第二話 蘭蕉(カンナ):妄想
ラミアの反応を確かめるように一瞥をくれてから、何かを思い出すかのように遠くを見つめるジョシュア。それから、静かな調子で語る。その驚くべき自身の正体について。
「私はあのとき、ゴルゴタの丘で磔になりました。しかしその後、神の御使いから聖霊の力を与えられ、エディクラにおいて復活しました」
両手を左胸に当て、そこにいる何かに感謝を捧げるようにして、天を見上げる。
「今ではネクロファージと呼ばれている、神が造りしこの霊的生命体の力で。その後ガリラヤで弟子たちに神の国について語ったあと姿を消し、二千年間隠れ潜んで生き延びてきました」
ラミアは氷の瞳のまま考える。ジョシュアの主張の真偽について。
ネクロファージに死者を蘇らせる力はない。しかし、瀕死だっただけなのなら可能性はある。神の子の復活までの日数は、記録によって異なる。実際には直後だったかもしれない。
何しろ二千年以上前の出来事。当時は生死の判定も不確実。だからそれだけでは、この主張を否定する確かな証拠にはならない。
「仮にあのお方本人として、どうして二千年以上も何もせずにいて、今さらこんなことを?」
「私はかつて、優しい世界を作ろうとして失敗しました。人が人を愛する世界。最後にはこの生命まで捧げました。それによって、信仰を勝ち取ることは出来ました」
神の子はその死によって完成した。そういう終わり方だったからこそ、これだけの時間が経ってもまだその教えは信じられている。ジョシュアは更に主張を続ける。
「しかし人々は教えを振りかざし、殺し合いばかりをしました。他の神の教えと対立して戦うばかりか、同じ教え同士でまで、利益を求めて奪い合いました。そう、今のこの国のように」
確かにその通りだとラミアも思う。創始者が広めた本来の教えは書き変えられ、時の権力者たちにとって都合が良いように使われてきた。曲解して教義を歪めてまでそれを行う。
「それで今さらどうにかしようというの?」
「この国を見ていて、力さえあれば、どうにか出来ると悟りました。私が生まれたころと比べて、科学なるものは大幅に進化した。すべては神の生み出したものですが、人はそれをうまく扱えるようになり、私が起こせる奇跡をもかき消すほどの力を手に入れた」
「核兵器……?」
「それも一つ。今では奇跡の力を、科学によって再現することすら可能になった。霊子を電気で操ることによって。あなたの持つ賢者の石。その力ですら、人工的に引き出すことが出来る」
フルールのあの消滅。恐らく彼女は、賢者の石単体で波動の力を使いこなす適性を持っていない。だからあの合体マスカレイドのようなもので、無理やり引き出しているのだろう。
ジョシュアの言っていることは、どれも事実だとラミアも思う。だがその発想が行きつく先は、神の子の所業ではない。
「恐怖で人々を支配しようというの? それのどこが優しい世界なの?」
「恐怖に陥った人々は、優しさを求めます。そのときこそ神を求めるのです。人は現金なもの。都合のいいときだけ神頼みをします。ならば、都合良くしてあげればいいだけです。神を求める状況を作ってあげればいいだけです。あの新興宗教の国を見て、そう感じました」
前世紀の大戦の火種となったサハラで生まれた新しい国。それがラミアの中に思い浮かんだ。見捨てられた地に集まった戦災難民たちを救うために、新しく宗教を興し、信仰の力で人々を纏め上げて成立した国。
「ジュルグ・サハラ……。でもオンゴ教は人々を救うために創始されたものよ」
「私の教えだってそうですよ。虐げられていた人々を救うために、人間の平等を説き、愛を教え、平和を求めさせるのが目的でした」
確かにそう伝わっている。蔑まれ、虐げられていた者に積極的に声を掛け、救って回った。
「私はこの国で、正しい教えを広め直します。迫害された人々を集め、二千年の間に歪んでしまった教えを正しましょう。私自らが創始した、本来の形に戻しましょう。そしてそれを世界にも広げます。新しい神の国を作って」
「そのためにジェファーソンを利用しようと?」
「ええ。彼は私を信じました。今の世は宗教が政治を司ることを良しとしません。かつて私が犯した失敗は、王と名乗り、自らが頂点に立って導こうとしたこと。あのとき私は、ローマ帝国を利用すべきだったのです。皇帝に取り入るか、傀儡を送り込むことによって」
ジョシュアの言っていることは、間違ってはいない。手段への賛同こそ出来ないものの、述べていること自体は正しいと思える。しかしそれはすべて上っ面だけの事実。歴史を学べば誰でも知ることが出来る情報だけ。厳密には、事実とされていることしか含まれていない。
ラミアは大きく溜息を吐いた。もううんざりだった。神の子を自称する人間に軽蔑の眼差しを向けながら、本音を漏らす。その声音には明らかに挑発の色が混じっていた。
「ねえ、さっきからあのお方がやってきたことを、自分がやったことのように言ってるけれど、もしかして自分があのお方本人だと錯覚してる? その後ろの十字架に磔にされた彫刻に似てるから? その身にネクロファージを宿し、不老不死になってるから?」
癇に障ったのか、ジョシュアの顔が明らかな怒りに染まる。強い口調で、早口に捲し立てた。
「私が彫刻に似ているのではない。彫刻が私に似せて作られたのだ」
「いいえ、違うわ。あなたは決してあのお方本人などではない。あなたはたまたま絵画や彫刻に似ているから、たまたまその身にネクロファージを宿したから、そういうことにして権力を握ろうと思いついたのでしょう?」
正直言って落胆した。神の子本人ではなくとも、本物の聖人だと思っていた。バーナードとの親交も、傀儡候補として近付いただけなのだろう。ダグラスにも接触していたに違いない。
「浅ましいわ。ダグラスと同じ。あなたも自らの利益のために、他人から搾取する人間なのね」
「お姉様、それは違う。このお方は神の子本人だよ。あたしたちがもっとも敬うべき人間。いえ、人間じゃない。受肉した神様御本人。ジョシュアはヘブライ語でのヨシュアを英語読みしたものだよ。神の子の名前は――」
ずっと側で黙って聞いていたフルールが、ここにきて初めて割り込んできた。ラミアの腕を取り、縋るような目つきで見上げてくる。あの捨てられた子犬のように揺れる瞳で。しかしラミアは冷たく言い放つ。氷の瞳で。
「違うわ、ふるる。あのお方本人じゃない。私には確証がある。この男はただの僭称者。よりにもよって、最も敬うべきお方の名を騙る、最悪の不敬虔者にして、最大の神の敵」




