特別編『江戸は遠くになりけり』
今回の投稿は某所で開催した「特別編アンケート敗者復活戦コース」に支援頂いたゆノじさんへのリターン作品の一つです。(*´∀`*)
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人にはそれぞれに相応しい生き方というものが存在する。誰もが幸福と感じる生き方など存在しないし、不幸もまた同様だ。
その男が生まれたのは下級武士の次男としてだった。武士に限らず、次男といえば嫡男の予備、何かあった時の代わり。そう聞けば重要にも感じるが、何もなければただの穀潰し扱いである。
嫁もとれず、子も作れず、下の三男、四男のように他家へ婿に行く事もできない。長男の息子が成長した頃には、すでに若さは失われていた。そんな年になって放り出されても、野垂れ死にするのは目に見えている。手に職があるわけでもなく、多少覚えのあった腕っぷしだけで生きていけるとも思えない。結果、町の長屋に住み着いてのその日暮らしの日々。日雇いの仕事や、腕力を活かした用心棒紛いの仕事で生き永らえる。
戦乱の世であれば立身出世も見込めたかもしれないなどと言われたりもしたが、太平の世にそんな大きな戦などどこにもありはしない。せいぜいが集落規模の小競り合いだ。
日々食い扶持を確保するのもやっとだが、それでも多少は余裕が出てきた頃の事だ、たまたま顔見知りの店主から依頼をされて、護衛の仕事で別の町に行く機会があった。
故郷の村近くの小さい町しか知らなかった身としては、少し大きな地方都市を訪れただけで世界が変わるのを感じたものだ。そして、たかだか地方都市でこれならば、噂に聞く江戸の町などどうなっているのか。日々の仕事を探すのにも難儀している今の町よりは生活もしやすいのではとも考えた。言ってみればそれは都会への憧れのようなもので、しばらくは何をするにも江戸ならどうなんだと考えるようになる。
とはいえ、結局のところ江戸どころか隣の町より先ですら訪れる事はなかったわけだが。
ある日、野盗に出くわした。護衛として辛うじて雇い主を逃がす事はできたものの、十人近い相手では多勢に無勢で追い返すのがせいぜいだった。
生き延びはしたものの、その時に受けた刀傷が原因でそのまま死を迎える事になったのだ。
それがその男の生涯。別段変わったところのない、名前すら残らなかった、幸福の意味を知らぬ男の物語だ。
そんな記憶を思い出した。よりにもよって、戦場のど真ん中で。
切り合いの最中で強い衝撃を受けた際に、走馬灯のように蘇った記憶は極めて邪魔だった。こんなどうでもいいような記憶を今思い出してどうするかと言わんばかりのタイミングだ。
記憶と意識が混線して動きが鈍る。善戦していたはずなのに急に動きの悪くなった俺を警戒したのか、追撃こそなかったが一歩間違えれば死んでいてもおかしくない状況だ。
混乱を抱えつつ、良く知っているはずなのに知らない体を動かして生き延びるべく足掻く。混戦中で、四方八方が敵だらけの戦場にあって、突然の危機。
ロクに斬れもしないナマクラを振り回しつつ、状況を整理する。乱戦の中、自分が誰かから整理する必要があるのは悪夢としか言いようがない。
そうだ、俺はゲンジだ。なんの変哲もない村に生まれ、徴兵されて戦場へとやってきた。繰り返される戦いの中で、戦う相手すら知らず、一兵卒として剣を振り回している。
戦争に駆り出され、一度、二度と生き延びた。しかし、相手……確か帝国という連中は強く、次第に劣勢へと追い込まれていく。戦いが続く中、故郷のあった地域はすでに侵略を受けたと風の噂で聞いた。どんな仕打ちを受けているかなど分からないが、家族はすでに死んでいる可能性がある。
一体どうすればこの戦いが終わるのか分からない。ただの兵卒にはそんな情報を手に入れる事などできない。考えたところで無駄だ。だから、生きるために戦い続ける。そのために剣を振る。
余計な事など考えるな。江戸に憧れた中年の記憶など今は捨て置け。ただ無心で戦え。
「よう、また生き延びたみたいだな」
「オラは……生き延びたのか」
「オラ?」
「……いや、なんでもない」
気がついたら戦闘は終わっていた。戦友のフリッツから声をかけられなければ、そのまま土に還っていたかもしれない。
「……悪い、手を貸してくれ。動けん」
「激戦だったからな。俺もお前も、良くも生きてるもんだ」
フリッツの手を借りて起き上がる。全身裂傷まみれだが、致命傷はないらしい事が分かった。あの男と違って悪運はあるらしい。
「戦いはどうなったんだ?」
「途中で帝国側が撤退した。理由は分からないが、あと少し長引いてたら砦も陥落してただろうな」
戦争の理由さえ知らない俺たちだ。どんな理由があれば優勢な戦場から撤退するかなど分かるはずもない。
とはいえ、近くの死体から色々拝借して戻った砦は無惨な状況だった。ただ占領されていないだけで、防衛施設としての意味をなしていない。これは陥落したのに等しいだろう。
帰還の報告をするために上官を探すも、戦死したらしく、代理の士官からは待機と休養の命令を頂いた。ガワだけでなく中身もボロボロだ。
「これじゃ飯も期待できねえな」
「だろうな。とりあえずコレ食っとけ」
自室代わりの大部屋に移動するとフリッツが血まみれの携帯袋を渡してきた。どうやら帝国兵の死体から回収してきた乾パンらしい。こんなモノでも普段食ってるものより上等なのが悲しい。
大量の兵卒が雑魚寝するための大部屋が閑散としている。他の者は死んだか重症で治療中なのだとか。クソみたいな連中ではあったが、いなくなると寂しいもんだ。
俺やフリッツも怪我人ではあるのだが、比較的軽症なので自分でどうにかしろと言われてしまった。帝国兵から拝借した薬もあるから、これで凌げるだろう。
「休憩していいって話だったが、多分死体の片付けに駆り出されるよな。あれだけいると剥ぎ取りしていいって言われても嬉しくねえ」
「帝国の動向次第だろ。悠長に休憩できるかすら怪しいもんだ」
とはいえ、また明日やってくるという事はないだろう。夜襲の警戒は必要だろうが、こんな瀕死の相手に対して無茶をする理由も感じられない。最低限の体裁は整えてくるんじゃないだろうか。むしろ、撤退妨害のために網を張っているかもしれない。
「そういえば、お前戦闘中から様子おかしくねえ? 急に老けたような」
「……ああ、前世の記憶らしきものが戻った。お陰で混乱して堪らん。お前とも久しぶりに会った気さえしてくる」
「そりゃまたタイミングの悪い話だな。よりにもよって戦闘中かよ」
