第二話
戦闘のみだった前回とは逆に、今回は戦闘は一切ありません。いわゆる、ちょっとした説明会、みたいな感じです。
目が覚めた。
ゆっくりと開かれていく目が最初に捉えたのは、少し年季を感じさせる木目の天井だ。次に感じたのは後頭部に返る枕の感触。そして、日の入ってくる窓越しに外の喧騒が聞こえてくる。
そこまで確認して、アシュレイは我ながらアホな事を思い浮かべる。
(生きてる……)
深く息を吐いて、アシュレイは全身をベッドに深く沈める。身体に上手く力が入ってくれなかったり、意識がいまいちはっきりしない所があるが、それでも生きているという事だけは分かる。
よく死ななかったものだと、アシュレイは自分の事に呆れる。あれだけの負傷を受けていれば死んでおけ、と他人事のように思うが、実際に死ななかったからこそ思える事だ。
傷は塞がったのか痛みは感じない。ただ、もの凄くだるい。起きて調子を確かめようと上半身を起こした。着ていたのは自分の服ではなく、質素なものだ。正直、肌触りは余りよろしくない。
そんな事を考えていると、僧侶を幾分か派手にした様な服を着た男が、女性の医師を伴って入ってきた。ファウストの方は着替えや女医の道具の入った鞄を持っていた。
「おや、目を覚ましましたか。気分はどうですか?」
医師を先に部屋の中に入れ、扉を閉め手近なところに持っていた鞄を置いているファウストのせいにアシュレイは返す。
「あまりよくない。だるい、力入らない、頭回らないの三重苦だ」
「仕方ないでしょ、それは」
と応えてきたのは、ベッドの傍らに椅子を持ってきた女性の医師だ。眼鏡をかけた彼女は年齢の見えない顔つきをしているが、余り年は行っていない様にも見える。
「傷そのものは彼のおかげで治っていたとはいえ、失血死する寸前だった上に4日も寝ていたんだよ、あなた」
そう言った女医が、4日もか、と呟いたアシュレイに叱る様な素振りで詰め寄ってきて続ける。
「しかもあなた、魔族とエルフ族のハーフさんでしょ? 滅多にそういう人診ないもんだから、もう、輸血用の血液のストックが生存に必要なギリギリの量しか確保できなかった上に、それを補おうと作った造血薬も久々の製薬だから緊張しまくったよ」
命を助けてくれたのだから、目の前の女医には感謝の念しかない訳だが、しかしそれでも、助けた患者を前にその処置の大変さを堂々と愚痴るのはどうなんだろうかと、アシュレイは思う。
女医は愚痴を行っても尚こちらに詰め寄ったままだ。何かを待っているようにも見受けられたが、それよりも先にアシュレイは言うべき事を言う事にした。
「そうか。多大な迷惑をかけてしまったようだ。すまない。そして救ってくれてありがとう」
上体だけだが、アシュレイはそれでも頭を深く下げる。
アシュレイのその言葉に女医はよろしい、と満足げに言って椅子に腰を落ち着けた。
椅子に座った彼女は手にペンなどを取り、問診を始めようとした。しかしその前にアシュレイの言葉が遮った。
「しかし、貴女はよほど優れた医者なのだな。私の様なハーフに使える薬を作れるとは」
この世界には四つの人間種族が存在している。魔族、エルフ族、妖精族、そしてヒト族。この四つの種族を総称して人間と呼んでいる。ドヴェルグとホビットという亜人族も、広義では人間と見られている。
ヒト族はこの世界で最も数が多く繁栄している種族だ。全ての人間種族の進化の基点となったとされ、他の種族の姿形はヒト族に酷似している。目立った能力のないヒト族だが、吸収力と応用力が優れており、手に入れた技術を独自に改良し世界へと発信している。
妖精族は虫のそれにも似た翅が特徴的で小柄な種族だ。妖精族の成人とそれ以外の人間種族では、体格は二周りほど小さい。人間種族の中で唯一空を飛べるためか、一か所に留まる事が無く、流浪の種族とも呼ばれる。
エルフ族は長い寿命を持ち、魔法と呼ばれる術を保有する種族だ。内向的な為、集落の外に出る事が少なく、それ以外の街では少し物珍しい目で見られている。自然と共に在る事を好み、文化は発展すれど文明を意図的に発展させずにいる。
魔族は全員が赤い目であること以外はヒト族との外見に差異は無い。しかし、魔族が本当に特徴的なのはその身体能力においてだ。全ての種族の中で最も優れた身体能力を保有している。また、エルフ族とは反対に外向的な種族である。
この種族の中で最も数が多いのはヒト族だ。それに、妖精族、魔族、エルフ族、という順番に続く。
ヒト族とそれ以下にはかなりの開きがあるが、妖精族と魔族には大した開きは無く、時代によっては逆転もする。しかし、エルフ族が一番少ないというのは変わらない。寿命が長いが故に、彼らはその数も少ないのだ。
