第一話 長尾驢足(カンガルー・ポー):驚愕
「ふおおおお! すごい車。カッコイー!」
警察への引継ぎを終えると、大分離れた場所に置いておいた自分の車までラミアは戻った。一緒に連れてきたフルールが歓声を上げる。流線形が美しい、クーペカブリオレの真紅のスポーツカー。首都シアトル周辺での活動が多いが、それでも行動範囲は広い。場所によってはヘリやプライベートジェット機も利用するが、どこでも乗り降り出来る車が一番使い勝手が良い。
「乗って。シアトルまで報告に帰らなきゃならないの。あなたの家はこの近く?」
「あたしタコマ! 牧師様の教会に住んでるんだ。良かった、ちょうど通り道で」
ラミアの真似をしたのか、ドアを開けずに飛び越えて座席に着いたフルールは、好奇心に輝く瞳でフロントパネルを眺めていた。その瞳の色は、先程屋内で目にしたものと違って見えた。
「あなた金緑眼なのね。珍しいわね」
「へ? それって何?」
「そのヘーゼルの瞳。明かりによって違って見えることあるから、金緑眼とも言うのよ」
「へー、知らなかった。なんかそっちの呼び方のがステキ! お姉様は、すごく透き通ったアイスブルー。クールでカッコいい感じ。羨ましいなー」
手動運転で走り出しているというのに、フルールはラミアの前に頭を突き出すようにして、顔を覗き込んでくる。視界が遮られて運転に支障が出そうに思える。
「ね、住所教えて。それとも自分で行先設定出来る?」
「もちろん。ちょっと貸して……ポチポチっと」
フルールが自動運転の行き先に設定したのはタコマの外れ、南西のレイクウッドに近い場所。ラミアはその辺りには行ったことがなく、最初からAI任せの方が良かったのかもしれない。
到着は多少遅れるが、無事終わった任務の報告。そんなに急ぐ必要はない。手が空いたことで生まれた余裕を使って、先程は訊かなかった、少々気がかりなことを確認してみた。
「ねえフルール、あなたはあの吸血鬼を処分しにあそこへ行ったのよね?」
「うん、二体いるから処分してこいって。あのロック歌手、吸血鬼だったなんてショックだけど、仕方ないよね」
ファンだったのか、大げさに肩を落としてフルールは嘆く。その言葉を聞いて、ラミアの中の違和感は更に強くなった。ラミアの標的でもあったロック歌手自身は、吸血鬼ではなかった。
振り返ってみると、フルール自身は、標的には余り近付けていなかったように思える。彼女の霊的感度がどの程度かわからないが、誤った情報に基づいて任務遂行したということだろう。
「それ、誰からの命令? あなた祓魔師よね?」
情報の出所や命令系統が気になる。ラミアがそう訊ねると、フルールは自慢げな顔になって、右手の中指に嵌めたルナタイト製の指輪を見せながら答えた。
「えへへー、こう見えてもエリート集団の吸血鬼ハンター、銀の手なんだよ!」
眼を瞬いてフルールを見つめるラミア。指輪がマスカレイドなのはわかるが、別に銀の手の紋章が刻印されているわけでもない。その行動の意味は、理解出来なかった。
そして、答えを聞いたラミアの疑問はさらに深まる。ただの人間であったフルールが銀の手に所属しているというのは、かなり異例のこと。ミイラ取りがミイラになっては困るのだ。
構成員は基本的にネクロファージを身に宿す者だけ。夢幻の心臓の数は少なすぎる故、吸血衝動が出ていないだけの、完全適合ではない真祖と呼ばれる吸血鬼予備軍がほとんどだが、ただの人間はまずいない。
とはいえ、かつてラミア自身が所属することになったときも、まだ夢幻の心臓ではなかった。特殊能力を買われて、例外的なスカウトを受けた。フルールもそうなのかもしれない。先程のヘリを狙撃した攻撃、特別なものと思えた。気配を隠す術にも長け、隠密行動も得意そうだ。
「銀の手の上司に、あのロック歌手が吸血鬼だと言われたのね?」
「うん。あー! もしかして、あいつヘリで逃げちゃった?」
顔面蒼白になって問いかけてくるフルール。表情が豊かで、喜怒哀楽が激しい性格のようだった。落ち着かせるようにその亜麻色の頭を撫でながら、ラミアは答える。
「大丈夫、ちゃんと撃ち落としてたから」
「よかったー」
ほっと胸を撫で下ろし、また満面の笑みに戻るフルール。それを見ながらラミアは考えた。
かつて所属していたころ、どの国でも人手不足ではあった。しかし、今の北米銀の手の状況は、余程酷いと思える。奥の手ありとはいえ、あの数相手にフルール一人。標的の情報が不正確だったことからすると、戦力も計り間違えた可能性が高い。下調べがいい加減過ぎる。
先程フルールが、躊躇いもなくリストカットしようとしていたのを思い出した。あの歌手が吸血鬼ではなかったと知ったら、また同じことをするのだろう。何度も試したことがあるように言っていた。ちょっとしたことでも極度に落ち込んで、絶望しやすいタイプに違いない。
(この子は私とは違う。真実は知らないままの方がいい)
吸血鬼の処分時、一般人を巻き添えにはしないのが銀の手の鉄則。そのために隠密行動からの暗殺を主体とする。原因は誤情報。既に事切れてもいた。それでも、人を撃ったことは事実。
そう判断して、もうこの話は終わりにしようと、ラミアは視線を前方に戻した。また割り込むようにして顔を突き出して、フルールが興味津々といった様子で問いかけてくる。
