技術でもありませんし。
「目が見えなかったサティナとか、貴族令嬢なレーネはともかく、傭兵って食事当番とかあるもんなんじゃないの?」
「戦場飯でいいなら作れるがよ。それならこの出来合いの飯のほうが美味いんだよ。お前、迷宮都市外の食事事情舐めてるだろ。傭兵なんて食えればいいって連中ばっかりだしな」
「そりゃ色々聞いてはいるけど、さすがに生きたままゴブリン齧ってたっていうのはお兄ちゃんくらいなんでしょ?」
「いや、そんな人類の限界を超越した体験談は大将ぐらいだがな。極端過ぎる。もうちょっと身近な話をだな……」
ある程度なら知っている私は口を出す気になれなかった。いえ、曲がりなりにも王国の中心である王都はかなり食材や調味料が集まりますし、商家と付き合いの多い実家なのでかなりマシなのですが、それでさえマシという程度でしかないので。
ちなみに、自分自身の事を棚に上げているというのは見ない振りをしてあげるとして、例としてゴブサーティワンさんの名前が挙がらなかったのは、彼が致命的に料理のできない体質だからだ。もちろん度重なる人体実験の結果なのだが、食べたモノの味は分かっても自分で調整するのが困難らしい。毒でも平気で口にできるが故の代償とでも言うべきなのだろうか。致死毒からでも平気で回復する人に料理させたくはない。
「それで、この場で一応聞いておこうと思うんだが、レーネはOTI志望って事でいいんだよな?」
「ええ。それ以外を選ぶつもりはありませんし、渡辺様からも内々に推薦はもらっています」
「でも、でかいハードルがある事は認識してるわけだよな。自分がやらかした事だし」
「はい」
たとえ過去に戻ってもあのやらかしを止められる気がしないのは置いておく。散々精神修行を耐え抜いた今のわたくしならなんとかなると思いますが、それは今のわたくしだからだ。
というか、わたくしの志望を除いても実質的な選択肢はないに等しい。自ら退路を断つ意味合いもあったが、わたくしは渡辺様や迷宮都市、無限回廊の背景にある危険な情報を知り過ぎている。一線級の上級クランを含めて、入りたいほど魅力を感じるクランが他にないのも確かですが。
「確かに、わたくしの中にあふれるユキ様への熱いパッションが暴走してしまった事は否めません。しかし、それは裏を返せばユキ様のためならなんでもするという事。粉骨砕身の覚悟で活躍する所存ですわ!」
「俺には良く分からんが、確かにサブマス人気あるよな。変なローブを着たファンクラブまであるし」
「はいはい! 私としてはユキさんへの熱いパッションとやらがとても気になりますっ!」
「ええ、よろしいですわっ! この語り尽くせないほどの愛をあけっぴろげに解放しましょう!」
「キャーッ!! やっぱり愛なんですよ!」
何故か色恋の話だけはやたら食いつきのいいサティナさんには、後でじっくりとユキ様の素晴らしさを語ってあげましょう。
「まあ、お兄ちゃんの思惑は大体分かるけどね。どうせ、雪兎があんたとの関係に決着付けずにダラダラ逃げてたのが気に入らないんでしょ? ああ見えて、厳しいところあるから」
「それで、ついでにこの特級戦力を取り込もうって事か。例のギフトの干渉を疑いそうなところだが、まだ偶然で済ませられなくもない程度の都合の良さだな」
「わたくしとしては、どんな思惑があれ、実利が伴っていれば問題ありませんわ」
「雪兎があんたとの関係に決着つけるつもりだったら破談だったと思うんだけどね。というか、レーネ的には意中の人の優柔不断さは構わないの?」
「優柔不断で悩むユキ様もまたいいっ!!」
会話の内にユキ様の影がチラつくだけで思わず寺での修行がすべて吹き飛びそう。いけないいけない。
「となると、大将はサブマスが優柔不断を貫く限りこうしてひたすら内堀を埋めにきてるって事だ。俺たちなり、ラディーネなり、多分他にも」
