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3.

 外は小雨が降っていた。

 3時限目の体育はグラウンドでサッカーの予定だったのだが、急遽体育館でのバレーボールに変更となった。

 中学時代はバレー部に所属していたこともあってバレーの心得はそれなりにあるし、久しぶりに触るボールの感触に心が躍る。


「キャー! 橘くーん!」

「橘くんこっち見てー!」


 なにより、この黄色い歓声である。

 本来体育の授業は男女別で行われ、片方が体育館、もう一方がグラウンドを利用するが、雨でグラウンドが使えない日は男女合同で体育館を利用する。

 とはいえ同じ種目を行うわけではなく、館内の中央に張られた白いネットの向こうには何台かの卓球台が並べられている。

 しかし、真面目に卓球をしている様子はなく、ほとんどの女子がネットに張り付いてこちらを眺めているようだ。


「橘くんカッコいいー!」

「橘頑張れー!」


 ああ、バレー部時代の僕に聞かせてやりたい。

 あの頃は大会で何回戦に進んだとしても、女子が応援に来てくれることなんかなかったからなぁ。

 スパイクを決めたらキャー。

 サーブを打ってもキャー。

 レシーブをミスしてもキャー。

 ……いや、真面目なスポーツマンだったかつての僕には毒でしかないな。


「おい女子! お前ら真面目にやれ! 橘ァ! ボサっとしてんな! 交代だ!」

「は、はい!」


 ハゲの体育教師は女子に向かって怒鳴り、ついでに僕まで怒鳴られた。

 いや、気持ちはわかる。

 僕が逆の立場でもムカつくもの。


 コートを抜けて壁に寄りかかると、どっと疲労感に襲われる。

 体力もそうだが、精神的な疲労が思ってた以上に溜まっているらしい。


「はぁ……」

「おいモテ男」

「うおっ! って、またお前か……」


 今朝に引き続き、僕を驚かせたのは佐伯だった。

 彼女は入り口の扉を少し開いて、ゴミでも見るかのような眼差しで僕を見下している。


「は? またって言った?」

「ごめんなさい失言でした」

「まぁいいや。ちょっとツラ貸して」

「はい……」


 今朝少し揉めてから佐伯とは何も話せていない。

 これまでも小競り合いは数え切れないほどしてきたが、次の休み時間にはけろっとしている事がほとんどだった。

 なのに、今日に限ってご機嫌斜めは継続中らしい。


「どこ行くんだ?」

「…………」


 どうやら口も聞きたくないようで、体育館のエントランスを抜け、外へ出て行く彼女の背中を黙って追うことにした。


「さむっ」


 外に出ると、小雨は雪に変わっていた。

 屋内との気温差に震え上がるが、佐伯は構わず体育館の外壁沿いを進んでいく。

 どこに向かっているのか分からなかったが、どうやら目的地は体育館裏だったらしい。


「やっと来たのね、モテ男くん」


 そこには、委員長がいつもの冷めた表情で待ち構えていた。

 冷めたというか冷えたというか、真っ赤になった指先に息を吐いている。

 体育館裏といえば告白の名所であると共に、不良にぶん殴られるスポットのイメージがあるが、二人の様子から察するに今回は後者だろう。


「その、モテ男っていうのはよしてくれ」

「本当のことじゃない。あんな量のチョコレート、今時少女漫画でも見ないわよ」


 委員長って少女漫画とか読むんだ。

 なんて考えている場合じゃないだろう。

 要するに、二人はこの異変の解決に協力してくれるらしい。

 となると、最初にハッキリさせておくべき事がある。


「お前らは僕のこと、好きになってないよな?」

「ええ、今の発言がとても気持ち悪いと感じるくらいには好きじゃないわ」

「気持ち悪かった!?」

「……キッショ」

「言い過ぎじゃない!?」


 無駄に傷つけられた気もするが、いつも通りのようで一安心だ。


「でも、どうしてお前らだけ大丈夫なんだろう」

「チョコレートよ」


 やけにはっきりと、委員長は言い切った。


「杏樹ちゃんと手分けして聞き込み調査をしたら分かったのよ。今日チョコレートを持ってきた女子は、無条件にあなたのことが好きになってる。逆に言えば、正気を保っている子は誰もチョコを持っていなかったわ」