「ね、ね、お姉様はどういう部隊? 祓魔師教会に人質救出部隊なんてあったっけ?」
「私はもう祓魔師教会とは関係ないわ。今はただの――」
暗殺者だと言ったら、どういう反応をするか心配になって口を噤んだ。祓魔師である以上、人の生命を奪うような人間を許容するわけがない。
今まで何人にも愛想を尽かされてきたが、自業自得だから何とも思わなかった。なのに何故か、この人懐っこい少女にだけは言いたくない。血を分けた相手だからなのか、それとも――
「正義の味方だね! カッコイー。あこがれちゃうー」
続きを勝手に解釈したのか、フルールが大きな眼を更に見開き、キラキラと輝かせて見つめてくる。その無邪気な笑顔は、まるで大好きな飼い主を前にした子犬のように見えた。
「可愛い……」
「ふぇっ!?」
(しまった、思わず声に出てしまった。――ど、どうにか誤魔化さないと)
「か、可愛い子供たちが吸血鬼の人質になってるっていうから、助けにいったの。そう、正義の味方みたいなものよ。市民党の大統領候補知ってる? バーナード・セイン・オハラ上院議員。彼の下で密かにこの国の治安を守ってるの」
慌てて話を合わせてそう告げると、フルールは更に興奮して奇声を上げた。
「あのオハラさん!? ふおおおお! まさに正義の味方!! 裏でそういうこともしてるんだ。あの人が大統領になってくれたら、この国絶対変わるよねー。今のあのトレヴァーは最悪。なんであんなの大統領になれたの? 絶対お金ばら撒いたりしてるよね」
その反応を見て、自分が褒められているわけでもないのに、ラミアは何故か誇らしかった。
(バーナードはやはり皆に慕われてる。私のやってることは間違ってない)
「あなたもそう思う? あの嘘吐きで、差別主義者で、強欲で、自己中で、攻撃的で、女性を子供を産む道具としか思ってなくて、お金のために大統領やってて、本土以外は搾取の対象でしかなくて、NAEファーストとか言いながら実質自分とお友達のことだけしか考えてなくて、利益のためなら汚い事でも平気でして、人の命だって……何とも……思って……」
「……めっちゃ嫌いなんだね、お姉様も」
罵詈雑言が止まらなくなり、さすがに引きつった顔になったフルールに気付いて中断したわけではなかった。フルールはきっとそう思ってくれたのだろう。だが実際には違う。
(人の命を何とも思ってないのは、私も一緒じゃないかしら……。やっぱりわからない。今のままでいいのか……)
そんなラミアの苦悩には気付いた素振りもなく、フルールは首を傾げながら訊ねる。
「吸血鬼とまで繋がってるの、あの大統領? あたし政治のことはあんまりよくわかんないけど、あちこち広がってるんだね。今まで処分したやつ、みんなネットで見たことある顔だった」
「一部は繋がってるわ、確かに。戦闘力を高める強力な麻薬みたいな感じで扱ってる闇組織もある。適合しなければ処分する前提で、失態を犯した部下に、駄目元で与えてみたり」
先程処分した吸血鬼がまさにそうだろう。若頭と呼ばれていた。理性を保てる程度には適合したことで得た地位に違いない。
「やっぱり大悪人なんだね、あのトレヴァー。牧師様が言ってること、間違ってない」
どうやらまともな牧師に育ててもらったように思える。脆過ぎて危うい部分もあるようだが、明るく素直な子と感じた。色々と事情はあったようだが、今のフルールは幸せそうに見える。
そこから先は、現職大統領のダグラス・トレヴァーに対する愚痴大会が繰り広げられた。フルールもかなり鬱憤が溜まっている様子。ラミアも、今のこの国には思うところがありすぎる。
話を聞いていると、教会を訪れる信徒たちの影響と思える。虐げられた人々が多く集まる場所らしい。牧師はかなりの人格者なのだろう。それらの人々への奉仕をしているようだった。
「それじゃ、気を付けてね。機会があったらまた会いましょう」
一時間ほどで教会に到着すると、ラミアは別れを告げた。フルールは何も返答せず、ドアを飛び越えて車から降りると、ラミアの側に回り込んできて、その腕を引っ張る。
「お姉様も来て。このまま帰しちゃったら、絶対怒られるからー。せめて牧師様と顔を合わせるだけでも」
「私は報告に戻らないといけないから……」
人との繋がりは余り持ちたくなく、ラミアはそう言って渋った。しかし、先程聞いた、血を分け与えるという話は気になる。確認の必要があると思い直した。
もし夢幻の心臓だったら、伝手は作っておいた方が良い。そして、万が一そうではないのにネクロファージを持っているとしたら、やるべきことがあるかもしれない。
「わかったわ。挨拶をするだけね。その牧師様は今どこに? こんな時間に起きてるの?」
「えっと……裏の林かな? あ、こっち戻ってくる。たぶん裏口から礼拝堂に。……お姉様?」
怪訝そうな顔をして、フルールが下から覗き込む。ラミアはそれにも気付かず硬直していた。説明された方向に、輝くばかりに清冽な氣を感じる。ただの牧師とはとても思えない。聖なる感じというよりも、まるで神そのもののよう。
思わず走り出していた。勝手に敷地に入って礼拝堂に駆け寄ると、勢いよく扉を開け放つ。大きな音が響いた。奥の祭壇前で牧師の服を着た男が振り返る。ラミアの視線はまずその顔に吸い寄せられ、次に斜め後ろの十字架に向いた。そこで磔になっている彫像の顔に。
(生き写しのよう……これではまるで……)