特別編『秘密結社YMK-ЯЯ』
今回の投稿は某所で開催した「特別編アンケート敗者復活戦コース」に支援頂いたゆノじさんへのリターン作品の一つです。(*´∀`*)
何故か続いてしまったので、前後編合わせて一つのリターンになります。先が長い。
『実はこの裏手に居酒屋を構えててねえ、冒険者なら元々タダ同然の値段で焼酎出してるんだけど、ここの利用者には更に割引になるクーポン配ってるのさ』
『ほう、そういうものもあるのか。商売上手というわけだな、ババア』
『むしろ商売度外視の趣味だね。クソみたいな底辺冒険者煽るのが趣味なのさ』
『悪趣味だな、ババア』
それは想起された過去の記憶。あまりのトラウマに心の奥底へと封印したものが、時代を超えて蘇ったのだ。
『や、やめろっ!? 暴れたのは私でなくそいつだろう!? 何故私ばかり』
『原因がもうオダブツしちまったんだよ! 埋め合わせしなっ!!』
『理不尽極まるっ!?』
訪れる度にスピニングトーホールドを極められるようになった最初の記憶。響く絶叫の裏では『ババア・処刑のテーマ』が流れていた。
『ぐあああああっ!!』
-1-
「なんで何回やってもババアばっかり出てくるんだよっ!?」
「そんな事言われても……」
迷宮都市中央大学。その研究棟の一室で、教授の一人が覆面ローブに向かって怒鳴り声を上げていた。叫びたいのはむしろトラウマを想起された自分だろうと同志Aは思う。
「テストに付き合わせてる俺が言うのもなんだが、どんだけババア好きなんだよ、お前」
「むしろ嫌いだから記憶に蓋をしているのだが」
「だからって、いくつ蓋してるんだよ。毎回ババアのスピニングトーホールドじゃねーか。嫌なら行かなきゃいいのに」
「それは底辺を体験した事のない者の言い分だな。次郎三郎が地に落ちた者の最後の居場所である事は否定できない」
「そりゃ俺は冒険者ですらないからな」
どこにも居場所がないから自然と足が向くのだ。底辺しか集まらないから、周りにいる底辺を見てまだ最底辺じゃないと自分に言い聞かせられる。金持っていない底辺な上に大体ロストマンだから別の場所に飲みに行くという選択肢もない。まったく良くできたシステムである。正に悪趣味なババアのために作られたと言っても過言ではない。
同志Aにとってみれば、それなりに成功した今でも近付いただけで手足が震えるという恐怖の対象である。職業柄、質屋に行く事は珍しくないから困った話だ。最近は大体代理人を立てるのだが。
「しかし……やってみて思ったが、これは意味があるのか? せめて動画にでも出力できるというなら使い所は思いつくが」
「画像出力もあるにはあるが、精度の怪しい静止画オンリーだな。扱ってる室も違う」
今回行っているのは記憶想起誘発のテストだ。変なヘルメットを被って特殊な何かをする事で、被験者の思い出せない記憶を呼び起こすというものらしい。
単に誘発して引き出し易くするだけで、結局情報は本人の脳内にしかないのだが、ある程度その条件付けを定義できるという事で、今回クーゲルシュライバーで起きた出来事の情報補完を目的としてテストが行われている。
極めて状況確認の難しい案件だけに、当事者目線の記憶は重要だ。改変の影響で部分的に怪しくなっている者が多く、こうして思い出すために手間をかける必要はあるが。
「いや、やる必要があるのは分かる。あんな事になった以上、少しでも情報が欲しいというのは当然だろう」
あやふやな記憶……というよりも前後の繋がりが良く分からなくなっている記憶だが、それもある程度説明を受けた今ならそうなっている理由は理解できない事はない。意味はさっぱりだが。だから脳に作用するような怪しげな実験でも協力しているのだ。しかし、何度やっても想起されるのはババアとの対戦の記録だけだ。トラウマだから記憶に蓋をしていたというのに、余計な事をされている印象しかわかない。
動画出力できるならなんとかしてユキたん動画を手に入れようと思っていた同志Aだったが、そうは上手くいかないという事で、テストに対する情熱はすでに失いかけている。
「記憶の外部出力は技術的なハードルが大きい。本人の認識では繋がった映像に見えていても、そこに付帯する情報が大量にあるからな。支離滅裂な夢よりも無茶苦茶になって収拾がつかないだろう。だから静止画が限界なんだろうさ」
「しかし、記憶を共有するような精神系の魔術はあるはずだぞ」
「それは術者が取捨選択しているか上手くやってるんだろう。一応理論立ってはいるがほとんど魔法みたいなもんだから、誰でも使える機械で再現っていうのはちょっと厳しいな」
「そうなのか……」
なんで冒険者でない大学教授のほうが詳しいのかは謎だったが、おそらくは専門分野に関わる部分だから調査しているのだろう。
まあ、同志Aにしてもそんな術を使える知人はいないし、いたとしても欲しい記憶情報を持っているとは思えないから、意味のない話ではあるが。
同志でかいロープこと、渡辺綱の記憶が共有できるのなら大枚叩いてでもお願いするところではあるが、多分普通に嫌がられるだろう。同志Aも、自分の記憶を誰かに見られるのは恥ずかしい。
ちなみに同志Aは認識していないが、もし渡辺綱の記憶を下手に共有しようものなら発狂一直線である。超常の絡まない今世の記憶だけでもかなり怪しい。オークやゴブリンを生で捕食するような体験は常人に耐えられないはずだ。
「アレだって、ある程度共通の情報を持っている事が前提で、未知の概念は共有し難いみたいだぞ。……ほらコーヒー。教授自ら入れたレアものだ」