「この中でレーネの加入に反対する人いないでしょ? パーティメンバーとかモンスターの立ち位置的な見解もあるにはあるけど、もったいないってレベルじゃないわよ」
「大将が反対してるなら別だが、逆だしな」
「はいはい、賛成しますっ!」
「むしろ、オイラ的には反対の理由がないっス」
「みなさま……っ!」
思った以上に熱いパーティメンバーの援護に感激していた。……正直、わたくしが問題児である事は間違いないし自覚はしているので、少しくらいは反対意見もあると思っていたのだけど。
「入ってから致命的なやらかしをして追い出される可能性だってあるわけだしな」
「……そ、そうですわね」
大丈夫だろうか。急に不安になってきましたわ。これまで修行で培ってきた禅と侘び寂びの精神があればきっと……。
「となると、ますます分かりやすい実績であるこの試練を落とすわけにはいかないって事だ」
「そうですわね」
そこはあまり心配してません。自分を含め誰一人として折れる気はしないし、全員がそう思っている事を確信している。全滅直後、まだまだ試験の全容が見えない今でもだ。
この程度で挫けるようならこの先に待っているだろう障害に耐えられるはずもない。まだ実体験の伴わない言葉だけではあるが、渡辺綱の近くにいるという事はそういう事なのだと理解している。
実をいうなら、その目指す先にも興味はある。渡辺様自身にも興味や好意があるのは確かだし、そこに主従の関係がないにしても王国などよりよほど仕えがいがあるといえるでしょう。
それに、まともな人間に届くどころか認識すらできないような超常の領域、そこに必ずユキ様がいるのなら、同じ場所に立ち、歩む事はきっととても素晴らしい事だと思うのだ。
あと、絶大な恨みと共に感謝の念を抱く剥製職人とやらは、是非この手で捻じり切ってさしあげたい。
-4-
二十階。すでにダンジョン内時間は二週間を経過している。その間、全滅回数は三回。
根本的に同じルートは使えないため、ダンジョンの仕様をある程度把握しても探索時間の短縮には至らない。
外周階段は十五階程度なら登れなくもない環境ではあると判明したものの、継続して階段を登り続けるとパッチワークが集まってきて身動きがとれなくなるという問題が生まれる。どうにもならなくなって、そこから落下したのが二度目の全滅原因だ。とりあえず、外周から落下してからの復帰はほとんど不可能だという事は分かった。多分、リーゼロッテさんがブーストしてようやくといったところだろう。
「この分だと、多分三十階が最上階ね。それを大幅に超える構造にした場合、どれだけひいきされてるとしても中級昇格試験の難易度じゃないし」
確認できたわけではないが、リーゼロッテさんの経験則からゴールのあたりも付けられた。そんなぴったりになるものだろうかとも思ったが、むしろぴったりにするのがセオリーらしい。ただの慣習なので絶対ではないらしいが。
探索のコツとしては、できる限り一箇所に留まらない事。どうしても休息が必要な場合は仕方ないにしても、それもできるだけ短く、一回ごとに場所を変えるべきだろう。でないと際限なくパッチワークが集まり袋叩きにされる。
パッチワークの分布がバームクーヘンの内側に集中している理由も判明した。これは単にパッチワークを生産する装置が設置されているのが内側に多いというだけの話だ。アレは、この装置から一定時間ごとに出現するようになっているらしい。
では、この装置を壊せば楽になるのかといえば、そう単純な話でもない。実際に壊したので破壊可能オブジェクトである事は間違いないが、この装置、一定時間経過すると別の場所に復元する仕組みなのだ。
壊したところで出現済のパッチワークが消えるわけでもなく、出現を止められるのも一定時間のみ。明らかに対処可能な数ではなく、設置場所に向かうルートも固定できないため、壊して回るのは単に時間をとられるだけと判断した。せいぜい、進行ルート上で見かけたら壊すくらいだ。
