第35話 王太子派、最後のカード「血筋と伝統を守れ!」
八時間法が「第一回投票・暫定賛成多数」で通ってから、三日後。
王都は一見いつもどおりの賑わいを見せていたが、
貴族院の周辺だけは、妙な熱気とざわつきに包まれていた。
(第一ラウンドは、こちらの勝ち。
とはいえ、相手もこのまま引き下がるとは思えませんわね)
***
**王太子派の新しい噂──「貴族の血が汚される」**
王都のとあるサロン。
絹のカーテンと甘い香の漂う一室で、
中堅貴族たちがグラスを片手に集まっていた。
「聞いたか? 八時間法が通れば、
『平民も貴族も同じように働くのが正しい』という風潮になるそうだ。」
「貴族の血筋の誇りが薄れ、
いずれは『平民出の宰相』が当たり前になる、と。」
一人の若い伯爵夫人が顔をしかめる。
「それは……嫌ですわね。
せめて『生まれ』と『育ち』の差くらいは、
守られてほしい。」
(なるほど……今度は“身分不安”を煽る情報戦ですか)
この噂が、静かに、しかし確実に
「中立寄りの上流貴族層」に浸透し始めていた。
***
**情報の出どころ──グランベル公爵の別荘**
エドガーとクロウが持ち帰った報告を、
私は屋敷の執務室で広げていた。
「噂の源流は、やはりグランベル公爵の私的サロンですね。」
クロウが淡々と告げる。
「王太子派の中でも、
“血筋と伝統”で結束している連中が中心です。」
父上が鼻を鳴らす。
「奴らは『長く働く』ことより、
『働かなくてもいい自分』を守りたいのだ。」
私はペン先を軽く回しながら考える。
(彼らが本当に恐れているのは、
『八時間で結果を出す平民=将来の競争相手』
という構図、というわけですわね)
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**第二王子ユリアンの本音──王族の「血」と向き合う**
王城の書庫。
分厚い法典の山の中から、ユリアンが一本の巻物を取り出した。
「これは先王陛下の時代の記録です。
『平民出の将軍』が初めて誕生したとき、
貴族たちは皆、『血筋が汚れる』と大騒ぎしたそうです。」
私は、巻物の古びた文字を追う。
「でも、その将軍がいなければ、
この王国は一度滅んでいた、とも書いてありますわね。」
ユリアンが苦笑する。
「王族の血に生まれた身として言いますが、
血筋だけでは、国は守れません。
兄上の"愛国心"も、血ではなく"育ち"で培われたものです。」
しばし沈黙した後、
彼は静かに続けた。
「だからこそ、
血を理由に『現場の改革』を止められるのは、
正直、我慢ならない。」
私も、ゆっくりと頷いた。
(第二王子殿下も、“名前”だけの王族ではいたくないのですわね)
***
**リリアの次の一手──「貴族の矜持」を利用する**
エルウィン家の会議室。
私は羊皮紙の中央に、太く一行を書いた。
『八時間法は、貴族の権威を"数字"で守る法』
父上が眉を上げる。
「ほう。」
「グランベル公爵たちは、
『血筋』と『伝統』で権威を守ろうとしています。
こちらは、『成果』と『安定した税収』で
"本物の権威"を支える、と打ち出します。」
エドガーが首を傾げる。
「リリア様、それでは結局、
貴族を守るための法に見えませんか?」
私は首を横に振った。
「いいえ。
『貴族を守る=領民の暮らしを守る』という形にすれば、
民にとっても損ではありません。」
窓の外では、
春から夏へ向かう風が、枝葉を揺らしていた。
「『数字で語れる貴族』と、
『血筋に縋るしかない貴族』。
どちらに、領民が自然と頭を下げたくなるか──
それを貴族院で見せて差し上げますわ。」
***
**小さな「仕込み」──数字だけではない準備**
その日から、エルウィン家の動きは、
あからさまではないが、確実に忙しくなった。
・ロゼッタから、事故ゼロになった工場の職人代表を王都へ呼ぶ手配
・ガルドから、「八時間制になって一家で暮らせるようになった船乗り」の証言集め
・メルフィオから、「聖女札の店の売上とトラブル減少」の具体例を整理
・ベリオスから、「八時間訓練の兵士が書いた家族への手紙」の抜粋を集約
リアナは祈祷所で、
それぞれの声を聞きながら、
一通一通、短い祈りを添えていた。
「……この声が、届きますように。」
私は、その「生の声」を、
貴族院の机上だけではなく、
「耳」と「心」に届ける準備を進めていった。
***
**王太子の心中──揺れる立場**
王太子宮殿の一室。
アレクシスは、一人、窓辺に立っていた。
ベリオスから戻って以来、
彼は以前のように「愛国心」を怒鳴り散らすことが減った。
側近が、おそるおそる尋ねる。
「殿下……八時間法、
次の審議でどうなさるおつもりですか。」
アレクシスは、しばらく答えなかった。
「父上が認め、
ユリアンが推し、
エルウィンが数字を示し、
聖女が民の声を集める。」
「はっ。」
「……それでも、『王太子としてのプライド』だけで反対し続ければ、
私は、何を守る王太子になるのだ?」
側近は、返す言葉を失った。
「私は……
この王国の"強さ"だけは、守りたい。」
アレクシスの拳が震えた。
その震えが、
「白旗」ではなく、「武器の持ち替え」であることを、
誰もまだ知らない。
***
**ラスト──夏の入口、次の審議へ**
六月の気配が、王都に忍び寄る。
長く伸びた昼の光は、
工場の窓、港の波、商店の看板、
そして軍港の訓練場を、
まんべんなく照らしていた。
私は、開きかけたカレンダーを見て、
深く息を吐く。
「……次の貴族院は、夏入りの前日ですわね。」
ユリアン、父上、リアナ、エドガー。
そして、少しだけ変わり始めた王太子アレクシス。
(この夏、
"血"よりも"結果"が重くなる瞬間を、
必ず形にしてみせますわ)
静かな決意を胸に、
私は次の審議の準備へと戻っていった。
(第35話 完)




