第6話 大人二人の静かな毅然とした別離だった
半月後の夕方、和服姿の光江が交差点を渡り終わった処で携帯のボタンを押した。目指す相手は直ぐに電話に出た。
「いやぁ、驚きましたね、あなたから電話を貰うなんて・・・」
「突然で、ご免なさい」
「いやいや、とんでもない・・・えっ、出て来ているんですか?」
「ええ、一寸お話ししたいことがありまして。でも、今、お忙しいんじゃありません?」
「そんなことはありません。私など居なくても会社は独りで動いて行きますよ」
「まあ、そんなことを・・・それじゃお会い出来ます?」
「勿論です。久し振りにミナミへでも出ましょう。鳥の旨い店が在りましたね、もう随分前の話になりますが、えぇ~っと・・・」
「鳥清ですわ」
「そうだ、鳥清でした。未だ在りますかねぇ。何れにしてもこれから直ぐに出ますから・・・それじゃ、後ほど」
通された座敷の長卓の上に盛り沢山の絶品料理が並べられた。
仲居が座を整えて去った後、ビールを注ぎながら竜崎社長が微笑みを湛えて言った。
「然し、よく覚えていましたねぇ、此処の名前を」
微笑み返しながら光江が答えた。
「他に覚えること、有りませんもの」
光江が竜崎のグラスにビールを満たした。
「鳥清が潰れずに残っていたことに乾杯しましょう」
二人はグラスを軽く合わせた。が、その時、光江の顔がふっと曇ったのを竜崎は見逃さなかった。
「先日、由美君の恋人が私の処へ来ました」
光江は静かに頷いて話の続きを待った。
「なかなか良い青年です、しっかりしていて。由美君もきっと幸せになれるでしょう。良い青年に巡り会えて真実に良かった」
「私、実は今日、そのことで・・・」
「解っています。あなたからお電話を戴いた時に直ぐにそれと判りました。何も言いますまい。然し、そういう歳になったんですねぇ、あなたも私も。そんな子供を持つような歳に・・・」
「あれはやはり、あの頃だけのことにしておけば良かったのですわ。そうすれば、あなたも私も、今頃になって、こんな思いをしなくても済んだんだと思います。私たち母娘が、今、こうして幸せで居られるのもあなたのお蔭ですし、娘も聡さんもそれは解ってくれました。でも、やはり、私は、何時までもあなたに甘えて居てはいけないんだ、と思い至りました」
竜崎が静かにグラスを飲み干した。
「勝手なことを言って、ご免なさい」
「やはり私がいけなかったんだ。あの時、思い切ってあなたの処へ走っていれば良かったんだ」
光江が静かに首を横に振った。
竜崎が力無く笑いながら話を続けた。
「だが、出来なかった。甘えていたのは私も同じだ」
光江がビールを口に運び、竜崎も一緒に呑んだ。
「然し、これからも時々こうして、誰にも知られずに、二人だけで逢ってくれませんか?」
だが、光江はゆっくりと首を振って拒んだ。
「そのお気持は真実に嬉しく思いますわ。でも、私はそれほど心の切り替えが容易く出来る人間ではありません。それが出来ればもっと気楽に生きて来れたと思います」
「そうですか・・・残念だが、あなたがそう言うのなら・・・」
光江がビールを持ち上げた。
「どうぞ」
竜崎は幽かに顔を綻ばせてそれを受けた。
大人二人の静かな毅然とした別離だった。