パッチワークたちは、ある程度情報を共有しているのか、わたくしたちを追跡してくる。途中で分断できればいいが、時間経過で変化した構造を利用でもしない限り、次々と追加される後続を振り切る事は難しい。
その傾向は階を登っていくほどに顕著になり、パッチワークの数が増えた上に迂回ルートの選択肢が増えた事で多方面から追撃されるケースすら出てきた。
よほど条件が合致しなければ休息をとるタイミングがない。多方向の通路からの襲撃となると、殿を置いてせき止める事もできない。
そうして、二十五階に到達したところで違和感を感じた。この感覚は、大幅な環境の変化によるものだ。
ダンジョンギミックの数、悪質さが変化している。極端に狭い通路、定数制限のある転移装置、壁などが追加で出現する罠の類が目に見えて増えてきた。
それぞれは同一のフロアで完結する程度のギミックではあるが、たとえ目視可能な距離でもパーティが分断されるのは致命的だ。
――《 完全に分断された! 念話で生存確認しつつ中央に向かえっ!! 》――
リーゼロッテさんの《 念話 》経由でサンゴロさんの悲鳴のような指示が飛ぶ。それは、どうしようもない場合は中央の転送装置を目指すという事前の取り決めだ。ルートの問題はあるものの、とりあえずの合流目標にはなるし、誰かが死亡して初期ポイントに戻された場合も転送で復帰させられる……かもしれないと。
実際にそんな上手くいくはずはない。かなり下の階であればなんとかなるかもしれないが、ここまで追い詰められた状態でそれが叶うはずもない。一応、ダンジョンギミックで敵も分断されるが、焼け石に水だ。大体、パッチワークは追撃してくる個体だけでなく進行方向からも現れる。
その時分断されたのはわたくしとゴブサーティワンさん、そしてサティナさんがわたくしの直衛として召喚してくれていた水の豆精霊が一体。多少でも豆精霊が回復してくれるから継戦能力は維持できるが、長時間持ちこたえられる構成ではない。
分断されたもう一つのパーティもそうだ。一応の正面火力はあるものの、純前衛がこちらに集中した分、中後衛しかいない。単純にわたくしたちと二分割されただけならまだしも、更に分断されている可能性だってある。
「肉壁さん、ここでわたくしが殿を務めれば中央に辿り着けますか?」
「まだ遠いっスけど、進行方向から足音がするっス。まだ二人で進んだほうがマシっスね」
「参りましたわね」
詰みかもしれないが、足掻くだけは足掻こう。幸いまだ念話は繋がっている。サンゴロさんの単純な指示が念話越しに聞こえるだけでこちらよりも切羽詰まった様子。死亡してこれが切断されない以上はまだ中央の転移装置に辿り付く可能性は残っているのだ。諦めるにしてもタイミングは測れる。念話で一方的にこちらの状況だけ告げ、わたくしたちは無数のモンスターが待つであろう通路へと足を進めた。
無我夢中で斧を振るう内に、いつも通りの狂気へと落ちていく。ただ、今は最低限の判断力は残さないといけない。
敵を一体倒しても、その間に二体、三体の敵が追加される。前進し、敵の中に突っ込むのが危険なのは明確でも、足を止めたらそれこそ潰されて終わる。
短い距離でも念話越しにしかやり取りできないゴブサーティワンさんの接続が途切れた。しかし次の瞬間、モンスターの隙間から悪戦苦闘ながらも彼の戦う姿が見えた。……これは、念話を中継しているリーゼロッテさんが落ちたのだ。
残り二名の安否確認はできない。そんな余裕もない。しかし、水の豆精霊が消滅したタイミングでサティナさんが死亡したから召喚獣が維持できなくなったのだと気付く。
少し離れた距離で、援護もままならないままゴブサーティワンさんの体が魔化するのを確認した。複数に分割されても生きている彼だが、死ねば通常の冒険者同様魔化して消える。あらゆる攻撃に一撃なら対応できるゴブサーティワンさんの弱点は数だ。個体数、手数、とにかく自身の存在が維持できない状態にまで分割されれば普通に死んでしまう。
