53.出発
王都の一角、貴族の邸宅が並ぶ区画にモンフォール家のタウンハウスがある。
王宮までは歩いても行ける距離だが、当然のように馬車通勤だ。王宮の門からが遠いというのもある。
セドリックは、ダリウス王太子の秘書官の一人ということになった。スケジュールの管理や書類の作成に追われつつ、ダリウスは色々意見を求めてくるので勉強もしなければならない。
しかもいざという時は護衛もすることになる。騎士団の訓練にまで参加させられている。
今までダリウスは思いついたことを突然言い出すし、人の話を聞かない困った面もあったようだが、最近はセドリックに相談するようになった。
セドリック経由で意見すればちゃんと必要なことは聞き入れるという体制も整いつつある。
セドリック自身には権力に全く興味がなく、国と自分とエレナの平穏を一心に願っているため、仕事ぶりは、無私で公平だと評価されている。
権力大好きな父は、偉くなった息子の名前で怪しげな人脈を作ってはなぜか自慢してくるので、それを元に一網打尽にしていたら、子悪党が減った。
そのおかげで、モンフォール伯爵家の親子はなぜか世直しするヒーローのように思われている。
仕事は、実は結構楽しい。ダリウスがどうしたいのかを読んで動いて上手くいくと快感だし、色々な情報を組み合わせて裏を読みあうのもゲームのようで嫌いではない。
でも、自分から駒になるようなことはしたくないので、社交界は相変わらず嫌いだ。そのあたりは父を上手く使う。
日々の不満は官吏ということでいつも堅苦しい格好をさせられていることだ。肩は凝るし、見ただけで役割が分かるのでいろいろな人間が寄ってくる。
それを笑顔で捌きつつ、ダリウスの陣営に引き込むべき面子を見定める。
ただ、忙しすぎる。
王宮で気を張っている間はゲームに興じているようで疲労は感じないのだが、門を出たとたんもう動きたくない。
日々、気持ちが荒んでくる。
セドリックは田舎でスローライフがしたいタイプの人間である。
華やかな王宮で活躍したいわけではない。
今日もやっと帰宅できた。エントランスに入ると、執事とメイドが出迎えた。
「セドリック様、お帰りなさいませ」
セドリックは頷いて鞄と手袋を執事に預け上着を脱ぐ。
鞄や上着には王家の秘書官であることがわかる紋章が刺繍されている。
タイを緩める仕草は、エレナが見たらまたときめいてしまいそうだったが、表情は険しく疲れが見える。瞳は冴え冴えとしていて、冷たく光っていた。
「お手紙が届いておりました」
執事から受け取った手紙の差出人をぱらぱらと確認する。
その一つで手が止まった。強張った筋肉が緩まった感じがした。
「ありがとう。部屋で読む」
エレナからの手紙を一番上に重ねると、少し軽くなった足取りで部屋に向かった。
エレナからの手紙はいつも、ヴァル・フルールの近況だ。
子羊が生まれた話や、ワードとガーのいたずらの話。どんな花が咲いているかとか、そういう話だ。
それを見ていつもほっとする。ヴァル・フルールが確かにそこにある事、エレナがちゃんとそこにいる事。
しかし、今回は最後に、こう結ばれていた。
――お会いした時にお話ししたい事があります。本邸でお会いできないでしょうか
思わずどきりとする。
手紙では心が通っているような気がしていたが、別れ際はあまり良くなかった。
最近は仕事に忙殺されて少し気が紛れていたのだが、出発前のエレナの浮かない顔がまた頭をよぎる。
セドリックはため息をついて、その文字を冷たい目でじっと見つめた。
◆◆◆
ヒマワリが咲き始めるころ、エレナを迎えに馬車がやってきた。
いつもの御者の男がいつもの馬車でやってきたのだが、セドリックは乗っていない。
「セドリック様は明日着く予定ですので、本邸にお連れするようにと」
「ちょうどよかった、荷物たくさんあるの」
いつもの小さい二人乗りの馬車だから、セドリックが居たら荷物をどう運ぶか悩んでいたのだ。
今回は持っていくものがたくさんある。
普段のエプロンドレスから貴族らしい服に着替える。この季節、つばの広い帽子も忘れてはいけない。
「ではメアリー、行ってきますね!」
「帰りは坊ちゃんと一緒に帰ってくださいね」
「はーい、そうね、迎えに行ってくるわ」
馬車は森の道を行く。
森は鮮やかな緑だ。日差しも強くなったので特に濃いように思う。森全体がきらきらと輝いているように見えた。
道端にはクローバーやワイルドフラワーが咲き、それに木漏れ日が光を落として模様を作っている。車輪が回るたびに花が揺れて、暖かい風が花と緑の香りを届ける。
鳥の声や木々を動物がわたる音に加えて、虫の羽音が時折聞こえる。耳元で羽音がしたように感じてエレナは耳を押さえて丸くなる。
馬車は変わらないペースで走る。エレナは御者の後ろ姿を何とはなしに見ていた。
「そういえば、いつもマーサの所に泊っているようだけど、どんなご関係なのですか?」
エレナは御者の男に聞いた。気になっていたが、話す機会がなかったのだ。
しかししばらく返答がなかった。聞いてはいけなかったかな、とエレナは少し気まずい。
「……兄です」
ぽそっと御者は答えた。
それ以上は聞けるような雰囲気ではなく、静かに静かに馬車は道を走っていった。




