第四話 金蓮花(ナスタチウム):愛国心
バーナードにお辞儀をして別れると、ラミアは淑やかに歩いて、飲み物を給仕しているウェイターの方へ向かった。早速社交界の花たちが集まってくる。
「可愛らしいお嬢さん、とても素晴らしいダンスだったわ。大統領とはどういうご関係? 真っ先にお選びいただけるなんて」
まだ当選していないどころか、党から候補指名もされていない人間相手に、堂々と大統領という呼称を使う。顔ぶれからわかってはいたが、所詮バーナードの真の支持者ではないのだ。
甘い蜜を求めて群がってきた虫たち。花はバーナードの方。受粉の役に立つから見逃されているに過ぎない。ラミアは嫌悪感を堪え、何も知らぬ善良な少女のふりをして柔らかく答えた。
「わかりませんわ。きっとわたくしを憐れんでくださったのでしょう。殿方にお誘いいただいたのなんて、初めてのことですから」
よく見れば、本来の支持者たち、バーナードの同志とも言える気高い思想の持ち主たちは、誰一人として来ていない。嫌な思いをしないよう、きちんと区別して扱っているのだろう。
「流石大統領、将来への投資、といったところかしら?」
いちいち癇に障る物言いをするとラミアは思った。招待客は、バーナード自身ではなく、彼がもたらす利益の支持者たちなのだろう。公約が実行されると、何らかの形で得をする。
本土の人間でも、商売の内容によっては、属州が独立してくれた方が儲けられる。それを利用する。例え醜くとも、バーナードにとっては益虫なのだ。ラミアは努めて笑顔を保ち答えた。
「あの方が打算で動くとは思えませんわ。何しろ公約を実行したら、職を失う身だと聞きました。わたくしは不勉強なもので、どうしてなのかはよくわかりませんけど」
(さて、どう答えるかしら、この人たちは?)
婦人は厭らしい笑みを浮かべ、バーナードの方にちらりと視線を向けた。毒々しいまでの濃い赤の口紅で彩られたその唇からは、まさに毒としか形容出来ない言葉が飛び出した。
「あの方はほら、植民地の土人だから。公約通りに本土以外を独立させてしまったら、国民ではなくなってしまうのよ。外国人が大統領を続けるわけにもいかないでしょう?」
流石に嫌悪感が顔に出そうになり、試されているのかとラミアは一瞬疑った。差別用語を平気で使い、カリブの島を植民地扱い。属州でこそあれ、元々は共栄のための経済圏からの融合という形にもかかわらず。
結局は私腹を肥やしたいだけの者たちに過ぎないと痛感した。志のある人間など、ここにはいない。そういう意味では、この場にいるのは皆、ラミアが排除したいと思った敵なのかもしれない。バーナードにとっても、本来ならそうだったのだろう。彼はその敵すら味方に変える。
怒りが言葉の端に載ってしまいそうで、ラミアは飲み物を口にするふりをして返答を保留した。すると、婦人たちの間で勝手に話題が盛り上がっていく。
「あら奥様、大統領がそんな浅知恵のわけありませんことよ。独立させるといっても、就任した瞬間に明日から独立、というわけには参りませんし」
「確かに。法律だけ成立させておいて、任期が終わると同時に施行されるようにするとか、いくらでも手段はあるわ。そもそも議会の承認も必要ですし」
「そう、うまく考えてますわ。二期目の終わりに合わせることだって出来ますもの。流石は大統領。本当に商売がお上手ですわ」
婦人たちがバーナードを利用しようとしていることは許せていた。彼の方も利用する気でいるのだから、お互い様。しかし、バーナードの思想や目的を理解していないどころか、履き違えているとしか思えないやり取りには我慢がならない。
「同じ理論で、二期目の終わりに合わせて、あなた方を裏切ることも出来るわ」
思わずラミアの口からそんな言葉が零れた。婦人たちが硬直し、急速に青ざめていく。心臓を串刺しにするかのような台詞を発したラミアに向けて、視線がぎこちなく戻ってきた。
氷の瞳の黒薔薇姫と称される表情になっていたラミアだが、それを見られる前に柔らかい微笑みに戻って、慌てて考えた続きを口に出す。
「――という的確な指摘を主人公がする小説を昨夜読みまして。フィクションなのですけれども、その作品の大統領が嘘吐きの差別主義者なんですのよ。どうやら現職のトレヴァーに対する風刺小説のようでしたわ。確かにあの大統領なら、最後に手のひらを翻しそうですもの」
それを聞いて、凍り付いていた婦人たちの表情が、安堵の笑いに包まれる。
「そうよね、その心配が大きいからこそ、今回はオハラ氏を支持いたしますの」
ならば前回はダグラスを支持したということ。手のひらを翻しているのは、この婦人たちの方。本当に醜い心の持ち主たちだとラミアは思う。フルールが口にしていたあの差別用語を使って、この場で罵ってやりたくて仕方がない。
それで思い出し視線を向けると、フルールはぎこちないながらも、バーナードと一緒にゆったりとしたワルツを踊っていた。いくつか基本ステップを教わったようで、一応動けてはいる。
「あのみっともない子、孤児院からでも連れてきたのかしら? 先程の浅ましい食べっぷりは酷かったわ。……大統領は大変ね。ああやってパフォーマンスもしなくてはならないのだから」
フルールとバーナードの微笑ましい姿を眺めて温まっていたラミアの心は、婦人のその差別的かつ侮辱的な一言で急速に温度が下がっていった。
(私と一緒にいたことすら見てなかったのね。その節穴に入るのは、お金と宝石だけ? 私の連れだって教えたら、何て言って取り繕うのかしら?)