「インスタントにレアもクソもないと思うが」
休憩だと言わんばかりに差し出された紙コップを受け取る。脳を扱う以上、この実験にはある程度のインターバルが必須とされているから、間を保たせる必要があるのだ。
「話を戻すが、そもそもお前、今回の件についてどの程度覚えてる?」
「最初のアンケートで答えてると思うのだが」
「再確認だ」
まさか、読んでないのではあるまいなと思いつつコーヒーを一飲み。ローブofYMKは飲食が難しいため、わざわざ持参したストローを使用している。
「不明瞭な部分は多いが、記憶に蓋をしてるとかそういう感じではないな。前後の繋がりが分かりづらくなっているが、話を聞けば納得もできるしな。ストロー盗もうとして食堂のおばちゃんに怒られたのも、テニスをしたのも、謎の顔の波に飲まれそうになったところをゴリラを身代わりにして助かった事も、嫌だというに変な車に押し込められて発射されたのも、実際にあった事と想定するなら納得できなくもない」
「やっぱり、トラウマで記憶に蓋してるのとは違う感じか。繋がりが怪しくなっているだけと……ちょっと設定弄って色々やってみるか」
「面倒臭くなってきたから、そろそろ帰りたいんだが。そろそろ次の集会の資料も作らんといかんし」
当初の期待は裏切られているから、あまり長居もしたくなかった。この調子では実験の度にババアの記憶が蘇る未来しか想像できない。なんせ、自分ではいくつ封印しているのか分からないのだ。
「まあ待て。具体的にはウチの予算のために。いつも色々便宜図ってやってるだろ?」
「世話になってるのは確かだから、貢献するのはやぶさかではないが……こんな事が実績になるのか? そもそも末端とはいえ教授が出てくるような話でもあるまい」
「俺が出張ってるのはコレがダンジョンマスター案件だからだ。お前以外を対応してるのだって基本的に教授クラス……つまり、重要度だって高い。情報が表に出ない以上明確な実績にはならないが、意味がないなんて事はないはずだ。じゃなきゃ、いくら知人とはいえ俺がこんな下っ端みたいな仕事はしない」
「貴様が出てくるのにも意味があったという事か」
「こう見えても教授様だからな」
伝統も家格も関係ない迷宮都市の大学で教授という事は、つまりそれだけ結果を出しているという事である。加えてまだ年齢も若いのだ。
「ならば、尚更点数稼ぎなど必要ないような気がするのだが」
「まあ教授クラスの人手が足りないっていうのもあるが……俺の研究テーマに無関係ってわけでもないからな」
「転生における記憶の連続性だかなんだかに関係あるとも思えん」
変わってなければ、目の前の教授の研究テーマはそういう類のものだったはずだ。もっと小難しいタイトルだったはずだが、同志Aの脳にはそんな情報に割くスペースは存在しない。
「脳医学からはかなり逸脱してるんだが……というか、お前らが追っかけしてるユキたんとやらだって記憶持ちの転生者だろう? アレ、相当なレアケースなんだがな」
「ユキたんの記憶そのものならともかく、その仕組みに別段興味はないな」
「まあ、お前ならそうだろうな」
ファンにとっては転生してようがしてまいがユキはユキたんであり、ユキ20%であり40%なのだ。今そこにある存在が重要なのである。もちろんそれを形作る基盤として重要なのは確かなのだが、転生前だろうが転生後だろうが関係なく知りたいのがファンの心情なのだ。迷宮都市に来る以前の情報ですら手に入らないのが現実ではあるが。
仕組みを研究してその中身が手に入るなら手を出すかもしれないが、それで追っかけが滞るようでは本末転倒である。
「とはいえ、今回に関してはお前の記憶も研究素材なんだ。適当なインターバルでももう少しとる必要があるから、今は話に付き合え」
「私は別に転生者でもなんでもないが?」
「俺の視点から見れば似たようなものだ。今回の一件が聞いたままの出来事なら、お前は別世界の自分の記憶を持っているのに等しい」
「言っている事が良く分からん」
事象の巻き戻しという意味不明な事を経てはいるし、かなりあやふやなものではあるが、自分の体験した記憶には違いないだろう。別に平行世界の自分というわけでもない。無量の貌という超存在が猛威を振るった世界と振るえなかった世界という違いはあるものの、それは根本的に同じ世界のもののはずだ。
「じゃあ、基本的な事から説明しようか。……お前、記憶ってどこにあると思う?」
「そりゃ、脳ではないのか? 具体的に脳のどこかは知らんが」
「しかし、転生者は転生の前後で脳が別モノに入れ替わっている。なのに、記憶が継承されている事がある。おかしいとは思わないか?」
「……言われてみれば確かに変だな」
転生している時点で脳はもちろん体すべてが別モノだ。なのに記憶が残っているのはおかしい。
不思議に思った事はあったが、こうして明確に疑問提起されるまで気にしていなかった。棚上げしていた最大の理由は、おそらく明確な回答が判明していないという事。頭の良い学者連中が研究して答えが出ないのに、自分が気にしてどうするのだという話である。実際、疑問を持っている者はそれなりにいるだろう。
「個人差はあるが、中には誕生の瞬間から前世の記憶がある者もいるという。発達していない乳児の脳でだ。ついでに言うなら、実は地球人と我々の脳の作りは若干ながら違うし、別種族は更に差異がある。脳という容器自体が異なってるわけだ」
「なのに、記憶は継承されていると」
