第二話 麝香連理草(スイートピー):門出、別れ、喜び、そして思い出
「ほっ、ほっ、ほっ……」
競技場近くのオフィスビル屋上へと、フルールは外部非常階段を駆け上がっていく。その肩にはもちろんラミアの姿。二つ折りになる形で、ずっとぐったりしたまま担がれている。
「お姉様、もう動いていいよー。階段上るの大変だから、降ろしてもいい? ……お姉様?」
フルールが声をかけても返事はない。ラミアの身体は氣も魔力も帯びておらず、まるで死人のように重力に引かれるまま揺られていた。フルールの顔が徐々に不安に染まっていく。
「あれ? ちょっと待って、ホントに死んじゃったの……? お姉様?」
踊り場でラミアを肩から降ろすが、反応がないどころか全く力の入っていない身体は、フルールの腕からずれ落ちていった。フルールはその肩を掴んで激しく揺さぶりながら叫ぶ。
「イヤ、イヤ! お姉様! お姉様が死んじゃったら、あたしどうやって生きていけばいいの? お姉様……やっちゃったの? あたし間違えてやっちゃったの? ……あたしも死ぬしかない」
ラミアを床に横たえると、フルールの右手に天罰が現れた。
「待って待って、ふるる。ちゃんと生きてるわ、早まらないで」
慌ててラミアは身体を起こし、天罰を取り上げる。本気で涙を流しているフルールに、少し意地悪し過ぎたと思いながら笑いかけた。フルールは口を尖らせてラミアに食ってかかる。
「驚かさないでよー! 流石に意地悪過ぎ! お姉様って、もしかしてS!?」
「あなたがMなら、Sになってもいいけど?」
「そ、それも悪くないかもー」
(なんで頬を染めてるのよ……わからないわ、この子……)
ひとしきり二人で笑いあったあと、手を繋いで屋上まで駆け上がっていく。ヘリポートにはステルスヘリが置いてあり、その前ではバーナードが待っていた。
「任務完了おめでとう。これが最後の祝いだ」
満面の笑みを浮かべたバーナードは、ラミアに向かって花束を差し出した。手にしていたのは七色のスイートピー。花言葉は門出、別れ、喜び、そして思い出。色々な意味が集約されているのだろう。寂し気に眼を伏せながら、ラミアはそれを受け取った。
「バーナード、あんなに急いで立候補取り下げることなかったんじゃない?」
「結果論だ。偽モーガンの主張通り、時限式で暴露されるよう記事が仕込んであったら、市民党は大きなダメージを受けていた。現状見つかっていないが、これからなのかもしれない」
ネット上のニュースをAIが自動認識して、特定内容に反応して開示する仕掛けも可能。捏造による工作だと否定してしまえる根拠が作れるまでは、バーナードは動くべきではない。
「そうかもね……。あなたが指名されるのがトリガーなのかも」
その言葉に頷くと、バーナードは空を見上げながら感慨深げに口を開く。
「すべては終わったことさ。……自分で言うのも何だが、私はまだ若い。次のチャンスで充分さ。四年遅れたことで救われない人も出てくるだろうが、次回はどうにかするよ」
もう先を見据えている。終わったのではなく、これからが始まりなのだとラミアは思った。
「フルールの機転で、市民党の勝利はほぼ確実になっただろう。私への疑いも晴れたはずだ。何かしらの重職を任されることになる。政権内部で準備を進め、次の大統領選に賭けるよ」
バーナードの瞳には力強い意思が宿っていた。次こそはやってくれると確信出来る。
「わかったわ。また私が必要だったら呼んで。その時期は必ずスケジュールを空けておくわ」
「セントルシアの美しい海と山を満喫してくるといい。あそこの温泉は最高だぞ。美人になるという噂だ」
「これ以上を求める気? 理想が高すぎるわね。政治はそれでもいいけど、ファーストレディーがいない大統領ってのは、格好つかないわよ?」
