1.婚約の儀式の失敗
「お前は俺を裏切っていたのか!?」
激しい雷鳴のような怒号が、大聖堂に響いた。
それは、イルヴァレア王国の王太子ダリウス・レオナール・ド・イルヴァレアの婚約の儀式の事だった。
祭壇に向かって跪いていた聖女エレナ・フィオーレは、呆然と隣のダリウスを見上げた。ダリウスは怒りに身を震わせ、失望の眼差しでエレナを見下ろしている。
大聖堂の祭壇には、白い蕾を付けた薔薇、婚約の儀の主役であるアルバローザ・ブライドの蕾が並んでいる。
その花は、代々王妃の象徴とされ、神聖な儀式で重要な役割を果たしてきた。
この婚約の儀は、花の聖女が王家へ嫁ぐ事を神に許しを求める儀式である。その純潔と真心を捧げることで花は咲き誇る。それが神に認められた証だった。
本当なら、エレナが祭壇に祈りを捧げ誓いの言葉を口にした時点で、祭壇に飾られたアルバローザ・ブライドの蕾が、一斉に開花するはずだったのだ。
それをもって王太子妃の資格を得て、ダリウスとエレナの婚約の儀は成立する、はずだったのだ。
「アルバローザが開花しないだと……」
ダリウスの声が震えている。地を這うような低いダリウスの声は猛獣の唸り声のようで、大聖堂は緊張に包まれた。
「どういうことだ!?」
ダリウスは怒りをあらわにエレナに詰め寄る。そういわれてもエレナにもわからない。
ただひたすら、ダリウスの怒りが恐ろしくて、身を縮めた。
エレナが数いる花の聖女からダリウスに見初められたのは三年前。
それからは、勉強も礼拝もまじめに行い、聖女らしい生活をしていたし、課せられた王太子妃教育もきちんと受けていた。
試しにもう一度、震える声で誓いの言葉を口にする。何度も練習したから間違えているはずはない。そもそもこの言葉自体にはあまり意味はないはずだ。
「私はこの命、そしてこの心を、たった一人に捧げます
その名を、神の前で誓いの花に告げましょう
ダリウス・レオナール・ド・イルヴァレア
神聖なるアルバローザよ、この誓いに応え賜え」
しかし、白い蕾は何の反応もない。この場で神が与えるべき祝福が、一切姿を現さない。
「なぜだ……」
ダリウスは焦りと怒りと失望で顔が蒼白になっている。
エレナもなぜなのかわからなかった。自分では自分に問題があるとも思えない。しかしダリウスにも無いような気がする。
本当に、どうして……?
アルバローザ・ブライドは二人の真心と純潔が必要と言われているが、その定義は通念の真心と純潔とは異なる。
純潔も一月ほど異性との関わりが無ければ問題ないようだし、真心と言うのも具体的に何なのかわからない。政略結婚や契約などで、明らかに心が通っていない二人であっても開花する。
エレナは、純潔とは子を生すことが可能なこと、真心とは嫁ぐ覚悟の事ではないかと思っていた。覚悟は決まっていたので、その仮説が誤っていたのだろうか。
ダリウスを愛しているのかと言われると、正直自信はなかった。
精悍な顔立ちや鍛え上げられた体躯、堂々とした立ち振る舞いは王者の風格があり魅力的であることはわかるのだが、エレナには少し怖い。
また、なぜ選ばれたのかもわからないし、会ってもあまり話は弾まない。ぎらりと光る群青色の瞳でじっと見つめられると、委縮してしまう。
しかしダリウスの眼差しには、強い中にいつも優しさがあった。それが失望に染まっているのを見るのは辛かった。
私は精一杯やった。原因は後で究明しよう。聖花の研究には活かせる経験だろう。
エレナは必死に自分に言い聞かせる。
そうでも思わなければ、この場で倒れてしまいそうだった。