もちろん抜けはある。転生者とてすべてがすべて覚えているわけではなく、穴空きである事がほとんどだ。しかし、それらはどこか別の場所から持って来ないと存在しない情報である。
「そうだ。当たり前だが、転生に際して脳が転移してきてるわけでもない」
「不気味な絵ヅラを想像してしまったぞ」
胎児の時点で巨大な脳がどこからか転送されてきて融合するとか、母親が発狂してもおかしくない構図だ。
「記憶は脳に"も"ある。しかし、それ以外にもあるんじゃないかと俺は考えた。どこかにバックアップがあるんじゃないかとな」
「どこかとは?」
「分からんしそれを研究しているんだが、可能性としてありそうなのは前世の自分と現世の自分が接続している場所。世界を超えて記憶を共有できるような、超常的な何かだ」
「ふむ」
正解は分からない。しかし、もしそうなのだとしたら理解できなくもない。この脳はパソコンで言うところのメインメモリであり、メインの記憶装置は別にあるという事だ。
オカルトがオカルト扱いされていたという地球では歯牙にも掛けられないだろうが、超常の実在しているこの世界なら一考の価値はあるだろう。同志Aにとってはユキたんがすでに神であるし一種の超常なのだから。
「一応大雑把には理解したが、それが今回の私とどう関係するというのだ?」
「お前はあやふやながら改変前後の記憶を保存している。まあ、お前だけじゃないんだが、とにかくそういう奴がいる。今回の件が単純に時間を巻き戻しただけなら、脳だって元に戻るし改変前の記憶が残るはずがない。ところが、改変前後の……同じ時間に別の行動をとった記憶は重複して存在しているわけだ」
「……ああ、そこに何かの手かがりがあるかもしれんという事か」
「少し話は飛んだがそういう事だな。俺としては記憶を保存している何かの手かがりが欲しいって事だ。優先度はさすがに依頼された情報補完のほうが上だが」
聞く限り、それは同志Aが対象である必要はない。この人選は単に知人であるからというだけなのだろう。
「その中でも優先度が高いのは、お前が救助を求めて旅立った後の記憶だ」
それは想起される記憶。脳に刻まれた有り得た世界の痕跡。無量の貌という猛威の裏側で戦った一人の男の記録だ。
-2-
「む、お前が同室か。男臭い旅になってしまうな。ユキたんで癒やされねば」
「……誰だあんた?」
出港日前日のクーゲルシュライバー客室。ほとんどの参加者が空港併設のホテルに泊まる中、早めに搭乗した同志Aが割り当てられた部屋を訪れてみれば、そこにはゴリラがいた。ゴリラというか、ゴリラっぽい冒険者のゴリヲだ。割と有名人なので声をかけられる事はあるが、こうした反応は珍しい。
「こんなローブ着ているから分からんかもしれんが、私だ」
「……ああ、お前か。最近話は聞かなかったが、まだ冒険者続けてたのか」
正体不明のローブでは同じ同志かYMK関係者くらいしか見分けられないが、顔を覗かせればそこにはゴリヲの見慣れた顔があった。本業の冒険者業ではパッとしないが、色々と逸話を持つ男である。
「冒険者は続けてるが、この遠征にはジャーナリスト枠で潜り込んだ。登録上はカトウという男の枠だ」
「何やってんだあんた」
ゴリヲが久しぶりに会った知人は相変わらず自由人だった。
もちろん厳正な審査は行われているので密航という意味ではないし、クーゲルシュライバー側では把握されている事だ。ただ単に新聞記者カトウの代理が同志Aというだけである。
「私の事はいいだろう。そっちこそ最近はどうなのだ? 聞こえてくる話題は相変わらずゴリラ一色だが」
「ゴリラ塗れなのは変わらん。メンバーのバリエーションは増えたが、結局のところはゴリラだ」
「まあ、お前自身がゴリラな以上は仕方ないな」
「ゴリラじゃねーよ。砕くぞ、オラ!」
「や、やめろ!?」
ゴリヲの握力はシャレになっていなかった。掴まれただけで同志Aが怯むくらいには。
「まったく、改名提案された時にもっと良く考えるべきだった。ダンジョンマスター直々の提案な以上、今更元に戻すわけにもいかんからな」
「名は体を表すというが、お前の場合はシャレになってないからな」
日本語に不慣れな状況で付けられた名前だ。ゴリと付いている時点でそうだと気づきはしたものの、平仮名で「ごりを」と紹介されてまあいいかと思ってしまった過去の自分を殴ってやりたい。カタカナで「ラ」と「ヲ」がこんなに似ているなんて気付かなかったのだ。サインを書く時は絶対に間違えられないポイントである。
「それ以外は最近だと……そうだな。交友関係にパンダが増えた」
「増える交友も動物なのか。どこの動物園のパンダだ?」
「いや、冒険者のパンダ三匹に決まってるだろ。ついでに飼い主とも交友はできた。メールで愚痴を言い合うくらいだが、お前風に言うなら同志だな」
「ああ、アレか。そういえば会館でも良く見るな」
脳裏に浮かぶのは極自然に冒険者に混じってダンジョン・アタックしているパンダ連中の姿だ。意味不明な光景なのは迷宮都市では今更だが、そのパンダがユキたんと同じクランに入るという事で記憶には留めていたのだ。
例の四神練武でも参加していたから何度かパンダのキグルミを着て入れ替われないかと画策したが、失敗に終わっている。ただのキグルミでは無理があると言わざるを得ない。
「ゴリラだけだと見栄えが悪いから何匹か入れ替えてもらいたいんだがな」
「お前の場合は根本的に無理だからな。向こうは召喚獣でも騎獣でもないし」
「オンリーワンも良し悪しって事だな」
ゴリヲの冒険者スタイルは他に類を見ない異色のものだ。