こんなヨタ話をいきなり信じるのは奇妙に感じられたが、今生の記憶が確かならフリッツも転生者だったはずだ。こいつの場合は子供の頃から記憶があったとかいう話だったから、すんなり受け入れられたのだろう。俺としては今更こんな記憶が蘇ってもという感じだ。
「で、どんな前世だったんだ? 何か使えそうなネタでも……」
「話のネタにはなりそうもない平凡な男だったな。多少棒振りには長けていたようだが、結局は野盗に斬られた傷が原因で死んだ」
「殺伐とした世界だったんだな」
どうだろうか。太平の世と呼ばれ、生涯で大きな戦など経験する事もなかった身だ。今のほうがよほど殺伐としている気がする。少なくとも亡国の危機に瀕していなかった。
「実は、この世界で俺がそれなりにでも戦えてるのは奴のお陰かもしれん。記憶はなくとも、わずかにでも経験は残っていたのだろうな」
「奴か……やっぱり、記憶戻るのが遅いと自分って認識はないわけか」
「ないとはいわんが、薄いな。ただ、やはり自分らしい人生だったとは感じる」
何もせず、成そうともせず、ただただ与えられた境遇の内で生きるだけ。幸福さえ求めようとしないその在り方は、ある意味人として逸脱したものなのだろう。今生の自分も似通ったところはある気はする。
「まあ、そういう前世って事は俺の予想は外れたな。名前からしてジャパニーズだと思ってたんだが」
「ジャパニーズ? ……名前なら確か元二郎だ。名字などないただの元二郎。俺のゲンジという名前も、残っていた記録から付けられたのだろう」
「その名前でジャパニーズじゃないのかよ。チャイニーズでもなさそうだし。あの国で名字ないとかないもんな。ステイツ……アメリカとか聞いた事ないか?」
「ないな。貴様の出身国だったか」
「前世のな。死んだのはベトナムだったが」
どちらも知らん。前世の感覚でいうなら奇っ怪な名前の国だと思うから、聞けば記憶に残っていただろう。
フリッツがアメリカとやらを字で書いてみせるが、見た事のない字だった。漢字のような文字で書いたものもあるらしかったが、米の国とはまた豊かそうな名前である。もちろん聞いた事はない。
「って事は、良く似た文字や文化のある世界って事なんだろうな。同郷かと思ってたんだが」
「あまり詳しくはないが、その手の偶然はそうそうないだろう。世界がいくつあるのかなど知らんが」
「転生者は何人か会っているが、少なくとも同郷に出くわした事はないな」
いつか聞いた神父の話によれば、転生者というものは無数の世界からやってくるものらしい。そんな中で同じ世界出身の者と遭遇するなど、どれだけ奇跡的だというのか。
しかし、同郷だからどうだという話もないだろう。せいぜいが似たような価値観と共通の話題があるくらいで、仲間意識が芽生えるくらいか。すでにそんなものは関係なくフリッツとは戦友なわけだが。
……とはいえ、似たように戦友と感じていた者たちは大半が死んだ。わずかな顔見知りも、ほとんどが再起不能だ。少なくとも数日で戦えるようになるような怪我ではない。
指揮系統の混乱もあったからか、その日はそのまま治療だけして眠る事になった。怪我人ではあるからなのか、当初の指示通り砦の修繕は免除された。
翌日も再侵攻はなく、俺たちは戦場の後片付けや砦の修繕に駆り出される。とにかく人手が足りない。頭数が減って食料の問題は解決したらしいが、こんな人数では砦を維持する事などできないだろう。
降伏か、逃走か。徹底抗戦という手もなくはないが、無駄死にだろう。記憶を取り戻すまでの俺だったら、故郷を焼いた帝国に降伏するなどあり得ない話だったが、今ではそんな気概は失せていた。今の俺には比較対象がある。これも記憶が戻った意味と言えなくもない。
やつらは敵だが、元の統治体制が良かったかと言われれば疑問に感じる。前世の俺も大概貧しい生活をしていたが、この世界ではもっとだ。幸せそうな家族の顔など思い出せない。
「荷物纏めるぞ」
「なんだいきなり。攻めてくる兆候でもあったのか?」
「いや、あんまり大きな声じゃ言えねえんだが……部屋に戻るか」
「まだ仕事が残っている」
「捨てとけ。もう用なしだ。この砦も部隊も、俺たちもだ」
吹っ切れたようなフリッツに合わせて閑散とした自室に戻る事にする。どうせ、周りの連中もサボってばかりなのだ。士官連中が現場に顔を出す事がなくなってからはそれが顕著だった。
「確実そうな話からいこうか。……首都が陥落した。こっちの戦線がどうだという以前に、国が負けた」
「…………」
フリッツの仕入れてきた情報は、想像以上に厳しい話だった。一番信頼性の高いという最初の話でそれだ。亡国の危機どころか、すでに国が亡くなっていると。
「おそらくはこのまま帝国に飲み込まれる事になるだろうな。俺たちはすでに敗残兵だ」
「だからといってどうする? このまま帝国に投降しろという話になるのか?」
俺たちが判断するような事ではないが、辿るべき道はほとんど残されていない。抵抗しようにも、ここはただの前線の一つに過ぎないのだ。しかも陥落寸前の。
「どーだかな。この砦も士官連中の上のほうが逃げたらしい。現場判断をできる者がいない状況じゃ、まとまるものもまとまらない」
「最悪だな」
すでに軍としても崩壊していたらしい。
「要するに好き勝手やっても誰も咎めないわけだが、逃げようにも網は張られてるだろうし、冬前の今の時期に山に入るのは危険だ」
「となると、やはり帝国の動向を待つしかなさそうだが、何故荷物を纏める必要がでてくる」
「……かなり不確定な情報だが、隣の王国が介入してきているらしい。ほとんどハイエナみたいなものだが、横から殴ってくる可能性がある」
まさか、それが前回の不可解な撤退の理由なのか。隣接しているとはいえ、ここまで不介入だった隣の国が介入してきた事が。
「だから、どうとでも動けるようにしておきたい。場合によっては王国と戦闘になる可能性すらある」
「勘弁してくれ……」
一体どんな理屈ならそんな事になるのか皆目見当がつかなかったが、前世が軍人だったというフリッツの言う事だ。俺よりはそういう判断はできるだろう。
そして、フリッツの予想は半分だけ当たった。王国は介入してきたものの、帝国軍は撤退。俺たちは何故か無関係なはずの王国軍に保護される事となった。
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おそらく帝国軍に敗北して捕虜になるよりはマシだったのだろう。王国軍での俺たちの待遇はそう悪いものでもなかった。監視付きで移動制限こそあるものの、飯は普通に食えたし、労務にも若干ながら賃金が支払われた。といっても、使い道などほとんどないわけだが。