そして、そのハーフもなるとその数はさらに少なくなる。特に魔族とエルフ族のハーフは極端なまでに少ない。その珍しさから稀少種、という有り難いんだか迷惑なんだかよくわからない通称がある。
その為、医者の中にはアシュレイの様な魔族とエルフ族のハーフを診た事が無い、という者も少なくない。中には見た事が無い、という者もいる位だ。
「まねー、こう見えて医者は長いしね。それに、あなたみたいなハーフさんを見るのは初めてじゃないのよ。それも大きいかな」
この病にはこの薬、この傷にはこの薬、というのが現在ではほぼ決まっている。しかし、中には体質に合わないという事もある。アシュレイもそれと似たようなものだ。
稀少種が厄介なのは、万人に使える薬のほとんどが使えないという事。その為、今回の様に造血薬が必要な場合は、一から作らなければならないのだ。
先ほど言った久々の製薬、とはこれの事かとアシュレイは合点が行く。
「さて、私への質問はそれくらいにして、問診始めるよ~。さっき言ってた事以外に何かある? 気持ち悪いとか、熱っぽいとか」
「いや、あれ以外に特には無い」
「んー」
医者なのだがら当然、しっかりと聞いているのだろうが、聞いているのかいないのか、分かりづらい声で女医はアシュレイに答える。
ペンを走らせていた女医が手を止め、腕を出してくれと言ってきた。手首に指をあて、彼女は脈を測り始める。
触れられ、脈を感じながらアシュレイはドア付近に立っているファウストへ言葉を投げかける。
「貴方にも礼を言うのを忘れていた。すまない。ありがとう」
「ええ、どういたしまして」
温和な声で返してくるその言葉に、アシュレイはこの人は相手をよく見ているのだな、と何となく思った。
よく謝罪や感謝に気にしないで、と返す事がある。それも礼儀ではあるが、それが時には間違いの時がある。
気にするな、と言われて本当に気にしない人はほぼいない。そう言われてしまうと余計に申し訳なく思ってしまうものだ。素直にその謝罪や感謝を受け取る事も、また一つの礼儀だ。
「ところで、貴方と一緒に居た彼女は何処に? 彼女にも礼を言いたいのだが……」
「ああ、彼女なら少し買い物に出かけています。そろそろ、戻ってくると思いますよ」
「買い物?」
「そそ。薬がちょっと足らなくなってね、私のお使いに行ってもらってるよ」
女医の言葉にアシュレイは益々申し訳なく思ってしまう。薬が足らないというのは、間違いなく自分の事だ。自分の事で他人に手間をかけさせるのは、どうにも心苦しい。
一刻も早くまともに動けるようになりたいアシュレイは、脈を測り終え再びペンを走らせる女医に尋ねる。
「動けるようになるのは、いつ頃からだろうか」
「んー、少なくとも、明日までは安静ね。その後もしばらくは激しい運動もダメ。ただ、動かなさすぎるのもよくないから、屈伸とか、簡単な運動は明日からしましょうか」
ペンを止め、女医は傍らに立っているファウストに鞄を持ってくるように頼む。ファウストの持った鞄の中から聴診器を取りだし、ファウストに目配せをする。ファウストもそれをすぐに理解し、二人から少し離れ背を向ける。
服を捲り聴診器が直接触れる冷たさを感じつつ、自分の乏しいスタイルをふと思い返す。
自分は男性と比べても遜色のない身長をしている。成長の大半を背などに持っていかれたようで、胸は余り成長しなかった。さらしを巻けば服の上からは分からなくなってしまう。
スレンダーと言えば聞こえはいいが、凹凸には乏しい体系だ。最も、それを嫌だと思った事も、コンプレックスを抱いた事も無い。
見る分には大きい方が好きだが、じゃあ自分がそうなりたいかと言うと否だ。大きいのは、自分の様に最前線で近接戦闘をする者からすると、どうしても戦いの邪魔にしか思えない。
いいわよ、と女医の言葉で服を下ろす。それから少し遅れてファウストが振り向き、彼は鞄を差し出し、聴診器が中に収まったのを見てから手近なところに置く。
再びペンを走らせ始めた彼女は唸るような表情を浮かべ、呟いた。
「んーと、ちょっと、触ってもいい?」
「ああ、構わないが……」
医者のそんな表情で問われたものだから、自分の体にどこか悪いのかと不安になる。
やはり、昨日、じゃなくて4日寝てたから5日前か、に食べた獣の丸焼きがまずかったか。いくら食料が底をついていたとはいえ、さすがにあれはダメだったかもしれん。少し手間でも木の実や魚を取ればよかったな。
傭兵という、言い方は悪いが野蛮とも言える生活に長年身を置いていたアシュレイは、自然とサバイバル技術も身に着いていた。
腕や足、腹などを触れる感覚を覚えながら、アシュレイは他にも思い浮かぶサバイバル生活を後悔していく。
触診を終えた女医はさらに難しい顔でペンを走らせる。その表情でアシュレイは益々不安を強くし、ファウストも心なしか表情が硬くなる。
