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心の色は薔薇言葉  作者: 月夜野桜
第七章 神の剣となる覚悟
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第一話 糸繰草(イトクリソウ):怯え、そして決意

「こんな時間にもやってるの、ミサ?」


 サウス・タコマでハイウェイを下りるべく進路を変えながら、隣でそわそわしているフルールに向かって、ラミアはそう疑問を口にした。今日はミサのある日曜日。なのに、あいにく昼間の任務が舞い込んできて、こなしているうちに夕方になってしまった。


「うん、最後のミサなら間に合う。みんな色々と忙しいから、一日に何回もやるんだよ。今度ね、平日にもやろうかって案もあるんだって」


「そうなのね。日曜日が安息日なんて、もう昔のことだものね」


 社会の発展とともに、曜日など関係のない仕事の方が増えた。昼夜逆転も当たり前。シアトルの街も、明かりが絶えることはない。もちろんラミアの仕事も、曜日時間問わず。


「お姉様は今日もサボり?」


「いつも通り裏の林で待ってるわ。あの場所、リラックス出来てなかなか居心地いいのよ」


「あたしもよくあそこでお昼寝してたよ。樹の上で!」


(樹の上って……この子の場合、熟睡する前に落ちるのが目に見えてるんだけど……)


 加速力を活かして他の車を縫うようにして追い越し、教会へと急ぐと、ギリギリ時間には間に合ったようだった。フルールは車が完全に止まる前にドアを飛び越え、道路に降りる。


「行ってくるー!」


 相変わらず忙しなく礼拝堂へと走り去った。ラミアはそれを微笑ましく見送ってから、車を近くの駐車スペースに回送させる設定をする。横着せずにドアを開けて地面に降り立つと、夕方とはいえまだまだ高い陽の下、裏の林へと回っていった。


 以前感じた、銀の手シルバーハンドらしき者たちもいるようだ。いずれ自らも吸血鬼ヴァンパイアと化す真祖たちで構成されている。手がけるのも吸血鬼ヴァンパイア相手とはいえ殺し。故に、敬虔な人物というのは知らない。


 ミサそのものが目的というよりも、ジョシュアへの依存なのかもしれないと考えた。将来処分される側に回ることになる。その恐怖に苛まれて、心を病む者は多い。


 梢が鳴らすサラサラとした音を聞きながら、初夏でも涼やかな風に吹かれて瞼を閉じた。靡く髪が少し長すぎる気がする。任務が入ったせいで、切ってもらう時間がなかったことを思い出した。その辺りはフルールの方がしっかりしていて、ここ最近はずっと任せっぱなし。


 しばらく料理もしていない。今夜は自分で作ろうと思い立ち、フルールが好きなものをいくつも頭に浮かべた。そのうちどれが一番うまく作れるかを考える。他人のために作る料理の献立を考えたのなど、今世紀初めてかもしれない。


 ミサが終わり、人々が帰っていく。ラミアはまだその場を動かない。毎回ジョシュアがここへ来て、話しかけてくる。案の定今日もフルールは礼拝堂から動かず、ジョシュアの神々しい氣だけがこちらに向かってきた。


「どうしてあなたは、いつもミサには出席なされないのですか?」


 ラミアのところまで来ると、ジョシュアはそう問いかけてきた。初めてのことである。毎回ここでずっと待っていることは知っているのに、この疑問は口にしなかった。ラミアは氷の瞳のまま、何もないところを見つめて言う。


「私には出る資格がないわ」


「資格などという概念は存在しません。あるのは権利だけ。神の前ではすべての人は平等です」


「平等……ね。なら神なんていないわ。この世界の人々は、平等になんて扱われてないから」


「神はあなたを見捨てません。例えあなたが神を見捨てようとも。……今からもう一度ミサを開きましょう。あなたのためだけのミサ。平等を否定するのなら、特別を受け入れなさい」


 気付くとフルールは礼拝堂からいなくなっており、無人となっていた。彼女が頼んだのかもしれない。気が進まないが、哀しむ顔を見るのは、もっと躊躇われる。


 返事を待たず、先に歩き出していたジョシュアのあとを、ラミアは仕方なくついていった。裏口からではなく正面に回って中へ入る。その視線がふと右手の方へと向いた。


 礼拝堂の隅に告解室、いわゆる懺悔を行う小部屋がある。ここには教派はないというフルールの言葉を思い出した。使いたがる人がいて、あとから設置したのだろう。


「ねえ、ミサの代わりに、あの部屋を使わせてくれないかしら?」


 ラミアの視線の先にあるものを見て、ジョシュアは無言で頷き、先に神父が入る側のスペースへと足を踏み入れる。少し待ってから、仕切ってあるもう片側の部屋へとラミアは入った。