しばらくそんな生活が続き、冬を迎える頃には王国軍前線基地での生活も馴染んでいた。
「俺は王国軍……というか領軍に編入される事になった。多分、対帝国の先陣に配属される事になるんだろうな」
そんなある日、フリッツがそんな事を告げてきた。
言ってみれば難民でしかない俺たちに示された道はそう多くない。フリッツのように帝国と国境を接する事になったこの領地……ネーゼア辺境伯領というらしいが、ここの領軍に組み込まれる道が最もマシな道のように感じられた。
さんざん支援要請を出していたのに蹴り続け、最後に横から殴ってきた王国のやり方は好きではないが、兵士として糧を得るにしても、打倒帝国を目指すにしても、これ以上の場所が見当たらない。それに、それ以外の俺の頭で思いつく道はロクでもないものばかりだったのだ。
結局、俺も同じようにネーゼア辺境伯軍の末端に組み込まれる事になった。いわば制限付きの傭兵か奴隷兵のようなものだが、徴兵されて戦っていた頃に比べても待遇はかなりマシだ。活躍次第では王国市民としての待遇も見込めるという話で、とりあえず生き残りさえすれば出世はともかく王国への移住は叶う。祖国が滅び、帝国に組み込まれた以上は同郷と戦う事にもなるんだろうが、そこにあまり忌避感は感じていなかった。
この領は常に周りに戦線を抱えていたという事もあって、軍の訓練は厳しいものだった。故郷でやらされていた訓練に比べればよほど効率的なものだったのだが、フリッツに言わせればこれでも無駄ばかりだという。どこまで強い軍にいたというのか想像がつかない。
訓練に明け暮れるだけで月日は過ぎ去り、春を越えて夏。ようやく帝国側のゴタゴタが片付いたのか、辺境伯領側にも伝わる程度に動きが見られた。王国との国境線はきちんと敷かれていないものの、大部分は帝国領として編入され、俺の祖国があった場所はウェルザーという帝国の侯爵家の領地として組み込まれたらしい。もちろん家名としては知らないが、旗は戦場で何度も見かけたものだった。
元々王国と帝国は敵国同士だ。そんな二つの国の国境付近にいる以上、戦闘は発生する。編入された直後の土地だろうとそれは変わらない。
俺もフリッツも何度か戦闘に参加した。基本的には防衛戦だが、こちらから侵攻する事もあった。見慣れた土地が一年も経たないウチに別物に変わった感覚を覚えていた。
前世で言われた事は本当だったのか、この手の才能があったらしい俺は数回の作戦を経てそれなりに活躍した。そして、正式に領軍へと組み込まれる事になり、数人だが部下も持つ事になった。一兵卒から結構な出世だ。
配属部隊こそ違うものの、フリッツはもっと出世して小隊長になっていた。軍人の前世持ちは伊達ではないという事なのか。
「あまり自覚はなかったんだが、古臭い慣習の軍隊だからって舐めていたところはあったんだろうな。どんな軍隊でもトップはやっぱりやべえや」
ある日、二人で飲む事になった際にフリッツがそんな事を言いだした。小隊長として受任する際、遠目にだがネーゼア辺境伯本人を見かけたらしいのだ。
「威圧感が違う。俺たちがいた軍の士官殿なんて比較にならない」
「逃げ出した奴と比べてもな」
「それはそうなんだが、前世を含めてもあれほどの威容は初めてだ。指揮官……それも方面軍のトップが前線に出るなよとか思ってたんだが、アレなら納得だ」
どうも、件の……エミルヴィンド・ネーゼア辺境伯様は前線に出て戦う人間らしい。もちろん直接戦闘する事など稀なようだが、白兵戦も相当に強いという。
まだ若く、当主を継承した直後だからというのもあるのだろうが、以前からその実力で大量の戦功を上げていたのだとか。将来的には王国軍そのものを率いる事になってもおかしくないと言われているらしい。
「それより強い黄金剣なんて人もいるしな。女がウチのボスより強いとか冗談みたいな話だが、上のほうはああいうのがゴロゴロしてんのかね」
「隣の似たような名前の領地から来た騎士だったか?」
「似たようなっていうか、親族筋らしい。辺境伯殿と件の黄金剣も従兄妹だとか。遺伝なのかね」
ネーゼアとフィルネーゼアというのは日ノ本でいうところの字を分けた分家のようなものか。こんな敵国と接している領地なら武人が多くなってもおかしくはない。そういう家系なのだろう。
「そういえばゲンジ、お前、最近ステータス見たか?」
「ああ、こっちに来てからは定期的に調査してるからな。どれくらい信憑性のある数字かは未だ分からんが、増えはしてる」
「アレ、軍でも評価に使われてるらしいぞ。あの数字イコール能力そのままって事じゃないのは確かだが、ある程度の参考にはなるし、変動がなければサボってると見られる」
「明確に数字になると、サボるにサボれんな。世知辛い」
別に訓練をサボる気はないが、そういう小狡い輩は排除されるというわけか。本当に小狡い奴なら抜け道も知ってそうだが、そんな奴はそもそも軍になど所属しないかもしれん。ある程度でも適性が分かるとなれば、雇う側もそれを見て判断する。誤魔化しが利かないというのは厳しくて残酷だ。ひょっとしたら、数字だけ見て解雇などという現場もあったりするのかもしれない。
それから数年間帝国との睨み合いは続き、国境線の戦いも一進一退を繰り返す。しかし、戦闘自体は次第に回数が減り、実質的な国境線もほぼ固まってしまった。
この頃になると、そこが別の国だったという認識さえ薄れるのか、新兵の中には祖国の名前を知らない者さえチラホラ現れ始める。生まれ故郷が失われる哀愁とはこういうものか。
訓練と業務、そしてそのための勉強に追われる日々はあっという間に過ぎ去っていく。少しは世の事も知れたし、王国の地理もそれなりに頭の中には入っている。
ここネーゼア辺境伯領は王国の中でもほぼ最北端に位置する。一応、フィルネーゼア領は更に北ではあるが、一部のような扱いだ。そこから更に北は小国が乱立する地域、東が帝国領だ。西は王国領ではあるが、この領地はかなり広大だから認識としてはほとんど別国のような認識になってしまう。
遥か南、いくつもの領地を挟んで存在するという王都とは、一体どんな場所なのか。かつて江戸の町に想いをはせた身としては少し気になってもいた。
ある日、その王都に行く機会が訪れた。
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「内戦?」