「あの、彼女、何か悪いんですか?」
自分の代わりに聞いてくれたファウストに、女医がペンの頭で頭をかきながら、
「んー、そうじゃなくてね。なんと言うかな、私が思ってるよりも大分回復が早いなーと思って。さすがに完治、って訳じゃないけど、後2日もあれば全治はしちゃうかも」
「……そうなのか?」
自分の体だからこそ何の実感も覚えないアシュレイが確認を取る。
「断言は、申し訳ないけど、できないけどね。ただ、やっぱり血を流し過ぎてるから、今は軽い貧血気味になってるね」
そう言ってさて、と女医が椅子から立ち上がり、ファウストの方に振り向く。
「悪いんだけど、下のおばちゃんに何か用意してきてもらえるかな。柔らかめで、栄養のあるものお願いね」
薬で血を増やすのも手段だが、それに頼り切る訳にもいかない。造血薬とは元々は貧血の治療に使う薬で、今回の様に実際に足りない血を補うために用いるのは少ない。
ファウストはわかりました、と部屋を後にする。
残った女医は鞄の中を物色し、中から代えの服と、タオルなどを取りだし、ちょっと待っててね、と言って部屋を出ていく。
彼女はその手に桶にぬるま湯を入れて戻ってきた。彼女はベッドの側にテーブルを持ってきてそこに桶を置く。
「体拭くよー。お風呂は、もうちょっと待ってね」
「ありがとう。丁度、どうにかしたかったんだ」
素直に感謝しながら、アシュレイは服を脱いで上半身裸になる。背中に当たるお湯に濡れたタオルの感触が心地いい。
「ねぇねぇ、ちょっと聞いてもいいかな?」
「なんだ?」
「あなたって、何してる人? あのファウストさんから話を聞いた限りじゃ、普通なら死んでいるほど大量の傷を負っていたって聞いてる。満身創痍って言えるほどの傷、普通の人は負わないよ」
女医の口から出たファウストという名前はきっとあの男の名前なんだろうなと、推測を付けながらアシュレイは女医の質問に応える。
「傭兵をしている。傷は戦闘に巻き込まれたんだ。我ながら、尋常じゃない頑丈さをしている体だと思っているよ」
「傭兵さんかー。女の傭兵さんって珍しいね」
「ああ。力が物を言う世界だからな。そこに女が割って入るのは難しい。ところで、こちらも質問があるんだが、構わないか?」
「んー? 年齢やプライベートはダメだよ?」
タオルを絞りながらの冗談めいた言葉にアシュレイは小さく笑みを零す。確かに、この人の年齢は少々気になるが、例え同性であっても女性に年齢を聞くのは礼を失しているくらい、アシュレイにも分かる。
「私の武器を知らないだろうか? 真っ黒な大鎌なんだが、彼から何か聞いていたりしないか?」
ファウスト当たりなら知っているかと思うが、聞き逃してしまった。
女医は腕を拭きつつ、首を傾げながら答えた。
「んー、そういう事は聞かなかったかな。でも、急にどうして?」
「長くなるので結論だけになってしまうが、戦闘の時、手放さざるを選なくなってしまって」
「それは大変だね。傭兵さんが武器を失くすって、医者で言うところの聴診器とかを失くしちゃうようなものでしょ?」
「まぁ、そのようなものだな」
しかしどうしたものか。あの武器はこの世に二つとないものだ。材料の全てを自分が揃え、大陸でも名うての鍛冶師に直接頼み込んだ。金も掛かったし時間もかかったが、結果として、自分だけの武器が出来たので満足した。
その慣れ親しんだ武器を失くしてしまったのはかなり痛い。
新しい武器を調達しなければ、と考えるが、同時に難しいとも考えていた。
アシュレイとて、何も好きで巨大で重い武器を使っている訳ではない。まぁ、実際に巨大で見栄えのする武器は大好きだが。閑話休題。
現実問題、並みの武器では魔族の筋力に耐えきれないのだ。ハーフとは言え、アシュレイも筋力は並ではない。あの戦闘の時は負傷や疲労で力も落ちていたため、ただのロングソードも満足に使えたが、普段はそうはいかない。
簡単に壊れてしまうくらいなら素手の方がマシだろうか、とアシュレイは真剣に思う。が、それはなるべくなら避けたい。なので、聞く事にした。
体の前面を拭いてくれている女医に、アシュレイはその頭を見ながら聞いた。
「すまないが、この街にドヴェルグの店はあるだろうか?」
「ドヴェルグのお店? グールグおじさんの店ならあるよ」
グールグの名前を聞いてアシュレイは驚いた。その人は自分の大鎌を打ってくれた人だ。鍛冶師としてかなりの有名人で、傭兵や騎士といった武器を扱う者は、いつかその人が打った武器を使いたいと渇望している者も多い。
ドヴェルグは亜人族の一つで、筋骨隆々ながらも、背丈がヒト族の腰ほどにしかない。
見た目からは想像しにくいが、力仕事以上に繊細な作業を得意としている。また、金属が関わる技術に関しては全ての種族の中でも抜きんでており、鍛冶師、と言ったらドヴェルグの名前が出てくるくらいだ
