2.王太子のお気に入り
イルヴァレア王国は聖花教会の中心の地として栄えて来た。
神は、草花を通して民に富と繁栄を与えているとされている。
シンボルとなるのが聖花と呼ばれる不思議な植物と、花の聖女だ。
聖花は普通に水をやり日をあてても咲くことはなく、神の加護の力を持つ聖女が、神からその力の一部を借り受けて育て、それぞれの用途のために開花させる。
用途は様々あるが、特にアルバローザ・ブライドは有名だ。
大輪の白い薔薇のようなその花は、聖女が王家に、その真心と純潔を捧げる事で開花するとされている。生涯その相手に対してのみ、すべてを捧げた証として開花させることができる。
聖女の力は王室が独占している為、アルバローザは王妃の花として認知されている。
国事の際、王妃を伴った王の登場とともに、一斉に白い薔薇が咲き誇る光景は余りにも神々しく、それは神に守られしイルヴァレア王国の威光を諸国に知らしめる重要な要素だ。
そのため、国王の正妃は聖女から選ばれる。聖女は、花の加護を持つ少女を教会が集め、花の乙女として教育を施す。その中から特に加護の力、人柄が優れた者を聖女とする。
エレナは生まれついて加護の力が強かった。赤子の頃は、泣けば慰めるように蔓が伸び、笑えば喜ぶように花が咲いたという。
そのため赤子の頃に教会へ預けられ、花の乙女として育った。
その生活にさして不満もなく疑問も抱かず、能力を活かして草花の観察や育成を趣味として幸せに暮らしていた。
教会でも皆に可愛がられ、優しく明るく成長し、順当に十六で聖女となった。
その人生に変化が訪れたのは、聖女となって初めての聖花祭の事だった。
王太子ダリウスの元に進みでたエレナは、目を伏せていてもわかるその威厳に恐れを感じていた。
王妃は聖女から選ばれる慣わしである。そのため聖花祭で、国王陛下とそのご家族に顔を見せて挨拶をする。王太子ダリウスは十九、いまだに婚約の儀を済ませておらず、つまり次期王妃は空席である。
先輩の聖女から、ダリウスの噂は聞いていた。
曰く、かっこいい。男らしい。
艶やかな黒髪に濃い群青色の瞳は男の色気が濃く、煌びやかな正装の上からでもわかる立派な体躯は、無駄の無い鍛え上げられた筋肉で覆われ、まるで黒い鬣の獅子のよう。
低く美しい声で囁かれたら、それだけで倒れてしまいそう。
強かに王妃を狙う聖女もいて、抱かれたい、食べられたいなどキャアキャア騒いでいた。
それは聖女のイメージとはかけ離れた光景だが、聖女になると、王室に入るか生涯独身か二つに一つ。その状況の年頃の女の子だけが集まって過ごしているのだ。
しかも王太子に見初められれば、王妃様である。家の期待を背負って聖女となる貴族の娘もいる。最近は、何の後ろ盾もなく聖女になるようなエレナの方が珍しい。
夜中のテンションも相まって、聖女らしくない言動が夜な夜な繰り広げられているのは、仕方がないとは思う。が。
エレナはそういうのは苦手だった。
恋愛自体に興味は無い。草花が好きで、聖花を扱いたくて聖女を志した。聖花は聖女でなければ手に取る事すらできない。
なのでこの場も、一通り挨拶して、早く帰りたくて仕方がなかった。
しかし、なぜか先程から、ダリウスはじっとエレナを見ている。
そして静かで深い声がかけられたのだ。
「……面をあげよ」
なんで!
エレナは内心焦った。他の聖女は挨拶して、「うむ、良く神に仕えよ」とか言われて終わっていた。
想定外である。
恐る恐る顔を上げ、ダリウスの顔を見る。
そこには、噂通りの黒い鬣の獅子のような迫力の美丈夫が、群青色の瞳でエレナを見つめていたのだ。
怖い
それが第一印象だった。
ダリウスはエレナの顔をまじまじと見ると、目をすがめて薄い唇をなめた。その時ちらりととがった犬歯が見えて、ほんとに食べられるのではとエレナは震え上がった。
そしてダリウスは信じられない言葉をつなげた。
「お前にする。最短で婚約の儀を用意せよ」
その場に居合わせた人間は全員耳を疑った。女嫌いなのではと言われるほど妃を選ばず、周りの助言にも耳を貸さなかったのに、なぜエレナを選んだのか誰にも分からなかった。
ダリウスに問うても気に入ったからの一点張りだ。
エレナがそれほどの美女かと言うとそうでもない。白い髪、赤い目は珍しいほうだがこの国ではいないわけではないし、小柄で小動物のような顔立ちでウサギのようだと言われることもある。
それは可愛い、と言う事なのかも知れないが、好奇心旺盛なくせに臆病で、大人しそうなのに落ち着きがないという面も関係している。王妃の器であるかと言われると疑問である。
最短とのお達しがあったが、教会も色気もやる気も後ろ盾もないエレナが選ばれるとは思っておらず、そこから三年かかった。
王室に入るとなると生家の問題も出てくる。聖女とはいえ両親がいて、貴族であれば誉になるし、平民であれば爵位を得て貴族になる。
エレナの両親は行方が分からずその捜索に一年。しかし見つからなかった。
いくら聖女とはいえ出自も不明の女を王室に入れるのかと反対する貴族を黙らせるのに一年。
これまで草花にしか興味がなく、礼儀作法も歴史の勉強もろくに励んでこなかった、勉学の面では出来の悪いエレナに最低限の教育をするのに一年。
三年でダリウスの気が変わることを、当のエレナも含め皆が期待していたが、ダリウスは頑として譲らず、本日婚約の儀と相成った。
そんな、各方面の努力を一瞬のうちに無に帰した、婚約の儀の失敗であった。