「ああ、迷宮都市というところが王国に反旗を翻したらしい。俺もそうだが、お前の部隊も遠征部隊に編入されるだろう」
同じ国同士で面倒な事だとは思うが、これだけ広ければそういう事もあるだろうなと納得もしていた。貴族の領地など、ほとんど国のようなものだ。感覚でしか分からないが、このネーゼア辺境伯領だけでも日ノ本より大きいんじゃないかとすら思えている。
前世の元二郎が生まれる前には日ノ本全体が乱世だったと聞いていたくらいだ。その遥か昔など二つに分かれて殺し合っていたとも聞く。それに比べれば一領地の反乱など大した規模ではないだろう。
「命令ならここを離れるのも仕方ないが、その迷宮都市とやらがどこにあるのか分からんのだが。わざわざ最前線から軍を引っ張るという事は、王国北部なのか?」
「いや、南部……というか、南東部だな。王都の東だ」
「は?」
「なんでそんな場所までというのは俺も思ったが、思ったよりも大きな話になっているらしい。移動だけでハードだな」
俺でもさすがに王都の位置くらいは知っている。あまりに遠いので、生きている内に行く機会はないだろうと思っていたような場所だ。
位置関係からすれば、ほぼ国を縦断する形になる。ただ移動するだけでも大変なのに、軍を移動させるのは相当な大事だ。少なくともそんな長距離の行軍は誰も経験がない。一体何ヶ月かかるのか見当すらつかない。
そんなところの反乱など、近くの領地……というか王都が近いなら国軍でどうにかしろよと思ったが、他の領地からも参加を募っているらしい。
「というか、地図上だと王都の東って何もない場所だった気が。迷宮都市という名自体初耳だ」
「死の荒野なんていう物騒な名前の場所のど真ん中に迷宮都市があるらしい。辺境なんてレベルじゃない、正に魔境だ。砂漠で戦うよりはマシと思いたいが、真の敵は環境になりそうだな」
「補給はどうなる?」
「王都が近くにあるから、ある程度はどうとでもなるんだろうが、課題だろうな。尤も、それを考えるのは上のほうの仕事だろうが」
内戦というから普段の延長線上の話かと思っていたが、これではまるで違う世界の出来事だ。戦闘以外の要素が多過ぎて、全体像すら把握できない。王都の物見遊山とはいきそうにないな。
結局、ネーゼア辺境伯領の常備兵の内、三分の一ほどはその遠征に参加する事となった。距離が距離だけに農兵は参加しないが、国境防衛に備えて臨時の徴兵も行われるらしい。
そんな馬鹿じゃないかと思うような、どこかで絶対に破綻すると思っていた遠征だったが、思った以上に順調に事が進んだ。事前に入念な準備があったらしく、絶対に揉めるだろうと思っていた他領の通過に関しても大した問題は起きない。僻地の村落では多少の諍いはあったものの、せいぜいがそれくらいだ。
もとより王国内での最大軍事派閥に喧嘩を売ってくるような勢力もない。俺はずっと領都や国境付近に常駐していたので知らなかったが、王国全体で見ても辺境伯軍は一目置かれる存在だったのだ。ましてや、作戦の総大将が辺境伯、前線総指揮官が黄金剣ともなれば、素直に助力しておいたほうが身のためという事なのだろう。尚、国境の指揮は代理でフィルネーゼアの当主が務めるとの事。
よく考えてみれば、件の迷宮都市とやらはコレを含む王国のほぼすべてを敵に回しているな。理解できん。
俺はといえば、この遠征に合わせて昇進し、新たに小隊を率いる身となっていた。それも、黄金剣直属の大隊に組み込まれた、おそらく先陣として布陣されるだろう部隊である。
小隊設立にあたり、黄金剣本人とも面会した。そこで俺は、いつかフリッツの言っていた言葉を目の当たりにする事になる。
……簡単に言ってしまえば、黄金剣は化け物だった。容貌が醜いとかモンスターのように巨大だとかではない。容姿だけ見るなら女性にしては少々背は高いものの、どこかの姫君と言われても納得してしまう美しさだった。
そういった点を加味しても尚、化け物と感じるほどに、身に纏う気配が人間のそれと異なっていた。生物としての位階そのものが違う。手合わせしたわけでもなく、目の前に立っただけで絶対に勝てないと感じるほどに。やりたくはないが、彼女以外の部隊員全員でかかっても負けてしまいそうな気さえする。
実際に話してみれば普通に温和な少女なのだが、一度感じてしまった恐怖を拭う事はできない。彼女の真面目な性格もあって訓練は苛烈だったが、目を付けられたくはなかったのでみんな必死だ。
遠征に伴う長距離の移動よりも、その途中途中で行われる訓練のほうがキツかった。王都に到着して、他領と足並みを揃える意味で行われ続けた訓練の最中も、早く他領軍が到着して欲しいと祈っていた。
「ここが王都か……」
「ハメ外すなよ。俺たちが問題を起こせば、その分上に皺寄せがいく。ここは領都じゃないんだ」
「お前じゃあるまいし、領都でもハメを外した事などない」
「部下の行動にも注意しろって意味だ。飲み屋や娼館を利用するにしても、軍から指定された場所に行くよう徹底させろ。俺はそうする」
同じように小隊長を務めるフリッツと並び、王都の城門を見上げる。かつて日ノ本にいた時は江戸にも京にも行く事はなかったが、違う世界でこんな巨大都市を訪れる機会があろうとは。
建国時に設立された町はすでに七百年を超える古都だ。古臭くもあり、歴史を感じさせる部分も多いが、それ以上に規模が違う。比較するのはどうしてもネーゼア辺境伯領都になってしまうのだが、散々大都市と思っていた領都よりも何周りも巨大である。
辺境故に娯楽施設の乏しかった領都と違って、王都にはなんでもあった。特に全土から運ばれてくるという食材や香辛料の類、または酒がその差を感じさせる。
ただし、物価はべらぼうに高い。ロクに使い道がないために死蔵していた給料があっても、羽目を外せばあっという間になくなりそうな物価だ。都会とはかくも恐ろしい場所であったか。
とはいえ、俺たちの目的は内乱の鎮圧だ。地方の領軍が集結するのを待つ間も訓練に明け暮れ、他領軍や王国直轄軍、近衛軍とも合同訓練を行う。
実戦経験が豊富という事もあり、ネーゼア辺境伯軍は領軍の中では練度が高い事は知っていたが、それを考慮しても他領軍はお粗末だった。直轄軍や近衛は精鋭だけに別格にしても、他の領地はほとんど実戦経験もないのだ。ほとんどが徴兵された農民で、モンスターとの戦闘経験すらない新兵すら混ざっている有様である。これでは、いざ作戦を行うにしても足並みは揃わない。かといって再編しようにも規模が大き過ぎるし、指揮官や所属の問題もある。
思っていた以上に難儀しそうだなと思う程度には、俺も軍隊の事は勉強していた。