状況的に残っているのはわたくしとサンゴロさんだけ……いや、確かに彼はしぶといが、ここはわたくしだけが生存している前提で行動すべきだ。
わたくしが初期ポイントへ転送されない以上、他のメンバーはリカバリーの可能性を考慮して一階の転送装置に向かうはず。こんな敵に囲まれた状態で転送装置を動かせるか、そもそも辿り着けるか分からないけれど、諦める理由もない。
その可能性を残すため、最後の一線を超えて暴走状態になるわけにはいかない。予め口に含んだ薬で正気を維持し続けるが、果たしてこれがどこまで保つか。間違っても穴に落ちるわけにはいかない。
「この……状態が、一番、キツイ……のですが」
思考を止めるわけにはいかない。ギリギリで正気を保ったまま、パッチワークの波を抜けるべく斧を振るう。
……しかし頑丈ですわね、ウチの家宝。
手を通して伝わってくる斧の手応えを感じながら、そんなどうでもいい思考を巡らせていた。
脚は止めていないが、正直内側に向かえているかどうかは分からない。すでに前後左右どころか上下の感覚すら怪しいのだ。いつ穴に落下してもおかしくはない。
そして、わたくしは辿り着いた。
「……駄目か」
いつの間にか階段を登っていたらしい。おそらく二十六階だろうそこは中央に隣接した層だったのか。内側に壁がないフロアから、中央の転送装置が見てとれた。
遮る壁がない。そして、床もない。希望を目の前にして、その間には絶望の奈落が広がっていた。たとえ精神状態が正常でもこの穴を飛び越える術はわたくしにはない。あったとしても無数のパッチワークがそれを許してくれるかは別の問題だ。
「……無数のパッチワーク?」
おかしい。違和感がある。
足元にはわたくしを追撃してきたパッチワークが魔化しかけで転がっている。階段の下には後続も見える。しかし、進行方向には何もいなかった。穴の向こう側にすらパッチワークがいない。これまでなら、何度も穴の向こうから遠距離攻撃を仕掛けてきたというのに。対処する相手が減った事で余裕ができた。これならまだ戦える。戦えたところでどうするという状況ではあるが、諦めるにはまだ早い。
いや、そうじゃない。今すべきなのはこの違和感の払拭。これまでとは違う状況の究明が第一だ。わたくしの勘は、これがこの試練最大の障害だと言っている。
「……アレ、が」
そこに、ヤバいモノがいた。
一見すればパッチワークの群れ。しかし、その一体一体が不自然に絡み合い、後ろから何かに突き動かされでもしているかのように前進してくる。
瞬時に看破を入れた。これまでならただパッチワークという名前とHPバーが表示されるだけだったそれは、無数のパッチワークに対し一つの表記しかない。
文字化けし、読めない表記のそれは、おそらくリーゼロッテさんが何度か警告していたモノだという確信に至った。
「バ、グッ!!」
咄嗟に斧を振るう。猛烈な勢いで突進してくるそれに命中した感触はあった。しかし、ただのパッチワークなら両断できていただろうその攻撃は、表示の狂ったHPバーをわずかに微動させるだけで弾かれる。
蛇のように連なる凶悪なパッチワークの集合体に飲み込まれ、轢き潰されるように、わたくしの意識は消滅した。
-5-
「……アレはまずいですわ」
転送されて意識が回復した瞬間に思わず口に出てしまうほどの存在だった。アレは戦術がどうとか弱点がどうとかそういった次元ではない。現有戦力で倒す事は不可能だろう。少なくともわたくしには勝機は見いだせない。
倒す事を想定していない凶悪モンスター。偶発的発生に任せたバグ。ようするに、アレがボス不在の理由って事なんでしょう。
まいった。再挑戦するにしても、あの存在を警戒し続けないといけないのは中々に骨が折れる。今回はたまたま二十六階での遭遇でしたが、他のパッチワーク同様下に降りてくる可能性は十分にある。
