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愛の讃歌  作者: 石原裕
第三章 愛の覚悟

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第6話 大人二人の静かな毅然とした別離だった

 半月後の夕方、和服姿の光江が交差点を渡り終わった処で携帯のボタンを押した。目指す相手は直ぐに電話に出た。

「いやぁ、驚きましたね、あなたから電話を貰うなんて・・・」

「突然で、ご免なさい」

「いやいや、とんでもない・・・えっ、出て来ているんですか?」

「ええ、一寸お話ししたいことがありまして。でも、今、お忙しいんじゃありません?」

「そんなことはありません。私など居なくても会社は独りで動いて行きますよ」

「まあ、そんなことを・・・それじゃお会い出来ます?」

「勿論です。久し振りにミナミへでも出ましょう。鳥の旨い店が在りましたね、もう随分前の話になりますが、えぇ~っと・・・」

「鳥清ですわ」

「そうだ、鳥清でした。未だ在りますかねぇ。何れにしてもこれから直ぐに出ますから・・・それじゃ、後ほど」

 

 通された座敷の長卓の上に盛り沢山の絶品料理が並べられた。

仲居が座を整えて去った後、ビールを注ぎながら竜崎社長が微笑みを湛えて言った。

「然し、よく覚えていましたねぇ、此処の名前を」

微笑み返しながら光江が答えた。

「他に覚えること、有りませんもの」

光江が竜崎のグラスにビールを満たした。

「鳥清が潰れずに残っていたことに乾杯しましょう」

二人はグラスを軽く合わせた。が、その時、光江の顔がふっと曇ったのを竜崎は見逃さなかった。

「先日、由美君の恋人が私の処へ来ました」

光江は静かに頷いて話の続きを待った。

「なかなか良い青年です、しっかりしていて。由美君もきっと幸せになれるでしょう。良い青年に巡り会えて真実に良かった」

「私、実は今日、そのことで・・・」

「解っています。あなたからお電話を戴いた時に直ぐにそれと判りました。何も言いますまい。然し、そういう歳になったんですねぇ、あなたも私も。そんな子供を持つような歳に・・・」

「あれはやはり、あの頃だけのことにしておけば良かったのですわ。そうすれば、あなたも私も、今頃になって、こんな思いをしなくても済んだんだと思います。私たち母娘が、今、こうして幸せで居られるのもあなたのお蔭ですし、娘も聡さんもそれは解ってくれました。でも、やはり、私は、何時までもあなたに甘えて居てはいけないんだ、と思い至りました」

竜崎が静かにグラスを飲み干した。

「勝手なことを言って、ご免なさい」

「やはり私がいけなかったんだ。あの時、思い切ってあなたの処へ走っていれば良かったんだ」

光江が静かに首を横に振った。

竜崎が力無く笑いながら話を続けた。

「だが、出来なかった。甘えていたのは私も同じだ」

光江がビールを口に運び、竜崎も一緒に呑んだ。

「然し、これからも時々こうして、誰にも知られずに、二人だけで逢ってくれませんか?」

だが、光江はゆっくりと首を振って拒んだ。

「そのお気持は真実に嬉しく思いますわ。でも、私はそれほど心の切り替えが容易く出来る人間ではありません。それが出来ればもっと気楽に生きて来れたと思います」

「そうですか・・・残念だが、あなたがそう言うのなら・・・」

光江がビールを持ち上げた。

「どうぞ」

竜崎は幽かに顔を綻ばせてそれを受けた。

大人二人の静かな毅然とした別離だった。


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