こうして様々な部隊の人間と訓練してみて感じるのは、自分の強さだ。精兵ばかりのネーゼア辺境伯軍の中にいたから実感できなかったが、一般的な軍人のそれと比べれば俺は強いほうらしい。
もちろん、上を見ればキリはない。辛うじて比較が可能な範囲で言えば、フリッツは微妙に俺より強いし、近衛騎士は辛うじて勝負になるかといったところだ。
ただ、王都で知った中で最も強いと感じたのは最精鋭と言われる近衛ではなく、王国騎士団副団長のギルウィスという男だった。隔絶し過ぎていて辺境伯や黄金剣など比べても差は分からないが、俺などよりは遥かに強い。所属部隊の違いもあって肩を並べて戦う事はないだろうが、彼のような戦友がいれば心強いだろうにと思う。
少し親しくなったので聞いてみれば、伯爵家の嫡男だとか。それ以外にも騎士団……それも正騎士ともなると、そういう身分の高い連中がウヨウヨしているらしい。言動に気をつけないと首が飛びかねんな。
長い準備期間中には王都東に広がる死の荒野の付近を使った実地訓練も行った。より実戦に近い環境を試す意味合いが強かったのだろうが、正直度肝を抜かれた。
死の荒野とは良く言ったもので、こんな場所は人の生きていけるような環境ではない。罅割れた大地には一切の植物がなく、虫ですらほとんど見かけない。ただ立っているだけでも猛烈に水分を消費する上に水場がないという悪夢のような場所だ。少し踏み入っただけでもこれなのに、ど真ん中に都市を造るなど意味不明に過ぎる。
ところが、どこまで信憑性のある話かは分からないが、迷宮都市自体は王国建国以前から存在しているらしい。当時の人間は、何故こんな地獄に住もうと思ったのか。
補給線が文字通りの生命線になる。そんな戦場を予感させた。個人で運ぶ荷物程度では決して踏破できない。死の荒野はそういう魔境だ。
今回の訓練では遭遇しなかったが、桁外れに強いモンスターも徘徊しているのだというから驚きだ。もう、反乱とか放っておいて独立でもなんでもさせたほうがいいんじゃないだろうかとも思うが、上の判断に従うだけの一小隊長としては選択肢はなかった。
一応だが、定期的な交易はあるらしいから、人の踏破できない環境ではないというのは証明されている。そして、今回の作戦に合わせて迷宮都市に行った事のあるという行商人も参加する事になるらしい。
そうして、過剰なまでに準備を重ねた上で、ついに鎮圧作戦が始まる。
地獄だった。想像していた以上に過酷な環境は容赦なく脱落者を生んでいく。
相当な訓練を重ねた俺たちですら辛いのだ。専用の馬車を使っているとはいえ、ロクに行軍経験もないような兵士では話にもならない。付近の領主が集めたという農兵など論外だ。
辛うじて補給線は繋がっているものの、脱落者は多数。補給的な意味では少人数のほうが望ましいのだろうが、そんな事で戦えるのか。敵の姿すら見る事なく全滅しそうな惨状だった。
先行している行商人の道案内だけが頼りだった。こんなところを行商していると聞いた時はどんな狂人だと思ったものだが、さすがに慣れているのか俺たちの誰よりも元気があった。信じられないタフさだ。
彼の話によれば、ここらでようやく全行程の半分ほど。順調にいったとしても後一ヶ月も進む必要があるのか。順調なはずなのに、気分は遭難者だ。
軍は更に進む。脱落者が続出し、すでに軍の体裁は崩壊しかけていた。足取りがしっかりしているのも先行部隊の中では俺たちくらいだ。超人としか言いようのない黄金剣ですら気力を失いかけているのが分かった。
……ここに至り、おそらく上層部は判断を迫られている。作戦はすでに当初のものから大きく逸脱している。戦争どころではなく、戦場に立つ事すらままならない。たとえ、今から戦争が始まると言われても、まともに動けるのは何人いるかという話だ。
莫大な資金が投入されているだろうが、引くしかない。幸い、どれだけ魔境かは分かったのだ。次に繋げるべきだ。誰もがそう考えてただろうが、判断するのは俺たちではない。
そして、撤退の決断がされぬまま、更なる暗雲が立ち込めた。行商人の話によれば、そろそろ目的地が見えてくるはずだったのに、一向に迷宮都市とやらの影は見えない。視界の悪い荒野が広がるのみだ。
勘違いかと思いたかった。しかし、最も困惑していたのは行商人本人だ。何度も往復した実績があるのだから、間違えようがないはずだと。嘘を付いているようにも見えなかった。
完全に進退窮まる。最早撤退以外の道はなく、帰還の道でさえ死を覚悟する必要があるだろう。
休息と今後の検討のために、その場に数日留まる事になった。ここはあくまで先遣部隊だから、後方にいるだろう辺境伯様と連絡をとるにも時間がかかるのだ。提言はできても、最終的な判断は後方の辺境伯様がする必要がある。
過酷な環境とはいえ、留まるだけならばそこまで消耗はしない。これが話に聞く砂漠だったりしたら話は別だったろうが、足場はしっかりしているし、太陽を遮る岩場もある。物資自体はあるのだ。水は想定以上に消費しているようだが、今すぐどうこうという事はない。
仕方ない事とはいえ、その場に留まった判断はおそらく正解だった。どうも天気が怪しいと、縛り上げられている行商人が言った。
時期外れらしいが、この死の荒野では嵐がやってくるらしい。台風などではなく、一切の水分を奪い去る灼熱の熱風だ。後方にも伝令を走らせ、俺たちも岩場に即席の避難所を構築する。
台風の怖さは良く知る身だ。しかし、そんな想定など粉々に砕け散るほどに、やってきた嵐は壮絶なものだった。洞穴の中にあってさえ、近くの声が遮られる。発生する熱も凄まじいが、それ以上に水分を根こそぎ持っていかれる。身を守るための岩場が容赦なく削られていく。地獄とは正にここの事だ。俺たちはこうして簡易でも避難できたから良かったが、そうでなければ全滅すら有り得る、そんな大災害だ。
嵐自体はすぐに過ぎ去ったが、巻き上げられた砂埃で視界が確保できない。こんな中では行軍は自殺行為と誰でも分かる。連絡が途絶した後方部隊が無事なのかすら分からない。
事ここに至り、黄金剣もさすがに独自の判断で動かざるを得ない。連絡がつかなくとも撤退の判断を下した。こんな状況で異議を唱える者などいない。
誰もが、ようやく帰れると思っていた。当初の目的を覚えている者など一人としていなかったと断言できるほどに悲惨な行軍となった。どの道、戦闘などしても勝ち目はない。
しかし、俺たちが帰途につく事はできなかった。