とりあえず、他のメンバーと情報共有して次のアタックに……。
「レーネッ!! 急いで!」
「リーゼロッテさん?」
次の挑戦について思案していたら、先の部屋からリーゼロッテさんが現れた。そういえば、他の人の姿がない。コテージも未設置だ。
「ええと、例のバグに遭遇しました」
「それは分かってる。とにかく今は急いで」
何を急いでいるのだろうと思ったが、見当がつかない。さすがにバグがこの一階までやってきたとは思えませんし。
「まだアタックは続いてる。転送で復帰するわよっ!」
「は?」
なんだそれは。どういう状況ならそうなるのか。
とにかく言われるまま、再挑戦の準備すらせずに転送装置へと向かう。
「あんたが二十六階でバグに遭遇した時、近くにサンゴロもいたの。そのままやり過ごしてロープで穴を飛び越えて転移装置を起動したって事」
「……や、やりますわね」
生き残っている可能性は確かにあったけど、ほとんど考えてなかった。
詳しく聞いてみれば、今は念話を再接続したサティナさんとゴブサーティワンさんが先行して、リーゼロッテさんだけがわたくしを待っていたという話だった。
――《 レーネと合流した! 転移装置の起動をっ!! 》――
――《 状況が変わったっス! 今はちょっとそれどころじゃ…… 》――
リーゼロッテさんの叫ぶような念話が脳内で響く。対するゴブサーティワンさんの反応は、なんらかの異常事態を表すものだ。
――《 例のバグが徘徊してて転送装置に近づけないっス! 》――
想像以上の危機的状況に、思わず二人して天を仰いだ。なんの変哲もない天井だ。
――《 え? マジっスか? えーと、オイラたちはこのまま二十七階へ向かうっス。二人はいつでも転移できるよう待機 》――
正気を疑う発言だったが、詳しく説明を聞いてみれば勝算は十分にある可能性だった。
二十六階で遭遇した例のバグだが、おそらく無差別にパッチワークを取り込む性質を持つ。その関係で、周囲のパッチワークは極端に数を減らしているらしい。それならば、三人でも上の階へ向かえなくはないはずだ。
ただでさえ長い探索時間だ。隠れつつバグと残ったパッチワークをかい潜っての移動は至難を極め、思うように進まない。わたくしたち二人は手を出す事もできず、ただ念話の状況報告のみを聞きつつ待ち続ける。
「できれば、このまま今回でクリアといきたいわね。半分くらい残ってる《 ブラッド・プール 》もここが切り時でしょ」
「それもこれも二十七階の転送装置に到達できればですが……」
「……駄目でも次で攻略といきたいわね」
割と弱気だった。パーティ全員が揃った状態ならともかく、三人では結構厳しいのも確かなのだ。特に最大火力を出せるわたくしとリーゼロッテさんが不在なのも大きい。他に念話を使える人がいれば別の選択肢もあったのでしょうけど。
数時間にも感じる数十分の後、続報が届いた。
――《 なんとか目の前まで辿り着いたっス。ただ、装置がパッチワークに囲まれてるんで、ちょっと強引に突っ込むっス 》――
――《 了解 》――
転送装置は起動から転移までに多少の時間がかかる。安全策をとるならパッチワークを全滅させてからというのが、戦力面の問題とバグの存在を考慮しての回答なのだろう。
転送後即戦闘に移行できるよう心の準備を済ませておく。そして、その時はすぐに訪れた。
切り替わった視界に映るのは、周囲を囲むパッチワークとその一部を抑える《 ウォーター・スクリーン 》の膜。多少の怪我や疲労は見られるが、メンバーが全員揃ったのも確認できた。
「よし、このまま六時方向の通路に抜けるっ!! 突っ切るぞっ!!」
この六時方向とは、自分から見た相対位置ではなく十二分割されたフロアの内、六時の位置にある通路の事だ。確かにその方向は比較的パッチワークの数が少ない。
