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心の色は薔薇言葉  作者: 月夜野桜
第四章 花咲く野の貴婦人とその愛らしき秘密の恋人
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第三話 福寿草(フクジュソウ):悲しき思い出

 背中に温かく柔らかいものを感じて、ラミアは目を覚ました。フルールが抱き付いてきている。結局、希望を通して一緒のベッドで眠ることになった。隣の部屋の内装を整えるにも即日とはいかない。仮に用意しても、夜中のうちに忍び込んできそうな気がしてならなかった。


 ラミアが振り返って頭を撫でようとすると、フルールがぼんやりと瞼を開く。


「ん……お姉様、おはよー」


「おはよう。よく眠れた?」


「うん。昨夜は激しくて疲れたから」


(激しくて? ずっとハイテンションで遊び回ってたからかしら?)


 言っている意味がよくわからず、ラミアは眼を瞬いた。


「お姉様、今日からはふるるって呼んで……」


「どうしたの、急に?」


 ラミアがきょとんとした顔で問うと、フルールは頬を染めながら小さな声で言う。


「だってほら、責任取ってもらわないと……」


「責任!? 責任って何の!?」


「覚えてないの? 昨夜はあんなに熱く激しく契ったのに……」


(待って待って、私そんな記憶一切ないわ。……え? え? 記憶の無い三時間余り……)


 違う、絶対に違う。普通に眠っていただけ。帰ってきてからも夜遅くまで遊んでいたが、起きていた間の記憶ははっきりとある。酒も飲んでいないし、もうそういうことには興味がない。


「ヒドイ……お嫁にいけない身体にしておいて……もうお姉様しかいないのに……」


 フルールは泣き崩れた。わんわんと大声をあげて泣いた。ラミアは身体を起こしておろおろと慌てる。――が、ふとあることに気付いて、いつもの氷の瞳に戻った。


「フルール、私一つ特技があってね。隣の部屋にいる人が、泣いてるのか笑ってるのかわかるのよ。泣いてる子がそんな明るい色の氣なわけがないわ。次やったら追い出すわよ」


「ごめん……。でもね、でも……。やっぱりいいや、迷惑みたいだから……」


 やはり泣いてはいないどころか、むしろラミアをからかって楽しんでいたようだ。やりすぎたと知り、今度は実際に反省しているように見えた。表情だけでなく氣の揺れ方が、また捨てられた子犬のようになっている。ラミアはその頭を撫でながら優しく言った。


「いいわよ、愛称で呼ぶくらいなら。その代わり、私のこともお姉様って呼ぶのはやめて」


 表情をぱっと明るくすると、疑問符のついた表情でフルールは見上げてきた。


「ホント? お姉様のことはなんて呼べばいいの? ラミラミ? ミアミア? ラミリン? それとも――あ、本名で呼べばいいの?」


「本名は……」


 ラミアが渋ると、フルールの瞳が揺れ出す。それを見ると何故だか逆らえなくなる。


「はぁ……わかったわよ。……ローズ。それが本名。でもその名前では呼ばないで。この十年で教えたの、あなただけよ、ふるる」


「だから黒薔薇姫なんだ……。えへへ、教えてくれただけでもすごく嬉しい!」


「今まで通りお姉様でもいいわ。ラミラミやラミリンよりはマシ」


「じゃあお姉様で! 一生追いつくことないし!」


 フルールの笑顔は、出逢ってから一番輝いているように、ラミアには思えた。


   §


 朝食後、予定通りミサに参加させるべく、タコマのジョシュアの教会へと車を走らせた。フルールは十時からのミサに出るという。準備の手伝いなどもしそうなことを考慮し、九時過ぎには現地へと着いた。車を降りて、近くの駐車スペースへ自動的に移動するよう設定してから、ラミアはふとあることに気付いた。


「ねえふるる、よく考えてみたら、ここでミサが行われるのっておかしくない? だってジョシュアは牧師よね? それならこの教会は……」


「ここには教派はないんだ。あたしはミサって呼んでるけど、別の呼び方してる人もいっぱいいるし。牧師様のことも神父様って呼ぶ人もいるよ。そういう色んな人が集まるんだよ。みんな牧師様に惹かれてやってくる人たち。ほら、教会でも色々とあるから……」


「そうね……。教会で平気で性犯罪が行われていたりもあったそうだし。しかも告解室で」


 『性犯罪』という単語を聞いてフルールは明らかに硬直した。


(まさか、ふるるが私のところに来たのって、ジョシュアから逃げるため!?)