撤退の準備をしている最中に、突然の強襲。砂埃で視界が悪いのが災いして、至近距離まで接近を察知できなかった。しかも、襲来したのは迷宮都市の軍などではなくモンスターだ。個別の種族など判別不可能だが、明らかに人のそれではない巨躯。話でしか聞いた事のないような怪物たちが容赦なく襲いかかる。
「怯むなっ!!」
ここまでに戦闘らしい戦闘はなく、ただただ凶悪な環境に精神を削られるばかりだった中での強襲に浮足立つ部隊員だったが、黄金剣の一喝により冷静さを取り戻した。我ながら調教されているなとも思うが、今はありがたかった。
視界が悪く、部隊員の位置関係すら把握できない状況では連携を成立させるのも困難だが、一方的な虐殺は避ける事ができた。悪足掻きのようなものとはいえ、戦闘のような何かにはなっている。
モンスターたちの繰り出す攻撃がいちいち重い。一撃を受け止めるだけでも精一杯だ。反撃など夢のまた夢。個別に戦っていては死を待つのみだ。この死地にあって、唯一とも言っていい光明は黄金剣の個人戦闘力だろう。同じ事を考えたのか、隊員が合流しつつあった。その時点で隊員は半数程度。しかし、まだ戦える。
牛の頭を持つモンスターが迫る。獣のような四足歩行のモンスターが迫る。人のようで人では決してない巨躯を持つモンスターが迫る。
なんとか体勢を整えはしたが、明らかな劣勢。一体一体が強力な上に、おそらく数でも負けている。そして、戦況を把握するために敵を観察していた事でとある事に気付く。……気付いてしまう。
モンスターたちはあまりにも整然と行動していた。種族の異なる者たちが、お互いの戦い方を良く知っているといわんばかりに高度な連携で挑んでくる。それは戦術と呼んで差し支えないものだった。
そこから導き出されてしまった回答は、こいつらはただのモンスターではなく、何かの作戦に基づいて行動しているという事。
「馬鹿な……」
奴らの正体は何か。そんなもの、答えは一つしかない。……このモンスターたちは迷宮都市の兵士なのだ。
「ゲンジっ!!」
砂埃の向こうからフリッツの声が聞こえた。それはまるで、俺が絶対絶命の危機にでも陥っているかのような声で……次の瞬間、その声の意味を知る。
振り返れば、視界に映るのは地中を潜航してきたといわんばかりに地面からそびえ立つ、不気味な蛇のような何か。今にも俺を飲み込もうと大口を開けたソレが迫り……。
……俺の意識は闇へと沈んだ。
-4-
次に目を覚ましたのはベッドの上だった。異様に上等な、真っ白な寝具は見覚えのないもので、そこが俺の知らない場所である事に気付いた。
そこは窓のない個室だった。部屋にあるのもベッドと棚だけで、他には何もない。服も薄手のものに着替えさせられている。
「……ここはどこだ?」
視界が定まらない。朦朧した意識のまま、夢でも見ているような感覚だ。
俺は死んだんじゃないのか。また別の自分に転生でもしたのかと思ったが、おぼろげながら伝わる感覚は確かにこれまでの自分のものだと分かる。
「確か、あの蛇みたいなものに飲み込まれて……」
「その後、部隊は壊滅。先遣部隊は一人残らず捕虜にされたらしいぞ」
部屋の敷居のように見えた布を開けて、見知った顔が入ってきた。フリッツだ。
「どういう事だ。ここは一体……」
「迷宮都市らしい。詳しくは知らんが、治療してくれたらしいな。とりあえず、ウチとお前のところの部隊員が全員無事なのは確認した。他のところも多分全員いる」
「誰も死んでないのか?」
「不思議な事にな。あのモンスターどもは最初から俺たちを殺す気はなく、捕えに来たって事なのかもしれん」
「やはり迷宮都市の兵士という事か」
「十中八九そうなんだろうが、あんな部隊連携する野良モンスターとか嫌だな」
それはそうだ。野生のゴブリンなどと戦った事はあるが、ただでさえ数の多いあいつらが連携して作戦行動をとるようになったら手に負えない。ましてや、もっと強力なモンスターなど。
「まあ、どうなるかは分からんが、当面は死ぬ心配はなさそうだ。飯持ってきてもらうか? 尋常じゃない美味さだぞ」
「……食う」
体は正直だった。飯もそうだが、水が欲しい。
全身白い服の女性が運んできた、前世を含めても一番美味いだろう食事を平らげ、人心地ついたところでフリッツと状況整理を始める。とはいえ、お互いに大した情報は持っていないので情報の摺合せ程度だ。白衣の女性にも聞いてみたのだが、後ほど責任者が説明に来るという事しか分からなかった。
「まあ、順当に考えて捕虜って事なんだろうな。それにしては待遇がいい気もするが。どうも黄金殿だけ別の場所にいるらしいし」
確かに、前線指揮官の身柄となれば捕虜としては十分過ぎるだろう。本人の身分も子爵令嬢かつ王国正騎士、しかも辺境伯の従姉妹ともなれば、交渉材料にはなるはずだ。一方で俺たちにはさほど価値はない。部隊の中……他の隊長の中にはそれなりの身分の者もいるが、黄金にははっきりと劣る。鐚銭だと卑下し過ぎだが、銅銭くらいだな。
結局その日はそのまま何事もなく終わり、疲労もあってあっという間に就寝した。
動きがあったのは翌日だ。俺たちは個別に呼び出され、質疑応答が始まる。恐ろしい事に、拘束すらされず、相手も武器を持たない状態での質疑応答だ。暴れようがどうとでもなるといわんばかりの扱いである。こんなところで暴れては他の隊員に迷惑をかける事になりかねないので、もちろんそんな事はしない。
質問の内容は多岐に渡り、軍の事はもちろん、俺個人の事にも及んだ。黙秘するべき事は当然沈黙を貫いたが、どうでもいい事は素直に答える事にした。いつかフリッツに聞いた話だと、名前と所属以外は口にしないのが普通らしいが、ウチではそこまで徹底されていない。実際、後でフリッツに聞いてみれば、奴も軍機以外は普通に話したらしい。
尋問という名のただの質疑応答は数日におよび、いい加減面倒になりつつあった頃、再確認と念頭に付けられて同じ質問を受けた。何故かは分からなかったが、聞かれたのは前世の事だ。
「この生年と出身国に間違いはありませんか?」
「ええまあ。何分前世の事なんで勘違いはあるかもしれませんが」
そもそも、前世の元次郎からしてロクにモノを知らなかったのだ。ある程度の教育は受けていたものの、嫡男のそれとは内容も異なる。それでも、自分の出身地くらいは間違えようもない。
思い至ったのは、以前フリッツが言っていたように同郷の存在が迷宮都市にいるかもしれないという事だ。それが責任者なら少しくらいは気にするかもしれない。そんな事で捕虜としての待遇が良くなるなら、前世も無駄ではなかったというものだ。
