第二話 石楠花(シャクナゲ):危機
完全に墜落してしまう前に、なるべく建物に近い方へと向かってラミアは跳んだ。異音を発するヘリに気付いて、用心棒たちが出てきている。着地の勢いのまま地面を蹴って、その一人に向かって進路を変えた。一瞬で距離を詰めると、無言で白薔薇を発動して首を刎ねる。
窓から漏れる明かりを反射して、白銀の閃光が夜闇を舞う。それを目撃した用心棒の一人が、やっと誰かの攻撃だと認識したのだろう。アサルトライフルを構えて視線を巡らせる。しかし時すでに遅し。もう彼以外の誰一人として、人間の形を保っていなかった。
その男が応援を呼ぶ声を発する前に、肺からの空気は物理的に声帯には届かなくなる。ただの物体と化した残骸が倒れたり落ちたりする音が、今頃になって発生した。
ほんの数秒もかけず五人の用心棒を始末したラミアは、頭に叩き込んできた別荘内の図面と、戦闘の魔力を感じる位置を突き合せた。彼らが出てきた入り口から駆け込んで、無人の廊下を通り抜ける。一足飛びに階段を上って折り返すと、戦場であるリビングの光景が目に入った。
(一歩遅かった……いえ、微かだけどまだ息が)
広いリビングの端には、漆黒のゴシック風ドレスを着た小さな肢体が横たわっていた。間違いなく祓魔師の制服。しかも若い女性用。既に虫の息だが、かろうじて生きてはいる。
用心棒のリーダー格と思われる男が、その前で振り返る。顔に付いた返り血を指で拭い、嗜虐的な笑みと共に舐めた。彼女が何をしに来たのかは、男の氣の感じですぐに理解出来た。禍々しく変質して黒く濁り始めた、生命エネルギーと呼ぶのはおこがましい、汚らわしいもので。
「仲間がいたのか。クライアントをやったのはお前か? 外の奴らもいつの間にかいないな。かなり腕が立つようだ。役目を逆にしておけば、この小娘はもう少し長生き出来たのにな」
「こっちは別口。仲間じゃないわ。でも私にもあなたを処分する理由が出来た」
ラミアは白薔薇を発動しなおし、男に向かって突き付けた。
「吸血鬼、神の敵として貴様を断罪する」
「いい度胸だ。お前ら、手を出すなよ?」
吸血鬼は不敵な笑みを浮かべつつ声を掛けた。隣の部屋、壁の裏に隠れている取り巻きたちへのものだろう。それから銀色に輝くサーベルをラミアに向かって構える。マスカレイドではないが、材質は同じ。精神感応金属ルナタイトの刃が取り付けられたものだった。
銃ではなく剣を選ぶ以上、相当腕に自信があるに違いない。それでも時間はかけられない。
「三十秒よ。三十秒もあれば終わる。聞こえていたら、それまで何とか生き残りなさい」
倒れている祓魔師、小娘と呼ばれたことから、恐らく年端もいかぬ少女に向かってそう声を掛けた。直後、最大速度の踏み込みでラミアは突きを放つ。
相手の反応速度は予想以上。かなりの怪力で払われ、危うく白薔薇を手放してしまいかける。しかしただでは転ばない。流れた切っ先をその勢いで身体ごと回転させ、横薙ぎを見舞った。
刃が届くころにはそこにはもう相手はおらず、あとを追って踏み出したラミアを多方向からの攻撃が襲った。鋭く反応して後方宙返りで避けつつ、心の中で舌打ちする。隣の部屋の取り巻きたちからの銃撃。先程の発言は、やはりミスリードだったようだ。
着地のタイミングを狙って、再び四方からの銃弾がラミアを襲う。それを予測し、空中で身を捻って着地点をずらした。不規則なステップで続く射撃を避けつつ、前方からの攻撃は白薔薇で斬り飛ばして吸血鬼へと肉薄する。
「なかなかやるな、女! だが!」
吸血鬼に向かって放った斬撃の軌道を変え、ラミアは右を払った。鋭い音とともに、弾丸がはじけ飛ぶ。壁抜きでの銃撃。
例え霊的感知能力の達人だとしても、今のラミアの位置を障害物越しに把握出来るはずがない。初めから狙っていて、誘い込まれたということ。かなり訓練されたチームと思える。本来なら取り巻きから倒すべきだが、今日は特別。
「マフィアだけあって、卑怯な攻撃が得意ね。でも、もう時間よ」
ラミアが告げると同時に、室内の灯りが突然ふっと消える。
「なんだ!?」
