12.消えた記憶
「ねえ、本当に覚えてない? 僕の事」
そうして、エレナに問いかける。
「ええと……」
「小さいころ、遊んだときに、庭でジンジャークッキーを食べたんだ」
たまにこんな風に、昔こういうことがあったよね、と、言われるのだが、そういわれても、まったく記憶にない。
そのたびに少し申し訳ない気分になる。
「……殆ど覚えてなくて。というか、……巡礼のことは、夢のようで、ぼんやり覚えていても夢と思い出の境目がわからないの」
「たとえば、車椅子の坊ちゃんとか」
「車椅子の子と遊んだのはなんとなく覚えてるわ。でもそれがモンフォール家の事なのかは覚えていない」
車椅子はめったに見ないし、お屋敷でとんでもなく豪華な服を着た男の子に会ったのは印象に残っている。
「壁に囲まれた秘密の庭は?」
「荒れたお庭で遊んだ覚えはあるわ……でも」
「それがモンフォール家かは定かでは無いんだ」
「荒れたお庭で遊んだ子と、車椅子の子は別だった気もするの」
「……」
セドリックは何か考えている様子だった。真っ直ぐエレナを見つめている。
そしてどこか用心深く、口を開いた。
「初めて、聖女の力が発現したのはいつだか覚えてる?」
「聖女の? 発芽や開花のことかしら」
「そう」
花の加護を持ち、植物と対話したり成長を助ける事ができる花の乙女の中でも、発芽と開花ができるものは少ない。それは力の強さの基準となり聖女の要件の一つだ。
そのため、発芽と開花は聖女の力と言われる。
「巡礼の修行が終わって、教会での祈りの時だったかしら。私は早い方だったから驚かれたの」
「……では、白い、大きな薔薇は」
「アルバローザの事? 咲いたのは今の王妃様のなら。……蕾はよく夢に見るけど」
アルバローザが咲かずダリウスに失望の眼差しで見られて、怒鳴られて、そのままギロチンに向かう悪夢をよく見る。刃が首に触れると思った時に飛び起きる。
それを思い出してエレナは俯いた。
「嫌な事を思い出させたね……ごめん」
セドリックは気を使うように少しだけ身を寄せ、安心させるように肩を抱いた。
エレナはセドリックの体温にドキドキしたが、ふと昔こんなことがあったような気がした。
それにしても、セドリックがこんなにはっきり覚えているのに自分は覚えていないというのは、年齢に差があってもさすがに不自然だと思う。
そう思って、エレナは一つの可能性に気が付いた。
「ラヴェンダ・セレナータかもしれないわ」
「ラヴェンダ・セレナータ?」
「聖花の一つで、ラベンダーのような花よ。あの花を聖女が使うと、本当にあったことも夢の様になって忘れてしまうの」
しかし、巡礼の旅でそんなことはあるだろうか。
確かにその花には記憶を忘れさせる効果はあるが、無暗に使うと心に良くない影響が残る。
ましてや子供に使うなど、よほどのことがなければ考えにくい。
「なにか、その時にモンフォール家に、秘密にする事情があったということはない?」
「事情……ああ」
「外の人に知られてはいけないような」
「……あったね。そうか。納得した」
セドリックはすっきりした顔でごろんと横になった。
「それなら仕方がない。実は君が全く覚えていないからちょっと悲しかったんだけど。出る前に聞けて良かった」
寝っ転がったまま、エレナを優しい目で見上げる。
「実はね、しばらく王宮で仕事があって、少し長く留守にする」
「え……」
「君がここにいることが分かったわけではないと思うけど。王都では聖女が失踪したと少し噂になっていたから、この村から出ないようにして。外から来る人とも会わないようにしてほしい」
エレナは心配になった。もし私を匿っていることが分かったら、セドリックはどうなるのだろうか。
「できるだけ、ちょこちょこ帰ってきたいんだけど。無理かな……長くなりそうな気がするんだよな……」