「……どういうわけか分からんが、江戸時代だな」
入れ替わるようにして部屋に入ってきた中肉中背の男がそんな事を言い出した。
「江戸? 関東の? ええと……」
「その江戸。杵築新吾。ここの責任者みたいなもんだ」
結局行く事はなかったが、さんざん想像した都会だ。そこを間違える事はない。時代と言われても良く分からないが、江戸が中心となっていたのは確かだろう。
「多分だが、転生は時間を超越してるって事なんだろうな。俺のいた時代では江戸は東京って呼ばれてた。質問した内容が正しいなら、俺はあんたの前世……元次郎が生きた数百年後の人間って事になる」
「は?」
あまりに突拍子もない話に理解が追いついていかない。そりゃ転生なんてものがあるんだから、理解できない事もあるだろうが、言葉の意味だけなら分かるだけに余計に混乱していた。
「まあ、良く似た別の世界って線はあるだろうが、江戸なんて地名で字まで一緒なら似たようなもんだ」
男は俺よりも遥かに詳しく、色々話を聞いてみれば同じ世界である事は疑いようもなかった。
幕府は俺の死後も百年以上続き、外国がやって来た事によって大政奉還が成され、日本という一つの国としてまとまるという歴史も聞いた。
いつかフリッツの言っていたジャパニーズというのは海外から見た日本の呼び名らしく、アメリカという国もあったらしい。杵築新吾の生まれた時代なら普通に知っているとの事。同じ時代の人間と勘違いしていただけで、日本の出身だろうという推測は当たっていたのだ。俺からすれば分かるかそんなもんという話ではあるが。尚、フリッツのほうにも同郷という事で別の個別面談を予定しているらしい。
とはいえ、それらは俺の前世とこの男が同郷であったというだけの事。それで事態が好転するかといえば……。
「別に、便宜くらい図ってもいいぞ。こう見えてもこの町で二番目に偉い立場だし」
……好転したらしい。
「そもそも、そっちの認識ではどうだか知らんが、こっちは別に戦争してる認識はないしな。侵入者がいたから拘束したというのが近い」
「確かに戦闘らしい戦闘になどなっていないが、王国に対して反旗を翻したのでは?」
「翻してないな。いや、事情聴取は終わってるからそっちの状況は分かる。王国側では今回の件は一方的な懲罰戦争って認識だ。なんか美味そうな獲物がいるから、みんなで切り分けようぜ的な」
「は?」
またしても理解が及ばない。さっきから調子を崩されっぱなしだ。
「一応領地として存在はしていたけど、あまりに極悪な環境で旨味のなかった迷宮都市がいきなり発展したから、一部の大貴族が理由を付けて反乱した事にしたって流れだ。さすがにこっちの戦力は把握してなかったから、何もできずに終了したわけだが」
「……まさか、俺たち以外の部隊は」
……全滅したのか? あんなモンスターに襲われたんじゃ、後方の部隊は……。
「いや、全員お帰り頂いたぞ。丁寧に死の荒野の外まで運ぶサービス付きで。怪我人はいるが、誰も死んでない。多分、そっちのほうがキツイんじゃねーかなーって」
駄目だ。この男の話を聞いていると頭がおかしくなってくる。俺の常識が通用しない。どこの世界に、自分たちを襲ってきた敵を送り届ける戦争があるというのだ。
ここは、もう理解できない前提で話を進めたほうがいい。
「末端の兵士に理解できない事は分かった。……それで、俺たちがどうなるか聞いても?」
「あー、それなんだが、難しいところなんだよな。こっちとしては話がついたら帰ってもらっても良かったんだが」
「……だが?」
「王国からは、内乱など発生しなかったし、鎮圧部隊も派遣してない。当然、捕虜にとられた先遣部隊などは存在しないという回答が返って来た」
「は……いやいや、そんなはず……なんなら辺境伯様に話してもらえば……」
「そのネーゼア辺境伯から直々の回答だ。体面上、いなかった事にしないとマズイってさ。おかげでお前らの部隊長……メイゼルだっけ? あの子がガチギレしてる」
な、なんだそれは。上層部で何があったのかは分からんが、俺たちは切り捨てられたのか?
「適当なところで内密に戻してもいいんだが、ほとぼりが冷めるまでここにいたほうがいいかもな。件のメイゼル女史は帰る気なさそうだし」
「…………」
その後も何かを話したはずだが、頭に入ってこなかった。純粋に王国民ではないし、戦働きくらいしかできないなりにこれでも辺境伯軍で尽くしてきたつもりだ。それが切り捨てられた。
……いや、黄金剣が切り捨てられたのだ。それに比べれば俺のような末端の兵士などいないも同然だろう。
「もはや戻る気もないが、戻ったらエミルヴィンドを捩じ切ってしまいそうだ。顔も見たくない」
しばらく時間を置いて黄金剣と面会する機会もあったが、少なくとも彼女はそれを信じていた。嘘かもしれないとも思ったのだが、彼女はどうやってか直接辺境伯と話したそうだ。
詳しく説明も聞かされたが、精神状況がどうこう以前に複雑怪奇過ぎて理解できなかった。一兵士に宮廷政治を理解しろといわれても無理に決まっている。
それから半年近く迷宮都市の施設に逗留したが、その頃になると切り捨てられたのが疑いようもなくなっていた。どういう方法でかは知らないが、外部の様子も分かるし、資料も手に入るのだ。俺たちはネーゼア辺境伯軍から除籍されていた……いや、最初からいなかった事になっていた。
極秘裏に王国でも帝国でも好きなところに運んでくれるという提案もあったが、丁重にお断りした。
今回の件は、俺の理解できる範囲で掻い摘んで説明するなら、王国上層部が勝手に迷走したのだ。いや、暴走といっても過言ではないのだろう。俺たちは、その帳尻合わせに使われたのだ。そんな事をするまでもなく、迷宮都市側は気にもとめていないのに。
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「しっかし、俺たちも転々としたもんだよな。高々数年で所属変わり過ぎだろ」
「違いない」
俺もだが、隣で酒を飲みながらボヤくフリッツも迷宮都市に残る事になった。というか、誰一人として帰る者はいなかった。家族がいる者もいたが、迷宮都市はわざわざ呼び寄せてくれたのだ。
というか、感情的なものを抜きにしても迷宮都市の生活レベルは桁外れなのだ。領主が杵築新吾の故郷……江戸ならぬ東京を模して作ったという都市は、あまりにも快適過ぎた。何もかもが違う。これを知らずに喧嘩を売る王国が如何に無知かと思うほどに。……命令とはいえ、俺もその一部ではあったわけだが。