ドヴェルグは基本的に山で小さな集落を形成して生きる種族だ。アシュレイがグールグに初めて会った時も、鉱山の麓でだ。
そのグールグが何故ここに居るのか疑問だが、都合が良い事には違いない。動けるようになったら早速会いに行こう。
そう決めた瞬間、ドアが弾かれる様な勢いで開けられた。
「彼女が起きたって本当!?」
ドアを壊しかねない勢いで開けたのは、もう一人の自分の命の恩人だった。鮮やかな黒髪と黒い瞳を湛えた彼女は、上半身裸で唖然としているアシュレイを視界に入れる。
そして二人はしばし呆然と見合う。女医は二人の間で視線が行ったり来たりしている。
そのお見合いは長くは続かなかった。その続かなかった理由を見て、アシュレイはさらに呆気に取られた。
「あ、鼻血が……」
黒髪の女性の鼻から赤い液体がつー、と流れ落ちた。女医が軽く慌てて、手に持っていたタオルを投げ渡す。白いタオルがみるみる赤く染まっていく。
「アディス? そんなところで何をしているのです?」
廊下からファウストの声が聞こえる。
「って、鼻血なんか出して何をしているんですか、君は」
近づいてくる足音と一緒に、ファウストの呆れている声も聞こえてくる。
廊下から姿を現し、手に食事を持ってきたファウストが部屋に入ってくる。
「食事を持ってきまし――」
が、開いたドアから入ってくる事は無く、アディスと呼ばれた女性の隣で足を止める。動きの止まったファウストが、顔を少し赤くし照れた表情で慌てて背中を向ける。
「す、すいません! 確認もせず入って!」
顔を赤くして何を慌てているんだろうかと思ったが、
「あなたもいつまでその恰好で居るの! 早く着て!」
「あ」
女医に言われ自分の恰好を思い出した。部屋に入っていきなり上半身裸の女性が居れば、そりゃあ男ならこういう反応になるだろうと、見られたアシュレイは至極冷静に思った。
真正面から見られたにもかかわらず、アシュレイは慌てた素振りを一切見せず、投げ渡された新しい服を着直した。
伸びた蒼い髪を服の中から取り出す。そういえば、この髪もよく無事だったと思う。が、やはり、多少は短くなっている。腰ほどまであった髪は、今は背中の中ほどまでの長さだ。
「もういいぞ」
その言葉でファウストが振り向く。振り向くのが遅くぎこちなかったのは気になったが、聞くのはやめた。
「その、すいませんでした……」
短くなった髪に物寂しさを抱き手で梳いていると、申し訳なさそうなファウストの声が耳に届く。見れば、まだ彼の顔は赤く、隣に立つアディスの持つタオルは真っ赤に染まっていた。
「ああ、いい。気にしてない。そういう性格でな、裸を見られようとも大して頓着しないんだ」
元々、物事にあまり執着を抱かず頓着しない性格だ。よく言えば大らか。悪く言えば大雑把で適当だ。
反面、自分が気に入ったものは、かなりの情を注ぐ。が、それは無意識の事なので分かりにくく、本人も気付いていない。だからこそ、あの大鎌や短くなった髪に、得も言われぬ喪失感を覚えていた。
「気にして、頓着して。顔を赤くして子供の様に恥ずかしがれ、とは言わないけど、見られたらせめて隠すくらいはしなよ」
女医が頭を抑え呆れながら言う。ファウストが手に持った食事をアシュレイの側に置きながら、全くです、としみじみ言っていた。
おかれた食事は細かく刻まれた野菜が入ったスープパスタだ。その匂いは鼻をくすぐり食欲を刺激する。直後、アシュレイの腹から盛大な音が鳴る。
さすがに、それは恥ずかしかったようで、顔を少し赤らめ、腹を抑えて体を小さくする。
女医が笑みを浮かべながら言う。
「まぁ、4日も寝てたんだから胃は当然空っぽだし、お腹が空くのも当然だよね。冷めないうちに食べちゃいなよ。あ、最初はゆっくり食べるんだよ? 急いで食べると胃の方がびっくりしちゃうから」
「わかった……」
小さい声で答え、アシュレイはベッドから足を投げ出し腰をかけ、フォークとスプーンを手にとって食べ始める。胃が空っぽだからか、もの凄く美味しく感じる。
噛みしめるようにゆっくり食べているアシュレイの側で、ファウストが思い出したかのように声を上げた。
「っと、そうでした。ようやく落ち着いてきましたし、僕達の自己紹介がてら、あなたの質問に答えていきましょうか。僕はファウスト・クロウリアスといいます。見ての通り、エルフ族です。そして彼女は――」
言いながら、ファウストはようやく鼻血が止まったらしいアディスの方に手を掲げる。
彼女は赤く染まったタオルを所在なさげに持ちながらファウストの隣に立ち、
「あ、えっと、アタシはアディス・ダアトよ。これでも一応ヒト族よ。よろしくね」
(ヒト族……?)
