3.処刑から逃亡
きっと大丈夫。死にはしないわ。
儀式の失敗の翌日。留め置かれた王宮の一室でエレナは自分に言い聞かせる。
一方的に指名されて、三年間振り回されて今に至るのだ。花が咲かなかったくらいで、聖女が首を落とされることは無いだろう。
ただ、エレナは加護の力が強いので、一生教会の監視下にはおかれることになる。聖女ではなくなるかもしれない。もう聖花に触れることはできないだろうか。
どこか山奥にでも追放してくれないかな……幽閉とかは本当に嫌だなと、エレナはこれからの人生に思いをはせていた。
しかし。
「え……処刑?」
神官が青い顔をして持ってきたのは、信じられない話だった。
どうやら花が咲かなかったせいで、首を落とされる話になってしまったようだ。
エレナが姦通していたという密告があったらしい。
「そんな馬鹿なこと」
この三年、護衛に守られてずっと数人ついていた。ここ一年は一人になるのはトイレくらいだった。
だからどう考えてもそんな事はできないのだが、アルバローザが咲かなかった事でダリウスがそう信じ込んでしまい、怒り狂って処刑を主張していると言う。
苛烈で我儘だともいわれるダリウスだが、エレナには優しく接しようとしているように見えた。だからエレナも覚悟を決められた。
しかし婚約の儀での怒りに震えるダリウスを思い出すと、十分あり得ると思った。
エレナが真っ青になっていると、それを告げた神官が言った。
「そのような事が無かったことは我々が知っています。ダリウス殿下が落ち着かれるまで、モンフォール伯爵の領地へ身を隠すのです。エレナも行ったことがありますね」
かの地には儀式の花を育てる花園がある。また、現王妃の生家とつながりがあり、中央でも強い力を持っているらしい。確かにその様な地であればダリウスとは言え、むやみに探すことはできないだろう。
「わかりました」
「そうと決まれば早速今夜、王都を脱出しましょう」
エレナが頷くと、神官も決心した顔で頷き、脱出の計画をエレナに伝えた。
◆◆◆
夜。神官の手引きで夜闇に乗じて王宮を抜け出した。
用意された町娘のような衣装に着替え、髪を結う。聖女の証として身に着けていた花のロザリオは神官に預けた。
神官はエレナを王宮の下働きのように仕立て上げ、何食わぬ顔で外へ連れ出した。
聖女は神官と王家以外には顔を見せることはない。
常に頭からベールをかぶっているので、エレナの顔や特徴を知っている者は少ない。そのおかげで堂々と顔を出していれば逆に怪しまれない。
そして導かれるまま街道に出る。街路樹の影に身を潜めるように進んだ。
街道の脇に、小さな一頭立ての馬車がひっそりと隠れていた。その馬車の前で、エレナ達を待つ人影があった。
背が高い青年だった。
「エレナ」
青年は密やかな声で名前を呼ぶと、エレナの手を取った。優しく親しげだが知らない声だった。暗いので顔は分からない。
「挨拶は馬車の中で」
エレナは促されるままに馬車に乗り込んだ。
外から見た時は、なんの変哲もないよくある馬車のように見えたが、中へ入るととても良い馬車のようだった。
椅子も長時間乗っても大丈夫なように工夫され、綺麗な刺繍の入ったクッションが置かれている。
ここ一年、王太子妃の教育のため高価なものにはたくさん触れてきた。この馬車の内装だけで持ち主の趣味の良さが分かった。
外で、青年が神官に何かを渡しているのが見えた。
神官は深く礼をして去っていった。
そういえば、脱出の話から今まで、あの神官だけが付き添ってくれた。
もしかすると私を逃がしてくれたのだろうか。彼はこれから大丈夫だろうか、ダリウス殿下に責められたりしないだろうかと、心配になったが、青年はそれに構わず乗り込むと出発するように言った。
馬車は静かに郊外へと走り出す。
「エレナ、僕のことを覚えている?」
隣に座った青年は、挨拶もなくエレナを覗き込んだ。月明かりに淡い金髪と薄いブルーの目が柔らかく照らされている。落ち着いた雰囲気で、柔らかい、美しい顔立ちをしていた。
「小さいころ、遊んだことがあるのだけど」
確かにモンフォール家には、修行の一環で立ち寄り、一週間ほど滞在したことがある。しかし幼かったし、各地を転々としていたので、他の家と記憶の中で混ざってよく覚えていない。
「ええと」
一生懸命思い出す。モンフォール家の屋敷……どんなだったっけ……
「覚えてないかな、秘密の花園で君が花を咲かせて見せてくれた」
秘密の花園。
そういえば、壁に囲まれて枯れていた庭があって、その家の子息と遊んだことがある。エレナはうっすらと思いだした。が、花を咲かせた記憶はない。
なんとなく覚えているのは……
「……ええと……車椅子の……」
「そうだよ! 嬉しいな、覚えててくれた? 僕があの時の子供だ。会いたかった。ずっと、会いたかったんだ」
青年はパッと表情を明るくする。身を乗り出してエレナの手を取った。
「僕がセドリックだよ」
言われて思い出した。モンフォール家のご子息は、セドリックという名だった。
こんな顔だっただろうか? よく思い出せない。それに遊んだのは二人きりではなかった。あともう一人いたはずだ。
「三人で、遊んだ思い出があります」
「そうだったね……あの子はいま遠いところにいるんだ」
懐かしむように双眸を細める。
「でも、寂しくはさせないよ。今日も待っていることができなくて飛んできてしまった」
「セドリック様が、直々に迎えに来てくださったのですか?」
「エレナを他の者には任せられないからね」
セドリックは愛おしそうにエレナの手を両手で包み込んだ。暖かい手が、緊張と寒さで冷たく強張った手を優しく温める。
「ああ、本当にうれしい。この手が奇跡を起こすのを、また僕に見せてくれ」
そう言って恭しく、エレナの指に口づけを落とした。
続きは明日投稿します。
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