呪い
朝、決まった時間に目が覚める。しかし、いつも通りの朝ではなかった。
「そっか。ソウさんはいないんだ。」
ソウは3日だけ頂戴と言って、目的も言わずにどこかへ行ってしまった。理由はわかる。恐らく、ユウの体力が1分しか続かない事だ。
歯磨きをしながら、その原因についてイヴは考える。
――魔力量は十分なのに、何故かスキルを使って一分後に必ず体力が尽きて、スキルが途切れてしまう。だけど、連続ではなく30秒で区切れば、実質的に5分以上継続できる。その不自然な現象を説明できるとしたら、
「呪い…か。」
イヴも同様にユウに何かしらの呪いが掛けられているとそこで気付く。しかしそれが分かっても、彼女に呪いを解く術はない。そもそも、仮に持っていたとしても、ソウがその場で解呪しなかったと言うことは、彼に掛けられた呪いはそれ相応の格なのだろう。
「でも、ソウさんはきっと、何か手がかりを見つける為に、3日間という時間をランさんから貰ったんだ。」
「そういう事か。」
「ルースさん。」
いつから聞いていたのか。いつの間にかルースが背後に立っていた。
「だがそうなると、恐らくソウはユウの父親、サブナの所に話を聞きに行ったのだろう。ユウの呪いについて何かしらは知っているだろうからな。」
「確かに。そうですね。」
ユウを心配してかイヴは少し俯いて黙ってしまう。
「…何か見つかると良いですね。」
「ソウのことだ。手ぶらで帰って来ることはない。安心しろ。」
そんな、らしくないイヴを元気づけようと、ルースはポンポンと彼女の頭を優しく撫でた。
「さて、ソウがいないから、引き続きイヴにユウの訓練を任せるよ。」
「わかりました。」
朝食を済ませて早速訓練場に向かった彼らは、昨日の続きを始めようとしていた。
「ユウ。昨日は動かずに障壁を発動するだけだったけど、今日は動きながら発動できるようになって貰う。動かないとでは比べ物にならないくらい難しいから覚悟して取り掛かる様に。」
「はい!」
まずは見本を見せると、イヴはゆっくり歩きながら目の前に障壁を発動し続けた。
「原理自体は簡単。常に同じ位置に流していた魔力を歩みに合わせて、少しずつ前に進める。勿論、障壁をイメージすることを忘れない様に。やってみて。」
彼女の言ったコツに従って障壁を発動する。そして一歩、また一歩と歩みを進める。最初は順調のように見えたが、少しでも歩みを速めると、簡単に障壁が壊れてしまった。その原因は、
「魔力を流す位置とイメージが合っていない。だから障壁が壊れてしまうんだ。まずは一定の速度で歩いて、障壁を発動してみて。それから少しずつ歩く速度を上げればいい。」
「わかりました。」
再び、一歩ずつ歩みを進める。確かに一定の速度なら障壁は壊れなかった。勿論、昨日のアドバイスも忘れていない。30秒で区切り、再び障壁を発動する。そして、順調に歩く速度が早くなっていく。
「あっ。また駄目だ。」
しかし、ある速度を超えてから、障壁を維持できなってしまった。その原因は先程同様、魔力とイメージが合っていないから。こればかりは慣れでしか乗り越えられないので、イヴは黙って彼がそれに成功するまで見守り続けた。
その間、見ているだけでは我慢できなかったのか、イヴは手元で魔術の練習を始める。
「さて、今日でどこまで行けるか。」
ユウに、あるいは自分に言い聞かせるように、イヴは小さく呟いた。
一方その頃、ソウはユウの実家に着いていて、早速、サブナを問いただしていた。
「御機嫌よう。サブナさん。ユウについて教えていただいてもよろしいですか?」
ソウは表情には出さなかったものの、その声色は明らかに怒っていた。当然だ。彼はユウについて何かを隠していたのだから。
「もう気づいたのか。流石は聖女と言った所か。」
「御託は良いですから。さっさとあの呪いについて教えてください。あんな物がなんでユウに…」
「あの呪いは元々、ユウの母。マーシャが受けた物だった。」
「マーシャさんが?」
ユウの両親、サブナとマーシャはかつて「スパークル」というパーティのメンバーだった。彼らは共に伝説級の冒険者だったが、ある日あっさりと冒険者を引退してしまった。その理由を人々は結婚したからだと思ったが、実は全く違う理由があった。
「俺らが冒険者を引退した一週間前。魔王一番の配下、フロイドと遭遇した。」
「フロイドと!?そんな話どこにも、」