アディスの自己紹介にアシュレイが疑問を覚える。
自分の記憶が確かなら、あの時、自分を救ってくれたのはアディスだ。彼女は強大な力を操り、他を圧倒していた様に見えた。
自分を襲った者たちを率いていた男に『黒の原色』と、聞き慣れない呼び方をされていたのにも気になる。
そもそも、黒は原色には含まれない。原色とは赤、緑、青の色を差す言葉だ。その三つ全てが均等に重なった部分は白に。その色のどれもが存在しない部分は黒に。白も黒も原色があるからこそ存在する色だ。
(そして、瞳も髪も同じ黒、か)
瞳と髪の色は必ず異なる。赤い瞳を持つ魔族も唯一の例外を除いて、その全員が赤とは異なる髪の色をしている。髪と瞳が同色、というのは例外を除いて存在しない。
アディスはその例外に相当する。黒の髪も、黒の瞳も珍しいものではない。が、その両方を同時に持っているのは初めて見る。
アディスの力とこの色が関係しているのかは知らないが、ヒト族はエルフ族の様な魔法の力も、魔族の様な優れた身体能力も、妖精族の様な空を飛ぶ事もない種族だ。関係していないと考えるのは、なかなか難しい。けれど、自分の様なまた種類の違う例外も居るので、深く聞く様な事はしなかった。
「アディス・ダアト。あの時は助かった。ありがとう。ファウスト・クロウリアス、貴方にも改めて礼を言う。ありがとう」
食器を置き姿勢を正して、並んで立っている二人にアシュレイは深く頭を下げる。
所在のなかったタオルを持ち主に返しながらアディスが口を開く。視界の端で女医が呆れた様な責める様な目で見てくるが今は無視だ。
「そうやって改まって礼を言われると、なんていうか、困っちゃうな」
今度は視線をさ迷わせ頭をかく。困ったように見えるが、照れている様にも見える。
しかし、とアシュレイは不意に思う。アディスは女のアシュレイから見ても、とても美人に見える。
長く伸びた黒髪は癖もなく真っ直ぐ流れる様に落ちている。切れ長の目は知的な印象をこちらに与える。それでいて、口調は軽く纏う空気も重く無く、親しみやすい。
照れて戸惑っているアディスに女医が続いた。
「私も一応しておきましょっか。クォリト・フェオ、エルフ族とヒト族のハーフ、まぁハーフエルフって奴だよ。よろしくね」
言いながらクォリトが短い髪をかき上げ耳を見せる。見えたのはエルフ族よりは短く、ヒト族よりは長い、尖った耳。エルフ族の血を引くハーフの特徴だ。アシュレイも同じような耳をしている。
一通り自己紹介を終えた所で、最後にアシュレイが口を開いた。
「アシュレイ・エルだ。魔族とエルフ族の魔族寄りのハーフ、いわゆる稀少種だ。傭兵をやっている。よろしく頼む」
「魔族よりのハーフって?」
アシュレイの自己紹介に疑問を覚えたアディスが呟く。声に出ていないもののクォリトも同じのようだ。答えようとしたアシュレイの代わりにファウストが先に答えていた。
「通常、ハーフというのは両親の特性を半分ずつ受け継ぎます。しかし、稀少種には例外的な存在がいるんです。
ハーフは両親の特性を半分ずつ受け継ぐ者と、片方ずつしか受け継がない者の二つに分かれます。例外に当たるのは後者ですね。こちらは片方の特性しか受け継がない代わり、純血のものと変わらない能力を持ちます。魔族寄りのハーフならば身体能力が。エルフ族寄りのハーフならば魔法の能力が。といった具合に」
「なんていうか、こう、例外って言う割には普通ね」
例外と言うからにはもっとすごい事があるんだろうな、と思っていたアディスは少しがっかりする。例えば、両親の能力をそのまま受け継ぐとか、受け継いだ挙句、両親を遥かに超える能力とか、または突然変異的な感じで異常なまでに強力になるとか。
そんな子供じみたすごい事は全くと言っていいほど無いのは知っているが、それでもちょっと見てみたい気もあったりする。
「まぁ、そうですけど、考えるとこれ、結構おかしいんですよ。
元々、僕達エルフ族は虚弱な種族です。筋力も体力も他の種族、特に魔族と比べれば雲泥の差です。同様に、エルフ族以外には魔法の力がありません。