どうしても言ってやりたくて仕方なかったが、バーナードと親し気に思われてしまった以上、揉め事を起こすと彼に迷惑をかける。ラミアは再び無理やり笑顔を作るしかなかった。
「あれに引き換え、あなたは本当にお上手だったわ。どちらでお習いに? そもそもあなた、どちらのご息女でしたかしら?」
「申し訳ございません。正体は明かすなと固く口止めされておりますので。陛下に」
フルールとバーナードを侮辱したことへの、ラミアなりの仕返しだった。王に対する敬称のヒズ・マジェスティではなく、女王に対する敬称のハー・マジェスティ。しかもロイヤルを付けた。該当人物は一人しかいない。上流階級の人間相手ならば、名前を出したようなものである。ラミアの話すロンドン訛りの英語も、その根拠と言えた。
案の定、婦人たちは、好奇心というよりも欲望に眩んだとしか思えない目つきに変わって、ラミアにすり寄ってきた。ドレスや髪型を褒めたり、料理や飲み物を取りにいったり。
(浅ましいことこの上ないわね……。口止めされたのは本当だけれど、三十年近く前の話だって言ったら、どういう反応するのかしらね?)
それこそバーナードに多大な迷惑がかかるのは明白。ラミアは仕方なくなすがままにされていたのだが、彼女たちの反応が予想通り過ぎることが気になった。まるでそういう人物がここに紛れ込んでいることを知っていて、それを見つけ出したかのようなはしゃぎようなのだ。
(もしかして、私、そういう設定にされてた?)
先程のバーナードの言葉を思い出した。『彼』ではなく『彼女』の人選と表現し、『国連への復帰の後押しも頼める』とまで言ったのだ。
(まさか、陛下がバーナードに私を推挙したの?)
ありえなくはない。この国の現状を憂えていないわけがない。どの組織を使っても内政干渉になる。だからすべてを捨てて放浪していたラミアを利用した。危険な任務だと言えば飛びつくと思って。国の現状とバーナードのことを知れば、その気になると読んだのだろう。
誰も何もはっきりしたことは言っていない。ラミアの妄想にしか過ぎない。だがそう考えると、すべての辻褄が合ってしまう。
(もしかして、真の黒幕は陛下? 確かにバーナードの財布から出ているにしては、報酬多過ぎるとは思っていたけれど……)
想像通りなのだとしたら、今の今まで完全に手のひらの上で踊らされていたことになる。コーネリアス以上の策士。ラミアは大きく肩を落として溜息を吐いた。
「あら、どうかなされまして、プリンセス?」
「いえ、先程のダンスの疲れが……」
(プリンセスって何よ……)
もうそういうことにされてしまったようだ。敬われれば敬われるほど、逆に卑しさを感じてしまう。どうにかこの場を抜け出せないかと思っていると、フルールが戻ってきた。
「お姉様、あたしのダンス見てた?」
「ええ。初めてにしては上出来だったわ。大統領を目指すだけあって、流石にリードが上手よね。まさに指導者の器だわ」
(情けない。汚いやり方でのお金儲け以外に使う脳みそ、持ってないのかしら?)
他に用事が出来たとばかりに、すっと姿を消していった婦人たちを横目に、ラミアはそう思った。ここに戻ってきて、お姉様と呼んだことで、フルールの設定に気付いたのだろう。
近くの人にそれとなく話しかけて、一緒にその場を去るなどの小細工を弄することすら出来ず、ただ無言で去っていった。バーナードもなかなか痛快なことをするものだ。
「お姉様、ダンスそんなに変だった? なんでそんなに可笑しそうに笑ってるの?」
事情がわからないフルールは、楽し気に微笑むラミアを見て揺れる瞳で問いかけてくる。その頭を撫でながら、バーナードという人物を彼女の目を通して再評価してみることにした。
「人間気持ちがいいときは笑顔になるものよ。それで、あなたの方の感想は? どうだった、初めての殿方とのダンスは? 男性の皆が信用出来ないわけじゃないって思えた?」
「ええ、ええ。牧師様以外に、あんなに崇高な志を持ってる人がいるなんて、思わなかったよ」
バーナードはこの小さな支援者の心も鷲掴みにしたのだろう。フルールは興奮した様子で答えた。人たらしなのか、それとも女たらしなのか。私生活が心配になる。
「あなたにも出来た? この仕事を真面目にやる動機が?」
「ま、真面目にやってなかったわけじゃないよ! わざと失敗してたんじゃなくて、ただちょっとポンコツなだけ。……でも、次からはもっと慎重にやる。あたしにだって、やって出来ないことはないもん。あたし頑張るよ。牧師様と、お姉様と、バーナードさんと、そしてこの国の未来のために!」
人は変われる。出逢いの化学反応が可能にする。ラミアは今日それを痛感した。しかし、フルールはもう一歩踏み込む必要がある。
「ふるる、それじゃ駄目よ」
「ふぇ!? なんで!?」
「あなた自身が入ってないから。一緒に幸せになりましょう。みんなで」
フルールの満面の笑みを見て、ラミアは思う。自分に必要だったのはおそらく――