多少大振りで牽制。その後、パーティー内の位置を入れ替えるように殿の位置へ。そのまま最後列から部屋を抜ける事に成功した。
パッチワークは追撃してくるが、周囲が開けた場所で戦うよりは通路で戦ったほうがよほどマシである。
「いつバグが来るか分からねえっ!! 多少強引でもこのまま最上階まで突っ切るぞっ!」
「レーネッ! 回避っ!!」
――Action Magic《 ガトリング・フレイム 》――
後方から放たれる炎の弾丸を大きく回避。ブーストされた魔術なのか、明らかに火力が増したそれを受けたパッチワークは燃え上がり、銃弾は前列を貫通していく。撤退チャンスだ。
「ルート確認はっ!?」
「ここに来るまでに目星は付けてる! 二十八階からは外周階段だ」
外周階段を使えるのかとも思ったが、何かしら勝算があるのだろうと移動を開始。長い撤退戦が始まる。
しかし、明らかにパッチワークの数は減っている。そして、時折響いてくる謎の振動音が不安を掻き立てた。音が聞こえるのは下方向。多分、きっと、おそらくバグがたてている音だ。
多少のダンジョン・ギミックや罠は半ば無視して、半ば踏み抜いての疾走。体力配分を考える余裕はない。
二十八階へと階段を駆け上がる。階段の上にいたパッチワークを複数体まとめて薙ぎ払い、続けて残りを殲滅する。数を数えている余裕などない。先ほどから振動が迫っているように感じるのだ。
「しんどいにもほどがあるが、このまま外周へ向かう。予想が正しければ階段が使えるはずだ」
再び全力で駆ける。パッチワークを倒す事よりも道を切り開く事を優先して。
「階段を使えるって根拠はっ!? 下で見た感じじゃここら辺は嵐みたいになってるはずでしょ」
「遠目でしか確認できてねえが、嵐は階段まで届いてない。おそらく、最後は外周階段で上がる事を想定してる」
「なるほど。台風の目みたいになってるって事ね。ありそう」
走りながらサンゴロさんとリーゼロッテさんの会話を聞くが、いまいち理解できない。だけど、駄目でもやる事に大差はないので聞き流す。
「よし、賭けには勝ったっぽいぞ」
長い時間をかけて外周へ抜けたわたくしたちの目の前にあったのは、不思議な光景だった。すぐ下の階まで嵐に包まれて見えない状態なのに、ちょうどこの階から階段に沿うような暴風の壁が聳え立っていた。
ここはまだ嵐の影響を受けているが、なんとか移動できなくもない程度。それを命綱を使いつつ、無理やり階段を登っていくと、二十八階と二十九階の大体中間部分くらいから風がやんだ。
なるほど、ここまで露骨なら外周階段を使うのが正式なルートなのだろう。むしろ、バームクーヘンの内部には上に向かう手段が存在しない可能性すらある。
さて、あとは急いで階段を駆け上がるだけ……といっても、ここまでくるとその距離は尋常ではない。階段も一段一段が通路のように細長いのだ。一階分登るだけでどれほど距離があるのか、パッと見では見当もつかない。というか、緩やかに内側へ曲がっているからそもそも先は見えないのだけど。
あと少し、あと少しと自分に言い聞かせながら、もはや階段とは言えない通路をひたすら駆ける。幸い、最上階は屋上になっているのか、頭上の構造物の切れ目がゴールであるという事は分かる。
この試練にボスはいない。最終的に何かのギミックは用意されているかもしれないが、そこまで移動すればゴールなのだ。
「……そういう楽な展開にはなりそうもないですわね」
遥か下から、しかし構造物に遮られていない轟音が聞こえた。それはガリガリと何かを削る音を立てつつ近づいてくる。まだ距離はあるものの、速い。このままでは追いつかれる。
とうとうパッチワークの集合体がその巨体で階段と内側の壁を削りつつ迫ってくるのが視界に入った。
どうする? サンゴロさんからの指示はない。当たり前だ。こんな状況で何をしろというのか。内側は破壊不可能な壁で、背後からは幅の広い階段を埋め尽くす巨体。逆走してすり抜ける隙間などない。
