丘のかっぱ
僕がかっぱと出会ったのは、かなかなの鳴く、夕ぐれのことだった。
かっぱは緑色の体をしていて、僕よりも背がちょっとだけ大きかった。
「かっぱでしょ」
と僕はきいた。
夏休みのあいだ僕は九州にあるおばあちゃんの家に遊びに来ていた。今日の朝は宿題をやって、お昼にそうめんを食べたあとプールに行って、それからかぶと虫をとりにうらやまに登った。せみばっかりだったけど、一匹だけ小さなかぶと虫がいたので僕は嬉しくなってむしかごの中に入れた。
「そうだよ。お前は人間だろ」
とかっぱがいった。
うん、と僕はうなずいた。
「どうしてかっぱがこんなところにいるの?」
「なんでって、いちゃわるいのか」
「かっぱは川にいるから気をつけろっておばあちゃんがいってた。しりこだまをぬくんだって」
「おれが山にいようと川にいようとおれの自由だろう。かっぱが川にいなくちゃいけないなんてだれが決めたんだ。かっぱのことは、かっぱが決めるんだ」
それもそうだ、と僕はおもった。
「おまえこそなんで山になんているんだ」
「僕はかぶと虫をつかまえに来たんだ。一匹しかとれなかったけど」
「食べるのか?」
「そんなことしないよ。きっとおいしくないもの」
ヘンなことをきくかっぱだな、と僕は少しだけ不思議だった。
かっぱは僕のおじいちゃんみたいにぶっきらぼうな声で「はやく帰れよ」といって、するすると木をのぼって奥の方へ行ってしまったので、僕はかぶと虫を逃がしてあげてから、おばあちゃんの家に帰った。
「かっぱに会ったんだよ」
僕は夜ごはんのてんぷらを食べながらおばあちゃんとおじいちゃんにいった。
すると、ふたりともしわくちゃな顔でわらって、
「かっぱは川にいるものだよ」
「それにすもうを取ろうというんだ」
と僕にいった。
「でもかっぱはそんなこといわなかったよ。それにかっぱのことはかっぱが決めるんだって」
「そうかそうか」
おじいちゃんはいつもより楽しそうにわらっていたけれども、僕はちっとも面白くなかった。おばあちゃんもおじいちゃんもまるで信じてくれなかったから、僕は明日もうらやまに行って、かっぱに会おうと決めた。
かっぱはきゅうりが好きなんだよ、とおばあちゃんが教えてくれた。僕はきゅうりを二本もって、またうらやまに登った。昼のあいだはかっぱは出てこなかった。
虫とりにむちゅうになっているうちに日がくれた。今日はせみとくわがたをつかまえたけれど、またかっぱに「たべるのか」ときかれそうだから逃がしてあげた。だって僕は虫をたべたりはしないから。
山の向こうに大きなお日さまがしずんでいくのを見ていると、頭の上から昨日の声が聞こえてきた。
「また来たのか」
かっぱだった。
僕は、ずい、ときゅうりをさし出した。かっぱはぺたぺたと木から下りてくると、僕からきゅうりをもぎとって食べた。
「ぬるいな」
ぽりぽりという音を立てながらかっぱがいった。
「だって、ずっとにぎってたんだもの」
「おれの好物がきゅうりだってどうしてしってるんだ」
「おばあちゃんが教えてくれたんだ」
「ふうん。おまえのおばあちゃんは物知りだな」
「でも、かっぱがいるっていっても信じてくれなかったよ」
「としよりはあたまが固いんだ」とかっぱはいって、僕の服をぐいとひっぱった。「きゅうりのお礼だ。いいもの見せてやる」
僕たちは山のなかを登っていった。かっぱは僕のしらない道をたくさんしっていて、とちゅうには古ぼけたお稲荷さんとお地蔵さんがあった。
「こいつらは人間に見はなされちまったかわいそうな神さまだ。おれも昔は神さまだったんだぜ」とかっぱがつぶやいた。
「神さまがどうしてかっぱになったの?」と僕はきいた。
かっぱはかなしそうな顔をして、「そいつはおれにもわからないんだ」といった。
山の細い道をいくと、木のあまりない開けた場所についた。僕はこれがかっぱの家なのだと思ったけど、ベッドもテーブルも見あたらなかった。
「ほら、見てみろよ」
かっぱの、水かきみたいな手のさす方向を見ると、大きな夕日がオレンジ色になって、町のむこうにしずんでいくところだった。おばあちゃんの家は見えなかったけれど、たくさんの田んぼと、道路と、もっとむこうにはビルがあって、そのまた向こうに山が見えた。
「きれいだね」と僕はいった。
「また、きゅうりをもって来てくれよ」とかっぱがいった。
「うん」僕とかっぱは指きりげんまんをしようとしたけれど、かっぱの小指がどこだかわからなくて、結局できなかった。
「おまえはおれがかっぱだって信じてくれるよな」
とかっぱがいったので、僕はおかしくなってたくさんわらった。
「なんだよ」
「だって、僕の目の前にいるのにヘンなことを聞くんだもの。やっぱりかっぱはヘンなんだ」
「悪かったな」
夕日はゆっくりゆっくりしずんでいった。かっぱは僕をふもとまで送ってくれた。ばいばい、といって僕は手をふった。かっぱも手をふりかえした。
友達が増えて、僕は嬉しかった。
「かっぱには会えたのかい?」お茶わんにごはんをもりながらおばあちゃんがいった。
「うん」と僕はうなずく。「いっしょに夕日を見たんだ」
「それはよかったねえ」
「それでね、またきゅうりをもっていく約束をしたんだ」
「ひょっとしたら、そりゃあかっぱじゃなくて、幽霊かもしれないぞ」とおじいちゃんが両手を広げてお化けのまねをした。
「どうして?」
「あの裏山はな、本当は古墳っていって昔の人のお墓なんだ。だからそのかっぱは妖怪じゃなくて、幽霊なんだよ」
「妖怪と幽霊ってどうちがうの?」
「妖怪は生きてるけど、幽霊はしんでるんだ。それで、幽霊はお願いがかなうと、成仏して、消えてしまうんだ」
「でも、かっぱは生きてたよ」
「どうだかわかんないぞ。生きてるのもしんでるのも、そんなに変わらないからな」
おじいちゃんはにやりとわらった。
次の日も、僕は約束どおりおばあちゃんから冷えたきゅうりをもらってうら山に行った。かっぱに「ぬるいな」っていわれるまえにきゅうりを渡そうと思って、あちこちさがしたけど、かっぱはでてこなかった。
「約束だよ、きゅうりをもってきたよ」
といっても、かっぱは返事をしない。
僕はかっぱが教えてくれた道をたどって、かっぱの家に行ってみたけれど、そこにもかっぱはいなかった。
僕は暗くなるまでかっぱを待ったけれど、とうとうかっぱは出てこなかった。
しかたがないので、僕はかっぱの家にきゅうりをおいていくことにした。
どこか目立つところがいいな、と思っていると、ちょうどいいぐあいの、土がこんもりとしたところがあったので、そこにきゅうりをおいておいた。
「かっぱ、どうしてこなかったんだろう」
僕がかっぱの家をでていこうとしたとき、あの、「ぬるいな」という声がした気がして、うしろをふりかえった。そこにはかっぱはいなかった。僕は「またね」といって、暗いうら山をおりていった。
明日こそいっしょに遊ぼう、かっぱは僕の友達だから。