「どのやり方をお望みですか?」


 ジョシュアは様々な教派に通じているのだろう。相手に合わせてやり方を変えているのだ。しかし今のラミアは、どのやり方にも従う気はなかった。


「ここには教派はないって聞いたわ。私はただ独り言を言いたいだけ。あなたも独り言を言いたければ言ってもいいわ」


「今は何も喋りたくない気分です。しばらく大人しくしていましょう」


 かなりの時間、沈黙が流れた。ジョシュアはしびれを切らすこともなく、輝くばかりの氣は穏やかなリズムで優しく揺れている。それを心地よく感じながら、ラミアはついに口を開いた。


「私は、殺してはならない方をこの手にかけました。時の法王聖下です」


 三十年前。まだラミアが夢幻の心臓イモータルとなる以前の話。本物のうら若き乙女だったころ。


 最も敬愛すべき大切な人物。信者たちのもう一人の父。列聖までされた本物の聖人。そんな人物を、ラミアはその手に掛けた。陰謀に巻き込まれた結果とはいえ、赦されるものではない。


「文字通り世界を守る要となられていたお方。結果として、私は世界を危機に晒しました」


 ラミアの衝撃的な告白を聞いても、ジョシュアの氣はまったく動揺を示さない。ただ穏やかにラミアを照らし続けているかのようだった。


「神は悔い改める者をお赦しになられます」


「私はきっと、悔い改めてなんていません。今も殺しています、ただの人の子を。吸血鬼ヴァンパイアでもない普通の人間を、自らの身を守るためでもなく、ただ他人に命じられるままに殺しています」


「他人のためにその身を焦がす者は、その気高き心が、神によって救済されます」


「本当にこれでいいのでしょうか? 人を救うためなら、人を殺してもいいのでしょうか? あなたはかつて言いました。『誰かが右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい』と」


「私はあなたに言った覚えはありませんが……。それにその教えは、復讐を禁じたものです」


「でもその前に『悪人に手向かってはならない』とあります」


「さらに前には、『目には目を、歯には歯をと命じられている。しかし、わたしは言っておく』と前置きがあります。必要なのは『報復の連鎖を断ち切る決意』です。彼にはきっとそれが出来ます。これからも手助けをしてあげてください」


 いつの間にか問答となり、すでに具体的な話になっていたが、ラミアは構わず続ける。迷いを断ち切る力が欲しかった。背中を押してくれる人が欲しかった。だからここに入った。


「でもそのために、不殺の誓いを破るのは……」


 ラミアの迷いは消えない。バーナードが目指しているものは正しくても、手段を間違えてはならない。


「『ローマ人への手紙』を知っていますか? 第十三章の四。『彼はいたずらに剣を帯びているのではない。彼は神の僕であって、悪事を行う者に対しては、怒りをもって報いるからである』」


「その『彼』とは支配者のことです。法の番人のことを差していると理解しています」


「あなたは神の剣です。あなたにとっての『彼』が誰なのかは、私が決めることではないでしょう。『彼』に従いなさい。『彼』の正義を信じるのなら。この国の悪を断つために」


(私にとっての『彼』……。支配者であり、法の番人。この国の悪を裁く者)


 それはバーナードに他ならない。彼には剣が必要だ。彼の持つ力は言葉だけ。言葉では敵は倒せない。神の敵は、神の剣たるラミアが、断罪しなくてはならない。


(振るうのはバーナード。私を導いてくれるのは、バーナード……)


 それは自己暗示のようなものだったかもしれない。自分のやってきたことを正義とするために、バーナードの正義を利用する。自身が手を汚す理由とするために、彼の無力を利用する。


 誰かが自分の力を必要としてくれている。自分の存在を必要としてくれている。それを証明するために、彼女は人を殺す。自身の生きる価値を求めて。今の彼女には、まだそれしか出来ない。それしか知らない。まだ、気付いていない。


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