「――当然だ。何故なら俺達はフロイドを前に、為す術なく倒れ、撤退を余儀なくされたんだからな。」
英雄の敗北というのは語り継がれない物で、人々はどうしても美しいままで終わらせたいと思う物だ。サブナ本人は気にしていなくとも、彼の敗北は冒険者ギルドによって意図的に抹消された。ましてや、英雄が逃げるしかなかったなんて、誰だって知りたくないだろう。
「その時マーシャは奴から呪いを受け、そしてその呪いはユウに引き継がれた。」
「魔人最強の魔術師の呪いですか。あれ程強力なのも納得ですね。では、呪いについて知っていることを全て教えてください。」
フロイドは百の手数を持つとされていて、当然その中には呪いも存在する。
「呪いの内容はただ一つ。体力は継続して一分しか続かない。ただし、卓越した技術で消費する体力を温存できれば、一分以内の運動なら一秒の間を置くことで、再び同様の運動ができる。」
「つまり、常に一分以内に済ませれば、一秒の間を置くことで、実質的に継続して運動できると言う事ですか?」
「卓越した技術があればの話だが、そうなるな。」
ソウはこの時まだ知らないが、その事実については既にイヴが思いつき、ユウに実践させている。そう考えると、収穫が無かったように思えるが、ソウにとって最も重要だったのは、呪いの内容ではなく呪いの原因。
「ありがとうございました。それが知れただけで十分です。」
「おや。てっきり、そんな呪いにかかっているなら、ユウを追い出すなんて言うかと思ったが。」
「舐めないでください。私達がその程度の理由であの子を手放すものですか。」
その言葉に初めてサブナは、勇者パーティからユウがどれだけの評価を受けてるか知る。
「ランがユウに目をつけた時から、貴方は、もしかしたらユウの呪いを聖女が解除してくれるかもしれない。そう思ったのでしょうね。」
全てお見通しかと、サブナは少し諦めた表情をしつつも、彼女の口ぶりからして恐らく――
「そうですよ!私は意地でも彼を助けてみせますとも。」
ソウはそうやって吐き捨てるように言うだけ言って、足早に去って行った。その後ろ姿を見てサブナは小さく「よろしく頼む。」と呟いた。
そうして2日が経過して、ソウがライトウルに戻って来た。
「お帰りなさい。ソウさん!」
「ただいま。イヴ。」
そんなに日にちは経っていないが、彼女もやはり11歳の少女でまだ幼い。この3日間寂しかったのか、ソウの顔を見た途端、嬉しそうに彼女に抱き着いた。
「皆、少し話しましょう。ユウについてわかったことがあるから。」
「僕について、ですか?」
冒険者ギルドの防音室にてソウは、サブナから聞いたことを包み隠さず話した。ラン、ルース、ソウは大体予想がついていたためか、あっさりとその話に納得した。しかし、ユウにとっては全てが初耳のこと。当然のように、ひどく動揺した。
しかし元より物分かりの良い子だからか、すぐに話を飲み込んで落ち着いた。
「もう一度、呪いを確認させて。」
「…はい。」
「失礼するわ。」
ユウに背中に刻まれた蛇の模様をなぞって、その呪いの異質さを再確認する。通常の呪いであれば、体に現れる模様に魔力が含まれているはずである。しかし、この模様からは魔力を感じず、もっと異質な何かが含まれている。ランやソウの様な、S級の祝福を与えられた者にしか感じ取れない、そんな異質な何かが。
「ごめんなさいね。ユウ。今の私ではこの呪いをどうにかできない。でも、いつかはこの呪いを解いて見せるから。だから今は…」
再確認してわかる。この呪いは聖女の力を以てしても解呪できない。当然、何年か時間をかければ解呪できるが、勇者パーティにそんな悠長にしていられる時間はない。だからはソウは、ユウに謝ろうとするが、彼は彼女の謝罪を遮って「大丈夫です。」と言い放った。
「確かに不便な体ですが、イヴさんのおかげで途切れ途切れではありますが、10分も障壁を発動できるようになったんです。」
表情には出さないが、その言葉が強がりであることは誰にだってわかった。しかし、彼がソウを慮って言った言葉なのだから、ソウにそれを否定する権利はない。
「そう。それなら良かったわ。」
だから彼を尊重して、そう言うしかなかった。
「じゃあ、この話は一旦終わり!訓練に行こう。」
ランは少し暗くなった雰囲気を払拭する為に、声を張り上げて皆を立たせた。そして、そのまま有無を言わせずに訓練場まで皆を連れて行った。
「今日はソウがいるから、ユウの訓練はソウに任せるよ。見てあげて、彼の成長を。」
