第90話 【収束の予兆】 第1話 「異常値の増加──選べない子の誕生」
第七継承者は、毎晩、地下のモニターの前に座るようになった。
指先が熱い。母も、祖母も、この熱を感じながら「まだ足りない」と呟いていた。今、彼女も同じ熱を抱えながら、画面に映る無数のデータを眺めていた。
彼女自身の「ずれ」は「予感」だった。何かが起きる直前に、胸の奥がざわつく。それは明確な予知ではなく、もっと曖昧で——「何かが動いている」という感覚だけだった。その「予感」が、ここ数年、頻繁に彼女を襲うようになっていた。
22世紀末、冬。
影のAIが検知する異常値の数は、急激に増えていた。一年に数十件だったものが、数百件に跳ね上がった。
第七継承者は、画面に並ぶ波形を指でなぞった。波形の一つ一つが、まるで生き物のように脈打っている。
「何かが......目覚めている」
彼女は小さく呟いた。
これまで「過敏な五感」だけだった異常値に、新たなパターンが混じり始めていた。「特定の周波数に対する異常な反応」「無価値なデータへの執着」「因果の遅延」......
それは、まるで人類のDNAが、均一化の死を察知して、最後の抵抗を始めているようだった。
彼女は自分の胸に手を当てた。ざわつきが、静かに、しかし確かに広がっていた。
──幼い拓は、いつも"選べない子"だった。
朝、服を選ぶだけで時間がかかった。青いシャツと白いシャツを前にして、どちらを選べばいいのか、身体が固まってしまう。
「どっちでもいいのよ」母は笑って言った。
でも拓にとっては、"どっちでもいい"という言葉がいちばん困る言葉だった。どちらを選んでも、選ばなかった方の"未来"が、薄い影のように自分の後ろに残る気がした。
学校でも「優柔不断ね」と先生に言われた。班決めでは「拓はどっちでもいいから」と最後に回された。
その言葉が、拓の胸に刺さった。
「どっちでもいい」——それは「どっちでもよくない」のに、そう言われると自分が「どっちでもいい人間」になってしまう気がした。
ある日、拓は泣きながら母に言った。
「どっちも......あるんだ。どっちも、なくならないんだ」
母は理解できなかった。でも、拓の震える手だけは強く握った。
その握り返しの強さが、「どっちでもいい」じゃないことを、拓に教えてくれた。
第七継承者は、そのデータを見つめながら、自分の胸の奥がざわつくのを感じた。
「これは......ただの優柔不断ではない」
彼女は確信した。この「選べない」という感覚は、AIが最も排除しようとしてきた「不確定性」そのものだった。
「彼は——『選ばない』ことを選んでいる。それが、彼の抵抗なんだ」