狙っていたわけではないが、EMPがいいタイミングで投下された。強力な電磁パルスによって、照明を制御している電子機器が狂い、辺りを闇が支配する。
相手は吸血鬼。ラミアと同じく夜目は利く。だが取り巻きたちはただの人間。彼女を目視は出来ない。この機に勝負を決めるべく、再び吸血鬼に向かって突撃した。
一対一に持ち込んだラミアと吸血鬼の間で、剣戟の火花が散る。打撃音で戦闘位置はおおよそわかるだろうが、取り巻きたちにはラミアだけを撃つことは叶わない。ただでさえ常人が介入するのは難しい高速戦闘。照明が回復してしまう前にと、ラミアは一気に畳みかける。
一際高い音が響いた。数合ののち、武器を失っていたのはラミアの方だった。ブレスレットの形に戻ってしまった白薔薇が宙を舞う。
それを追いつつ距離を取るも、思いの他早く回復した照明の下で、ラミアの姿が露わになる。ブレスレットが壁を叩く音と、ラミアを狙った最初の銃弾の火薬が炸裂する音とが同時だった。
「確かに三十秒だったな。――とどめを差しておけ」
次々と襲い掛かった鉛の塊によって、朱い華を身体中に咲かせながらラミアは倒れた。取り巻きたちが姿を現すと、銃口を向けて慎重に歩み寄ってくる。勝負が決し、ラミアへの興味を失ったのか、吸血鬼は虫の息となっている祓魔師の少女の方へと向き直った。
「いい感じの幼さだ。すぐに眷属に落ちるかもしれないが、血を分け与え、延命して楽しもう。――おい、そっちの女はお前らにやる。殺してからなら使っていい」
「流石にそれは……いや、このレベルなら死体でもぶち込んでみたいかな? ヴァーチャルアイドル並ですぜ、こいつ」
冗談とも本気ともつかない取り巻きの一人の言葉に続き、下卑た笑いが室内に響いた。
「ああそうだ、この小娘はボスのところへ持って帰ろう。まだ生娘だろう。俺の血を与えて再生させれば、何度でもぶち破れると喜ぶぞ、きっと。ボスは好きだからな、そういうの。この顔と身体なら、今回の失態を帳消しにしてくれるかもしれない」
「そいつは名案だ、流石若頭」
再び低俗な響きの笑いが木霊する。やはり単なるボディーガードではなく、非合法組織の人間たちのようだった。最初の印象通り、闇社会に蔓延るマフィアなのだろう。
(なんて悍ましい発想。死体を犯すとか、何度も処女を奪うとか。これだから野蛮な男は嫌い。コーネリアス、やっぱり今日の薔薇は紅白になりそうよ)
「それじゃ、勿体ないが念のため」
再び銃声が響く。取り巻きの一人がラミアの心臓を撃ち抜いた。舌なめずりしながら覆いかぶさってこようとしたとき、吸血鬼がそれを制止した。
「待て……この血の匂い……なんだ、この甘美なる誘惑は?」
吸血鬼の氣の色が急速に濁っていっている。ラミアの血の匂いを嗅いで、吸血衝動が悪化したようだった。くるりと振り返り、ふらふらとこちらに近寄ってくる。その表情は虚ろになっており、取り巻きたちが不審げに問いかけた。
「若頭? いったいどうしたんで?」
「寄越せ……その女の血を寄越せ!」
突如として叫び、駆け出した吸血鬼に向かって、ラミアの左腕が持ち上がる。その動きを見て、まだ息があったことに気付いた取り巻きの一人が慌てて発砲した。銃弾がラミアの心臓を再度貫くのと同時に、左手首のブレスレットに魔力が流れる。
「赤薔薇」
ラミアの唇からそう言葉が洩れたときには、既にブレスレットが変形して吸血鬼の心臓を貫いていた。その形はミセリコルデ。スティレットとも呼ばれる暗殺用の刺突剣。しかしそう呼称するには大きな違和感がある、五メートルはあろうかという長大な代物。その細い剣身を、仄かに赤く光る魔力が流れていく。
「なっ――」
刺されたあと、そこまで言うのがやっとだった。魔力が到達した瞬間、吸血鬼はその身を硬直させ、心臓を焼かれて崩れ落ちていった。
「馬鹿な!? 何故だ!?」
取り巻きたちは恐怖に凍り付いた表情で、ある者は吸血鬼を凝視し、ある者はラミアの無表情な氷青色の瞳を見ながら、異口同音にそう叫んだ。
「武器が一つとは思わないことね。ただのファッションじゃないのよ、両手につけてるのは」
「そのことじゃない、何故心臓を撃ち抜かれて生きているのかと聞いているんだ!? まさかお前も――吸血鬼!?」