「そう……なのか」


 僕が逃げている間、異変に気付いた彼女たちは解決に向けて調査をしてくれていたようだ。

 台風の目とも言うべき僕自身がこの有様なのが情けない。


「……調べてくれてたんだな」

「ええ、明らかな異変だもの。橘くんがモテるわけないし」

「モテるわけないの!? そんなことはないだろ!?」


 いや、確かにモテたことはないし、自分でもイカしてるとは思わないけど、可能性はなくもないと思いたい。


「そうかしら? 目つきは悪いし、筋肉もないし、身長も平均前後。部活は文化部の中でも活動内容がよく分からない事で逆に有名な文芸部。成績は中の上で、家が大金持ちというわけでもない。ほら、無いのよ。モテる要素が全く無いの」

「ふーん。普通に泣くけど、どうする?」

「あと乳首もダサいし」

「乳首の話は関係なくないか!?」

「へぇ。ダサいんだ、乳首」

「だ、ダサくないわ!」

「あら、杏樹ちゃんは見た事ないのね。女みたいな乳首してるわよ。ほら橘くん、見せてあげて」

「やだね! お前らには何があっても見せないからな!」


 さっきまでは委員長に感謝していたのに、いつになく毒の強いその物言いが腹立たしい。

 というか普通にイジメだろ。

 なにはともあれ、話を乳首からチョコに戻そう。


「で、二人はチョコを持ってこなかったんだな?」

「ええ、本当はみんなに友チョコを配りたかったけど、不要な食物の持ち込みは校則違反なのよね。残念」

「いやお前、絶対面倒臭かっただけだろ」


 緊急事態とはいえ、校則に厳格な奴がこんな所で立ち話をしているわけがない。

 というか、この女がこれまで見せてきた数々の破天荒は絶対に校則違反だ。

 どころか下手をすれば法律にすら違反しているだろう。


「佐伯もチョコは持ってこなかったんだな」

「悪い?」

「悪いとは言ってないだろ。お前ってこういうイベント好きそうだし、持ってきてないのが意外だったんだよ」

「……別に、去年も持ってこなかったし」


 言われてみれば、確かに去年佐伯が誰かにチョコを渡す姿を見ていない。

 正直な話をすると、去年の僕は仲の良い彼女から義理チョコの一つでも貰えるのではないかと期待していたのだが、その期待は虚しく砕け散ったのだった。


「とにかく、チョコは持ってきてないから」

「そ、そうか。分かった」


 となると委員長が言う通り、女子の様子がおかしいのはチョコが原因なのだろう。

 そしてチョコといえば、明確な心当たりがある。


「今朝の……」


 机の中に入っていた、差出人不明の歪なチョコ。


「杏樹ちゃんに聞いたわよ。『VE』と書かれたチョコレートがあったんでしょ?」

「ああ、あったよ」

「それ、どうしたの?」

「……食べちゃった」


 委員長は呆れたように肩をすくめると、メガネをクイッと押し上げた。


「全く信じられないわね。送り主も原材料も分からない物を平気で食べるなんて。どんなに浮かれポンチだったとしても、もう少し警戒した方が良かったんじゃない?」

「……返す言葉もありません」

「まぁ、本当にそのチョコレートが原因だったのかは分からないけどね。登校前には異変が起きていて、おかしくなった誰かが一足先に置いていったのかもしれないし」


 卵が先か、鶏が先か。

 どちらにせよ手掛かりになるのはあのチョコだけだ。

 しかし、肝心の手掛かりが腹の中にあるのだから始末が悪い。


「どうしたもんかなぁ。このままじゃまともに生活できないぞ。モテる男は辛いって本当だったんだな。ははは。困ったこまっ――」


 その瞬間、僕の体は壁に叩きつけられていた。

