20.ペットのウサギ
「抱きしめてもいい?」
セドリックはそう言ってから、はっとして、慌てたように体を離す。
「あ、いや、最近少し忙しかったから、癒しが欲しくて……ええと、ごめん、カッコ悪いな……」
しどろもどろに言うのが可愛く見えて、エレナはそっとセドリックの背に手を回した。
「!?」
エレナも忙しかったり辛かったりした時には、友人に甘えて抱きついたりした。
仲が良かったリゼは、何かあるとすぐエレナの胸に飛び込んできたし、人の温もりの効果のようなものは知っている。
最近はマリーが何かあると良く抱き着いてくる。こうやってよしよしとしてあげるとエレナも温かい気分になるのだ。
「お疲れ様。大変だったのね」
「ああ、うん……」
セドリックの腕が遠慮がちに背中に回された。エレナはセドリックの背をぽんぽんとたたくように撫でる。
頬に当たる制服の生地が、少しチクチクする。夜の森の匂いがした。
セドリックは手袋を取って、エレナの白い髪に手を入れ優しく梳いた。
「エレナの髪は柔らかいね」
「ウサギみたいってよく言われる」
「そうかな……明日ウサギ狩りのお供なんだよね。そんなこと言われるとできなくなる」
「ふふ、助けてあげてね」
「もちろん」
ぽつぽつと囁くように話をしていたら、セドリックも落ち着いてきたようだ。
柔らかい感触が気に入ったのか、髪に頬ずりしている。
「ああ、もうそろそろ行かないと」
そういって一度ぎゅっと力を入れて頭にキスをした。エレナはペットのウサギにでもなったようなすぐったい気持ちになる。
それから、名残惜しそうにエレナを離す。少しだけ疲れが取れたのか、優しい顔に戻っていた。
「あ、待って」
エレナは思い出して、セドリックの胸元を離れて机にむかう。脇の引き出しから、刺繍の入ったハンカチを取り出した。
「これ、お礼には足りないのはわかっているのだけど。もらってくれる?」
セドリックに渡そうと色々作ってみたが、シンプルなハンカチが一番渡しやすかった。
あまり大物だと持って帰るのも大変だし、目立つものだと良くないだろう。
エレナは隠してもらっているのだから、贈り物も隠せるものでなければ、と思ったのだ。
シンプルな白いハンカチに、クロッカスを縫い取った。クロッカスは春の訪れとともに開花する花だ。ヴァル・フルールにも先日一斉に、たくさん咲いた。
その美しさを見せてくれたことを感謝して。
「ありがとう。すごくうれしい」
「今、クロッカスがたくさん咲いているの。昼間も見に来てほしいわ」
「来たいよ。あー、戻りたくないな」
祈るようにハンカチを目に当ててから、大切にそうにポケットにしまった。
ポケットの上からも何度も撫でて、嬉しそうにしている。その様子にエレナも嬉しくなってしまった。
「そうだ、エレナのことは上手くいっているよ。……もう少しだ」
「え……」
セドリックがにっこり笑って言った。
それを聞いて、エレナは浮き立っていた心がしおれていく。上手くいっているということは、つまり、教会に戻る日が近いということか。
せっかくセドリックが尽力してくれているのに、そう思うと悲しくなってしまう。
「どうしたの?」
「ううん、ヴァル・フルールがとても居心地が良くて。教会に戻りたくないなって思っちゃっただけ」
「ああ、そうだった……戻るとかいう話になってたんだった」
セドリックははっとしたように言うと、少し考える。そして、言葉を選ぶように口を開いた。
「ずっと、ヴァル・フルールにいることもできるけど……どうする?」
「え、それは……そうできたら、うれしいけど」
育ってきた教会よりも、これから過ごすはずだった王宮よりも、ここは魅力的な場所だった。
しかし、そんな我儘が通るだろうか。
戸惑うエレナに、セドリックは満面の笑みで答えた。
「僕は、ずっと居てほしい。君が堂々とここにいられるようにするね。待っていて」
そういってセドリックは、来た時と同じように、足音を立てずに去っていった。
翌朝エレナは、あれは夢だったのかとも思った。
けれど、机の引き出しのハンカチがなくなっていたのを確かめると、温かい気持ちでほほ笑んだ。