暗がりの森2
「遅いですね。ルースさん。」
最初に気付いたのはイヴだった。彼女の絶対的な時間感覚が違和感を感じ取った。
ルースは遅くとも12分25秒で帰って来る。それがイヴの予想だった。しかし、既に13分が経過しているのに、彼女は戻ってきていない。これはイヴにとっておかしい事だった。
「イヴが遅いと感じたんだ。ルースに何かがあったと考えて良いだろう。」
彼女の感覚を信頼しているランは、すぐさま、捜索しようと立ち上がる。
「ソウ。朝食を作って貰ってすまないが、先にルースの安全を確認しよう。」
「そんなの当然よ。食事よりも仲間の安全が優先だわ。」
食事の大切さをランは理解しているが、ルースが今どんな危険に晒されているのかわからない今、呑気に食事をすることは彼にはできない。当然、他のメンバーにも。
「イヴ。追跡は可能かい?」
「はい。この様な場合を想定して、ルースさんに魔力の痕跡を残すようお願いしてありましたから。」
「流石だ。」
道中の魔物は無視して、一直線でルースの魔力を辿る。そしてものの数分で、彼女の魔力の終着点を発見する。
「あそこだ。ユウ。何か見える?」
「はい!ナイトメアフォールという、地面を移動し対象を飲み込み、その対象に幻覚を見せる魔物…それが4体います!」
「弱点はわかる?」
「火です。火で燃やせば、数秒で消滅するようです。後、弱点ではないですが、強い光を当てると口を開くという性質と、頭上の物は何でも必ず飲み込む、飲み込んでも口を閉じるまで幻覚を見せない、という性質があるようです。」
「わかった。ありがとう。」
ランはユウの鑑定結果を聞き、瞬時に作戦を立て周知すると、すぐさま実行に移した。
作戦の始まりはソウの白魔術からだ。それは、ただ光を放つだけの白魔術だったが、ナイトメアフォールに口を開かせるには充分な効果だった。
口を開いた瞬間、ユウ以外にも魔物を位置が特定でき、ランはその一瞬でルースを飲み込んだナイトメアフォールを発見する。
ナイトメアフォールはすぐにまた口を閉じてしまうが、その頃には既に、ランはルースを飲み込んだナイトメアフォールの頭上に到達していた。ナイトメアフォールはその性質上、ランを飲み込むために口を開く。それが、ランの最大の危機であり、最大のチャンスだった。
彼は自分が落下し切る前に、手に持った剣を口の中に投擲する。その衝撃によりナイトメアフォールの行動が一瞬だけ遅れる。口を閉じるまで幻覚を見ることはない。その性質を利用し、口を閉じる前に眠るルースを救出することに成功する。
しかし、彼らが飛び出た先には、既に他のナイトメアフォールが彼らを狙って集まっていた。絶体絶命。しかし彼らが落ちる前に、それらはイヴの赤魔術から放たれる炎により燃やされる。
「よし!成功。」
「いや、結構危なかったですよ!?」
満足げなランにすぐさまイヴがツッコミを入れる。それもそのはずで、ランがルースを助けるタイミングが、後1秒でも遅かったらランは今頃、ルースと共にあの口の中で眠っていたのだから。
「成功したからいいじゃない。」
「まぁ。そうですけど!」
ソウの成功したからいいという言葉に、語気を強めつつもイヴは一先ず納得する。
「しかし恐ろしい魔物だ。口を開くまでどこにいるのかさえ分からず、口を開き閉じてしまえば、どんな手練れでも必ず幻覚を見せて眠らされてしまう。」
「そうですね。ユウがいなかったら、ルースさんを失うところでした。」
眠るルースの手を握って、ちゃんと生きているんだと確認したイヴは胸を撫で下ろす。
「よくやった。ユウ。君のおかげでルースは助かった。」
「いえ。僕は何も…。」
「そんな事ない。敵の弱点も場所も。全部君が見つけた事だ。君がいなかったらきっと僕達は、敵の正確な位置を特定できず、ルースを助けられなかった。」
謙遜するユウに、ランは具体的に彼の活躍を彼に伝え、わしゃわしゃと彼の頭を撫でた。
「これからも頼んだよ。ユウ。」
「はい!頑張ります。」
両手で拳を作って気合を入れるユウに、ランは優しくニヤリと微笑む。彼のやる気が徐々に出始めたことを実感したからだった。
「さて、野営地に戻ろうか。ルースがいつ目を覚ますかわからないからね。」
野営地に移動し、ルースをテントに寝かせる。ソウが診てみると、どうやら彼女はただ眠っているだけの様だ。
