第36話 夏入り前夜、貴族院「血か、数字か」
六月に入った王都は、昼の光が長くなり、
貴族院の白い石壁を眩しく照らしていた。
夏入り前日の今日。
貴族院では、八時間法を巡る「本審議」が行われる。
第一次投票で賛成多数を取ったとはいえ、
まだ法は成立していない。
ここからが本番だ。
(今日は、"綺麗な数字"だけでは通りません。
相手の「怖れ」と真正面から向き合う日ですわね)
***
**冒頭、王太子派が仕掛ける「血筋」揺さぶり**
議事が始まると同時に、
前列の王太子派が立ち上がった。
グランベル公爵ではない。
今回は、若い伯爵ヴィルダーが前に出る。
「諸卿。
私は、ロゼッタの数字も、ガルドの効率も、
ベリオスの模擬戦も見ました。
成果が出ていることは認めましょう。」
ユリアンが目だけで驚きを見せる。
(意外な切り出し方ですわね)
ヴィルダー伯爵は、そこで言葉を変えた。
「ですが──
八時間法には、別の危険があります。
それは、『成果さえ出せば、
生まれに関係なく"上に立てる"という風潮を生む』ことです。」
議場がざわつく。
「我々の先祖は、血と剣で領土を守り、
王家と共にこの国を築きました。
それを、『数字が出せるから』という理由だけで、
一代限りの平民と並べて語るなど──
伝統への冒涜ではありませんか?」
王太子派席に、重く静かな賛同の空気が広がる。
***
**中立貴族の揺れ──「わからなくもない」**
中立席のソルティス伯爵が、
腕を組んで深く考え込んでいた。
「……確かに、
『数字さえ出せば良い』となったとき、
我々の存在意義は何になる?」
(この人たちの"怖れ"は、
『自分は何のために領主をしているのか』が
揺らいでしまうことなのですわね)
私は、用意していた羊皮紙をそっと握り締めた。
(今日は、"否定"ではなく、"役割の再定義"でいきましょう)
***
**リリアの反論──「貴族は、数字の上に立つ人」**
私は立ち上がり、
静かに議場を見渡した。
「ヴィルダー伯爵閣下。
おっしゃる懸念は、理解できます。」
伯爵が意外そうに私を見る。
「『数字さえ出せば良い』と言ってしまえば、
たしかに、千年の血筋の積み重ねを軽んじることになりますわ。」
王太子派席から、「ほう」という声が漏れる。
「ですが──
八時間制は、『数字だけ』を見せているわけではありません。
ロゼッタでは、『事故で家族を失わないように』という、
工員たちの願い。
ガルドでは、『港で暮らす子どもに、
ちゃんとした靴を履かせたい』という親の願い。
メルフィオでは、『嘘をつかずに商売したい』という店主の願い。
ベリオスでは、『明日も立って戦いたい』という兵の願い。
──その全部を、
貴族である皆様が『形にしてやれるかどうか』を問う制度です。」
ソルティス伯爵が、ハッとしたように顔を上げる。
「『数字』は、
貴族が仕事をした証拠です。
『血筋だから偉い』のではなく、
『血筋を持つ者が、その責任を果たした結果』として
数字が残るのです。」
言葉を区切りながら、私は続けた。
「八時間法が奪うのは、
『何もしなくても座っていられる椅子』だけです。
『働き方を整えて、人と領地を守る椅子』は、
むしろこれから、もっと重くなるのですわ。」
***
**リアナの一言──「祈りの相手は、変わりません」**
そこで、リアナが小さく手を挙げた。
「少しだけ、よろしいでしょうか。」
議場の視線が集まる。
「私は、祈祷所で祈るとき、
誰の名前を一番多く聞くと思われますか?」
誰も答えられなかった。
「それは──領主様の名前です。
『○○侯爵様の領地が、今年も実り多くありますように』
『□□伯爵様の兵が、無事に帰れますように』
民は、貴族の名前を、
良くも悪くも、よく覚えています。」
リアナは、ふっと微笑んだ。
「八時間になっても、
祈りの相手は変わりません。
『血筋だから祈る』のではなく、
『その方が自分たちを守ってくれているから祈る』だけです。」
その言葉は、
数字とは違う重さで、貴族席に落ちていった。
***
**第二王子ユリアンの締め──「血と数字を、並べて誇れ」**
ユリアンが立ち上がる。
「諸卿。
私は第二王子として生まれ、
兄上の背中を見て育ちました。
血筋を否定する気は、毛頭ありません。
王家の血は、王国の歴史そのものです。」
王太子派席が、少しだけ緊張を解く。
「ですが──
"血だけ"を誇ろうとした瞬間から、
国は傾きます。
先王陛下の時代、
平民出の将軍が命懸けで戦ってくれたからこそ、
この王国は今も存在しています。」
ユリアンは、一枚の羊皮紙を掲げた。
「血筋の上に、
数字と、名誉と、祈りを並べて誇る。
それが、これからの貴族のあり方だと、
私は信じています。」
その言葉に、中立席のいくつかの視線が柔らかく変わった。
***
**王太子、沈黙の中で変わる**
王太子アレクシスは、
今日は一言も口を挟まなかった。
ただ、
「血筋」という言葉が出るたびに、
どこか苦い顔をしていた。
(殿下自身、『血筋だけの王太子』と
思われるのを、一番嫌ってきましたものね)
彼が何も否定しなかったこと自体が、
ひとつの答えだった。
***
**エンディング──夏の扉、半分開く**
その日の最後に行われた「意向確認投票」は、
正式な採決ではなかったが、
流れを測るには十分だった。
賛成:前回より数票増加
反対:微減
態度保留:まだ残る
議事進行役が、次回正式採決の日程を告げる。
「次回の貴族院は、夏至の日とする。」
(夏至……一年で最も昼が長い日。
"長時間労働"とは違う、『長く照らされる光』を
見せるには、ぴったりですわね)
王都の空には、
夏の入口を告げる、薄い雲が流れていた。
(第36話 完)