他者とパーティを組めないという呪いのようなギフトと、それを補うように存在するゴリラ専用の召喚&使役スキル。パッシブスキル《 増えるゴリラ 》と《 倍になるゴリラ 》で特に契約する事もなく勝手に増えていくゴリラを使い捨てにして戦うのだ。最初の内はゴリラたちに感情移入して犠牲にするのを躊躇っていたが、今ではどうやって減らすかを考える有様である。基本的に召喚獣であるから場所は圧迫する危険はないものの、日々増えていく契約ゴリラは精神衛生上あまりよろしくない。あのゴリラたちは一体どこから来るのか、その待遇に不満はないのか、それは飼い主のような何かであるゴリヲですら知らない。
彼の所属クランは異例の一人クラン< 森の賢人 >。パーティメンバーは召喚したゴリラ多数。習得するクラスもスキルも何故かゴリラに関係あるものばかりと隙がないほどにゴリラである。
最近結婚した妻だけが視覚の癒やしだったが、その彼女も動物園の飼育員だ。愛する妻も自分を飼育しているのではないか。あまりにゴリラ塗れになっているせいで自分もゴリラになったような気分にさえなってくる。だからといってゴリヲをゴリラと読み間違える奴は、意図的かそうでないか関係なく折檻だが。
「つまり、今回参加したのはパンダよりも先にゴリラを連れて行ってアドバンテージを確保しようという事か」
「なんのアドバンテージだ、なんの。普通に招待状が届いたから参加しただけだ。遠征と同じでギルド依頼になるしな」
別段パンダにもその飼主にもライバル意識は持ってないし、異世界にゴリラを連れて行ったところでなんのアドバンテージもない。
遠征の時に時々やるように、異世界にゴリラを何匹か置き去りにする事は検討していたが。召喚者との距離が離れれば自然消滅するだけなので、単なる自己満足だ。
そんなこんなで男臭い旅となった同志Aの異世界旅行は幕を上げた。
食堂で起きた一悶着の際に他の冒険者や料理人と対決する羽目になったり、命を賭けた仁義なきゴリラたちのトーナメント「コドクのゴリラ」を主催してみたり、ユキたん成分補充のために集音装置を持ってストーキングしたら捕まって独房行きになったり、冒険者たちの模擬戦に参加するゴリヲを観戦して『あいつやっぱりゴリラなんじゃないかな』と呟いて殴られたり、全裸で艦内を歩くサージェスに遭遇して何故か一緒に独房行きになったり、一応届くらしいという事でYMKのメンバーにレポートを送ってみたりしている内に、特に成果のないまま龍世界へと到着した。
「バカな。何故こうも空振りばかり……」
「お前、超キモい」
ゴリラに言われたくないと心の中で突っ込んでいたが、同志Aも自分がキモい事をしてるのは分かっているので口に出さずにいた。
「そもそも、なんで普通に話しかけないんだ?」
「恐れ多いではないか!」
「ストーキングするのは恐れ多くないのかよ」
至極ご尤もな話ではあるが、正論だけで物事が解決するならYMKなどやっていないのである。あと、話しかけようとしたら絶対に硬直する。
「同志でかいロープが手伝ってくれればもうちょっとなんとかなりそうなのに」
「それが誰だか知らんが、大体渡辺綱が一緒にいるからな。ストーキングは厳しいだろ」
二人が言っているのは同一人物の事である。
基本的に実害さえなければ情報提供さえしてくれるでかいロープこと渡辺綱だが、例外として近くにユキたんがいる場合は干渉しないという不文律になっている。むしろ敵に回ってないだけマシなのだから、あまり贅沢も言えない。
その後、到着したにも関わらず外出許可が出ない事で暇を持て余すのではないかと期待してみれば、唐突にテニスが始まった。
躍動感に溢れる超テニスに見惚れていたら、何故か代わりにテニスをする事になって地獄を見る事となったが、ユキたんの使っていたラケットをそのまま使えたのでちょっと満足だった。
「ドーシエーよえーな。本当に冒険者なのか?」
「うっさいわっ!! サークル活動で覚えたスピンサーブを喰らえっ!!」
「うおっ!? 跳ねた!」
「簡単に返すんじゃないっ!?」
小手先の技を使っても身体能力だけですべて対応してくる超人相手のテニスは苦闘を極めた。特に勝つ気も必要もないのに延々と続く打ち合いに、自分が何をやっているのか分からなくなる有様だ。
同志Aに打ち込まれるのは、技術がない分異様に速いだけのボールだからなんとか対処できてしまうのが問題だ。いつまで経っても終わらない。
さっさと終わらせてユキたんを追いかけたいというのに。
「ゲームウォンバイ同志A!」
「いよっしゃあああっ!!」
いつの間にかギャラリーが増え、ついでに審判がついていた試合をどうにかこうにか勝利する同志A。今にも倒れそうなほどに息が切れていた。
「よし、もうワンゲーム!」
「いやだよっ!?」
こんな不毛な戦いはさっさと終わらせてユキたんを追いかけたいのだと、逃げるようにコートを後にした。
しかし、外出許可が降りていない同志Aに、一行を追いかける術は存在しない。
そこまでが平和な記憶。クーゲルシュライバー一行に地獄が襲いかかる、数日前の出来事であった。
-3-
「くそっ!! なんだこののっぺらぼうはっ!? この世界はこんな妖怪が出るのか!」
突如として襲来した大量の顔と顔のないナニかの群れ。持ち前の危機察知能力と逃げ足で窮地を脱するものの、気づけば周囲には誰もいなかった。
いや、最初から誰もいなかった? そんなはずはない。同志Aはこんな窮地を一人で乗り越えられるほど強くはない。ならば、逸れた? しかし、誰と一緒だったのかも思い出せないのは何故だ。まさか本当に孤軍奮闘していたというのか?
