4.美しい村とご令嬢
馬車は休憩を挟みながら一昼夜、街道を山へ向かって走った。
冬の澄み切った空に聳える山は白い。
念のため変装していたが咎められることもなく、難なくモンフォール家の領地へ入った。
整えられた街道から、葉を落とした木々が無秩序に並ぶ荒涼とした森の道に進んでいく。
枯れた枝が空へ向かって突き刺さるように伸び、風が吹くたびにびゅうびゅうと不気味な音を立てた。
「この森は春になると日が当たるところにレンゲソウがまとまって咲くんだ。ふわふわのラグがあちこちに敷いてあるように見えるよ」
不気味な景色の雰囲気を打ち消すように、セドリックが華やかな声で楽しそうにガイドを始めた。自領に入って少し安心したのかもしれない。
森に咲く花や動物の話、季節の話……、次から次へと様々な話を聞かせてくれる。
改めて明るいところで見るセドリックは、まさに貴公子といった姿をしていた。
落ち着いた色のブロンドにアイスブルーの瞳。すっきりと背が高いが大柄というより、手足が長くて少し細くて華奢な印象を受ける。
目元と口元に、常に暖かい笑みを湛えている。その優しく落ち着いた雰囲気と仕草は、一緒にいる人をほっとさせる。
「リスがたくさんいるんだ。齧られた松ぼっくりが奇妙な形をしていて、しばらく違う木の実だと思っていたよ」
セドリックの声が冷たい空気の中でひときわ明るく響く。
彼の無邪気な話と大人びた風貌がアンバランスで、エレナは思わず笑ってしまった。
「ふふっ」
それで今まで顔が強張っていた事に気がついた。やはり緊張していたのだ。
するとセドリックは少し驚いた顔をして、それからとても嬉しそうに笑った。
そしてエレナの手を握り込んでその手を自分の頬にそっと当てた。
「やっと笑ってくれた」
「すみません。助けていただいたのに」
恩人に対して無邪気だと感じてしまったことが気まずくて、慌てて俯いた。しかし、セドリックは気に留める様子もなく、笑顔をさらに深める。
「何で謝るんだい? エレナが来てくれただけで嬉しいのに、笑顔まで見られた。君の笑顔は子供の頃の一番の思い出なんだ。だから、ついはしゃいでしまう。子供っぽいと思った? 幻滅したかい?」
目を細めて本当に嬉しそうに笑うセドリックは、冬の透明な日差しを浴びて輝いて見えた。
「いえ、そんな事は」
彼の手が自分の手を縋るように強く握りしめていて、その温もりが何かを求めているように感じる。エレナは思わず少し身構えた。
花の乙女は、植物の力を借りた奇跡を起こすことができる。エレナは加護の力が強く聖女となったほどだ。優しくする人は必ず何かを求めてくる。優しさを受け取ればその分大きな頼みがまっているとエレナは経験上知っていた。
そして、エレナがその期待に応えられなければ、失望するのだ。ダリウスのように。
「私は……何かお役に立てるでしょうか」
彼が何を望んでいるのか、エレナは知りたかった。
叶えられない望みを言われ、応えられなかったらどうしよう。
聖女とはいえ、死んだ人を生き返らせたり病を治したりは出来ない。セドリックの望みは何なのだろうか。
しかし、そんなエレナにセドリックはさらに優しい声で優しい話をする。
「本当は堂々と君を迎えたいのだけど。王宮へ噂が伝わってしまうと困るからね。しばらくは、ヴァル・フルールの別荘で過ごしてもらおうと思う」
「……はい」
「ヴァル・フルールは山の谷間の花園だ。草花の研究もしている。きっと気に入ると思うよ」
◆◆◆
森を抜けた先に、ヴァル・フルールはあった。
もう日も落ちた時間だったが、月明かりに照らされた広大な畑に建物らしき影が点々と見える。
森と山と谷に囲まれた、小さな隠れ里のようだった。畑の道を行き、突き当たりにある屋敷の前で馬車は止まった。
セドリックは屋敷の門を自ら開けてエレナを招き入れると、静かな声で耳打ちした。
「ここではエレノア・アッシュフォードと名乗って。知り合いの伝手で預かったと言う事にしてある。辛いことがあって記憶が曖昧で、花の加護を少し持っている子だと話してあるから、正体を明かさなければ普通にすごして大丈夫。何かあればすぐに僕に言って」
「わかりました」
身を隠すのならば偽名の方が良いだろう。それにもし見つかれば、セドリックもモンフォール家も無事では済まない。エレナは素直に頷いた。
月明かりの下、セドリックはエレナを見つめる。
「……これから、君をエレナと呼べるのは僕だけだ」
セドリックは目を細めて微笑む。
「いいね?」
セドリックの目は月明かりを受けて静かに光っていた。
「……はい」
その目に吸い込まれるように、エレナが頷くと、背後で、鉄の門扉がカシャンと音を立てて閉まった。
セドリックは満足そうににっこり笑い、エレナをエスコートするように腕を出した。素直にそれに手を置いて、暗い庭の細い道を、月明かりとセドリックを頼りに歩く。
セドリックがドアをノックすると、しばらくして眠そうな女が出てきた。緩慢な動きで、手に持った蝋燭を掲げる。
蠟燭の光に、石造りの家が照らされた。先ほどは別荘と言っていたが、大きさといいその様子といい、貴族の別荘というよりは少し大きめの田舎の民家のようだった。
「あれ、坊ちゃん、どうしたんですか」
「メアリー、夜遅くすまないね。以前話したアッシュフォード家の御令嬢だ」
「ああ、あの……」
メアリーは気の毒そうな顔をした。
「メアリー、彼女はまだ事件の傷が癒えていないんだ。どうか普通に接してあげてほしい」
普通の民家が物珍しくてきょろきょろしていたエレナは、慌てて殊勝な顔で俯いた。どうやら”エレノア・アッシュフォード”は、なにかあるようだ。
「ええ、ええ、坊ちゃんの頼みですからね。責任もってお預かりしますよ」
「エレノア嬢、メアリーはここに長くいるから、何でも頼るといい。ヴァル・フルールの住人は全員頭が上がらないんだ」
「まあ、私を悪者にして。ええと、エレノアお嬢様、坊ちゃんのいうことを信じちゃいけませんよ。坊ちゃんに言われて部屋は用意してありますからね。気に入るといいんですが」