二つの種族の血が混じるという事はこの能力も混じるという事です。なので、本来ならハーフは純血のよくて半分、もしくはそれ以下の能力しか発揮できないんです。
ですが、アシュレイさんの様な存在は、例え片方だけとはいえ、純血のものと遜色のない能力を持っているんです」
言われると、確かにおかしいという事は分かる。要は足して二で割ったのがハーフで、アシュレイの様な例外は一と零を足した様なものだ。
どちらかを捨てる代わりに、減退なしにどちらかの能力を手にした、という感じか。最も、例外に分類されるハーフ達は初めからそうなのだから、捨てたとか手にしたとか、そういう感覚は無いだろう。初めから無い物に執着など感じようが無い。
しかしそれにしても、
「よく知ってるわね、アンタ。彼女の様なハーフはかなり少ないんでしょ?」
「これでも長生きしているので」
アディスに答えながらだが、とファウストは内心で続ける。
魔族とエルフ族のハーフ、稀少種に限らず、魔族の血を継いだハーフにはある特徴がある。両目とも赤い魔族とは違い、ハーフは片方どちらかが赤い。
なのだが、アシュレイは両目とも赤い。これはハーフとしての特徴に当てはまらない。
「そうだった。アンタ、アタシと大差ない外見年齢だけど、ヒト族で考えたら骨か化石よね」
「もう少し別な表現をしませんか……?」
どの種族も成長速度自体は同じだ。しかし長命の種族はある年齢を境に成長が止まり、寿命が近づくまでその姿で生き続ける。老化が訪れるまでが果てしなく長いのだ。青年の外見をしているファウストも、とうに年齢は三桁を超えている。
それはエルフ族の血を引いたハーフ達も例外ではなく、純血のエルフよりは短いが、それでもヒト族に比べればかなりの長命だ。
稀少種もこればっかりは例外はない。エルフ族よりは短いが、魔族も長命の種族だ。一般にエルフ族の寿命は500年ほど、魔族は200年ほどと言われている。その両者の血を継いだ者の寿命は300年ほどと推測されているが、いかんせん、そのハーフ自体が少ないので寿命は定かではないのだ。
だから、女医の外見に違和感を抱いた事にもアシュレイは合点がいった。この人も恐らくだが、外見とは不釣り合いな年齢をしている筈だ。
「自己紹介も終わりましたし、アシュレイさん。何か質問はありますか?」
「アシュレイで構わない。クォリト・フェオにも聞いたのだが、ファウスト・クロウリアス、貴方達は私の大鎌を知らないだろうか?」
「僕の事もファウストで構いませんよ。――大鎌ですか」
クォリトも呼び捨てでいいと言っている横で、ファウストとアディスは顔を見合わせていた。互いに記憶を確認し合っている二人は、こちらを見ているアシュレイの視線に気づいて、食べながらで構わない、と言ってくれたのでアシュレイは改めて食器を手に取った。
(本当に美味い)
とろける様な甘い笑顔を浮かべながら食べるアシュレイに、クォリトは思わず笑みを浮かべた。こちらが笑みを浮かべてしまうほど、アシュレイは美味しそうに食べている。
アシュレイが3口ほど口に運んだところで、アディスがこちらに向き直り、
「ごめんなさい。あの場にあった事はファウストが見ていたようだけど、あの時はあなたを助ける事だけを考えていたから、その……」
「いや、いいんだ。貴女がそのような顔をする事は無い。確認をしたかっただけなんだ。ありがとう」
となると、あの場に残っている事は考えない方が良いだろう。いくら重かろうが、4日もあれば運ぶ手段などいくらでも考え付く。また、あの鎌に使われている鉱物は希少価値の高いものだ。少しでも目利きがあれば、持っていこうとする筈だ。
武器は後でグールグの店に行って調達しよう。一つの答えが出たので次の質問をする。
「ここはどこだろうか」
「ここはシンセの街の宿屋よ。シンセはここルーフェ王国最大の商業都市であると同時、世界でも有数の貿易都市よ。あと、海に面してるから魚も美味しいわよ。後で食べる?」
「シンセ、か……」
シンセはルーフェ王国の東端に位置する港町だ。海に面した立地を活かし、ルーフェ王国の海の玄関地となっている。