「お前もなるんだろ? 冒険者。どうせだから、昔みたいにコンビ組もうぜ」
「ああ、悪くないな」
迷宮都市に軍隊はない。内部の取締りをする警察は存在するが、自警団のようなものすらない。だから、俺たちも身の振り方を考える必要があった。
一番分かりやすく、向いてるだろうと思うのは冒険者だ。その名前にいいイメージはないのだが、迷宮都市の外でいう冒険者とは違う。
正直、説明された内容だけでもやっていけるか不安ではあったのだが、駄目なら別の仕事も紹介してくれるというので、挑戦だけはしようと思ったのだ。
この街で冒険者を名乗る者はどいつもこいつも化け物ばかりだが、彼らに近づく道が用意されているのなら近づきたいとも思うのだ。
俺とフリッツの新たな生活が始まる。
前世を含め、これまでの人生でロクにした事もなかった勉強も積極的にした。時代が違えば変容もしているが、言語の根本は同じだから習得も早い。
どういうわけだか存在している日本の歴史についても詳細を知った。元次郎だった頃は盤石と疑っていなかった幕府が滅んだという事実も、よくよく考えてみれば過去の武家政権が倒れたのと大差ないと理解した。元次郎の実家についての情報は残っていなかったが、下級武士ではそれも当然だろう。
動画や写真で東京の町並みも見た。あまりに違い過ぎて、かつて憧れた江戸の町の延長線にあると信じられなかったが、時代が違えばそういう事もあるのだろう。
迷宮都市の生活や価値観に慣れるのは難儀したが、外部の人間を受け入れるための制度もあったので時間が解決してくれた。
一年も経てば、故国や辺境伯領での暮らしなど忘れていた。
冒険者に関しては、お世辞にも才能があったとは言い難い。後の迷宮都市からみれば制度も整っていなかったのもあって、俺たちの歩みは亀のようなものだった。
しかし、十年も続ければそれなりの形にはなった。当時の先遣隊の中でそこまで続けたのは結局俺とフリッツだけだった。
十年かけてようやく中級に手が届く程度。その上はあまりに格が違い過ぎて見上げる気にもなれない。そこが俺の冒険者としてのゴールだった。
俺たちの場合、移住の経緯の事もあって優遇されていたから直接は関係ないが、中級に上がれば外の冒険者出身でも永住権は得られる。すっぱりと冒険者の活動を辞める事に支障はなかった。
同郷の縁もあり親しくなったダンジョンマスターに引退を告げ、新たな職を紹介してもらう。見合いだが、嫁も出来たし子供も生まれた。出自から考えればこれでも十分過ぎるほどに幸せな人生なのだろう。
生産区画に住宅を新築し、仕事の休みを利用して農業の真似事を始める。前世でも真似事程度ならやっていたが、改めてやってみればこれはこれでやりがいがあった。耕す畑が自分の所有する土地というのも大きいだろう。半ば引退した中年のスローライフというやつだ。
土地はあったので畜産も薦められたが、これは遠慮した。喋る家畜を相手にするのは頭がおかしくなる。
最初の内戦……のような何かで移住したのが王国歴716年。迷宮暦にして0004年の事だ。
現在は迷宮暦0024年。迷宮都市に腰を落ち着けてからそろそろ二十年が経とうとしていた。
そんなある日杵築新吾……ダンジョンマスターがやってきた。別段珍しい事ではない。この男が前触れもなく現れるのはいつもの事なのだ。
「帝国で貴族やってみないか? ウェルザー侯爵領の一部を分割……というか、お前の故郷の領主を打診されてるんだけど」
「断る」
突然投げかけられた突拍子もない話は、考慮に値しないものだった。
「あー、フリッツにも断られたんだよな。アレだぞ、生活レベル落としたくないって理由なら迷宮都市で支援するが」
「確かに今更元の生活レベルは厳しいだろうが、そんな理由じゃない」
俺は手に握った鍬を地に突きつけてみせる。
「ここが俺の……ゲンジのゴールなんだ。これ以上を望む気はない」
「お前ら、揃って同じ事言うのな。長年一緒にパーティ組んでると似るって事か」
「それもないとは言わんが、俺の持論だ。人にはそれぞれ相応しい生き方があり、生きる場所がある。それを逸脱すれば幸福が幸福でなくなるという事だ」
身に覚えがあるんじゃないのか、という意味を込めて杵築を見る。言葉の意味が分からないという事はないだろう。
「あんまり虐めるなよ」
「時代は違えど、同郷のよしみというやつだ。……まあ、すでに理解はしているのだろうが、心配している者もいるという事だ」
「耳が痛くて仕方ねえ」
相変わらず飄々としたものだが、ちゃんと口にすればこの男は忘れたりはしない。そういう男だと二十年の歳月で知った。
「そういう重苦しい話は別途考えるとして、帝国の件は……まあ誰か適当に生贄でも探すか。立花・高橋コンビみたいな奴らが他にいればいいんだけどな」
「奴らの事を生贄と言ってやるな」
王国と帝国、それぞれの中枢に監視目的で出向している二人だが、アレはアレで幸福なのだと思う。偶に会うと愚痴を聞かされるし、真似できる気もしないが、だからこそ人それぞれと言うのだろう。
「杵築新吾。……色々あったが、俺は幸福だぞ」
暗にお前はどうだ、という意味の言葉だったが、返答はない。ただ、少しだけ嬉しそうに「そうか」とだけ言って、そのまま立ち去っていった。
おそらく、あの男は間違えたのだ。自分の生き方、妥協点、幸福の在り方というものを。それに関しては黄金剣も同様だろう。
無限回廊に挑戦するものは無限に上へと登れる。果てのない地獄のような階段を登り続ける。だから容易に引き際を見失う。幸福を見失う。
正解かなどは分からんし、そもそも答えなどないのだろうが、あの男が最も幸福を得られたのはもっと手前で妥協する事だったと俺は思う。
もちろん引けない理由はあっただろう。しかし、そこで引けていれば、あるいはこの世界に骨を埋めるという選択肢もあったはずなのだ。それだって、十分に人としての幸福な生には成り得たはずだ。
すでに遠過ぎて、奴のゴールがどこにあるかなど分からない。しかし、それが奴の最大幸福であるとは思えなかった。
俺がこうして相応の幸福を甘受しているからこそ、余計に思う。
「思えば遠くまで来たもんだ」
かつて江戸に憧れた元次郎が、巡り巡ってどういうわけかこんな場所に落ち着いた。すでに憧れなど風化して形も残っていない。
遠く、遠く離れた地で終着点を見つけた。俺の人生は、そういう物語だったのだ。
そろそろ特別編のゴールが見えてきた感がある。(*´∀`*)
しかし、次に予定しているエキシビジョンマッチはどうやったら面白くなるのか見当もつかない。
多分、特別編最大の難所と思われる。