7.藁と貴公子
その日の朝、エレナは畑のすみに植えられたローズマリーが気になっていた。
花畑とは別の、農作物を育てている畑の片隅に、幾つかハーブが植えられているのだが、少し元気がない。
「エレノア様も気になりますかい」
一人でしゃがみ込んで様子を見ていると、オリバーが声を掛けてくれた。オリバーは初老のずんぐりとした男性で、農作物の世話をしている。
「ええ、もうすぐ春だし、大丈夫だとは思うのですけど」
「ここのハーブは子供たちがギースからもらって植えたものだから、教えてやってくれませんかね。わしの言う事は聞かんのですよ」
やれやれとオリバーは肩をすくめる。この集落には子供も数人いる。ギースは薬草の研究をしている変わった男だ。家に閉じこもっているか庭でぶつぶつ言っているかで、やっている事には興味があるのだが近寄りがたい。
オリバーの視線を追うと、水汲みの手伝いをしているマリーが見えた。マリーは十歳のおませな女の子だ。後で声をかけてみよう。
「少し暖かくしてあげるといいと思うんですけど。藁をいただいてもいいですか?」
「もちろん。藁でも籾殻でも。エレノア様が使って怒る人はいませんよ。あっちにまとまってますんで、案内しましょう」
オリバーについて、畦道を行く。村の外れに小さな牧場があって、その脇に固めた藁が積み上がっていた。
「こりゃあ、エレノア様の力じゃ無理だなぁ。わしに任せなさい」
オリバーがわらの束を崩そうと鋤を持ち上げた時、
「僕がやるよ」
急に後ろから声をかけられてエレナは飛び上がった。
振り向くとセドリックが居た。急いで来たようで、頬が紅潮している。少し不機嫌そうにオリバーを睨んでいた。
「ほっほっ」
オリバーはそんなセドリックを見て笑う。
「坊ちゃん、こんなおいぼれにまで妬いているんですかい」
「いや、そうではないけど」
セドリックは口籠る。少し恥ずかしそうに続けた。
「僕がやるから。オリバーは仕事に戻っていいよ」
オリバーは上機嫌で戻って行った。
こうしてセドリックがあれこれとエレナの世話を焼くので、皆、ヴァル・フルールに一足先に春が来たと嬉しそうなのだ。
エレナは少し気恥ずかしい。本音を言うと嫌な気はしないのだが、いつまでもいられるわけではないし、そもそもセドリックはそれで良いのだろうか。
こんなに素敵なのだから、恋人どころか婚約者……、いや、年齢的に結婚していてもおかしくない。
「誰かに連れて行かれる後ろ姿が見えて、すごく焦ったんだ」
藁の束を一つ崩しながら言い訳のように言う。
「使うのはこのくらい?」
「はい、ありがとうございます」
受け取ろうとすると、いいから、と、小脇に抱えたままエレナを促す。
「畑に持っていくのかな?」
「あの、セドリック様にやっていただくような事では……」
遠慮すると、セドリックは少し困ったように口を尖らせた。
「もっと気安くして欲しいな」
「え?」
「さっき、オリバーと喋っているのが見えた。エレナがとても可愛く笑っててさ、それで少し面白く無かったんだよね」
セドリックは顔を顰める。
「だって、オリバーには頼めるだろ? 僕も頼って欲しいから」
「オリバーがここを教えてくれたんですよ」
「それだよ、僕もセドリックって呼んで」
「……」
子供のように口を尖らせる。エレナは困ったが、そう頼まれては断れない。
「セドリック…さん?」
「セドリック」
「セ、セドリック……」
ついにそう呼ぶと、セドリックは花が綻ぶように笑顔になった。
「そう、セドリックだ。僕がセドリックだよ、エレナ」
そういうと、藁を担いだ美しい貴公子は、踊るような足取りで畑の畦道を行く。
美しい後ろ姿を、エレナは複雑な気持ちで眺めた。なぜ、こんなに良くしてくれるのだろう。
何を私に期待しているのだろうか。まさか本当に、そこにいるだけでいいわけではないだろう。
モンフォール家は教会と深いつながりがある。その信仰心から聖女である自分を保護しているのだろうか。
たしかモンフォール伯爵は、今の王妃様と遠縁にあると聞いた。王妃様と言うのはダリウスの母君だ。……私に何かの価値を感じているのだろうか。