ルーフェ王国。総人口は2千万に届く巨大な国だ。人口に見合うだけの広大な土地を保有しており、自然に富んだ国だ。しかし、巨大な半面、王制が国の隅々まで届かず、それを補うため、各地を王が直接任命した貴族が治めている。
このシンセも例外ではなく、グランブスという貴族がこの街を統治している。
「聞きたい事は聞けた。ありがとう」
「どういたしまして。――って、聞きたいのってそれだけ?」
「ああ。私は根なし草のフリーの傭兵だ。大まかな現状が聞ければ満足だ。身体の調子もクォリトから聞いたからな」
疑問を呈してくるアディスに、アシュレイはパスタを口に運びながら答える。
その答えにアディスとファウストが何やら顔を見合わせこそこそと話しあっている。スープまで飲み干したアシュレイは、側に居るクォリトと首を傾げあう。
空になった食器を置いて水を飲んでいるとアディスが、
「ねえねえ、アシュレイ。アタシに雇われる気、ない?」
「…………失礼だが率直に言わせてもらうぞ? 正気か?」
「え、なにそれ、ひどくない?」
「貴女方は私が死にかけていた姿を見ているだろう? いくら多勢に無勢だったとはいえ、そのような実力に不安が生まれる姿を曝した傭兵を雇う者はいないぞ?」
傭兵とは実力第一の世界だ。人格に多少の難があっても実力が秀でていればある程度は許容される。しかし、その逆はあり得ない。どれだけの人格者であろうとも、実力が不安では意味が無い。
状況が状況だけに、アシュレイの場合はそれが当てはまるとは言えないが、それでも、死にかけの姿というのは、どうしてもその者の実力に不安を生じさせる。まず、アシュレイが雇う側なら、自分の様な傭兵を雇うのは躊躇う。
そして、自分はしばらくまともに動けるかも怪しいのだ。
アシュレイはクォリトへ視線を送る。その視線の意図を汲んだクォリトが医者として口を開いた。
「傷はファウストさんの魔法で全部塞がってるけど、言っちゃえばそれだけなのよ。血もまだ足りている様には見えないし。
それだけじゃなく、4日もずっと寝ていたから体力も筋力も落ちている。あと、寝ている時も体は動かしていたけど、それでもやっぱり関節は固まるのよ。しばらくは動く度にぎこちなさを感じると思う」
「で、でも、稀少種って身体能力が凄いんでしょ?」
よほどアシュレイを雇いたいのか、アディスは尚も食い下がる。
魔族の身体能力はあくまでもヒト族の延長線にあるものだが、その限界が全種族で最も高く、特に鍛えずともそれなりに鍛錬を積んだ者と大差が無いほどだ。ヒト族が魔族と同じ肉体を手に入れるためには、単純に倍以上の鍛錬を要する。
それは治癒能力も同じで、ヒト族の数倍の治癒能力を持っている。
「そうだとしても、きっと、アシュレイの方が違和感を覚えるよ。体力も筋力も落ちているとはいえ微々たるもだよ。一般人なら気付かない程度の」
「じゃ、じゃあ……」
「でもね、彼女のように戦闘にも耐え得るほどに鍛えている者から見れば、その微々たるものも一般人から見ればすごい量なの。それに、私は戦闘ってそういう微々たるものが生死を分ける境になると思うけど?」
「そ、それは……」
言われアディスは言葉を詰まらせる。
そこまで言われて気付かない訳が無い。自分の都合でアシュレイを動かそうとしていた。アシュレイの体が無傷に見えるからつい忘れてしまうが、彼女は瀕死の重傷を負って、今日ようやく、目を覚ましたのだ。
冷静になってみれば、そんな状態の人を旅に連れ回していけるわけが無い。自分の都合だけで考え、アシュレイの事を何も考えていなかった自分が嫌になる。
「ごめんなさい、アシュレイ……」
「謝られるとこちらも弱いな……。しかしそういう事だ。すまないが、今回の話は忘れてくれ」
「わかりました。こちらも無理を行って申し訳ありませんでした」
余りに我が儘だった自分に沈んでいるアディスに代わり、ファウストがアシュレイの言葉に応える。
「では、僕たちはお暇させていただきます。お大事に」
「ああ、ありがとう」
アシュレイの礼に会釈をしつつアディスを伴ってファウストが部屋を出ていく。
途端に広く感じる部屋の中、クォリトは立ち上がり手を持ちあげ背を伸ばす。背を伸ばし切ったクォリトはさてと、と一言置いてから言葉を続けた。
