31.男の正体
その頃、エレナはギースの診療所から別荘の部屋に戻っていた。
記憶を無くすような使い方はしなかったが、ラベンダーでハーブティーを入れた。ふわりと香りが漂い、気持ちが落ち着いていく。
幼いころ、何があったのだろう。エレナが何となく覚えているのは、車椅子の少年とその従者の少年がいた事、荒れた庭で遊んだ事だ。
車椅子の坊ちゃんは生意気で偉そうで、従者の少年は優しくて大人っぽくてドキドキした……ような気がする。
とりとめもなく考えていると突然、階下で怒鳴りあう声とバタバタと足音がして、バタン、と扉が開かれた。
押し入ろうとするギースと、それを止めようとするメアリーがもみ合っていた。
「失礼」
「ちょっと!何なんだい」
「この集落の存続がかかっておるのだ! 少し大人しくしておれ!」
ついにギースがメアリーを振り切り部屋に押し入って、乱暴にメアリーを追い出した。
興奮した様子のままエレナに詰め寄る。
「エレノア嬢、あやつが何者か知っておるのか」
ギースの硝子玉の様な目は表情を読みにくいが、それでも随分と焦っている様に見えた。
「どうして」
「加護には相手の名前がいるであろ」
「……はい。あの方は」
「あわわ、やめてくれ、先程まじまじと見て気付いてしまったが、わしは知らない事にするからの!」
手を大袈裟に振ってエレナの言葉を制止する。ギースはダリウスの正体を知っているのか。
ギースは質問を重ねる。
「で、恋人と、『間違えられた』?」
「……はい」
「ほうほう」
いまこの場にいるのはエレノア嬢であって、エレナではない、と言う事にすることにした。
あと、恋人ではない。断れない関係で結婚する覚悟は決めたが、恋人になってはいない。
「うーーーーむ」
ギースは、あまり信じてなさそうな顔で、暫く唸って何か考えている。
「成程わかった。主人殿はなんて事を……いや、流石は主人殿と言うべきか」
「え?」
「ぬしには同情する。だが、わしにはどうにもできぬ」
ギースは溜め息をつき、決心したように言った。
「……あとは主人殿に任せよう。ぬしも、わしも、他にも数人、外に出られぬものが居るからな……」
「はい」
セドリックが来るまで、ダリウスである事は気付かない事にする。それは分かった。
しかし何気なく重要な事を聞いた気がする。
外に出られない? 私も、ギースも? ほかにも?
ギースはエレナの困惑には気づかず続ける。
「傷を確認したが、綺麗になっていた。傷痕もない。今回はこうするしかないがやりすぎじゃ。……分かる者には分かってしまう」
「は、はい」
「わしは戻る。あやつが去るまで何があっても絶対にこの家から出るなよ」
「わかりました」
そしてエレナが疑問を問う暇もなく、ギースは診療所に戻って行った。