「気持ち悪っ!?」
脳の中が虫食いになったような違和感が襲ってくる。知っているはずの事が知らない。まるで過去に遡って記憶を食われたかのような感覚を覚え、恐怖に震える。
「大丈夫かっ!?」
そこに突如として現れる救援。それは見知ったゴリラだった。
「おおっ!! ゴリヲではないか……違う!? 確かお前はゴリラウェンズデー」
「中身はゴリヲだ。今はこいつに憑依して遠隔操作している」
「もはや何でもアリだな、お前」
どうやら、見間違いではあっても中身は正解だったらしい。元よりゴリラ関連であればなんでもできた男だったが、しばらく見ない内に更なる進化を遂げていたらしい。
「まあいい、何がどうなってる。こいつらは一体どこから現れた?」
「知らん。だが、危機的状況にあるのは確かだ。とにかく一旦合流するぞ。ウェンズデーは盾に使って構わん」
「そのゴリラ使い捨て主義はどうにかならんのか?」
大して思い入れはないとはいえ、名前を知っているゴリラが使い捨てされるのは心にくるのだ。同志Aにとってありがたいのは確かだが。
そうして結局迫りくる顔に対してゴリラを盾に使う事となり、ほうほうの体でゴリヲとの合流を果たす。
「なんだ……おかしいぞ。私はどうやってここに来た?」
「何か大規模な精神干渉を受けているらしい。さっきからゴリラの数が合わない。どのゴリラがいないのかも分からん」
「バカな……」
「俺はゴリラに憑依してお前と合流を計ったはずだ。しかし、その行動が歯抜けになっている。気がついたら合流していた」
あまりに意味不明な状況に気が狂いそうになる。ゴリラどうこう以前に自分の記憶が、見ているものが信用できなくなる。このままではゴリヲをゴリラに間違えてしまう事すらあり得るのだ。
「とりあえず、いくつか分かった事は共有しておく。厳禁なのはあの顔には極力接触しない事、《 鑑定 》を使わない事、周囲の仲間がいついなくなってもいいように行動する事、それと……」
要領を得ない情報共有だった。それだけ何も分かっていないという事なのだ。
情報不足は他の冒険者グループと合流しても変わらないままだ。壁や床を擦り抜けてくる顔に近づかないという点を徹底して防衛を続け、魔力障壁であれば阻む事ができると分かった時点で支援系冒険者総動員で拠点を構築し、臨時の防衛ラインを整えた。その拠点の規模はとても現場にいる人数だけで構築できるものではないという事実が怖かった。
「くそ、ゴリラが足りねえ! 《 ゴリラ・キングダム 》が発動できない。まさかこんな悩みを抱える日が来るなんて……」
他パーティと連携がとれず、己とゴリラだけで戦うしかないゴリヲの悲痛な叫びが響く。
自分とゴリラだけで六人パーティを構成する事で使用可能になる《 ゴリラ・キングダム 》はその厳しい発動条件に見合う強力な領域魔術だ。これまでは無数にいるゴリラをどう捨てるのか困っていたくらいなのに、いつの間にかパーティを構築できないところまで減っている。数がいるからと、適当に顔に対する防護壁に使ったのがまずかったのか。ゴリラがいなくては、他冒険者と連携がとれないゴリヲなどただの足手纏いだというのに。
目も当てられない被害状況ではあるが、一息はつけた。あれほど払っても湧いてきた顔の数も、少し前からかなり減少している。
「とにかく、次は上位の冒険者と合流を目指すぞ。おいゴリヲ! 交代だっ!! お前が一番消耗している!」
「くっ……分かった!」
YMKでとった杵柄か、いつの間やら同志Aがその場の指揮をとる事になっていた。上位の冒険者がいるなら話は別だったろうが、この場にはせいぜい中級中位ていどの冒険者しかいない。一般人が少ないからまだ動きはとれる。ならば、下手に籠城など考えずに行動すべきだ。
「同志Aさんっ!! 連絡が繋がりました! クーゲルシュライバーが出港します!」
「なんだと!? それでは……いや、顔の群れを振り切れるならアリなのか」
そんなに急に出港できるものなのかという疑問もあったが、今気にすべき事ではないと思考の隅に追いやる。
出港する事で取り残された者はどうするのかも気になるが、それが切り捨てだとしてもこの状況では最悪よりマシと言わざるを得ない。
「ゴリ子、ゴリフ、レジ袋、ゴリラバレット、お前らは引き続き周囲の警戒だ。万一の時は他の冒険者の盾になれ。いつも通りだ」
「ウホホッ!!」
そんな扱いで不満はないのかと問いたくなるほどに軽快なドラミングを見せて、残り少ないゴリラが散らばる。ゴリヲとの距離が離れてしまえば支援効果がなくなる以上、素の能力だけで行動するしかない。正に捨て身の警戒だ。しかし、どう考えても使い捨てゴリラたちよりも他の冒険者たちの優先度のほうが高い。
「同志Aさん、クーゲルシュライバーの管制から隔壁情報をもらいました。ある程度顔やカオナシと接触せずに移動できるルートを割り出します」
「うむ、分かった。ルート確定次第移動するぞ! 怪我人の治療と補給を急げ!」
「……同志Aってなんだ?」
正体を知るゴリヲだけは同志Aという呼ばれ方に疑問を抱いていたが、この場の中堅冒険者にとっては同志Aでいいらしい。
その後、無事な者を集めて冒険者の集まるクーゲルシュライバー管制ブロックへと移動を開始。その途中で機関部にダメージを受けたクーゲルシュライバーが不時着するという最悪のアクシデントを挟んだものの、管制ブロックとの合流を果たす。
しかし、そこで待っていたのは期待していた上位冒険者の姿ではなく、想像以上に少ない中堅冒険者のグループでしかなかった。理屈が分からなくとも、いるはずの上位冒険者の顔や名前すら思い出せないのは、ここまでに感じている違和感と同じで、存在ごと失われたのだと理解するしかない。
「や、やめろっ!? 誰か助けっ!! ンンッ!!」
まるで拉致されるかのように迷宮都市行きの連絡車に放り込まれる同志A。
救援要請という事で、戦力的に抜けても影響が少なく、迷宮都市到着後はスムーズに中央に連絡できるコネを持つ者という事で決死行のメンバーに選ばれてしまったのだ。