ナイトメアフォールの口の中にいる間は、その性質上、永続的に幻覚を見せられ続けるというだけで、出てしまえばそれはただの睡眠と変わらない。ソウはその様に診断した。それは全く正しく、彼女はたったの1時間で目を覚ました。
「皆…。」
目を覚ましテントを出ると、そこには先程までいなかったラン達の姿があった。その姿に安堵したのか、ルースは思わず涙を流す。
聞いた話によると、夢の中で彼女は1人の世界を長い時間過ごしたらしく、流石の彼女でさえも、精神的に不安定になってしまった様で、そんな彼女をソウは優しく抱擁した。
「大丈夫よ。ルース。もう夢の中ではないわ。」
ナイトメアフォールは名前の通り、悪夢を見せる魔物だ。それはピンポイントに、対象が最も恐れる夢を見せる。ルースにとってのそれは、独りぼっちになる事だった。
「もう大丈夫だ。ありがとう。」
ソウの温もりに触れて、ルースはやっと冷静さを取り戻す。そして、改めて皆の顔を見る。久しぶりに見た皆の顔は、どことなく懐かしい。しかし、実際には最近見た顔である為か、直感的には全く懐かしさを感じない。そんな不思議な感覚をルースは味わう。その感覚に陥ってからか、少しずつ夢が薄れ始め、曖昧になっていた現実を自然と捉えるれるようになった。
その頃になると、悪夢はもはや過去の物になり、彼女は悪夢を精神をより強靭にする経験だったのだと感じるようになる。
「ふふ。悪夢ごときで取り乱すとは、私もまだまだだな。」
「うん!いつものルースだね。」
「ですね。」
目覚めからものの数分で、彼女はいつも通りを取り戻す。そして早速反省を始める。
「次、眠らされた時の為に、眠りながら戦える術を覚えておくとしよう。」
「いや無理でしょ。眠りながらは。」
「極北の国に眠りながら戦う戦士がいると聞くが?」
「へぇ。そんな人が。今度会いに行ってみようか。」
自分の未熟を認めたら、すぐにそれを補う方法学ぶ姿勢を示す。正しく彼女らしい。そんな彼女に寄り添うランも、正しく彼らしい。
ほんの1時間前まで窮地に立たされていた彼らだが、それを引きずることなく、次を考えている姿は、流石は勇者パーティだとユウを感心させる。
「2人共、話は済んだかしら?」
「うん。」
「ならご飯の時間にするわよ。」
ルースの体調を考慮して朝食を作り直していたソウが、2人の会話が終わったタイミングを見計らって声を掛ける。
元々、朝食は栄養面を重視して作っていたため、彼女の体調を考慮しても、作り直すのはさほど難しい事ではなかった。
「この後の予定もあるし、栄養豊富で食べやすい雑炊にしたわ。ルースは食べきれそうになかったら残しても貰っても構わないからね。」
「わかった。」
食事を終えると、ソウとユウは片付け、残りの3人で出発の準備と手分けをして撤収の準備を進める。その準備の傍らで、先程まで眠っていたルースの為に、今日の予定を共有する。
「まず、準備を終えたら、最初に冒険者ギルドに立ち寄って、今日発見したナイトメアフォールについて報告する。先程ソウに確認して貰ったが、新種の魔物と見てまず間違いないだろう。ユウのおかげで、その性質も弱点も分かっているから、それなりの褒賞を貰えるはずだ。」
「勇者パーティと言っても、他のパーティと同じようにお金には困ってますからね。」
「はは。耳が痛いね。」
勇者パーティは諸国からの依頼で魔王討伐の為に旅立ったわけだが、特別な支援や金銭的援助を受けているわけではなく、他の冒険者と同じように、依頼を受けて金を稼がなければ冒険を続けることができない。
一般に冒険者の資金繰りは苦しいというが、通常よりも依頼料が高い勇者パーティもその例に漏れず、苦しい状況が続いている。
その理由の1つに、特定の拠点に定住できないという物がある。普通、冒険者は特定の冒険者ギルドを拠点にし、その範囲内で依頼を熟す。しかし、魔王を討伐する為に、各地を巡らなければならない勇者パーティには、そう言った特定の冒険者ギルドがなく、毎度、宿舎を利用しなければならないし、交通機関も利用しなければならない。
何の支援もなく毎日出張していると考えれば、その大変さが理解できるだろう。
「まぁそれはさて置き。その後、A級ダンジョン「常日の遺跡」の攻略依頼の準備に取り掛かろうと思う。」
