21.ウサギを追って落ちた先は
セドリックが戻ってくると、別荘にはご機嫌なダリウスとへべれけのマイルズが待っていた。
「おい、セドリック、お前俺に隠し事とは偉くなったものだなぁ!!?」
「なっ、なんでまだ寝てないんですか! 明日早いんですよ!?」
「うるさい、飲み直すぞ、お前を待っていたんだからな!」
「マイルズさん!! 任せろって言ってくれてたじゃないですか!?」
「すまない……そこそこ自信があったのだが……殿下に負けた……」
マイルズは後は任せたとばかりに、ダリウスがセドリックに絡んで行った途端に崩れ落ちた。
ちょっと心配になるような音のイビキをかいている。
「マ、マイルズさんー!!!」
頑張ってくれたのはよく分かった。
ダリウスは酒にも強い。そのダリウスがここまでご機嫌と言うことは、2人で楽しく相当飲んだのだろう。
「あはは、騎士団一の酒好きと言っていたくせに!」
とりあえずケラケラ笑っているダリウスを無視してマイルズを介抱する。部屋まで引っ張り上げて寝かせてやった。
「殿下! 僕まで潰れたら、明日は一日出かけられませんからね!」
「なんだ、情けないなあ」
「僕はお仕事優先です」
「仕事と言うな、遊びに来たんだろう?」
ダリウスにとってはそうだが、セドリックにとっては仕事である。その壁は越えられない。
これで酔い潰れて起きなかったら物凄く怒るくせに……
それでも絡んでくるので、程々に付き合う事にした。
しつこく「地元の彼女」について聞かれたが黙秘を貫いた。口の固さには自信がある。
そうでなければこんな事は出来ない。
◆◆◆
翌日。早朝。
ダリウスは久々にスッキリした気分で目を覚ました。澄んだ空気を吸い込み耳を澄ますと鳥の声が聞こえる。昨日までの憂鬱な気分も酒とともに流れたような気がする。
部屋は派手さはないが趣味の良い調度品の置かれたさっぱりとした清潔な部屋で、窓からは樫の枝ごしに、霞がかった空が見えている。
昨日は結局セドリックに彼女について口を割らせることは出来なかったが、そのうち教えてくれるだろう。
王都にいた少しの間で、セドリックは噂の的になっていた。縁談の話もされていたようだし、あのモンフォール伯爵の息子だからと、直接的なお誘いもかなり多かったようだが、どちらも本人は逃げ回っていた。
枕元の水差しから水を飲んでいると、セドリックが入ってきた。
「おはようございます。準備は出来てますので、殿下のお支度を」
「ああ」
この別荘にも使用人は居るが、昨日からダリウスの世話は全てセドリックがやっている。
昔とは立場も違うはずだが、セドリックも嫌がる様子もなくダリウスに合わせて動いてくれる。とてもやりやすい。
いつもダリウス優先で動いてくれているので、その分、昨日の夜、振り切って駆け出したのが印象深かった。
このセドリックを夢中にさせるとは、一体どんな娘なのだろうか。
「マイルズさんも何とか起きてますよ」
「今日は置いていく。昔の話もしたい」
「わかりました」
ダリウスがモンフォール家にいた事は誰も知らない。マイルズがいると、思い出話はできない。
セドリックも、それを見越してか特に反対もしなかった。
軽い朝食をとって、早速出発する。
セドリックが用意していたのは猟犬二匹と弓だった。馬に乗り、森の中に出る。
「お前と森の中で二人というのは久しぶりだな。もう7年も前になるのか」
「はい。殿下がお戻りになってから、それだけ経ちますね」
「俺が世話になった者たちはどうしている?」
「ほとんど入れ替わってますよ。もう屋敷には居ないんじゃないかな」
「面白い医者がいたよな。唯一俺を怒鳴りつけたやつが」
「貴方が首を落とせとか言うから大変だったんですよ、父は本当にやろうとするし」
「はは、伯爵らしいな」
「貴方も今も、首をはねろとか言ってるんじゃないですか?」
「さすがに大人になった。本当にやられては寝覚めが悪い」
思い出話をしながら森の中を進む。エレナの話はなんとなくできなかったが、ダリウスはここにエレナがいたら良いのにと、ずっと思っていた。
あの華奢な身体なら、この馬に二人で乗ることもできただろう。この腕の間に納まって、ちょうど頭は顎のあたりに来るだろうか。
自然が好きなエレナだから、きっと森の中の散歩は好きだったろう。自分の胸に体を預けて楽しそうにするエレナを想像しながら、久々の解放感を味わう。
するとダリウスの視界に、白い影が横切った。白いウサギだった。猟犬が吠えたてた。
二人はウサギを追いかける猟犬を追う。獲物を捕るというより遊びだったので、ダリウスは弓も構えず犬がウサギを追い詰める様子を眺めて楽しんでいた。
ウサギが巣穴に飛び込んで見えなくなった。
「ああ、隠れてしまったな」
「村から離れてしまいました。もう少し戻りませんか」
セドリックが別のを追いかけようと言ってくるが、ダリウスは巣穴から赤い目がこちらを見ているような気がして足を止めた。まだすぐそこにいるような気配がする。
「ちょっと待て」
馬から降りて、ウサギ穴へ近づいた。ウサギ穴はいくつも出入り口がある。猟犬が他の出入り口を探っているのでどこかからか出てくるかもしれない。
少しの好奇心と童心に帰ったような気分で覗き込んだ。
その時、そのウサギは何を思ったのか犬に吠えたてられて驚いたのか、ダリウスの顔にめがけて飛び出してきた。
「うおっ!」
思わずのけぞったダリウスの脇をすり抜けて、ウサギは山を駆けていく。
ダリウスはつい追いかけた。ジグザグと走るウサギをなぜか捕まえられそうな気がして、子供のように猟犬とともに追った。
この辺りは起伏が激しいので、上りであるとつらいのだが、なぜか下りの、追いかけやすい道ばかり選ぶ。見えなくなったと思ってもまた見える。ウサギは誘うように森を駆ける。
「殿下! 待ってください、そっちは」
セドリックの声が背後でしたが、気にならない。白い影を追って、開けたところに飛び出したとき、踏み出したところにあるはずの地面がなかった。
◆◆◆
「殿下!」
セドリックは慌てて追いかけたが間に合わなかった。まさか、先を確認もせずに子供のように飛び出すとは。
ここは土砂崩れがあってから、崖のようになっている。ここまで来るつもりはなかったのに。もし来ても、崖から先は進めないから、ここで戻るつもりだった。
この下は、ヴァル・フルールの近くの湖に繋がっている。
降りたところからヴァル・フルールは見えない位置にあるが、このままではまずい。馬を木につないで、慌てて滑り降りる。
ダリウスのもとにたどり着く。ダリウスは頭を打ったのか気を失っていた。
……最悪だ。
わき腹から血が出ている。途中、槍のように出ている木に引っかかったようだ。
とりあえず応急処置をする。一瞬躊躇したが、エレナからもらったクロッカスの刺繍のハンカチで抑え、ベルトで縛った。
すぐに死ぬようなケガではなさそうだが、血がかなり出ている。セドリックだけでは動かせそうにない。早くちゃんと手当しなければ……
セドリックは、ヴァル・フルールのほうを見た。ここから一番近いのはあの集落だ。
あそこにはギースもいる。ダリウスのことを考えれば、すぐに運び込んだ方が良い。だが……
「……ダリウス殿下、少し待っていてください。助けを呼んできます」
馬もある。急いで駆ければそこまでかからないだろう。
しばし迷ってから、セドリックは農村に向かった。