同志Aとしては、巨大な謎トンネルを小さく心もとない連絡車で走破するのは怖いし、こんなところにいられるかと言い出す者に任せればいいだろうと考えていた矢先の出来事である。尚、逃げ出す目的だった者はそのまま更迭された。
辿り着けるか分からない決死行など恐怖でしかない。だが、必要性も分かる以上諦めるしかないと後部座席で腹を括る。
幸い、走る先に顔の姿はなく、車が出す限界ギリギリの速度も謎空間の風景のせいでそこまで怖くはない。とりあえず、自分の身に降りかかる直接的な危険はなくなり、気の重い迷宮都市との連絡に意識を向ける。
唐突な衝撃と共に意識が暗転したのは、連絡車が走り始めてかなり経ってのところだった。
-5-
「おいっ!! 大丈夫かっ!?」
必死の呼びかけを目覚ましに意識が浮上する。状況は良く分からないが、どうせ起こされるならユキたんボイスの目覚ましで起きたかったと嘆きながら同志Aは覚醒した。
「む……ゴリヲではないか。なんだ、どういう状況だ」
「そっちはゴリラだっ!! 間違えるんじゃねえっ!!」
「良く見ればゴリラバレットではないか……いや、なんでこんなところに……」
朧げな記憶を辿るが、むさ苦しいゴリラに起こされる心当たりがなかった。
「確か……クーゲルシュライバーから、拉致同然の状況で連絡車に連れ込まれて、迷宮都市に急行していたはずだが」
迷宮都市に今の状況を伝え、救援を求める役として選抜されたのだ。あまりの重責や他にやりたい者がいる事から辞退したものの、その顔の広さから無理やり車に連れ込まれた。そのはずだ。
そこからどうなったのかいまいち思い出せないが、ゴリヲとゴリラに起こされる展開が思いつかない。
「そうだ。状況が変わったから迎えにきた。事前の探査がなかったら絶対見逃してたところだ」
「なんだ、どういう事なんだ……車……は……はぁっ!?」
見渡してみれば、廃車同然になって引っ繰り返った連絡車が一台。
「……まさか事故ったのか?」
「どうもそうらしいな。他の連中にも話は聞いてみるが、まだ目は覚ましてないし、状況だけ見ればそうとしか思えん」
何がどうなればこんな何もない場所で事故るのか。意味不明な謎空間とはいえ、クーゲルシュライバーが掘削してできた通路に障害物などないはずなのに。
だからこそ限界ギリギリのスピードを出していて……それで事故ればこんな事態もありえなくはないのか。希望を託されるようにして出発した後にこれでは情けないどころの騒ぎではない。
というか、やっぱり危険だったではないかと自分の危機感に自信を持つ。
「とにかく、クーゲルシュライバーに戻るぞ。他の連中はゴリラが担いでいく」
「車は置いていくしかないが……かなり距離があるはずだ。徒歩でも迷宮都市を目指すべきでは?」
「状況が変わったって言っただろ。今この空間は隔離されてる……らしい。渡辺綱から聞いた話によれば、危険はないが外へ出る事もできないそうだ」
何故そこで同志でかいロープの名が出てくるのかは分からないが、とりあえず素直に移動する事にした。
巨大なトンネルを同志Aとゴリヲと意識のない連絡員を担いだゴリラたちが歩いていく。長い道のりの間、同志Aはここに至る経緯について説明を受けていた。
「……聞いてもさっぱり分からん」
「安心しろ、俺もだ。重要なのは、今は時間が凍結されていて安全って事と、顔を奪われた奴らを救出する作戦を立案中って事くらいだ。……ちゃんと把握するのはクーゲルシュライバーに戻って、要救助者の顔と名前を思い出してからのほうがいいだろうな」
散々に感じていた欠落部分。穴あきのチーズのようになった記憶に存在していたはずの顔と名前。あの騒動で散った者たちを取り戻すための戦いを始めるのだという。
今は実感がないものの、同志Aにもそれが大切なものだという事は分かる。
「冒険者チームを纏めるリーダーの一人になってくれって言われたが辞退した。どうも、要救助者との関係が作戦の必須条件らしいからな。使い捨てのゴリラ共に執着しない俺じゃ役には立てないだろう」
「ゴリヲ……」
やっぱり心の底から消耗品扱いしてたのか。
「まあ作戦に参加はする。裏方か遊撃戦力になるだろうが、歯抜けだった記憶を取り戻した以上、戦わないのはあり得ない」
もうちょっとその責任感をゴリラに振り分ける事はできなかったのかと聞きたいが、余計な事だろうと同志Aは口を噤んだ。
出発までの騒動はなんだったのかと言わんばかりに平穏なままクーゲルシュライバーに到着して待っていたのは新たな戦場だ。
これまでのように、ただ意味も分からずに逃げ続けるのではなく、自分の意思で取り戻すための戦いが始まる。
[ 迷宮都市中央大学研究棟 ]
「……とまあ、一部繋がりははっきりしたが、別段新しい情報はないな」
ヘルメットから切り替わり、やたら重厚なマシンとの接続から開放された同志Aが、想起された記憶を説明する。
あの後、必死の戦いを繰り広げた末に勝利を得た事は、参加した冒険者なら覚えているし、情報としても不足はない。
リストアップされた要救助者はすべて救助した。すべてがなかった事に改変され、無量の貌襲来以前まで世界は巻き戻った。記憶を残した当事者たちの意識を除けば影響は皆無と言っていいだろう。
救助不可能と思われていた無数のゴリラたちも、しれっと元に戻っている。別に救助したわけでもないのに、どういう事なんだとゴリヲが頭を抱えていた。
「なんか……思ったよりちゃんと戦ってるんだな、お前。超意外」
「失礼だな。確かに私は弱いが、脱落せずにここまで来た冒険者だぞ」
危機感知と逃走、生存能力は抜けているものがあるという評価だ。そういった強みでもなければ冒険者として大成は不可能だろう。
「まあ、ご協力感謝する。思ったよりはレポートも捗りそうだ」
「ご期待には沿えなかったようだがな」
「そこは元々そこまで期待してない。あくまでついでだ」
分かった事はあの騒動で起きた事の繋がりがはっきりしたというだけ。この実験はただそれだけの結果を以て終了となった。
こうして同志Aは秘密結社YMK首領としての日常へと回帰するのだ。
-4-
「おや、目覚める者がいるとは」
聞き慣れない声のような何かを耳にしながら覚醒する。