A級ダンジョン。超一流のパーティが念入りに準備して、やっと攻略の可能性が出てくるという超高難易度のダンジョン。勇者パーティも入念な準備が必要になる。
「長期の依頼になるから、準備には一か月前後かかるということを念頭に置いて欲しい。」
この準備には、ユウにスキルを教えるという事も含まれている。ランの言う通り、次受ける依頼の難易度は非常に高く、既に名立たる冒険者が失敗している依頼だ。
その為、ユウの安全は保障できず、彼の身は彼に守ってもらう必要がある。ソウが教えるつもりの〈障壁〉というスキルは、習得が容易であるにも拘らず、余りにも優秀過ぎる能で、種族レベル、技能レベルに依存しない、絶対防御のバリアを発生させることができる。
その持続性こそ技能レベルに依存するが、1度の攻撃であれば、どんな強力な攻撃も、技能レベル1でさえ必ず耐えるという優れものだ。ソウはユウにこのスキルを覚えさせるとともに、少なくとも技能レベル3まで上げるつもりだ。
「「常日の遺跡」の探索依頼か。確か、帝国貴族の依頼だったな。」
「そうだ。帝国三大貴族の1つ、マニス家からの依頼だ。」
かつて滅んだ大陸を支配した大帝国。太陽の沈まない国とまで呼ばれていた、そんな大帝国に「常日の遺跡」はある。
かつては大帝国の管理下にあり、人々の居住区として用いられていたが、現在はとある魔人の住処となってしまった。
それを良しとしなかったのがマニス家だ。帝国は、大帝国の跡地に建てられた国で、マニス家はそんな帝国の建国時代から存在する数少ない家紋だ。そして、かつての大帝国の貴族に名を連ねる一族でもある。その為か、彼らは今も尚「常日の遺跡」がある地域を含めた領地を統治している。
「俺の領地を取り戻せ。それが彼の依頼だ。」
魔人の支配下である「常日の遺跡」は、マニス家の領地唯一の空白地帯。商売においても誰もが避ける地域だ。マニス家にとっては目の上のたんこぶで、何度も様々な冒険者に依頼を出している。
「「常日の遺跡」って、魔人の存在を無視しても超危険地帯ですよね?大規模な複数パーティの依頼ではなく、1つのパーティに依頼したのはなんででしょう。」
「魔人の特性のせいだよ。あの魔人は遺跡内にいる生物の全てのスキルを扱えるというとんでもない力を持っている。シーフスクイラルと似たような感じだね。だから、人数が多いほど強くなるんだ。」
噛みついた対象のスキルを盗む、リスの見た目をした魔物がいる。遺跡に住む魔人は、それと似た力を持っているとランは語る。
「なるほど厄介ですね。人数が多ければ多いほど魔人が扱える技能は増えていく。しかし、最深部まで全員が進める訳もなく。最深部に進めた少数が無数の手数を持つ魔人に殺される。という訳ですか。」
「そうだ。だから少数精鋭、もっと言えば、単独での挑戦が最も勝率が高いと言える。まぁ、魔人と1対1をして勝てる人間なんて、歴史上でもほとんどいないけどね。」
「ラン。貴方はそんな人間にならないと駄目なのよ。」
イヴの問いかけに答える途中、どこか弱気になるランに、ソウは言葉だけで圧を掛ける。そんな彼女に気圧され、ランは弱々しく「はい…。」と答える。
「まぁそれは追々。準備についてもう少し話させてもらうよ。」
「はいはい。それで、まずは防具屋イサムに行くのよね。」
「そうだ。ユウの防具を作らないといけないからね。」
イサムは帝国随一の防具屋で、依頼者の要望通りの仕事を必ずすると評判の店であり、ほとんど冒険者がそこを利用している。当然、勇者パーティのメンバーも全員、そこの物を身に着けている。
「ユウ。さっきも言ったけど、防具は冒険者の命綱だ。だから、合わない所が必ず言うんだよ。」
「はい。」
戦場で油断は禁物だが、戦いの最中一度も隙を見せないというのは無理な話だ。だから防具は存在する。どんな不意打ちを受けても必ず着用者を守れなければ意味はない。ましてや、冒険者の足枷になってはならない。
「大丈夫そうだね。」
そんな事わかり切っていると言いたげな顔をするユウに、ランは安心して笑みを零す。
「それじゃあ準備も済ませた所で、出発しようか。」
準備と予定の共有を終え、勇者パーティは野営地を発つ。そして予定通りに、目的である近辺最大の都市「ライトウル」に到着した。