 思わず口に出してしまいそうになったが堪えた。冷静に考えてみれば、そうだったら今日戻ってはこない。今の反応にも、既視感がある。昨日の朝、自宅がどこか訊いたとき。


(もしかして、フルールの過去にあったことって? ここに保護された理由って?)


 フルールは何かを振り切るように、慌ててラミアの手を引いた。


「ね、ねえお姉様、中に入ろ。先に牧師様に挨拶して、そのあと手伝えることあったら、何か役に立ちたいんだ」


 ジョシュアに確認しておきたい。しかし、本人の前で話題に出来ることではない。そのままなし崩し的にミサに出ることになるのも、気が進まない。邪険にならないように気を付けつつ、フルールの手をそっと剥がしてからラミアは告げた。


「ふるる、ごめんなさい。私は入らないわ。もうこういうのには参加しないの」


「お姉様、その面倒くさがり、直した方がいいよ? まあ、今時参加する敬虔な信者の方が珍しいけどさ。でもどうせ暇なんだし……」


(私は冷酷な暗殺者。氷の瞳の黒薔薇姫だから……)


 心の中でだけ本音で答えた。もう神の御前に出る資格などない。祈りを捧げる権利もない。


 何も口にしていないのに、気持ちを理解してくれたのだろうか。フルールは春の陽射しのような柔らかく、温かい微笑みをラミアに向かって浮かべた。


「そうだね、無理に参加する必要ないよ。少しずつ解けてけばいい。春になればね、雪は解けるんだよ? 氷河だって、夏になれば解けるんだよ?」


 それから振り向き、一人で礼拝堂へと入っていく。その後ろ姿を見ながら、ラミアは考える。


(私の心は、そんなに凍てついて見えるのかしら?)


 今確かに声には出していなかった。昨日から、いや、出逢ってからずっと変な気がする。フルールを守ってあげているはずなのに、自分の方が守られているような気すらしてしまう。


 何故かその場に居づらく、車を呼び戻そうとして、思い留まった。フルールはすぐに氣か魔力で気付くだろう。余計な騒ぎが起きても困る。教会の敷地内には残ることにした。


 礼拝堂を廻って、裏手の方へとゆっくり歩いていく。敷地は思ったより広い。裏には芝生の庭があり、その先は手入れされた林になっていた。


(緑があるっていいわね……。この森林独特の香り。私は好きだわ。心が洗われるよう)


 樹々は適度に間引きされ、歩きやすく下草を刈ってある小径もあり、散策用として整備されているようだった。緑に癒されながらのんびりと歩き回り、林を一周する。


 他には特に何もなく、礼拝堂以外は、数人程度が暮らせる大きさの居住棟が一つあるだけだった。ジョシュアとフルールの他にも、教会の手伝いをする人間が何人か住んでいるのだろう。


 ジョシュアは児童養護施設を運営していると聞いたが、併設ではないようだった。これだけの広さがあればここに作れそうに思える。考えていた以上に大規模なものかもしれない。


 林の中に戻り、座れそうな場所を選んでそこでのんびりと過ごした。瞼を閉じると沢山の小鳥が囀る声が聞こえる。小動物たちの気配もあり、ここは安息に包まれた場所だと感じた。


 ミサが終わったのだろう。礼拝堂から大勢が出ていくのを感じた。祓魔師エクソシストだろうか、魔力を意識的に抑えている、魔法を嗜む者固有の気配もある。そういう人間も出入りしているようだ。


 ふと、フルールがどういう経緯で祓魔師エクソシストになって、銀の手シルバーハンドにまで所属しているのか疑問に思った。出入りしている者から、あの隠密能力でも見初められ、スカウトされたのだろうか。


 フルールは居残ってジョシュアと話をしているようなので、邪魔をしないように、そのまま林の中に留まった。フルールの方でも、ラミアがここにいるのは把握しているだろう。


(帰るのかしら? ……あら、あれは……)


