第二話 蓬菊(タンジー):宣戦布告
八日後、二一一六年七月四日。ワシントン州オリンピア。ワシントン州会議事堂前。現在のNAE首都シアトルから、南西に約七十五キロメートル。州の政府機関が集まったその一帯は、丸ごと正規軍によって封鎖され、厳重な警備体制が敷かれていた。
今日これからここで、独立記念日の恒例行事となった大統領演説が行われる。元々は演説の習慣などなかった日。だが、前世紀に政治利用のために行われてから、いつの間にか毎年恒例の行事として定着してしまった。それだけ効果が大きいのである。国民にとっては最も特別な日のうちの一つ。愛国心を利用するには適している。
今回選ばれたのは、シアトルに移設されたホワイトハウスではなかった。歴史登録財としても有名な、美しい伝統建築のワシントン州会議事堂及びその一帯。敷地内の広場の一角、第一次世界大戦の戦勝を記念して作られた『翼の生えた戦勝記念像』の前に演壇が設置されていた。
演壇の周囲は、複数の術師によって、既に対物・対魔両方の結界で強固に守られている。多数を組み合わせて構成してあるため、一部だけを開放することで、聴衆からは完全に隔離されている議事堂方面から、大統領が出入り可能な配置にしてある。
敷地内への検問所の前で行列に並びつつ、ラミアはそれを確かめていた。演壇の直前は招待客のみ。しかし、主役の姿が充分見える位置まで、誰でも入れるようになっている。
仰ぎ見れば、何機もの無人戦闘機が空を舞っていた。見事な編隊を組み、美しい軌跡を描いている。展示飛行という名目の上空警護。知らない人が見れば、そうとしか見えない。だが実戦用の兵装になっているのが、ラミアの眼には、はっきりと映っていた。
当然の対応と思える。あの強固な結界を破るのは、戦車を突撃させても不可能。核爆弾でも落とすか、上空からレーザーを撃ち込むしかない。最も警戒すべきは、通常なら空と宇宙。
マスカレイドを始め、逃亡に必要な幾つかの私物はスペアの車に載せ、郊外の大学の駐車場に自動運転で行くよう設定しておいた。今は偽造IDの端末のみを持ち、アクセサリなども一つも身に付けないまま、完全な丸腰で入場を待っている。
金属探知機やX線検査はもちろん、明らかに魔法使いや気功術師とわかる人間までボディーチェックに導入されている。一人一人念入りに確認しているため、時間がかかる。ラミアの順番が回ってきて、物理センサーによる検査は難なく通過し、ボディーチェックが始まった。
敢えて抑え過ぎず、少し魔力や氣が強いだけの一般人を装った。仮に魔法が使えても、この程度なら結界には傷一つつかない。そう思わせた方が、プロの暗殺者と疑われなくて済む。
実際、あの結界を破って暗殺出来るような魔法使いなど、世界に何人もいないだろう。ましてや、対物結界内で多数待機しているのが見える黒服のSPたち。彼らに気付かれず、先制攻撃で結界を撃ち抜ける人間など、一人もいないのではないかというレベルに思えた。
無事チェックを通過し、聴衆に紛れて大統領の登場を待った。周りは皆ダグラスの熱狂的な支持者なのだろう。喜びに興奮した氣が会場に充満しており、吐き気を抑えるのに苦労した。抗議デモのために集まった人々もいたが、当然入場許可など下りず、会場外で隔離されている。
突如として周囲が大歓声に包まれた。まるでロックフェスティバルにでも来てしまったかと錯覚するほどの興奮ぶり。結界群の向こうから、ダグラス・トレヴァー大統領が歩いてくる。
ゆっくりと進んで演壇に立つと、熱狂は最高潮に達した。口笛まで吹く下品な聴衆への嫌悪感を堪えながら、ラミアは必死に氷の瞳を保つ。本来ならば周囲に同調して拍手くらいはしないと不自然。だが、流石にそれはラミアのプライドが許さなかった。
自分を崇め称える聴衆を眺めて満足したのか、しばらくしてから両手を挙げて聴衆を制し、大統領が演壇上のマイクに手をかける。その口が開くのを見ながら、ラミアは心の中で呟いた。
(陛下、お預かりした力を、このように使うことをお許しください。責め苦は地獄で受けます)
大統領の口から声が出て、スピーカーを通じて演説が始まった。
「アイ・ハブ・ア・ドリーム」
最初に飛び出たその有名なフレーズが、凍結してあったはずの爆薬に一瞬にして火を点けた。ラミアの心の中の、爆発寸前だった火薬に。
「どの口がそれを言うかー!!」
思わず逆上して叫んでいた。右手に埋め込まれた賢者の石から、紅白に輝く二頭の龍が生み出される。それが螺旋を描いて伸び、絡み合って融合して、黄金の光の剣と化した。ラミアは爆発的な加速で一瞬にして音速を超え、ソニックブームを纏って突撃する。
続く言葉が出る前に、大統領の姿は完全に消失していた。対物も対魔もどちらの結界も光の剣が突き破り、内側の地面に描かれた結界を構成する魔法陣を破壊して。
結界の消失に術者たちが気付いたころには、二頭の龍が生み出す眩い黄金の光に飲み込まれ、まるで初めからそこになどいなかったかのように、演壇ごと大統領は消えていた。
始めはこんなつもりではなかった。どんな演説をするのか、遺言として少しは聞いてやるつもりだった。聴衆の反応が最も高まったところでやる予定だった。
しかし、どうしても許せなかった。差別を助長し、この国を今のような状況にしている張本人が、人種の平等と差別の終焉を呼びかけた、かの偉大なる聖職者のフレーズを使用した。
対立候補であるバーナードと同じアフリカ系人種だった彼の演説の、最も有名なフレーズ。本来ならバーナードこそ使うべき。そのことが、ラミアの怒りを一瞬にして沸点を超えさせた。
フルールが近くの市街地で小型爆弾を使い、誰にも被害が出ない小さなテロもどきの騒ぎを起こして、注意を引く予定だったことすら忘れていた。
何が起きたのか誰も理解していない状態の会場で、ラミアは聴衆に向かって振り向いた。演壇のあった場所で、勝利の女神ニケを象った青銅像の前で、その右手に宿る紅白の龍と、黄金の光の剣を天に掲げて。
「我が名はローズ・アンブロシア。神の剣の具現者なり。この紅き龍と白き龍は、古のブリタニア王より受け継いだ幻龍。この不敬虔者は神の怒りに触れた。罪には罰を。これは天罰である。神による断罪なのだ」
悲鳴すら上げられず、ただ硬直する聴衆たち。衝撃波で薙ぎ倒された人々は、そのまま地面に平伏していた。ラミアの氷の瞳によって凍結させられたかのように、誰一人として動けない。機械ですら強制停止してしまったかのような時間が過ぎた。
「撃て、撃てー!!」
やっと反応したSPたちが発砲する。ラミアの身体に朱の華が咲き、血飛沫が舞った。だが平然と立ち尽くしたままラミアは言い放つ。激しい銃撃に晒され続けながら。
「我が名はローズ・アンブロシア。その名の通り不死身の肉体を持つ夢幻の心臓なり。この光景を見た者たちは、未来永劫語り継ぐがいい。最強国の大統領といえど、神の怒りには逆らえない。主の御心に従わず、国民に真の愛を向けぬ者が現れれば、私はまた天罰を下しにくる」
眼を閉じ、一呼吸おく。再び瞼を上げ、その絶対零度の氷の瞳で聴衆を凍てつかせた。
「心して選ぶが良い、次の大統領を」