目を開いて最初に目に入ったのは謎の異形。形容するなら細長い宇宙人。人型ではあるものの、顔は絶えず蠢き、その手に指に相当するものはなく、肩部や背中から触腕のようなものが生えていた。
「……なんだお前は」
「ふむ。私の姿を見て発狂しないとはまた珍しい。魂の格としてはさほどでもないが、結構な精神耐性を持っているようだ」
複眼のように連なる複数の眼球が同志Aを覗き込んでいた。
「ああ、私は……そうだな、君たちの言葉でいうならフレンズマンとでも言おうか。この亜空間に長い事住んでいる研究者のようなものだ」
「ひょっとして助けてくれたのか?」
「助けたというと誤りになりそうだな。私のいる空間に突っ込んできたのでそのまま保護したというのが正しい。あのままだと乗り物ごと特異点から放り出されそうだったしね」
「特異点?」
振り返ってみれば、ひしゃげたクーゲルシュライバーの連絡車が転がっているのが見えた。周りには一緒に付いてきた者たちの姿もある。とりあえず死んではいないようだ。
「何が起きているのかなんて知らないが、ここまで強固な特異点が発生している以上、外部との接続は余計な影響しか産まないだろう。結果、起こるべき事が起こらずに終息してしまうかもしれない。それはツマラナイ」
「言ってる事はさっぱりだが、助けてくれたというなら礼を言う」
「イエイエ、ついでのようなものサ」
言葉の端々が奇妙な音程になるのは、日本語ネイティヴでないからだろうか。発声器官がどこにあるかは分からないが、音は異なっているように聞こえる。おそらくは《 翻訳 》かそれに類するスキルの影響だろう。
クーゲルシュライバー関係者でないのは見れば分かるが、龍世界の関係者という事もなさそうだ。彼らは何気に日本語を喋っているのだから。
「それでフレンドマンだったか? ここから出るにはどうすればいいのか教えてもらってもいいか?」
「フレンズマンだよ。ここから出てどうするつもりだい?」
「迷宮都市に戻る。……連絡車は……まあ壊れているようだが、歩きでも向かっていれば迷宮都市側で気付くかもしれないしな」
「出るなら簡単だが、やめておきたまえ。オススメしない」
同志Aが与えられた使命。特に望んだわけでもなく押し付けられた用事ではあるが、無視する事はできない。しかし、その行動はフレンズマンに止められた。
「大体、彼らはどうするんだね? ここに放置かい?」
「……すまんが、預かっててもらうとか」
冒険者とはいえ同志Aは非力だ。たとえ非力でなくとも、物理的に四人も担いでいく事は難しいだろう。誰か一人でも起きれば別だが、その様子もない。
しかも、中には冒険者でない一般人も混ざっているのだ。残念ながら、連れて徒歩で踏破するのは厳しいだろう。
「無関係な者に頼むような事ではないのは分かっているが、それどころでないのも事実なのだ」
「マア、預かるのは構わないがね。ただ、外と連絡をとるのは無理だし、無意味だ。諦めたまえ」
「……何か根拠でもあるようだが」
「特異点で起きた出来事は特異点の外から干渉するのは難しい。君の目的次第ではあるが、外部への救援の類だとするならば、確実に失敗するだろう」
「その特異点とはなんだ。さっきも言っていたようだが、あの空間をそう呼ぶのか?」
「それは事象であり、極小の世界そのものだよ。空間も時間も因果も無視して理不尽な結果を作り上げる舞台装置のようなものサ」
言っている事がまったく理解できなかった。しかし、理解できない今の状況になぞらえるならば、あるいは相応しい言葉を紡いでいるようにも聞こえる。
「無駄と言われても、こんなところで立ち往生するわけにもいかん」
「しかし、友人が無駄な事をするのを見過ごすというのも後味が悪い。危険でも無駄にならない可能性があるならまた別だがね」
「友人?」
「こうして私と会話した以上はフレンドだよ。フレンドを大事にするのが私の在り方なのだ」
いつの間にか友人認定されてしまったらしいが、今は特に問題があるわけでもないだろうと、同志Aは目を逸らす事にした。これでユキたんの布教に成功するならそれはそれで同志ではあるのだが、そんな事をしているような状況でないのは明らかだ。娯楽は平時において楽しむものというポリシーがある。同志Aにとって、それはもう一つの戦いであるのだから。
「私から見ればゲルギアル・ハシャも皇龍も無量の貌もイバラも、渡辺綱だってフレンドさ。剥製職人には明確に嫌われてるけど、嫌われていようがフレンドはフレンドだしね」
「……渡辺綱を知っているのか?」
「友人だよ」
この言葉をどこまで信用していいのかは分からないが、とにかく知ってはいるようだ。あの騒動に渡辺綱が関わっているのかは分からないが、その他の聞いた事がない名前も関わりのある者なのかもしれない。
「友人というものはかけがえのないものだ。この孤独な世界にあって、彼らの存在が罪深い私の心を癒やしてくれる。あ、もちろん同志Aだってトモダチさ」
「名乗ったつもりはないのだが」
「本名のほうがいいかい? 君はそちらのほうがいいと思ったんだけど」
「……いや、同志Aで」
調子が狂う事この上なかった。
「というわけで、君が無駄な行為に向かうのは友人としてオススメしない」
「まあ、本当に無駄だというのなら正しいのだろうが……」
どうも、無碍にはできない雰囲気があった。こんな異形で意味不明な言動をする相手でも、その声……音には害意のようなものは感じないからだ。あるいは本当に友達と認識しているかもしれない。
「それならそれで、別にオススメの行動でもあるのか? 代案があるのなら考慮すべきだと思うが」
「何もしないのがイイんじゃないかな。ついでに私の話相手になってくれると嬉しい」
「…………」
じっとしているのが正解。何をしていても意味がないという事ではなく、何もしない事が後に繋がる。そういう意味合いを含んでいると感じた。声ですらない謎の音にそんな意思すら感じている。
「放っておけば事態は進展する。それを本当に必要とする者が進展させる。結果どうなるかは知らないが、どの道我々は蚊帳の外だ」
自分は物事の中心に立てない存在だとは思っているが、今のこの場も蚊帳の外なのだろうか。こんな謎の存在と遭遇しているのに?