それだけ言ってランは、剣を片手にルースと共に自身の訓練に向かっていた。
「さて、早速見せて貰おうかしら。」
「わかりました。イヴさんよろしくお願いします。」
ユウはイヴに何かをお願いすると、何も発動せずにイヴと向かい合った。一方イヴは彼のお願いと同時に杖を彼に向けると、さも当たり前かの様に赤魔術を発動した。
直後、放たれた炎の弾幕。その1つ1つがユウを狙って放たれており、彼女の技量が見て取れる。しかしユウも目を見張るもので、イヴの攻撃の全てを必死にではあるが防いで見せた。その間なんと5分。彼は呪いを感じさせない動きを披露した。
「凄い。たった4日でもうそのレベルまで…」
その一連の動きは、彼の技能レベルが3に到達している証明だった。
「まだ前にしか発動できませんけど、いずれは横や後ろにも発動できるようにしてみせます!」
彼はそう意気込んでいるが、本来そのレベルに到達するには最低でも半年の訓練が必要だ。しかし、彼の成長速度なら、そのレベルがもう目の前にあるよう思えてしまう。
「ごめんなさい。ユウ。どうやら私は、貴方を見くびっていた様ね。」
「いえ!そんなことは。」
ソウはサブナから呪いの話を聞いて、彼を気の毒だと思った。何故なら、彼は誰よりも冒険者に憧れていたから。暗がりの森からライトウルへの道すがら、ソウは彼に夢はあるかと聞いた。その答えは「お父さんの様な冒険者」だった。
それはつまり、冒険者の中でも最上級の存在になりたいということ。しかし、それはもう既に諦めた、とも言っていた。何せ彼は「鑑定士」だったから。
確かに鑑定士では、冒険者になる事すら難しい。ただ彼は普通の鑑定士ではない。特別な鑑定を持っている。だから、彼にはサブナの様になる資格がある。そう、彼に話を聞いた時は思ったが、この呪いがあっては、いくら特別でも可能性はないに等しい。仮に彼がS級の祝福を与えられていたとしてもだ。
しかし、彼はたったの4日で、呪いを感じさせない成長を見せた。ソウは勝手に彼の成長は絶望的だと思ったが、そんなのは本当に彼女の勝手だった。
「よし!あと20日と少し、行ける所まで行くわ。しっかりついてきなさい。ユウ。」
「はい!」
ソウの表情は先程より明るい。彼女は再び、ユウに希望を見たのだ。
「ラン。ここまで予想通りだったのか?」
遠目でその様子を見ていたルースは、ランにそう問いかける。するとランは自信満々に「うん。」と答えた。
「この4日で僕は感じた。ユウは特別な力を持っていたから、奇跡的に冒険者になれたわけじゃないってね。」
その言葉の意味を既に理解しているルースは遮らずに、そのまま彼の言葉を聞く。
「彼が冒険者になるには2つの壁があった。一つは祝福、もう一つは呪いだ。この壁の内、祝福に関しては特別な力を以て乗り越えてみせた。しかし、呪いに関しては自身の力で乗り越えてみせた。これは奇跡なんかじゃなくて、彼の努力の成果だ。」
ランはそこまで言うと一度を剣を仕舞い、自身の掌を見る。
「彼の手や足を見ればわかる。今までに何百、何万と剣を振ってきんだ。その内に彼は、自分の体の欠点に気付いたはずだ。そしてそれを乗り越えた。だから、イヴに改善策を言われた時、すぐに対応できた。剣を扱う、僕やルースだからわかる。彼は確かに天才だが、それだけじゃない。どんなに馬鹿にされたって、一度も諦めずに剣を振り続けた。だから今の彼がある。」
ユウは勇者パーティで見劣りしないだけの才能がある。それは紛う事なき事実だ。天才でなければ4日という短時間で、これ程の成長を見せれるはずがない。しかし、呪いを乗り越えられたのは、彼が天才だからだけでなく、勇者パーティに入るずっと前、彼が5歳の時から続けていた1日10000回の素振り。これがきっかけとなったのだ。
そして今回、呪いを乗り越えたことでランは確信した。
「ユウは偶然神に選ばれたわけじゃない。神はちゃんと見て、選んでいるんだ。努力している人を。」
呪いは確かにユウを縛ったが、彼はそんなことを言い訳にせず、人一倍の努力をした。
誰も期待していなくとも。誰も見ていなくとも。誰も認めなくとも。その努力が実らなくとも。努力して、努力して、努力した。だから神は彼にあの祝福を与えたのだ。
「僕は運がいい!あんな凄い子を勧誘できたんだからね。」
ソウと訓練を続けるユウを眺めて、ランは目を輝かせる。そんな彼の横顔にルースは「そうだな。」と呟いた。