 礼拝堂の正面からフルールが出たので、ラミアもそちらへ向かおうとすると、ジョシュアが裏口の方から出てきた。芝生のところまで来ると、そこでこちらを向いて待っている。


「あなたもいらしていたのですか。中におられないから、フルール一人で帰ってきたものかと」


 二人きりなら丁度良い機会と思い、ラミアは気になったことを訊ねた。


「あの子……過去に何があったの? 手首にはリストカットした跡が沢山あったと聞いたわ。実際、私の目の前でも何度か死のうとした。それもほんのちょっとしたことで絶望して。自宅、父親、性犯罪。いくつかの単語に異常な反応を示した気がする。あの子、もしかして?」


 ジョシュアは静かに眼を閉じ、胸に手を当ててしばらく黙っていた。そして重い口を開く。


「あなたのご想像通り、実の父親から性的虐待を受けていました。それも幼少時から。それで心を病んでしまったようです。手首を切った時、助けられたのはあの子だけです。父親の方は既に……。罪の意識に耐え切れずに、ついに致命傷をつけてしまったのでしょう」


 ラミアの顔が悲痛に歪む。可能性としては頭の中にあった。しかし、実際にそうだと聞くと、辛いものがある。自分の父親を手に掛けた。もう手は汚れていると言ったのは、そのことだったのだ。彼女が言うところのゴイに対する憎しみのようなものは、そこが原点なのだろう。


「状況的に明らかに正当防衛。年齢的にも罪には問われませんでした。それで彼女を私の元で更生させることに。もう大分まともになったと思っていたのですが、まだ自傷行為をするとは」


 それからジョシュアは、深く、深く頭を下げた。その両手で自分の左胸を押さえながら。


「ネクロファージを与えてくれたことを感謝します。これでそう簡単には死ななくなりました」


 初めはラミアもそう考えた。実際にはそう甘くはない。事実を知らせるべきと思った。


「マスカレイドで心臓を撃ち抜けば、簡単に死ねると知っている。実際危ない場面があったの」


 残念そうにジョシュアは何度も首を振る。溜息を吐いてから、呟くように言った。


祓魔師エクソシストになどすべきではなかったのかもしれませんね。家の中で父親から隠れ潜むような生活を続けていたためか、あの子は魔力や氣を抑えて気配を消す能力に長けています。それを買われて、私のところに出入りしている銀の手シルバーハンドの人間にスカウトされたのですが……」


 一流の暗殺者並みに気配を消せることに合点がいった。同時に、フルールの過去がどれほど悲惨なものだったのかも理解した。今ああして笑えるのが奇跡とすら思える。


「向いてないと思うわ、性格的に。普通の女の子として育てるべきだった」


 恨みがましい視線をジョシュアに向けながら、ラミアは冷たく言い放つ。ここのところ上がり気味だった氷の温度は、急速に下がっていた。そんな過去があるのなら、児童養護施設の方で仕事を与えるべきだった。フルールには天職と思える。あの笑顔には他人を癒す力がある。


 それでもジョシュアは臆することもなく、その瞳を真正面から受け止めながら応じた。


「しかしあの子の信仰心は強い。神の敵を打ち倒すための剣となる覚悟が出来ています」


「それが強すぎるから向いてないと言ってるの。生命を捨ててでも果たそうとしたわ」


「だからあなたに預けました」


 ラミアの氷の瞳の温度が更に下がる。もはや視線で殺せそうなくらいになって睨みつけた。


「預けた……ね。住所も知らない人間に? ――あなた本当は、私の家知ってたでしょ?」


「流石におわかりになりますか。あの子には曖昧にだけ教え、偶然出逢えるかどうか運命を試してみました。結果、あなた方はこうして一緒にいます。強い縁があるということです。あの子のことをよろしくお願いします」


 ジョシュアは再び深く頭を下げる。しかしラミアは思わざるを得ない。


(あなたはわかってないわ。ネクロファージは、心までは守ってくれないことを)


 自分の血を分け与えたフルールを、見捨てるわけはないと知っている。それでも、ラミアの仕事を手伝っていたら、フルールの心がまた壊れてしまうかもしれないことを理解していない。


 絶対零度まで下がった氷の瞳がジョシュアを見据える。彼の神々しいまでに輝く氣は、それでも凍り付くことはなく、温かく柔和な笑みをラミアに向け続けていた。


(いいわ。全力で守る、あの子のすべてを。どんなことがあっても。今度こそ――)


 もう逃げるのは終わり。失うのを恐れ、大切なものを作らない人生には別れを告げる。ラミアはそう決意した。立ち向かわなくてはならない。幸せになるために、幸せにするために。


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