 何が起きたのか分からなかったが、直後、佐伯が勢いよく左腕を伸ばす。

 その手は僕の顔面すれすれをかすめ、背後の壁から鈍い音がした。


「アンタさぁ、なにヘラヘラしてんの?」


 いわゆる壁ドンの体勢で、佐伯は僕を睨みつけた。


「な、なんだよ急に。別にそんなつもりじゃ――」

「さっきだってさ、女子にキャーキャー言われて満更でもなさそうだったじゃん」

「それは……」


 違うと言ったら嘘になる。

 慣れというのは怖いもので、つい1時間前まではあんなに混乱して取り乱していたのに、この状況に適応しはじめている。


「アンタが困ってそうだったからさ、アタシらも助けてやろうとしたんじゃん。なのにさ、その態度はなんなの?」

「いや、だから僕はただ――」

「黙れよ」


 低く鋭い怒声に、時間が止まったかのような錯覚をおぼえる。

 呼吸がうまくできているのかも分からず、瞬きすらもままならない。


「あのさぁ。今のアンタ、マジでキモいよ」

「……は?」


 普段の佐伯とは似ても似つかない、嫌悪感を露わにしたその表情。

 汚物でも見るように蔑んだ瞳。

 罪人をなじるような冷たい声色。


「……ざけんな」


 なにが正気を保ってるだ。

 誰だよお前。

 他の女子と一緒で、しっかりおかしいじゃないか。


「……僕が一体、なにをしたって言うんだよ」


 バレンタインにチョコを貰って、それを食べるのがそんなに悪いことか?

 浮かれるのがそんなに悪いことか?

 そんなに、責められるようなことなのかよ?


「……佐伯、もういいよ」

「なにが? なんもよくなくない?」

「だから、お前には関係ないだろ。もうほっといてくれ」

「今更何言ってんの? ほっとけるわけないっしょ」

「はっ」


 何言ってる?

 それはこっちのセリフだ。

 人の気も知らないで、どいつもこいつも。


「朝から無駄につっかかって来やがって。なんなんだよ? 顔も見たくないからさ、頼むからどっか行ってくれ」


 ――パンッ。


 雪が舞い散る空に、鋭い音が鳴り響いた。

 左の頬がじんわりと熱を帯びて、次第に火傷のように熱くなる。


「はぁ――はぁ――」


 荒い息遣いは彼女の物だ。

 宝石のように蒼く、しかし光のないその瞳に涙を溜めて、ただ真っ直ぐに、僕を覗き込む。


 分からない。

 なぜお前が泣いているんだ。

 泣きたいのは僕の方だよ。


「ちょっと! なにしてんの!?」


 誰かがそう叫んだ。

 誰だろう?

 まぁ、誰でもいいか。


「橘、大丈夫!? 杏樹! 委員長! これどういうこと!?」


 それを聞きたいのは僕の方だ。

 どうしてだろう、分からない。


「行こ」


 誰かが僕の腕を引き、佐伯がどんどん離れていく。

 こちらを見向きもせずに立ち尽くす彼女のすぐ横では、腕組みをした委員長がいつも通りの冷めた表情で僕を見ていた。

 ほんと、委員長はどんな時でも委員長だな。


「橘、私にしときなよ」


 何が?

 知らないよ。

 もう嫌だ。


「お願い……私を選んで?」


 やめてくれ。

 静かにしてくれ。

 離してくれ。


 角を曲がると二人の姿が消え去った。

 そして同時に、視界そのものが閉ざされる。


「私だけ見てよ……」


 僕のとは違う柔軟剤の香りがして、暖かくて柔らかなその感触に包まれると、何故だか少し泣きそうになった。


「ねぇ、橘……」


 嫌だ。


 もう、考えたくない。

 もう、何も見たくない。

 もう、誰にも見られたくない。

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