「そろそろ私も行くね。あんまり病院を空けとく訳にもいかないし。――と、もうお礼は良いよ。あんまり言い過ぎるとくどいだけだよ?」
「注意しよう。それと、すまなかった。茶番に着き合わせたようで」
「気にしないでいいよ。医者としても、嘘は何一つ言ってないしね」
アシュレイの意図を正確に読み取ったクォリトは、アディスに医者としての意見をただ言っただけだ。
アシュレイが何故、彼女に雇われるのを避けたのかは分からないが、クォリトとしても、万全でないと分かっている者を死ぬかもしれない状況に送るのは避けたかった。
アシュレイのように体を鍛えている者は自分の体の変化に敏感だ。筋力や体重のごく微量な変化さえも、彼女は違和感を覚えるだろう。その違和感は動きにぎこちなさを生み、常の動きとは異なる動きをさせる。
その異なる動きは常と異なる呼吸、足運び、体捌きにより達成されるものだ。それが、命をかける戦いでは致命的なり得る。本人にとって最善である常の動きが出来ないとは、そういう事だ。
「でも、聞いてもいい?」
「私がアディスに雇われるのを避けた理由か?」
質問に質問で返したアシュレイにクォリトは頷きを返す。
「簡単だ。私は万全ではない上に、元々護身の類は不得手なんだ。それに、恐らく、あの二人は私なんかよりも強力だ。単体戦に特化した私は必要ないだろう。何より、今の私には肝心の武器が無い」
アシュレイの戦法はひどく単純だ。自身が持てる最高の速さと力で一撃を放つ。一撃必殺ないし初撃必殺に重きを置いたものだ。
その為、個人戦においては他を凌駕する実力を発揮するが、乱戦ではその実力を発揮しきる事が出来ない。対多数への攻撃方法が無いにも等しいのだ。
「ちゃんと考えてるんだ、やっぱり」
「中々失礼だな。傭兵は力が物を言う世界ではあるが、頭が悪い者が生きていけない世界でもある。それよりも、早く帰った方がいいのではないか?」
「あ、そうだった。じゃあ、私は行くね。明日はお昼ごろに来るよ」
わかった、というアシュレイの声を背にクォリトは道具が入った鞄を手に持ち部屋を出ていく。
部屋に残ったアシュレイは外の景色を見ようと立ち上がる。しかし、眩暈に襲われベッドに座り仰向けに倒れ込む。
(気分もよくなってきたから大丈夫だと思ったけど、やっぱりダメか……)
クォリトの言う通り自分はまだ万全ではないようだ。
ゆっくりと体を起こし、同じようにゆっくり立ち上がる。それでも眩暈はしかし僅かだが襲ってくる。やはり、アディスの依頼を断って正解だ。こんな調子では守るどころか守られかねない。
今無理をするものではないか。そう思いアシュレイは大人しくベッドに体を預ける。
天井を見ながら手を伸ばす。そして瞑目し、伸ばした右手へと意識を集中する。イメージするのは球体。手で掴める程度の大きさだ。
そのイメージはアシュレイの中で固定されたと同時、彼女の右手から僅かに浮く形で現れた。向こうが歪んで見える水の球がアシュレイの右手にある。
(これ位は出来るか……)
安定して球状を保っている水を見てアシュレイは内心で息を吐く。
魔法とは異なるこの力は使うには結構厄介な力だ。威力の加減は出来るが、それしか出来ない様なものだ。
距離に至っては安定して使えるのはほぼ零距離だ。武器があればそれに纏わせる形で使えるが、それで武器の射程が伸びる訳でも無く、やはり水そのものの射程は無いにも等しい。調子や運が良ければ、10メートルまでなら放てるが、それも稀だ。
(今思えば、あの戦闘の時、よく使えたな)
あの戦闘の時、自分とあの男たちの間にあった距離は10メートルは無かった筈だが、届いたのは奇跡だ。あの時は全てを勢いに任せていたが、どうやらそれが上手い方に運んだようだ。何にせよ、今に乗って思えば大穴もいいところの大博打だ。
「……なんで、こんな力持ってるんだろう……」
この力に気付いてからずっと持っている疑問を、生みだした水を見ながら呟く。
以上となります。会話ばっかりの起伏のない話で、とてもグダグダしております。ともあれ、最後まで読んでくださった方には多大な感謝を。