やられたとばかりに額に手を当て、バーナードは苦笑した。それから本気で困った顔になって、腕を組んで考える素振りを始める。
「それもここからの四年間での課題か……。そちらの方が難題だな……」
言い寄ってくる女性など、いくらでもいると思えた。本当に面食い過ぎるのか、それとも法律に抵触するような特殊な性癖でもあるのだろうか。ラミアはそんな心配をしてしまう。
真剣に悩んでいる様子のバーナードを眺めて、フルールと二人して声を出して笑った。
「そろそろ行くわ。……コーネリアスによろしく言っておいて。ここにいないってことは、今の騒動利用して、次の行動に出てるんでしょ、彼は?」
「彼も忙しい男だ、本当に」
やれやれとばかりに肩を竦めつつ、それでもバーナードは嬉しそうに微笑む。ついでフルールにその笑顔を向けた。
「フルール、君も元気で。この孤独が自慢のお姫様の心を、もっと解かしてやってくれ」
「あたしの愛は、触れると火傷しちゃうよ!」
ブイサインをしながら、フルールは元気にそう宣う。ラミアはその頭を撫でながら、眼を細めてバーナードを見た。
「さようなら、バーナード。また会う日まで」
バーナードに手を振ると、二人はヘリに乗り込んだ。三人とも互いの顔を見つめてばかりで、このままだと日が暮れてしまいそうだった。名残を惜しみながら、ヘリに離陸を指示する。
行き先はカリブ諸島の島、セントルシア。現在ではNAEの海外領土となっているが、それ以前は英連邦王国の一つであり、未だに英国の影響が強い地。
英国女王の計らいで仮の身分と住む家も与えてもらえ、隠れ住むにはこれ以上ない場所だった。美しい自然を満喫しつつ、しばらくはのんびりと暮らす予定となっている。
バーナードの故郷は旧ドミニカ共和国。それほど遠くはない。いずれどこかの離島で会う約束をしようと考えた。英国経由で連絡を取れば、きっとどうにかなる。
小さくなっていくバーナードの姿を眼下に眺めながら、その頃にはもういるかもしれない、彼の妻の姿をラミアは想像していた。同じアフリカ系を選ぶのか、それとも人種融和の象徴として、ヨーロッパ系やアジア系なのか。それで先程悩んでいたのかもしれない。
「ん……? 何してるの、ふるる?」
ヘリが充分な高度を取ると、フルールは座席の後ろから何かを取り出し、ラミアに差し出す。
「はい、お姉様。すべて成功のお祝い。バーナードさんが、これがいいんじゃないかって」
渡されたのは巨大な花束。黒い薔薇が大量に束ねてある。数えてみると百八本。
(この数は……そしてこの色は……)
薔薇の花束には、色だけではなく、その数にも花言葉が用意されている。色によっては組み合わせや配置でも意味が変わる。
(失った大切なものの代わりは確かに手に入った。でも少し重すぎやしないかしら、この愛は?)
ラミアは花束を受け取ると、そのうち八本を抜き出した。残りの百本だけを受け取り、八本はフルールに手渡す。
「お姉様、これ何? 八本返すって、どういう意味?」
いつものように首を傾げるフルール。ラミアはその可愛らしい仕草を見て微笑んだ。
百本なら花言葉は百パーセントの愛。八本なら思いやりへの感謝。色が変えられたらいいのにと思う。つぼみに戻せればいいのにとも。本当なら、白い薔薇のつぼみで返したい。
フルールはしきりに首を傾げて、ラミアの行動の意味を考えている。それを見つめるラミアの表情は、もう氷の瞳の黒薔薇姫ではなかった。温かく、柔らかい、ピンク色の薔薇のように可憐に微笑んでいた。
カリブの海はイングランドの海に繋がっている。メキシコ湾流がきっとラミアの想いを彼の元へ運んでくれる。現地に着いたら海に浮かべようと思う。七色の薔薇の花を。すべての色がラミアの気持ち。数はもちろん、九百九十九本。
了