「まあいい……どの道達成できるかどうかには疑問を抱いてはいたのだ。連絡車がああなった時点で詰みのようなものではあるしな」
「物理的な意味なら出口まで歩いていくのは無理じゃないと思うよ」
「貴様はさっき無駄だと言ったではないかっ!?」
「物理的じゃない部分で無駄なのさ」
噛み合わない言動にペースを崩されっぱなしだ。
「では聞くが、お前……フレンズマンはこんなところで何をしているのだ」
「私かね? ……観察かな? ここに来たのは偶然ではあるが、この特異点がどこに行き着くのかは興味が惹かれる」
「偶々近くに来て、興味深い事をやっているから覗いてると?」
「そうなるね」
まったくもって理解できない立ち位置だった。これが自分の見ている夢でないかと疑うほどに現実味のない存在。しかし、自分の脳にこんな存在の知識があるとも思えないから夢ではないのだろうと思い直す。
「私の研究テーマは根源図だからね。その因子を辿って来てみたら面白い事に遭遇したというだけさ」
「その根源図というのは?」
「友達さ」
「ええいっ!! なんでもかんでも友達で済ませて伝わるわけなかろうがっ!? 友達にしても何かあるだろう? こんなところに親しみを感じているとか、こんな感じに仲がいいとか」
「そうだねえ、根源図くんの場合、その奇想天外な発想に親しみを覚えるかな。私も良く突拍子もない奴とは言われるけれど、彼の発想はなかなか」
「どんな風に奇想天外だというのだ」
「無限回廊の事を知るためにわざわざ自分から同化しにいったんだよ。愛故だね」
さすがの同志Aも絶句した。単に奇想天外というだけならともかく、そこに自分の知っているワードが含まれていたからだ。
何を言っているのか分からないが、とにかく常識では考えられないような事を言っているのは分かった。そいつは、愛を理由に何をしているのか。同志Aだって、いくらなんでもユキたんと同化したいとは思わない。ユキたんはユキたんだからいいのであって、そこに同志A成分が含まれてしまったらユキたんでなくなるからだ。別の同志だって、応援しているユキたんの数%が実は同志Aだったとなればげんなりするだろう。
「いくら命令されたとはいえ、自分という個を失ってまでというのはなかなかできる事じゃない。さすが私の友人だ」
「あ、ああ、すごいな」
友人ってすごいな。自分も何故か友人認定されているが、一緒にされたくはなかった。
「というか、先ほどはその根源図を追ってきたとなんとか言ってなかったか? 無限回廊に同化しているのなら、無限回廊そのものだろう? ここは無限回廊ではないぞ」
「追っているのは彼の因子だよ。根源図の因子を持つ者は枠から外れる傾向があるから、研究材料にうってつけなのさ」
「……まさか、そいつがこの騒動を引き起こしたのか?」
何の枠かはどうせ聞いても分からないだろうが、埒外の因子を持つ者というなら原因という事も考えられる。こんな意味不明な状況なら、原因だって意味不明でもおかしくはない。
「違うと思うけどね。私はどっちかというと……その因子保持者はイバラというのだけど、イバラくんの対存在のほうが怪しいのではないかと思っているよ。というか、状況が複雑過ぎて良く分からないというのが本音だ」
「複雑なのか」
「複雑だね。いくら因果の虜囚が複数絡んだ事態とはいえ、こうも複雑化するのは珍しい。私も長い事生きているが、ちょっと前例に思い至らないほどだよ」
「貴様が言うのならそうなのだろうな」
理解できない埒外の存在が言うのだからよっぽど複雑なのだろう。同志Aは複雑な事は苦手だった。特に数学が苦手だ。
「時間があるのなら数々の謎ワードの意味を確認したいところではあるが、1を聞いて2や3の謎が増えるのでは意味がなさそうだな」
「直接関係ないと良く分からないだろうね。実を言えばそろそろ時間もないし」
「……時間がない? どこかに行くのか?」
「いや、特異点に動きがあった。私は完全なる部外者だが、君は多少なりとも関係者だから巻き込まれるはずさ。どうやら、巻き込むタイプの因果の虜囚らしいからね」
「そいつが原因なのか。そもそも因果の虜囚とやらの時点で良く分からんのだが」
「説明してもいいけど、そろそろ時間切れだ」
不意に、世界が歪んだ気がした。
「では、君は忘れてしまうだろうけど、良い旅を、同志A」
それは忘れられた邂逅。部外者に等しい存在が舞台の外側で体験した、抹消された記憶の一つ。
当事者の同志Aは当たり前のようにこの邂逅を忘れていた。
同志Aが色々体験してますが、本筋には絡んでません。(*´∀`*)
ゆノじさんへのリターン消化はこれで2.0。
でも、そろそろ作業入りそうなので次は遅れるかも。