倒す事は不可能と断定。受け止める事は論外。……ならば。
「ぅおおおおおおおっ!!」
考える時間がない。雄叫びを上げてバグへと吶喊する。
そうだ。止める事ができないなら逸らせばいい。幸い、暴風の壁は今もすぐ側にあるのだから、それに巻き込んで落下させれば終了だ。
できるかどうかは関係ない。今はその手しかないのだから、前に向かう。
――Action Magic《 アイス・バレット 》――
――Action Skill《 真紅の血杭 》――
わたくしの意図に同調したように、後方から援護が飛ぶ。おそらく余力のすべてを注ぎ込んだそれは、バグの巨体をわずかに押し留め、仰け反らせる事に成功していた。
きっとダメージなどロクに入っていない。しかし、これは千載一遇の好機。
「でえええぇぇぇりゃあああああっ!!」
――Action Skill《 ライジング・スマッシュ 》――
打ち上げる軌道の一撃でバグの巨体を止め、更に仰け反らせた。しかし、これだけではただ止めただけ。わずかに浮いた先端部分を目掛けて追撃を入れる。
――Skill Chain《 フレンジー・ラッシュ 》――
階段の外側、暴風の壁に向けて連撃を叩きつける。硬い。重い。連打を最後まで入れてもまだ足りない!!
「まぁだまだぁっ!!」
――Skill Chain《 狂気の一撃 》――
ある意味狂戦士の切り札。自らの状態異常< 狂気 >をコストとして放つ一撃。わたくしの限界ギリギリまで力を込めた攻撃は、バグの巨体の先端部分を外側に弾き飛ばした。
弾き出したのはあくまで一部のみ。しかし、それで十分なはずだ。これだけの風量があれば一部巻き込んだだけでも吹き飛ばしてくれる。
宙に舞う感覚。目の前ではバグが嵐に巻き込まれ落下しつつあるのが見えた。……その代償として、わたくしも嵐の中に飛ばされてしまったようですけど。
まあいいでしょう。とりあえずでもバグの脅威が遠ざかれば、三十階の転送装置で回収してもらえばいい。ゴールだから装置がない可能性もあるけれど、その場合は二十九階まで戻ってもいいだろう。とにかく、後はどうにでもなりそうという事だ。
「レーネッ!!」
しかし、わたくしの頭の中の算段とは裏腹に、何故かリーゼロッテさんが背中に黒い翼を広げて飛んできた。血の在庫が切れているだろう今、彼女に嵐を抜ける手段などないはず
「直接血を吸うわよっ!!」
「え、ちょ……」
なんか、直接首筋に噛みつかれた。続けて、意識が吹き飛びそうなほどの猛烈な脱力感が襲ってくる。
落下する以前に、失血死する危険を感じつつ、抗う手段などない私はそのままリーゼロッテさんに運ばれた。
その後、血を吸われ過ぎて体重が半分くらいになってしまったのではないかと思うほどフラフラの私を連れ、サンゴロさんが投げてくれたフック付きロープを辿りなんとか階段部分まで帰還。たかだか数メートルの距離でしかないのに、色んな意味で死にそう。
「あ、の……転送、装置で回収して……くれれば、良かった」
「あっ……ま、まあいいじゃない。なんとか回収できたんだから結果オーライよ」
全然気付いていなかったらしいリーゼロッテさんは笑い飛ばすが、彼女の言うようになんとかなったのだから良しという事にしましょう。
立つのもままならないが、ここからならなんとかなる。
「大将でもねえのに最後の最後でとんでもない事になっちまったが、どうやら試練達成だ。ゴールが見えた」
塔の屋上。その中央部分に巨大な転送ゲートが見えた。
これで特別中間昇格試験は達成。わたくしの目標にはまだまだハードルは多いけれど、とりあえず第一の試練は及第点といっていいんじゃないでしょうか。
次は引き籠もりヒーローか年一更新の気配が消えた人類は敗北したらしいのどちらか。(*´∀`*)
引き籠もりヒーロー三巻と無限新一巻の作業の関係でちょっと投稿が不安定になってます。